第十一話
聖女を世界各地から集めるのはもっともっと時間がかかるものだと思っていた。けれど、そこはさすがシュヴァルツァー皇国。転移魔法を扱える騎士を各国に送り、短期間で全員を集結させた。いくら世界の平和がかかっているとはいえ、すぐさまこの対応ができるのはさすがというほかない。
集められた聖女は私も含めると七人。驚いたことに皆それぞれ系統の違う美女だ。実際にニュクス様に会ったことがなかったら、(私の中で)ニュクス様男説が流れるところだった。
ちなみに、転移魔法でつれてきたのは聖女だけではない。それぞれ一人ずつ、護衛騎士か外交官を一緒につれてきている。一度に転移させるのは三人が限度らしく、荷物や他のお付きの者たちは各々別の手段で後からやってくるそうだ。以前私とカール、リヒャルトを馬車ごと軽々と転移させたリヒャルトはやはり規格外なのだろう。
「リヒャルト皇太子殿下。私皇国にくるのは初めてでして」
「あら! それを言うならあたしもよ」
「そんなの皆そうですわ」
「せっかくですから私たちに皇国を案内してくれませんか?」
関係者のみで行われることになった食事会でホストを務めているリヒャルトはさっそく聖女たちから次々に話しかけられている。こうなることを予期してリヒャルトとは離れた席にしてもらったのだが正解だったようだ。おかげさまで食事に集中できるし、客観的に見ることもできる。
「マリー様。おかわりは」
「もらうわ」
すっかり私専用の給仕係となっているカールにワインのお替りを頼む。すぐにグラスごと交換してくれた。うん。美味しい。お酒を口にするのは現世ではシュヴァルツァー皇国にきてからが初めてだったが、この体はアルコールに強いらしく難なく飲めた。むしろ、強すぎていくら飲んでも酔えないくらいだ。
――――それにしても皆リヒャルトと距離を縮めようと必死ね。例外もいるようだけれど。
聖女たちの半分はなんとかリヒャルトの気を引こうとしているが、もう半分はあいさつを交わしたきり全く話しかけようともしない。極端で面白い。
――――うーん。これ以上無視するのは限界かな。
ワインに口をつけながらそろそろ覚悟を決める。食事会が始まってからずっと視線を感じてはいた。聖女たち……からではなく彼女たちについてきたお付きの人たちからの視線を。リヒャルトに近い席を聖女たちが陣取っているせいか、彼らの興味の対象は私に向けられているらしい。
――――誰がどの国の人なのかも覚えきれていないからできるだけ話しかけられないようにと思っていたけど……この調子じゃあシュヴァルツァー皇国がお付きの人を無視する形になってしまう。さすがにそれはちょっとね……。
リヒャルトの身分ならなにも言われることはないだろうが。争いの火種は少ない方がいい。ひとまず目の前の席に座っている男性と目を合わせほほ笑みかけた。
――――確か、彼はホルドルフ王国のペトラ聖女の実兄。外交官をしていると言っていたっけ。顔が似ているからわかりやすくて助かる。
男性の目が見開き、次いでホッとしたように笑みを浮かべる。男性が話題を提示してくれるのを待っていると、いきなり男性の顔がそっぽを向いた。
「え?」
「マリー」
「……リヒャルト」
いつのまにかリヒャルトが背後に立っていた。思わず溜息を吐き、見上げる。どうして邪魔をするのかと睨みつけるがリヒャルトは動じない。それどころか、飲みかけのワイングラスを取り上げられてしまった。
「ちょっと、それまだ残って」
「これ以上はやめとけ。飲み過ぎだ」
「これくらい大丈夫よ。知っているでしょう。私、お酒には強いんだから」
「だとしても。他の男の前ではセーブしてくれ」
「……」
ずるい言い方だ。そう思っているのに、なにも言い返せない。
リヒャルトは空になったグラスをカールに渡すと水を持ってくるように伝え、私の席の周りの男たちをぐるりと見渡した。各々視線を素早く逸らす。それを見てリヒャルトは満足げに己の席へと戻って行った。
「はあ」と嘆息する。
結局、その後微妙な空気になったまま食事会は終了した。
そのまま自室に戻る気にもなれずに護衛騎士についてきてもらって庭園を歩く。
「……ふう」
熱い体に冷たい夜風が心地よい。おかげで思考もクリアになった気がする。
「マリー様」
名を呼ばれ振り向くと、そこには聖女の一人がお付きの女性騎士を連れて立っていた。
「あなたは……」
彼女のことはカールからも覚えておくように言われていたのでしっかりと記憶している。シュヴァルツァー皇国に次ぐ軍事力とハイブリッド戦が得意な国として知られているプロイセン王国の聖女。確か名前を
「カタリナ様」
「私もご一緒してもよろしいですか?」
「もちろんです」
快諾すれば、カタリナが上品なほほ笑みを浮かべ隣に並ぶ。二人で夜の庭園を散歩するが、特に会話は生まれない。てっきり私になにか用があるのだろうと思っていたのだが違ったのだろうか。
「……カタリナ様」
「はい」
「カタリナ様はリヒャルト皇太子殿下に興味はないのですか?」
「え?」
きょとんとした顔のカタリナを見て内心焦った。――――質問を間違えた!
直接聞くのはよくないと思って変化球を投げたつもりが、自分が想像した以上に曲がってしまった。
「ふ、深い意味はありませんよ。ただ、他の方々はリヒャルト皇太子殿下に興味津々だったのにカタリナ様は全くそのような様子もなく、こうして私を追いかけてきたのでなぜかと気になっただけで……」
「全く興味がないわけではありませんわ」
「え」
真顔でじっと見つめられ、心臓がなぜかドキリと音を立てた。けれど、次の瞬間カタリナがからかうような表情を浮かべたのですぐに霧散する。
「シュヴァルツァー皇国の皇太子殿下に興味がない方はいないでしょう。そう簡単に会える方でもありませんし、この機会にお近づきになりたいと思うのはなにもおかしいことではないと思います。かくいう私も直接お会いするまではいい関係が築ければいいくらいには思っていましたから。ただ、そんな考えを持つことすら時間の無駄だったというのは会ってすぐにわかりました。ですから、こうして私はマリー様を追ってきたのですわ」
「え?」
「他の聖女たちもそろそろ気づき始めているはずですわ。いくらリヒャルト皇太子殿下に媚びた所で無駄だということを。彼女たちも馬鹿ではありませんからね。そうでなければニュクス様に選ばれるはずもない。ですから、そういう意味では安心なさっても大丈夫ですわよマリー様」
「へ?! な、なんのことを言って」
「ふふふ。それよりも、ご自分の心配をなさった方がいいわ」
「え?」
「リヒャルト皇太子殿下がダメとわかれば彼女たちは次にマリー様に媚びを売り始めるでしょうから。いえ、気をつけないといけないのは彼女たちだけではないわね。すでに付き人たちにも目をつけられているようでしたし。……こうしている私が言うのもなんですが」
「は……はあ。……そこまで明け透けに話して大丈夫なんですか? 他の方たちに聞かれでもしたらカタリナ様の印象が悪くなりそうですが」
「別に気にしませんわ。わが国が気にすべきはシュヴァルツァー皇国だけですもの」
たいした自信だと呆れる。が、同時にそんな彼女が好きになった。これも彼女なりの処世術であり、武器なのかもしれない。
「カタリナ様」
「はい」
「やるべきことを終えた後はすぐに帰国する予定ですか?」
「はい。国が心配ですから」
プロイセン王国の王太子妃らしい言葉だ。彼女が未来の王妃なら国民も安心だろう。一瞬頭に過った人物の顔を消し去る。
「でしたら、またいろいろと落ち着いた後にでもシュヴァルツァー皇国にいらしてください。その時は私が案内をしますから」
その時までに観光場所を調べておこう。
「ぜひ! マリー様もプロイセン王国にいらしてくださいね。私が案内しますから」
「はい」
「リヒャルト様と一緒でもいいですよ」
「あ……はは」
すっかり誤解しきっているようだ。その誤解を解きたいところだけれど、この曖昧な関係をリヒャルトもマリーも今はいろいろと利用しているところなので正直には話せない。前世の記憶を取り戻す前のマリーだったら構わずに誤解だと否定していたことだろう。けれど、あいにく今のマリーにはそんな純粋な部分はない。利用できるものは利用する。
ただ……そうは言いつつも私にとってリヒャルトが特別な相手だということも間違いない。そして、おそらくリヒャルトにとっても。いつか、この感情に名前を付ける時がくるのだろうか。私たちの関係にゴールはあるのだろうか。今はまだわからない。考える余裕もない。
「それよりも重要なことがあるもの」
「え? なにかおっしゃいました?」
「いいえ。そろそろ、中に入りましょうか」
少し風が出てきたことを指摘すれば、カタリナは頷いた。二人で皇城へと戻る。中に入って驚いた。なぜか、リヒャルトがエントランスで待っていたから。気をきかせたカタリナはリヒャルトに会釈だけすると護衛騎士とともに去って行った。私についてきてくれていた護衛騎士もいつのまにか消えている。自然とリヒャルトに自室へと送ってもらう形になった。
「……なにかあったの?」
「ないと待っていたらダメなのか?」
「そんなことはないけど……聖女たちの相手はもういいの?」
私が出て行った後も数名は残っていたはず。
「ああ。あの後は全員早々に自室へと戻ってもらったからな」
「……それでいいんだ」
「つまらない会話をだらだら続けても無意味だろう」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
相手からしてみれば貴重な機会だっただろうに。まあ、それにリヒャルトが付き合うか付き合わないかは自由だけれど。
「俺はそんなことよりもおまえと」
声色の変わったリヒャルトに思わず足を止めて見上げる。続きの言葉をリヒャルトが言おうとした瞬間、激しい足音が聞こえてきた。
「リヒャルト様!」
「カール。どうした?」
こんなに焦っているカールは珍しい。
「こ、皇都に魔物が現れました!」
カールの言葉にリヒャルトの顔色が変わった。
「マリー。悪いが」
「大丈夫。私のことはいいから行って」
「すまない」
踵を返し走り出そうとするリヒャルトを慌てて呼び止めた。
「これ、持って行って!」
いつでも渡せるように隠し持っていたポーチを投げる。リヒャルトはなんなく受け取った。驚いているリヒャルトに簡単に説明をする。
「回復薬とか聖水とか詰め込んであるから!」
「ありがとう」
リヒャルトが走って行くのを見送り、マリーも動き始める。
「カール」
「はい」
「すぐに馬車の手配を。聖女たちとともに教会へ向かうわ」
「承知いたしました」
皇都に魔物が現れたという報告を聞くのはこれが初めて。聖女がこれだけ集まっていてニュクス様の加護が薄れたということはないだろう。となれば、魔王の封印が本格的に解けかかっているということ。
はやる気持ちを抑えて、聖女全員が集まるのを待つ。皆、緊張した面持ちで現れた。付き人たちも一緒についてくるつもりだったようだが、彼らには城で待っていてほしいと頼む。人数が増えるとそれだけ移動も遅くなる。それに、この人数を護衛する騎士を集めるのもたいへんだ。
不満げな者もいたが、カタリナが後押ししてくれたおかげで皆納得してくれた。
とはいえ、不安げな聖女たち。彼女たちを安心させるようにほほ笑みかける。
「皆さん、大丈夫ですよ。まだ魔王の封印が完全に解けたわけではありませんから。もし、解けていたのだとしたら今頃もっと騒ぎが起きているはずです」
「そうね。そうなればニュクス様も黙ってはいないでしょうし」と頷いたカタリナに釣られて他の聖女たちもたしかにと頷き合う。
「そうなる前に私たちの手で魔王を再び封印してやりましょう。せっかく魔王が私たちが全員揃うまで待っていてくれたんですから。ね?」
そう言ってほほ笑めば、またもやカタリナが「本当ですわね。なんてお行儀のよい魔王なのでしょう」とクスクス笑う。強張った表情をしていた聖女たちの顔にも微かに笑みが浮かんだ。
その表情を見て内心ホッとした。不謹慎かもしれないが緊張して動けなくなるよりはマシだろう。
協力してくれたカタリナには『ありがとう』と目配せをした。
「マリー様準備できました!」
「では皆様移動しましょう!」
カールに誘導してもらいながら皆で移動を始める。マリーは最後の馬車に乗り込んだ。
こんなにいきなり、まるでタイミングをみはからったかのように魔王の封印が解けかかるなんて……なにがあったのだろうか。やっぱり私だけでも教会で見張っていた方がよかったのだろうか。今更そんな考えが頭に浮かぶ。
なによりリヒャルトのことが気になる。シュヴァルツァー皇国は武力大国だと言われているが、現役の騎士たちやリヒャルトは魔物と戦うのは初めてのはず。いくら皆が強いからといって初めての敵と戦うのは誰だってたいへんなはずだ。その敵が強ければなおさら。
――――どうか、皆が無事でありますように。無事に、魔王を封印できますように。
皆の前では余裕な顔をしていたが、内心ではそう願わずはいられなかった。




