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第一話

 左目が焼けるように熱かった。

「っあ!」

 言葉にならない痛みが襲ってくる。震える手で左目を覆うと、指の隙間から液体が溢れ落ちた。ソレがなにかは見なくてもわかる。

「こ、これは天罰だ! 真の聖女であるエレオノーラ様の手を煩わせようとしたおまえに、私がニュクス様に代わって罰をあたえたのだ!」

 頭上から司祭の声が唾とともに落ちてくる。


 ――――私が、私がなにをしたというの?


 私はただ偽の聖女である私が王家に渡す聖水を創るよりも、真の聖女であるエレオノーラ様に創ってもらった方がいいのではないかと進言しただけだ。エレオノーラ様とアンドレア王太子殿下の婚約が内々に決まったと聞いた。王家に輿入れすればいずれはバレる事。そうなる前にと進言したのに。それなのになぜ……間違ったことは言っていないはずなのに。 


 そう言い返したくとも、今の私にはまともな言葉を発する余裕はなかった。目が痛い。いや、目だけじゃない。頭が割れるように痛い。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

「し、静かにしろ! 大袈裟に喚くんじゃない!」

 焦って血濡れたつえで再び私の体をたたこうとする司祭。そうすれば私が大人しくなることを知っているからだろう。けれど、この時の私はすでに()()()()()ではなかった。

「うるさい!」

「なっ?! お、おまえ如きが私に言い返すなどっ」

 負けずに怒鳴り返そうと顔を上げた。けれど、目の前にいたはずの司祭はいつの間にか消えていた。代わりにいたのは……


「……だ、だれ?」


 誰かと口にしつつも目の前の人物には見覚えがあった。毎日祭壇にお祈りを捧げているのだからその姿は嫌でも目に焼き付いている。この世界の唯一神であるニュクス様を表現した像とそっくりだ。腰までありそうな長い髪に、人間離れした整った顔立ち。

 けれど、目の前の彼女がニュクス様のはずがないという確信もあった。

『ようやく私の声が聞こえるようになったか。私の聖女マリー・フィッツェよ』

「……え? い、今『私の聖女』と言いましたか? ま、まさか本物のニュクス様……なんて言いませんよね?」

 ムッとした表情になるニュクス様そっくりの女性。

『そのまさかだが?』

「いや、でもその色は……」

『この髪と瞳のことか?』

「は、はい」


 私と同じ、夜の闇をほうふつとさせる色。女性は己の髪を持ち上げ、私に確認すると払いのけた。

『そう言われてもな。私はもともとこの色……ああそうか。あの像では色味もわからないか』

「はい」

『でも見た目はそのままだろう?』

「見た目は、そうですね」

『……ふむ。やはり、まずはその先入観から変えなければならないようだな』

「え?」


 女性の指先が額に触れる。目と目が合った。――――あ。目の中に光が、いや……アレは星?


 瞬間、脳が爆発したような衝撃を覚えた。ただし、痛みは全く感じない。

「な、なにコレ」

 流れ込んでくる記憶を受けとめるだけで精一杯だ。

『ソレがそなたの前世だ』

「前世?」

『ああ』


 私が知る世界とは全くことなる世界。景色。文化。言語。ただ一つ重なる部分があるとすれば黒髪と黒目だということ。前世の記憶を全て受け入れた時、私は『前世の私』が間違いなく私だということを理解した。


『いい顔をしている。先程の顔よりはよっぽどマシだな』

「そうですか。……ところで、なぜ私に前世の記憶を見せたんですか?」


 前世の記憶を思い出したところで今の私はマリー・フィッツェでしかない。それとも、聖女として覚醒するためには前世の記憶が必要とでもいうのだろうか。

『今、そなたが考えたとおりだ』

「え? 心が読めるのですか?」

『神だからな』

 当たり前のように頷かれ、少しムッとなる。神様相手なので言葉にはしないが。


 前世の私は神様への信仰心なんて皆無だった。今世の方がよっぽど神様を信じている。いや、信じていた、か。

 今までいくら祈祷してもニュクス様は応えてくれなかったのに今更なにを……としか思えない。もっと早く自分が聖女なのだとわかっていれば

『それは、そなたが己のことを少しも聖女だとは思っていなかったからだ』

「え?」

『そなたは()を信じていても己を信じてはいなかっただろう』

「それは、だって……」

 そう幼いころから周りに言われ続けていたから。聖女選別の儀で候補者の一人に選ばれてからずっと。野心の『や』の字もない臆病な両親からはもう一人の候補者である公爵令嬢(エレオノーラ様)には絶対に逆らうな目立つなと言われ、エレオノーラ様の取り巻きたちや中立であるはずの聖職者たちからも偽聖女は立場をわきまえろとなじられてきた。いずれ偽物だとわかるのだから、今の内に自分が使える駒だと示せといろいろな仕事を押し付けられてきたのだ。その全てを私は当たり前のことだと思って受け入れてきた。だが、その全てこそが偽りだったのだ。

「私が少しでも疑う気持ちを持っていればもっと早く聖女として目覚めることができたっていうことですか」

『ああ。だが、今までのそなたであればそれも難しかっただろう。すっかり洗脳されてしまっていたからな。だから、前世の記憶を思い出させたのだ』

「洗脳を解くためにですか。もっと早くそうすることはできなかったんですか?」

『私の加護がないガルディーニ王国では私の力は思うようにふるえないのだ。今回はいろんな要因が重なり、ようやくそなたへと接触することができた。だから』

「ちょ、ちょっとまってください」


 今、とんでもないことを聞いた気がする。

「ガルディーニ王国はニュクス様の加護がない?」

『ああ。信仰心がある者がまだこの国には残っているから全くない訳ではないが王国自体への加護という意味ならとっくの昔に回収済だ』

「ど、どういうことですか?」

『わからないか?』

「はい」

『ガルディーニ王国にはここ数百年程聖女は誕生していない』

「そ、そんなばかな」

『聖女は私の力の一部を分け与えた者だ。故に、私と同じ色をしている。そなたのその瞳と髪。他国では聖女の証だと言われているのだぞ。それなのに、ガルディーニ王国では違う。どころかさげすまれている。なぜだと思う?』

「そんなの知りませんよ。……ん?」


 さげすまれている理由など知りたくもないと言おうとして首をかしげた。

「黒の髪と黒の瞳が聖女の証?」

 そんなはずがない。と言いたいところだが、直接ニュクス様を見たらそんなことは言えなかった。


 なぜだと問いかければニュクス様は苦い表情を浮かべる。

『あれはいつ頃だったか。詳しい年数までは覚えていないが、かなり昔のことだ。愚かな王家が王太子の婚約者を聖女にするために当時の大司教を買収したのが始まりだった。聖女ではない者を聖女に仕立て上げ、本来の聖女を監禁して力だけを搾取した。大司教が認めた聖女を疑う者は誰もいなかった。味をしめた愚か者たちは以降ソレを慣習としたのだ』

「で、でもそんなの他国にはバレバレですよね。聖女の証がないんですから」

『ああ。だが、どの国もそのことについては指摘()()()()()()のだ。聖女の証については公言してはいけないことになっているからな。そんなことをしてしまえば偽物で溢れかえってしまう』

「ニュクス様は、ニュクス様はそれでよかったのですか?! 自分の聖女がそんな目にあって」

『いいわけないだろう! 私だってなんとかしようとしたさ。偽の聖女が褒め称えられるたびに災害を起こして、真の聖女をなんとか逃がそうとしたこともある。でも、結局私がしたことは私の聖女を追い込むことにしかならなかったのだっ』

「そんな……」

『だから私はガルディーニ王国に与えていた加護を、聖女を与えることを止めたのだ』

「そ、そうだとしたら歴代の聖女様たちは……」

『ああ。ここ数百年の聖女たちは全て偽物だ。調べたらすぐにわかるだろう。偽物たちの起こした奇跡はどれも司教・司祭クラスが複数人いればできるようなものばかりのはずだからな』


 衝撃の事実に言葉が続かない。

「どうして……今になって私を?」

『そろそろ魔王の封印が解ける』

「え?」

『それに伴い魔物たちの動きも活発になる。聖女たちの力が必要なのだ』

「私、嫌です」

『え?』

「今の話を聞いて私が聖女になりたいと思うと思いますか?」

『それは……いや、まあそうだろうが。と、とにかく最後まで聞け』 

「は?」

『い、いくら前世の記憶が戻ったとはいえ私にその態度はどうかと。私にも威厳というものが』

「うるさい。だって仕方ないでしょう。なに、この理不尽すぎるシステム。なんで生きることに精一杯な私が、助けたいとも思えない人たちのために苦労しないといけないわけ。その偽聖女とやらになんとかさせればいいでしょう。いっそのことこの国なんて滅びちゃえばいいのよ」

『そ、それはさすがに罪なき民たちが』

「しったこっちゃないわよ。甘い。甘すぎるわ! そんなんだから聖女の一人も守れないのよ!」


 ぐうの音も出ないのか、ニュクス様が先に視線を逸らした。

『わ、わかっている。だから今回はそなたを聖女にしたのだ』

「どういうこと?」

『そなたは自分がどこの国の聖女だと思っている?』

「どこって……ガルディーニじゃないの?」

『違う。もう一つあるだろう? そなたの祖国は』

「もう一つって……もしかしてシュヴァルツァー皇国のこと?」

『ああ』


 満足そうにほほ笑むニュクス様。確かに私の母はシュヴァルツァー皇国の出ではあるが、私は生まれも育ちもガルディーニ王国だ。シュヴァルツァー皇国には行ったことすらない。母があちらの国にいた時の話も親族の話も聞いたことがない。

『シュヴァルツァー皇国の大司教にはもう話を通してある。そなたが望むタイミングで迎えにくるそうだ。私の予定ではガルディーニ王国の者たちの前で聖女の力を見せつけた後、迎えにこさせる予定だったのだが』

「迎え……」

『ああ。そなたの言い分を聞いて私も考えを改めた。そなたが望むのなら今すぐにでも迎えにくるよう伝えよう』

「それって……それしかこの国を出る方法がないってこと? シュヴァルツァー皇国がどんな国かも、どんな人たちがいるかもわからないのに聖女として働かないといけないの?」

『そ、それは、だが魔王の封印が解ければたいへんなことになるんだぞ? せめて魔王の封印だけでもどうにかしないと、平和な日常など送れないと思うが』

「……確かに」


 ホッとした様子のニュクス様を横目に考える。

 目下の目標はガルディーニ王国から出ること。それに、私がこの国から出てしまえばガルディーニ王国がどうなっていくのかなんて目に見えている。シュヴァルツァー皇国で聖女として働きながらガルディーニ王国の衰退を見守るというのはなかなかいいかもしれない。


 ――――こんな最低な考えをする聖女で本当にいいのか?

 と思いながらも選んだのはニュクス様だとそれ以上考えることを放棄した。

「わかった。じゃあ、シュヴァルツァー皇国の大司教に伝えて。早く迎えに来てほしいって」

『ああ。任せておけ。それじゃあまた。あ、目の傷は私が治しておくから安心しなさい』

「え、その必要はな」


 言い切る前に消えてしまった。

「全く話を聞かないんだから」


「はぁ」とため息を吐きながら立ち上がる。目の前にはいつの間にかあの暴力司祭がいた。私の顔を見て驚いた表情を浮かべている。

「お、おまえソレ」


 震えた手で指さす先。

「目?」

「ほ、星が」

「……」


 チッと思わず舌打ちしてしまった。司祭の胸倉をつかみ、ずいっと顔を近づける。男の目に怯えが走った。

「このことは黙っていなさい。あなたのためにも。あなたの聖女様のためにもね」


『聖女』という単語に激しく反応する男。

「いいわね?」

 念を押したが男の瞳は揺れている。


 ――――おそらく司祭クラスじゃあ私がどういう役割を担うのかは知らされていないはず。迎えがくるまでは他の人にはバレたくない。特に真実を知っている者には。

「まあ、いいわ。どうせあなたが誰かに話したところで誰も信じないでしょうから。むしろ、あなたの立場が無くなるでしょうね。……なにも知らないフリをするのが賢明よ」


 男は理解したとでも言うように目を閉じた。

 ――――この男が私にこんな態度を取るのは初めてね。

 うっすらと笑みを浮かべながら手を離す。ドサッと尻もちをついた男を置いてその場を離れた。

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