第十三話
オフィスの廊下を早足で進む。なぜかわからないが気持ちが急いでいる。とにかく早く戻らないといけない。そんな強迫観念に襲われていた。その理由を考える時間さえ惜しいほどに。
「――――さん。真理さん!」
「!」
後ろから強引に腕を引かれ足を止める。振り向くと、目が合った。私よりも身長が十センチは低そうな女性社員は大きな瞳を潤ませて見上げてくる。そんな目で見つめられてもうんざりとした感情しか浮かんでこない。そのことを彼女はわかってやっているのだろうか。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃないですよー! 何回も呼んだのにどうして私のこと無視するんですかー?!」
「……そうだったの。ごめんなさい。気づかなくて」
うそを吐いたわけではない。本気で気づかなかったのだ。けれど、彼女は全く信じていないようだ。むすっとした表情を浮かべた後、すぐににっこりとほほ笑んだ。
「気づかなかったのなら仕方ないですね。許してあげます」
「……ありがとう」
心にもない返しだが、それでも彼女は満足したらしい。ご機嫌で私の腕に己の腕を絡ませてくる。ゾワッと不快感が込み上げてきた。
「真理さん。一緒に戻りましょ」
語尾にハートマークがつきそうな声色だ。そんな仲でもないのに。おかげで言葉に詰まってしまった。周囲が騒がしい。いつの間にか観客が増えてしまったようだ。わざわざ足を止めて私たちのやりとりを見ている社員たち。ここで断ると面倒なことになる。わかってはいるけど……。
周囲の話し声が私の耳にまで届いた。
男性社員達の『目の保養だ』『あの二人の間に入りたい』とかいう意味のわからない言葉や女性社員達の『あざと?』『狙ってやっているんでしょ』とかいう不快な言葉。我慢の限界だった。耐えていた溜息が漏れる。
「真理さん? どうしたんですか?」
首をかしげる彼女をじっと見つめる。一瞬彼女の表情が揺らぎ、素の表情がのぞいた。
社員の大半は気づいている。彼女の言動が計算しつくされたものだと。ソレをわかった上で男性社員たちは彼女を持て囃している。別にそのことについてとやかくいうつもりはない。
でも、そこに私を巻き込むのなら話は別だ。
私は彼女と違って外見を褒められても嬉しいとは思わないし、モテたいとも思っていない。女性社員から理不尽な悪意を向けられるのも面倒だと思っている。と、なれば答えは一つ。
「こういうのやめてくれる?」
「え?」
彼女の手に触れ、解く。腕が自由になったタイミングですぐに歩き始めた。後ろで彼女が何か言っているが振り返りはしなかった。
「こっわ!」
「いくら顔が整っていてもアレはさすがにないわー」
「なにもあんな言い方しないでもいいのにねー」
「だから親からも捨てられたんじゃない?」
「え? なにその話。もっと詳しく」
「実は……」
聞こえないように小声で盛り上がっているようだが、だいたい何を話しているのかは想像できる。いつもと同じだ。幼い頃の私なら泣いていたかもしれないが、今の私にはいちいち傷つく時間がもったいないとしか思えない。
こういう時は、『たいして仲がいいわけでもない人たちに何を思われても別にかまわない』そう自分に言い聞かせておくことが大切だ。全く傷つかないでいるというのは正直難しい。けれど、事前に心の中で防波堤を作っておけば致命傷は負わない。そうやって私は生きてきた。両親に捨てられた時も、友達と恋人を同時に失った時も。おかげでひとりには慣れた。
――――本当に?
「マリー」
「……え?」
足を止め、天井を見上げる。低い男性の声で名前を呼ばれた気がした。上から。そんなわけないのに。
「マリー。目を覚ましてくれ」
「な、なに? 誰?」
今度ははっきり聞こえた。まるで頭の中で直接話しかけられたように。慌てて周囲を見回すが誰もいない。
「っ。俺が誰かはわからなくてもいい。だから目を開けてくれ。戻ってきてくれ。俺にはおまえが必要なんだ!」
必死な声。私にこんな声かけをしてくるような人はもういないはずなのに。なぜか聞き覚えがある。
「私が必要?」
「ああ。必要だ」
「……」
過去、同じようなセリフを言われたことがあった。「付き合ってくれないなら死ぬ」と言った男。「真理がいなかったら私は生きていけない」と言った女。でも、結局皆他によりどころを作っていた。私がそのことを知って少しでも距離を取ろうとすると「真理の代わりだった」と言って追い縋ってきた人たち。そんな言葉を聞いてもむしろ離れたいとしか思えなかったのに。それから、似たことを何度言われようとも心には響かなくなった。
――――それなのに。なんで彼の言葉は嬉しいんだろうか。彼のことはちっとも思い出せないのに。彼に無性に会いたいなんて……。
「んっ……」
意識が浮上し、まぶたを開く。視界いっぱいに黒の艶やかな髪と紺の瞳が印象的な美青年が飛び込んできた。
「マリー!」
「……リヒャルト?」
見たこともないほど余裕がない表情をしている。名前を呼べば泣き笑いのような表情に変わった。
「なんでリヒャルトが……って、魔王は?!」
「魔王ならマリーが自分で抑えているぞ」
「私が?」
「ああ。ほら」
リヒャルトの視線の先には壊れたニュクス像をわしづかみにしている私の右手があった。隙間からなんとか抜け出そうと魔王がもがいている。が、私の右手のおかげでソレも叶わなかったらしい。
起き上がって現状を把握するために周囲を窺う。他の聖女たちが地面に伏しているのが見えた。
「みんな」
「大丈夫だ。意識を失っているだけだ」
「……大丈夫じゃないわ」
先程まで見ていた夢の内容を覚えている。アレはきっと魔王が見せた悪夢だ。私の夢はたいした内容ではなかったけれど、それでも嫌な記憶を掘り起こしてきたなとは思った。あのままリヒャルトに起こされなかったらもっとひどい内容になっていたかもしれない。
他の聖女たちも同じように悪夢を見ているのだとしたら……。
「マリー」
「リヒャルト。コレ持っていて」
リヒャルトに二つの像を押し付け、カタリナに近づく。魔王を抑えるのはリヒャルトでも大丈夫だろう。むしろ、その役目を任されていたリヒャルトこそ適任かもしれない。
「カタリナ様」
呼びかけるが反応はない。やはり悪夢を見ているようで表情が険しい。爪が食い込むほど握られた拳にそっと己の手を重ねた。
「大丈夫。カタリナ様なら大丈夫よ」
「っ」
ささやきかければカタリナの拳から力が抜けていくのが分かる。しばらくして、カタリナのまぶたが震えた。ゆっくりと目が開く。
「マリー様? 私」
「よかった」
ぎゅっとカタリナを抱きしめる。一瞬だけカタリナの体が震えた。次いでホッとしたような溜息が聞こえてくる。
「ありがとうございます」
「いいえ」
目と目を合わせ、ほほ笑みあう。起きたばかりで申し訳ないが、カタリナに他の聖女たちを起こすのを手伝ってもらうことにした。次々聖女たちが起きていく中、なかなか起きないカロリーネ。
もしかしてこのまま起きないのではないかと全員が心配したが、突然「私は独りじゃありません!」と拳を突きあげ起き上がった。聖女たちに囲まれ頬を染めるカロリーネを見て、メンタルも大丈夫そうだと安心した。
「リヒャルトありがとう。新しいニュクス像だけもらえる?」
「ああ」
ニュクス像を受け取り、祭壇に置く。
「さあ、皆さんやりましょう」
「ええ」「はい」
再び配置につく。先程と違うのはマリーの隣にリヒャルトがいること。
「リヒャルト、緩めて」
「ああ」
リヒャルトが力を緩めた途端逃げ出そうとする魔王。その魔王を浄化の力を込めた右手でわしづかみにし、新しいニュクス像に押し込めるという力技。もっと他に方法があったかもしれないが、コレが一番私的にはやりやすい。なぜかリヒャルトが嬉しそうな顔をしているが、その表情にはきづかないフリをして進める。
「今です!」
皆が一斉に封印の祝詞を唱え、力を送る。ニュクス像の中で魔王が暴れ、外に出ようとしてくるのが伝わってくる。イライラしてきた。
「いい加減大人しくしなさいよ! それともこのまま浄化されたいの?!」
実際できるかどうかは別として、私の本気は魔王にも伝わったらしい。動揺するように一瞬動きがとまった。その隙をついて全力で封印の力を送る。ついでに浄化の力も。相乗効果があったのかわからないが、魔王の動きが徐々におさまっていくのがわかった。しばらくして完全に動きが無くなり、封印できたのを確認した。
「や、やりましたね!」
カロリーネの声に皆もホッとしたようにほほえみを浮かべて顔を見合わせる。カシャン!大きな音がした。驚いて振り向く。
「リ、リヒャルト何をしているの?!」
リヒャルトの足もとには割れた旧ニュクス像があり、すでに元の形を失っているのにさらに粉々にするように踏み抜いていた。
「? ああ。なんとなくこうした方がいい気がしてな」
止めようか迷ったが、よく見ればリヒャルトの足が光っているのに気づく。ニュクス様が授けたなんらかの加護が働いている証拠だ。ということは、おそらくリヒャルトの勘は当たっているのだろう。気が済むまで放っておくことにした。
「皆様お疲れさまでございます」
「?! ハ、ハンス大司教?」
すっかり存在を忘れられていたハンス大司教の声掛けに全員が動揺する。
「まだ、なにかあるの?」
申し訳なさそうな表情を浮かべているハンス大司教に問いかける。
「は、はい。皆様お疲れのところ申し訳ないのですが……地上にいる魔物たちがまだ暴れているようでして、先程から教会にかけられている加護に揺らぎが」
「え?」
「魔王は封印できたのに、魔物は消えていないの?!」
「そのようです」
「そんな……」
嫌な想像が頭を過る。ハンス大司教の表情も暗い。
「まだ加護が破られた気配はしませんので教会の中は大丈夫だと思いますが」
「外はわからないってことね」
少なくともリヒャルトと行動をともにしていた騎士たちは今も戦闘中の可能性が高い。
「行きましょう」
他の聖女たちも頷き返す。すぐにハンス大司教が再び祈りを捧げ始めた。
「リヒャルトも」
「?」
リヒャルトの手を繋いで引き寄せると驚いた顔をした。そういえば私たちはハンス大司教につれてきてもらったが、リヒャルトはどうやってここまでたどりついたのだろうか。……と考えて、彼には誰よりも強いニュクス様がついていることを思い出した。
ならいいか。と、握った手を放そうとすると、むしろ握り返された。驚いて顔を見上げる。
ほほ笑みを向けられ、頬に熱が集まる。慌てて視線を逸らした。
――――こんな時だっていうのに何を考えているの。
自分にそう問いかけながらも握った手を振りほどくことはできなかった。
地上は想像していた通りだった。教会の外で魔物と戦っている騎士たち。私たちが中にいる間に、魔物の数が増えたようで負傷者も多いように見える。急いで加勢に入る。他の聖女たちもすぐさま自分たちにできることを始めた。
――――魔物の数に驚いたけど……。新しい魔物が現れる様子はない。これも魔王を封印した影響? とりあえず今はここにいるすべての魔物を倒して。後で、リヒャルトに報告を……。
遠目に闘っているリヒャルトを見つけて思わず釘付けになった。騎士たちが数人で一体と戦っているのに、リヒャルトは一人で複数体を相手にしている。まさしく武神。いや、鬼神だ。
「さすが、ってあれ……?」
ふと茂みの中から飛び出している足に気づいた。まるで倒れているように飛び出ている足。慌ててかけよる。
「大丈夫ですか?!」
死んでいなければ治癒できる。どうか、生きていて。そう思って茂みの中に入った。
「え。……アンドレア王太子殿下?」
倒れているのはどう見てもアンドレア王太子殿下だった。手元にある剣の汚れ具合から、アンドレア王太子殿下も先程まで戦っていたことがうかがえる。どうしてここにいるのかと不審に思いながらも、今は治癒を優先させた。
意識は戻らなかったが、生きていることを確認して立ち上がる。
「マリー。そいつは」
「リヒャルト。……話を聞きたいから彼も連れていって」
「……ああ」
不満げな顔だったが、部下を呼びアンドレアを運ぶよう指示してくれた。アンドレアが運ばれていくのを複雑な心境で見送る。ガルディーニ王国では嫌な思い出が多々あったが、アンドレア王太子殿下個人への恨みはない。好意も特にはないが。……いったいどうして王太子であるアンドレアがここにいるのか。なんとなく、自分にも関係がある気がして嫌な予感がした。
「行くか」
「うん」
リヒャルトに肩を抱かれ、歩く。今は肩に置かれた手が頼もしく感じて、その手にそっと己の手を重ねた。
◇
魔王が封印される数刻前。ガルディーニ王国。エレオノーラは逃げていた。魔物から、ではなく守るべき民達から。
「はあはあはあ。どうして、どうして私がこんなめにっ!」




