第十五話
「本気で言っているのか?」
「はい」
訝しげな視線を向けるリヒャルトに、緊張した面持ちで頷き返すアンドレア。
私は今のところ二人のやりとりを黙って見ているだけ。
アンドレアの話を要約すると、『ガルディーニ王国だけでは魔物の殲滅が無理だからシュヴァルツァー皇国の力を借りたい』ということらしい。ガルディーニ王国の現状を考えれば賢明な判断だと思う。けれど、その判断をあの国王やサローニ公爵らが許したとは思えない。となると、これはアンドレア王太子殿下の独断か。それとも、なにか他に裏があるのか……。
アンドレアがうそをついているようには見えない。けれど、アンドレアの言葉のすべてをそのまま鵜呑みにすることもできない。リヒャルトも同じ考えなのかじっとアンドレアを見つめている。
その視線をどう受け取ったのか、アンドレアが必死に言葉を続ける。
「厚かましいお願いだということは承知しています。シュヴァルツァー皇国にはなんの得にもならないことも。ですが、他に方法がないんです。できる限りの条件は受け入れます。この首を差し出せというなら、差し出します。そのかわり、ガルディーニ王国を、罪なき民たちを助けてください。どうか、お願いします」
覚悟を決めた顔でとんでもない発言をするアンドレア。一国の王太子とは思えない発言。威厳もなければ、余裕もない。
リヒャルトが呆れたように息を吐き出す。
「おまえの首にそれほどの価値があるとは思えないが」
「っ」
「まあ、おまえが本気だということはわかった。それで、『罪なき民たち』というのはどういう意味だ?」
「それは……『なにも知らない者たち』のことです。僕を含めた王家や一部の貴族、教会については……正直魔物の餌食になったとしても自業自得だと思います。ですが、なにも知らない民たちは違います。本来なら彼らは今もニュクス様の加護下にあったはずなのですから。これ以上彼らを巻き込むわけにはいかない。せめて彼らだけでも生き残ってほしい。……いまさらと思われるかもしれませんが」
まるで神に懺悔するようなセリフ。リヒャルトの顔がゆがむ。
「……本当にいまさらだな」
その通りだという顔でアンドレアは受け入れる。
これ以上アンドレアを責めたところで無駄だと思ったのだろう。リヒャルトは別の質問を口にした。
「おまえのその願いはガルディーニ王国を代表してのものか? それともおまえ個人のものか?」
先程までは揺らぐことがなかったアンドレアの瞳がここにきて揺れる。アンドレアの手の中にある手紙がくしゃりと音を立てた。三人の視線が一斉に集まる。
「答えられないか」
「……申し訳ありません」
「ならば、仕方ないな」
「!」
強引にアンドレアの手から手紙を奪う。慌てるアンドレアを無視して、リヒャルトは手紙を開いた。
「あ? ナンダコレ」
眉間に皺を寄せ、殺気立つリヒャルト。さっきまでの不機嫌さとは全く違う本気の怒りだ。手紙の内容が気になって横から覗き込んだ。
アンドレアから制止の声をかけられたが、無視して目を通す。リヒャルトは見やすいように手紙を私の方へと向けてくれた。おかげですぐに手紙の全容を把握できた。
今、私の顔はリヒャルトと同じような顔になっているだろう。
「ふざけているわね」
「ああ。いったいコイツの頭の中はどうなっているんだ。自殺志願者なのか? そんなに死にたいなら今すぐ俺の手でガルディーニ王国ごと滅ぼしてやるが」
「そ、それだけは! ち、父に代わって謝罪申し上げます。どうか、どうか」
アンドレアが額を床に擦り付ける勢いで床に伏せる。前世でいうところの土下座スタイルだ。しかし、そんなことで込み上げてきた怒りは晴れない。晴れるわけがない。
リヒャルトは握りつぶした手紙を床に落とし、足で踏みつぶした。その音にアンドレアがビクッと反応する。
頭を下げたままのアンドレアにリヒャルトがドスの効いた声で話しかける。
「わざわざこんな手紙をここまで持ってくるなんてどういうつもりだ? コレを見せる前にあんな話をしたくらいだ。だいたいの内容は予想がついていたんだろうが」
なにも答えないアンドレアにリヒャルトの怒りは募っていく。
「それとも、あれはただの口先だけの言葉だったのか?」
慌ててアンドレアは顔を上げた。
「ちがいます! 僕は本気で」
「なら、なんでコレを俺たちの前でちらつかせた」
「それはっ」
「コレを見た俺におまえの父親を殺させるのが狙いだったのか? それとも、おまえの前置きがあれば俺たちが怒らないとでも思ったのか?」
リヒャルトの言葉に私も続く。
「単に保身に走っただけの可能性もあるわよ。コレがなければ最悪自分の身元を証明できなかった可能性もあるんだから」
「ああ。なるほどな」
アンドレアは焦った顔で首を横に振る。
「ち、ちが。僕はそんなことは」
「もういい。これ以上話す必要はない。答えは決まったからな。ガルディーニ王国への援助はしない」
「そんなっ。まってください! 話を聞いてください。お願いします! このままでは本当にガルディーニ王国はおしまいなんです。それに、魔物を放っておいたらシュヴァルツァー皇国にだって被害が」
「問題ない。ガルディーニ王国とは違ってシュヴァルツァー皇国には魔物から国民を守る力があるからな」
「っ」
悔しげな顔で俯くアンドレア。
「……情けない」
リヒャルトのつぶやきを拾ったアンドレアの顔が真っ赤に染まる。
「ええ。リヒャルト皇太子殿下の言う通りです。ガルディーニ王国は他国の力を借りないといけないほどの弱小国ですし、その国の王太子である僕は王家が犯した罪を知ろうともせず、知った後でもその罪から目を逸らそうとした愚か者です。ですが、そんな僕にもこうして頭を下げることはできる。同情でもなんでもいい。ガルディーニ王国の民たちを救ってくれるのなら。なんでもします。ですから、どうか」
泣きながら頭を下げるアンドレア。王族としてはあまりにも情けない姿。でも、その姿を笑えはしない。……ただ、それでも考えが甘いとは思う。
「なにも知らない民に罪はないというが、本当にそう思うか?」
リヒャルトの問いに、顔を上げ戸惑いを見せるアンドレア。
「……え?」
「おまえはなにも知ろうとしなかった自分に非があると認めた。それなのに、なにも知らない民には無罪だと言い切れるのか?」
「それはだって……彼らと僕は違いますから。彼らには知る術が」
「確かに、赤ん坊のように自我すら芽生えていない者はそうかもしれんな。だが、そんな者でさえ一族の誰かが大罪を犯せば連座で処されるぞ」
「……」
「おまえだって本当はわかっていたはずだ。それに、考えが甘い。なんでもすると言いつつ、マリーに直接頼み込むことも、マリーを無理に連れ去ることもしなかったのはなぜだ?」
「それは……」
私も気づいていた。そういう方法だってあったはずだ。むしろ、あの国王陛下ならそうするように指示したのではないだろうか。手紙に従わなければ無理やりにでも連れて帰ってくるようにと。あんな手紙を書くくらいなのだから。
それなのにどうしてだとアンドレアを見つめていると不意に目があった。その瞬間、アンドレアの瞳が揺れる。
「……そんなことできるわけがない」
「え?」
「マリー嬢を無理やり連れて帰ったらそれこそリヒャルト皇太子殿下は黙っていないでしょう。そんな危険な橋を渡るほど僕は浅はかではありませんよ」
「そうか」
「ええ」
「もう十分わかっただろう。これ以上の話は無駄だ。手紙は見なかったことにしてやる。諦めてガルディーニ王国へ帰れ。命を助けてもらえただけでも感謝するんだな」
「そう、ですね。そうします」
なぜかすっきりした顔で頷くアンドレア。気づけば口が開いていた。
「ちょっとまって。アンドレア王太子殿下」
「はい」
「本当にこのまま国に帰るつもりですか?」
「そのつもりです」
「なんの成果もなく帰れば国王陛下や他の者たちは黙っていないと思いますが。下手をすればアンドレア王太子の立場も危ういことに」
「そうなるでしょうね。ですが、仕方ありません。リヒャルト皇太子殿下の言う通り、そもそも無理なお願いでしたから」
「ガルディーニ王国には滅びの道しか残っていないとわかっているのに帰るんですか?」
暗にこのまま他国へ逃げる道もあることを示す。私の言いたいことは伝わったようだが、アンドレアはそれでも首を縦に振った。全てを覚悟しているかのように。
「はい。僕はガルディーニ王国の王太子ですから。ふがいない王太子ではありますが、最後まで僕にできることをやってみようと思います。……あ、『思います』ではないですね。『やります』」
「そう……」
やっと、わかった。この感情がなんなのか。
『苛立ち』だ。アンドレアに対する『苛立ち』。アンドレアを取り巻く環境に対する『苛立ち』。
前世でもアンドレアのような人がいた。周りにいいように扱われて、自分のキャパ以上のモノを背負わされて、つぶれていった人が。
あの時も私は腹を立てていた。彼女に全てを押し付けた周りに。彼女に救いの手を差し伸べなかった自分自身に。自分には彼女を救える力があったのに。見て見ぬふりをした。面倒なことを避けたくて。
「リヒャルト」
「なんだ?」
「それと、アンドレア王太子殿下」
「はい?」
「二人に提案があるんだけど」
別にアンドレアに特別な感情を抱いたわけじゃない。同情したわけでもない。ただ、このままなにもせずにアンドレアを帰したらこの先絶対後悔すると思ったから。自分のために決めたのだ。自分から手を伸ばすことを。
◇
ガルディーニ王国。王城にある国王の執務室にて。
国王は何本目かもわからない羽ペンを壊していた。壊そうというつもりは一切ない。無意識のうちに手に力が入るせいだ。原因はわかっている。
全てがうまくいかないことへのイライラ。日に日に増えていく魔物関係の被害報告書。各地から寄せられる怒りの声となんとかしてくれという嘆願書。それらを抑えるためのエレオノーラは逃亡して見つからない。頼みの綱のアンドレアは帰ってこない上に連絡の一つもない。
自国の騎士と教会がこんなにも使い物にならないとは思ってもみなかった。
王城の周りの警備は特に固くしているが不安はぬぐえない。先日は魔物に襲われる夢を見たくらいだ。そのせいか最近は寝つきが悪い。ストレスのせいか抜け毛も増えたような気がする。
「これも全てエレオノーラの、サローニ公爵のせいだ。あやつらが、余計なことをしなければっ」
サローニ公爵の言うことなど聞かずに、アンドレアの言う通りマリーに相応の待遇を与えてやればよかったのだ。そうすれば、この状況にはならなかったはず。それどころか、聖女の力の恩恵にあやかることもできていただろう。ニュクス様の加護が戻ったとなれば他国との交流も再開できていたかもしれない。
「サローニ公爵には責任をとってもらう必要があるな」
エレオノーラはいなくなったのだ。それならば、親であるサローニ公爵にとってもらうしかない。新たな生贄が見つかったとほくそ笑む。妙案が浮かんだおかげか、書類整理も順調に進み始めた。が、ふと手が止まる。
「そういえば、アンドレアの方はどうなっているんだろうか」
近況が気になるが連絡の取りようがない。こればかりは待つしかないが……。
まさか亡命など……アンドレアがするはずはないか。
と思いなおす。アンドレアは生まれてから今まで一度も逆らったことのない親孝行者だ。
「魔物に出くわした時用に聖水を持たせたが……まさか」
アンドレアは誰にもバレないようにとお供をつけずにシュヴァルツァー皇国へと向かった。アンドレアの腕があれば大丈夫だと思っていたが……自国の屈強な騎士たちでさえ魔物を相手にするのは手こずっているのだ。嫌な想像が止まらない。
「国王陛下。シュヴァルツァー皇国から手紙です」
「なに?! はやくよこせ!」
手紙を運んできた使者からひったくる。はやる気持ちを抑えて手紙を開いた。
「……な、なにぃいいいいいい?!」
叫ばずにはいられない内容が手紙には書かれていた。




