第十二話
教会へあと少しで到着というところで馬車は止まった。
「どうしたのでしょうか?」
馬車に同乗しているカタリナが緊張した様子で外の様子を窺う。マリーも窓からのぞいてみたがよくわからない。
「……ちょっと確認してきます」
「え?」
カタリナから止められる前にマリーは馬車から降りた。そして、すぐさま扉を閉める。踏み台を使わずに降りたので若干足首を捻ってしまったがこれくらいは平気だ。それよりも、と近くにいるはずの護衛騎士を探した。が、騎士達が何かを警戒しているような配置になっていることに気づいて眉間に皺を寄せる。
護衛として最低でも十人は騎士がついていたはずだ。それなのに目視できる範囲で確認できるのはその半分程度。残りの騎士達はどこにいるのか。
「ねえ」
ひとまず、先頭の馬車の前に立って何かを待っている様子の茶髪の騎士に話しかけた。周囲の騎士達の反応を見るに、彼がこの隊のまとめ役だろう。茶髪の騎士はビクリと体を強張らせた後、振り向きざまにマリーの顔を見て驚いたように目を見開いた。
「ど、どうされましたか?」
「それはこちらのセリフだわ。今ってどういう状況なの?」
茶髪の騎士は一瞬迷いを見せたが、この場で隠したところで意味はないと判断したのか正直に教えてくれた。
「この先に魔物が?」
「はい。教会を囲むようにして集まっています。幸いなことに魔物たちは教会の中に入ることはできないようですが……」
「その魔物の群れを突っ切って教会の中へ入るのは難しいってことね」
「は、はい。ですが、無理ではありません。今一番安全に入れそうなルートを確認しているところですからもう少しだけお待ちいただければ」
「しっ! 静かに」
「?」
ガサッという音が聞こえ、茶髪の騎士の背後の茂みが揺れた。慌てて騎士が庇うように前に立つ。揺れた茂みから出てきたのは同じ制服を着た緑髪の騎士。ホッとして息を吐く。
現れた緑髪の騎士はマリーの顔を見て驚いたようだったがすぐに状況を把握したようで近づいてきた。
「どうだ?」
茶髪の騎士の質問に対して緑髪の騎士が一瞬言葉に詰まりながら答える。
「そ、それが魔物の数が予想以上に多く、このままだと中に入るのは難しいかもしれません」
「なに?」
「し、しかし! 多少の犠牲を覚悟で入ることは可能かと」
「……他の者たちも同じ意見なのだな?」
緑髪の騎士が覚悟を決めた顔で頷く。その後は茶髪の騎士の判断を仰ぐように無言を貫いた。
「方法なら他にもあるわよ」
せっかく騎士たちが覚悟を決めてくれたところ悪いが、その案は却下させてもらう。
「え」という顔の二人に苦笑する。
「対人間ならともかく、対魔物なら聖女に任せてちょうだい」
「せ、聖女様にそのようなことは」
「そういうのいいから。今は時間がない。とりあえず聖女全員を私の元に連れてきて」
「は、はい」
戸惑いながらも二人ともしたがってくれた。
しばらくして不安げな表情を浮かべた聖女たちが騎士たちに誘導され集まってくる。一人も嫌がる人はいなかったようでホッとした。この場にエレオノーラがいたら絶対馬車から降りなかっただろう。説得する内容を考えていたがその必要はなかったようだ。
「皆さんここからは歩きで教会へと向かいます」
「理由は?」
キンケル王国の聖女クリスティーナが訝しげな顔で説明を求めてくる。彼女はリヒャルトに積極的に話しかけていた女性の一人だ。
話したところで素直にマリーのいうことを聞いてくれるか不安だが、今は言葉を選ばずにそのまま伝えるしかない。
「教会はこの茂みの向こうにあります。本来はそこまで馬車で行く予定でしたが……魔物たちに先をこされました」
「どういうこと?」
「教会の周りを魔物が囲っているんです」
ウラシェンコ王国の聖女カロリーネがヒッと声を上げ、慌てて手で己の口を塞いだ。そのまま大きな声は出さないでほしいという意味をこめて頷くと、カロリーネはコクコクと頷き返してくる。
「今のところ魔物たちは教会の中へまでは入れないようです。つまり、教会の中に入ってしまえば一安心とういうことですが……」
「辿り着くまでがたいへんということなのね。だから馬車ではなく、徒歩……確かに、馬車よりは徒歩の方が安全だわ」
「そういうことです」
すんなりと受け入れてもらえてホッとする。が、本題はここからだ。
「皆さん、ニュクス様から教えていただいたこと覚えていますか?」
その言葉に全員の顔が強張った。ハプスブルク王国の聖女レナが声を上げる。
「ちょ、ちょっとまって。まさか練習もなしに今ぶっつけ本番をするってことじゃないよね?」
リヒャルトと喋っていた時とは声のトーンがかなり下がっていてびっくりした。
「そのとおりですが」
「じょ、冗談じゃないわよ! そういうのって普通は騎士の役目でしょ。私たちには魔王の封印っていう大事な役割があるんだから」
少し離れたところで立っている騎士達の表情が目に入って何とも言えない気持ちになる。彼女の言い分もわかるし、騎士たちもそのつもりだったのは理解している。
「ですが、私たちが魔物を倒したらいけない理由はありません。そもそもニュクス様もそういう事態を予想して私たちに浄化の方法を教えてくれたんでしょうし」
「そ、それは……」
「シュヴァルツァー皇国の騎士達は強い。それは間違いありません。ですが、今はとにかく時間がない」
「……私たちが魔物を倒す方がはやいからってこと?」
騎士たちからの視線に思わず怯みそうになるがそうではないと首を横に振る。
「別に今、魔物を倒す必要がないからです」
「え? どういうこと?」
「私たちが今やらなければならないのは、魔物を倒すことではなくまずは教会の中に入ることです」
「……じゃあ、そのためにはどうすればいいの?」
「今から作戦を話します。皆さんよく聞いてください」
聖女たちだけでなく騎士たちにも視線を向ける。皆覚悟が決まったのか強いまなざしで返してくる。
――――不満がありそうな人がいたらどうしようと思ったけど……大丈夫そう。
まずは、カロリーネに視線を向けた。カロリーネが身構えるようにビクリと体を震わせる。
「カロリーネ様はいつものように騎士達に祝福をかけてください」
「え?」
拍子抜けした顔のカロリーネにほほ笑みかける。
「祝福をかけたことはありますよね?」
「それは……はい」
「それをいつもより強めに騎士の皆さんにかけてください」
「そ、それだけでいいんですか?」
「はい。それだけで大丈夫です。……この場には聖女が七人もいますから」
はっとした顔になり、頷くカロリーネ。
カタリナが一歩前に出た。
「私はどうすればいいのかしら?」
「そうですね。カタリナ様とザスキア様、それとクリスティーナ様は近づいてくる魔物に浄化をかけてください。完全に浄化してしまう必要はありません。怯ませることが目的ですから。……その後は騎士の皆さまに対応してもらいます」
「できますよね」と騎士たちに視線を向ければ「もちろんだ」と力強く頷き返してくる。
「ペトラ様とレナ様は皆を囲むように結界を張ってください。負傷者が出た場合は近くにいる聖女が対応を。私は全体を見ながら随時フォローをいれていきます。……さて、では皆さん行きましょうか。教会へ」
◇
「なんとか……なりましたね」
ホッとしたように呟いたカタリナに安堵した様子のカロリーネが服の上から心臓部分を押さえてうんうんと頷き返す。
マリーはといえば、一人ひとりの顔を見て全員がそろっていることを確認していた。
「全員いるわね。怪我人は?」
「いません! 今カロリーネ様に治療してもらった者が最後です」
「わかったわ。ハンス大司教」
「はい」
ハンス大司教の返事に皆が驚いた顔をする。どうやら、マリーが名前を呼ぶまで皆この場にハンス大司教がいることに気づいていなかったらしい。気持ちはわからないでもない。マリーも最初に会った時は驚いた。大司教の服を着ていなければそうとはわからないほどの平凡な容姿と存在感の薄さに。
「さっそく案内してもらえますか?」
「もちろんです」
大司教がくるりと背を向けた。
「こちらです」
「はい。あ、騎士の皆さんはここで魔物たちが侵入してこないかを見張っていてください。……ここから先は私たちしか入れない場所なので」
大司教と聖女のみが入れる場所に魔王は封印されている。その場所は地下にあるのだが、そこに行くためにはまずニュクス像を飾っている聖堂へ行く必要がある。
「皆様、祭壇の前へ」
大司教は全員がそろったのを確認すると、ニュクス像に祈りを捧げるように何かを唱え始める。すると目の前がいきなり真っ白になった。反射的に閉じたまぶたをゆっくりと開く。
「こんなところに……」
誰かが思わずというように呟いた。薄暗い地下。灯りはあるが先程いた場所ほどの明るさはない。それは、ここが窓がない場所だからだろう。皆、興味津々のようで辺りを見回している。
皆の視線がある一点に集中した。その先にあるのは小さな祭壇の上に置かれているニュクス像。
上にあったニュクス像と比べたら十分の一くらいしかない大きさだが、存在感は十二分にあった。聖なる像にしては黒ずみ、禍々しいオーラをまとっている。わざわざ説明してもらわなくてもわかる。あの像に魔王が封印されているのだと。
よくよく見ればその像にひびが入っていることもわかった。そして、そこから何かが漏れだそうとしているのを鈍い光が押し戻していることも。
――――ニュクス様からの連絡が途絶えたのはこのせいか。
今のいままで連絡がこないのはおかしいと思っていた。ニュクス様が焦りを感じているのはなんとなく伝わっていたからなおさら。
――――せかされているような、お尻を叩かれているようなあの変な感覚も気のせいじゃなかったのか。
「ハンス大司教、例のモノは?」
「こちらです」
ハンス大司教が小箱を差し出してくる。開けようとするのをまだいいと閉じ直してそのまま受け取った。
「ハンス大司教は安全なところまで下がっていてください」
「はい」
小箱を小脇に抱え、聖女たちに視線を向ける。さすがにこの状況ではカタリナも緊張しているようだ。顔が強張っている皆に声をかける。あえて明るく。
「大丈夫ですよ。見ての通りまだ封印は解けていませんから。さっきみたいな感じでニュクス様から教えてもらったとおりにすればいいだけです」
「そ、そうね」
「ひ、一人じゃないですもんね」
「う、うんうん」
「世界を、大切なモノを守るためにここまできたんですもの。絶対にやり遂げますわ」
「そうだな。私たちならできる」
「ええ。私たちなら必ずできます」
断言すれば皆も力強く頷き返した。
――――一つ心配があるとすればこの場にリヒャルトがいないこと。だけど……コレを見る限りリヒャルトが到着するのを待つ時間はおそらくない。私たちだけでやるしかない。
まずは、ニュクス像を全員で囲むように並びなおす。ニュクス像の正面に立つのはマリーだ。
手順としては一度どうしても封印を解かねばならない。勝手に逃げ出そうとする魔王を抑え込み、新しいニュクス像に押し込む。そして、一気に皆で封印を施すという流れだ。本来は魔王が逃げ出した時のためにニュクス様の加護を受けたリヒャルトがこの場に同席するはずだったが、いないので絶対に抑え込まなければならない。しかし、それを彼女たちに伝えると変にプレッシャーを与えることになるだろうから言えない。
――――大丈夫。言うなればリヒャルトの役割はもしもの時の保険のようなもの。絶対に必要なわけではないんだから。
それよりも、と全員の顔を見る。何人か顔が異常に強張っている。
「……ふう」
大きな溜息に数人がビクリと反応した。
「あー本当によかった。そうは思いません?」
「え?」
マリーの問いかけに向かいにいるカロリーネが戸惑いを見せる。
「一人じゃないって心強いですよね」
マリーの言葉にカロリーネは目を見開き、そして深く頷いた。
「わ、私もそう思います。皆さんがいるから……頑張れます」
一番震えていたカロリーネの言葉に皆も奮い立たされたように同意する。
「よし、さくっと終わらせて皆さんでこの後は美味しいものでも食べましょう」
「それならパーティーを開くのはどうですか? 頑張って戦ってくれている騎士さん達も全員呼んで」
「それはいいな。私もシュヴァルツァー皇国の騎士とは一度話をしてみたいと思っていたんだ」
「私はぜひマリー様とゆっくりお話をしたいわ」
「あら、それならぜひ私も」
「わ、私も帰る前に一度くらいは話をしても……」
「ふふふ。じゃあ、そのためにも……皆さんやりますか!」
おもむろにニュクス像に手を伸ばす。触れた。その瞬間、ニュクス像の頭がパリンと割れた。
「え?」
目の前が真っ暗になる。比喩ではなく、本当に。




