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ととのう

 日野さんは豪快な山男といった風情だが、趣味はサウナだったらしい。過去形なのはサウナでちょっとした体験をしたことが原因でサウナ通いを辞めたかららしい。


「俺には怖いもんなんてないと思ってたんだがなぁ……やっぱり怖いものがあるんだわ」


 そういう切り出し方からその体験を語ってくれた。


「あの時は一通り仕事を終えてな、汗を洗い流しにサウナ付きの銭湯に行ってたんだよ。汗をかいたまま家の風呂に入ると女房もうるさくてな、家で風呂に入るにせよ銭湯で汗を流してからなんだわ。まあきちんと汗を洗い流してから入ってるんだから文句を言われる覚えは無いんだがな……」


 その日は雨の中、イライラしながらデスクワークを終えて銭湯に行ったそうだ。雨も降っているということで先頭まで来た人は少なく、貸し切り同然に使えたという。早速シャワーで汗を流してサウナに入ったんだ。


 ジリジリと汗を流してな、それから汗を流して水風呂に浸かるのが気持ちいいんだよ。今じゃ『ととのう』って言うんだったか、その頃はまだそんなに有名じゃなかったからな。みんななんとなく気持ちいい体験が出来るくらいに思ってたんだ。


 そうして一度水風呂に浸かってサウナに入ったんだ。そうしたら先客がいてな、この雨の中、銭湯に来た物好きが俺以外にもいたんだなと思ったんだが、詮索なんてしねーわな。距離を置いて座ったんだ。そうして延々と汗をかいたんだがな、その客は身じろぎ一つしないんだ。俺の方は限界近かったってのにそいつは先には言っていたはずがぴくりとも動かねえんだよ。不気味な気がしたんでな、なんとなく顔を拝んでやろうと思ったんだ。


 その男の顔を覗いたらな、驚いたよ、親父の顔なんだ。俺の親父は銭湯なんて通わなかったし、何よりとっくに死んでるんだ。喪主が俺だぜ? 間違えるはずがないだろう? そこで意識が途切れたんだがな、一瞬だけ何か声が聞こえたんだ。それで目が覚めたのは脱衣所の椅子の上だったよ。


 それから親父がなんて言ったか思いだしてみたんだがな、『程々にしておけ』と言ったような気がするんだよなあ……俺の記憶も曖昧だかんな実際そんなことを言ったのかどうかなんてわかんねえけどさ、ととのうって結構体に負担がかかるらしいんだわ。俺はその頃血圧が高いって医者に注意されてな、血圧の薬も飲んでたんだよ。だからかな、サウナと水風呂の往復なんて血圧に影響が出るに決まってんだよ。だから親父も俺に忠告しに来たんじゃねえかなって思ってるんだ。


 で、それだけなんだが、それからサウナは辞めてな。銭湯にはシャワーを浴びて湯船に浸かるだけにしたんだよ。常連がサウナから出てくるところを見てると羨ましいとは思うんだがな、親父の警告を無視してまで入ろうとは思わんよ。そんなわけで俺はそれから健康に気をつかうようになっちまったんだ。柄じゃねえんだが塩分だの運動だのに気をつかってんだよ。また親父に怒られるのはゴメンだしな。


 そう言ってガハハと彼は笑った。楽しみが一つ減ったのは残念だが、命には代えられんと言っていた。そして最後に、『しかしもう一回サウナに入れば親父に会えるのかねえ……』と少し寂しそうに言ったのが印象的だった。

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