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第十話

 王都から馬車で小一時間の場所にある小さな村。各地方へ通じる道とは別の道を通るため、特に用事がなければ決して辿り着くことはない場所。その存在すら知らない者も多いだろう。そんな村にエレオノーラは最小限のおともをつけて向かっていた。


 村の入口に馬車を停める。突然の訪問者を警戒するように村の人々がこっそり家の扉や窓からのぞいている。しかし、馬車から降りたのがエレオノーラだとわかるとすぐさま警戒を解いた。しばらくして、この街には不似合いな立派な一軒家から一人の男が現れた。エレオノーラの表情が男の顔を見た途端に華やぐ。


「マルクス」

「お嬢様」


 駆け寄るエレオノーラをマルクスは片手で抱き留めた。マルクスが視線を周囲に向ければ、興味津々で見ていた人々は一斉に視線を逸らした。エレオノーラを連れて家へと向かう。


「すみません。たいしたおもてなしもできなくて」

「気にしないで。私はただマルクスに会いたくてきたんだから。腕は……もう大丈夫?」

「はい。お嬢様のおかげです」

「そんなこと……」


 エレオノーラはそっとマルクスの腕に視線を向けた。数カ月前まではあった(もの)が今はもうない。何度見ても慣れない光景。沈痛な表情を浮かべるエレオノーラを慰めようとマルクスはそっと左手を伸ばした。頬に指先が触れ、エレオノーラの体がビクリと反応する。エレオノーラは潤んだ瞳でマルクスを見上げた。その表情を見て、マルクスの瞳も揺れる。


「そんな顔を、しないでください」

「……ごめんなさい」

「謝罪も必要ありません。失敗した自分が悪いのです。それに……本来なら私はこうして生きていることも許されない身です」

「そんなことっ」

「サローニ公爵閣下の判断は間違っていません。ですから私がサローニ公爵閣下を恨むことも、お嬢様も恨むこともありません。むしろ、申し訳なく思っております。私をかくまっていることがバレたらお嬢様もお叱りを受けるだろうに私はこうしてお嬢様の優しさに甘えているのですから」

「マルクスッ」


 感極まったようにエレオノーラはマルクスに抱きついた。マルクスもそっと抱きしめ返す。

 サローニ公爵は罰を受けたばかりのマルクスたちを公爵家から追い出した後、始末しようと追手を仕向けた。サローニ公爵がどういう人なのかをよく知っているマルクスとしては当然のことで、抵抗する気もなかった。だが、エレオノーラは秘密裏に自分付きの騎士たちを金銭や他の褒美で抱き込み、マルクスだけを救いだし匿ったのだ。


 ――――マルクスだけはダメよ。マルクスは今も昔も、これからも私のモノだもの。


 マルクスはエレオノーラのためなら火の中でも、水の中でも入って行くような騎士だ。まるでエレオノーラのためだけに生きているような存在。そんな彼がこの先自分の側にいないなんてエレオノーラには考えられなかった。

 当然のようにアンドレアと結婚した後も彼だけは側におくつもりでいた。それなのに……ぎりっと奥歯が鳴る。


「お嬢様」

「マルクス」


 顔を上げれば、目と目があう。そして、自然と互いの唇は重なった。


「ん……」


 この先の快楽を期待して体に熱が集まる。『快楽』をこの身に教えてくれたのもマルクスだ。


「マルクスっ」

「エレオノーラ様っ」


 二人は感情に任せてベッドに倒れ込んだ。

 落ち着いて会話ができるようになったのはそれから三十分後。本当はもっと楽しみたかったけれど残念ながら時間がない。

 禁断の関係に酔いしれながら、名残惜しいフリをしながら、エレオノーラは服を身につけた。


「エレオノーラ様」

「なあに?」

「ご報告したいことが」


 別れ際の愛の言葉かと思えば違ったらしい。マルクスからの報告にエレオノーラの表情が次第に険しいものになっていく。


「なんですって?」


 一気に声色の下がったエレオノーラ。付き合いの長いマルクスは狼狽えることなく真剣な表情でもう一度告げる。


「あの『マリー』がシュヴァルツァー皇国の今代の聖女として認められたそうです」

「マリーが……」


 エレオノーラは舌打ちをした後、ぎろりとマルクスを睨みつけた。正確に言えばマルクスにではなく、そのうわさの対象に。


「そのうわさ……どこから聞いたの?」


 そもそも、他国の情報が簡単に手に入ることがおかしい。もしかして、偽の情報なんじゃないか。

 けれど、マルクスはそれはないと首を横に振った。


「ギルドで仕入れた情報です」

「ギルド? あなたがどうやって?」

 あそこは教会も王家も不可侵の場所。マルクスの元の立場を考えればありえない話だ。

「こんな体ですが、自分にもなにかできることはないかと変装をしてギルドに行ったんです。結果、受付でバレて追い出されたんですが……その前にシュヴァルツァー皇国の聖女の情報だけは得ることができました」

「その情報が偽物ってことは?」

「おそらくないかと。むしろ私だと気付いたからこそ、私の前でそんな話をしたのだと思います」

「……はあ」


 イライラを隠し切れず溜息をつけば、マルクスが申し訳なさそうな表情を浮かべた。今はマルクスに甘い言葉をかける余裕はない。


「わかったわ。とにかくマルクスはここで安静にしていて。お金のことなら私がなんとかするから無理に動かないで。絶対にお父様に居場所がバレないようにしてちょうだい」

「はい」

「それじゃあ。また会いに来るわね」

「はい。お待ちしております」


 素直に頷いたマルクスに近寄り、ご褒美のように一瞬だけキスをする。そして、すぐに踵を返した。その表情は先程まで色恋に溺れていた顔ではない。


「はやく帰ってうわさがどこまで広がっているか確かめないと」


 ただでさえエレオノーラの評判は下がりつつあるのだ。すぐにでも対策を講じなければ。


「公爵家に……いえ、アンドレア王太子殿下に会いにいくわ」


 馬車は王城へと向かって走り出した。



 ◇



「アンドレア王太子殿下がいない?」


 王城に到着して、真っ先にうわさについてアンドレアに確認しようと思ったのだが誰に聞いてもアンドレアは不在だという。まさかまた騎士団とともに魔物の討伐に出ているのだろうか。


「あの方は自分の立場というものがわかっていないのかしら」


 そんな危険なことは騎士たちに任せればいいのにと不満を漏らすと足音が聞こえてきた。


「エレオノーラ。なぜそなたがここにいる? 今日は教会へ行く日じゃなかったのか?」

「こ、国王陛下!」


 慌てて頭を下げるが国王からの視線が痛い。しかも、その後ろには父もいた。正直に『マリーのうわさがどこまで広まっているのかを確認しにきました』とも言えず、口を閉ざした。


「答えよ」


 国王に促され、エレオノーラは頭をフル回転させなんとか絞り出した。頭を下げたまま告げる。

「教会での仕事はもう終わっております。まだ貴族宅を訪問する仕事が残ってはおりますが、その前にアンドレア王太子殿下のお顔を少しでも見てからと思いましてこうして戻ってきたのでございます。……私はあの方の妻ですから」


 数時間前は他の男と重ねていた唇で平然とうそをつく。エレオノーラにとっては容易いことだった。そして、そのことに対して国王が疑った様子もない。サローニ公爵も。


「そうか」

「あ、あの国王陛下に一つお伺いしたいことがあり……その前に頭を上げてよろしいでしょうか?」

「ん? ああ。よいぞ」


 了承を得て、顔を上げる。


「アンドレア王太子殿下はどちらにいらっしゃるのでしょうか。誰に尋ねても知らないとしか」

「ああ……アンドレアには私が特別な任務を与えた。そのためしばらくは帰ってこないはずだ」

「特別な任務……」

「そなたが知る必要はないことだ」

「し、失礼いたしました……いつ頃帰られるかを教えていただくことは」

「それも無理だな。とても難しい任務なのだ。めども立っておらん。とにかく、エレオノーラはアンドレアが戻ってくるまでの間、いつものように『聖女』として働くように」

「承知いたしました」

「それではな。私もアンドレアの仕事を肩代わりしているので忙しいのだ。失礼するぞ」


 早足でその場を去って行く国王陛下の背に向かって頭を下げる。国王の言動に違和感を覚えたが、それがなにかはわからなかった。


 ◇


 その頃、(くだん)のアンドレアはシュヴァルツァー皇国にいた。国王の密命を受けて。ただし、この計画を持ち掛けたのは国王ではなくアンドレアからだ。


 今までアンドレアは実父である国王の意に背いたことも、その考えに疑問を持ったことすらなかった。ただ、敷かれたレールの上を歩いて生きてきた。けれど、エレオノーラとの結婚が近くなり、未来の国王としての自覚が芽生え始めた頃疑問を持ち始めた。きっかけはマリーだ。エレオノーラに与えられた輝かしい未来の裏で本物の聖女が虐げられている状況に納得できなかった。今まで信じていたモノに対する不信感が日に日に膨らんでいった。


 ただ、それでもアンドレアには勇気がなかった。国王をサローニ公爵を相手にする勇気が。けれど、その己の弱さが国に危機を招いてしまった。後悔した。あの時行動しなかった自分に。同時に変わりたいと思った。変わらなければならないと思った。


 一念発起したアンドレアは、計画を立てた。ガルディーニ王国を、なにも知らない罪なき民たちを救うための計画を。そのためならもう迷わないと心に誓った。そして、アンドレアは初めて国王にうそをついたのだ。


「父上。シュヴァルツァー皇国に行く許可を、マリー・フィッツェに会いに行く許可を僕にください」

「なに? しかし……それはエレオノーラやサローニ公爵が許さないだろう。シュヴァルツァー皇国の皇太子だって」

「ですが、この現状をどうにかできるのはマリーだけです。それに、マリーを無理に連れて帰るつもりはありません。ただ、聖水を作ってもらえないか頼むだけです。マリーは確かにシュヴァルツァー皇国の者でもありますが、ガルディーニ王国の者でもあります。むしろ、ガルディーニ王国にいた期間の方が長いのですから多少の情はあるでしょう。ソコをついて頼みこむつもりです。……そして、持ち帰った聖水はエレオノーラが作ったように見せかけて使えばいい。これならきっとサローニ公爵家も納得してくれるはずです」

「なるほど……それならば……わかった。気をつけていってくるのだぞ」

「はい。念のため、僕が帰ってくるまではこのことは秘密にしておいてください。エレオノーラとサローニ公爵にも」

「そうだな。事後報告にはなるが今回は仕方ないだろう」


 サローニ公爵を出し抜ける案に国王なら飛びつくだろう。というアンドレアの予想は当たったのだ。


 ◇


 シュヴァルツァー皇国、皇城。リヒャルトの執務室で手持ち無沙汰なマリーは窓の外を眺めていた。

「どうした? 寒いのか?」

 ぶるりと体を震わせたマリーを心配してリヒャルトが声をかける。

「ちょっとだけ……ごめん。窓を閉めてもいい?」

「もちろんだ。カール」

「はい」

「ありがとう」


 カールがさっと窓を閉める。リヒャルトは浮かない顔のマリーの手を引き、二人でソファーに腰かけた。


「もしかして不安か?」

「不安というか……嫌な予感がするというか……。私、ここにいていいの? 聖女なのに、教会にいた方が」

「いや。教会に行くのは他の聖女たちが全員ついてからでいい」

「……そう」

「他の聖女たちが気になるか?」

「え? そんなことは」


 ないとは言えなかった。他の聖女たちと会えるのが楽しみだ。けれど、同時に不安もあった。今回の魔王封印。聖女たちをまとめるのはシュヴァルツァー皇国の聖女であるマリーだと大司教に言われた。それがニュクス様からの指示だと。正直、新参の聖女には荷が重い。けれど、周りの者たちはさもそれが当然のような反応だった。ニュクス様が言ったことだからと。きっとこの言い様のない不安は誰にも理解してもらえないだろう。


「大丈夫だ。俺もついている」

「リヒャルト」


 さりげない動作で肩を引き寄せられる。最初は毎回抵抗していたが、この行為にも繰り返すうちに慣れてしまった。むしろ、安堵すら覚える。マリーはこてんとそのままリヒャルトの鎖骨あたりに頭をよせると目を閉じた。

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