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人を轢いた話

 山田さんは昔、交通事故で人を死なせてしまったことがあると言う。とはいえ刑務所に送られるようなことではく、死者は出ているが警察は事件性はないと判断したそうだ。少し怖いのだが話を聞いた。


「いやね、別に誰かを轢いたみたいな話じゃないんですよ。別に証拠も何も無いし、警察が捜査をしているわけでもないんですがね、ただ私はアレが原因で人が死んだんだと思っています」


 その前置きをしてから話を始めてくれた。


 その日は夜遅くまで残業をしていまして、会社としては自動車通勤を許可しているんですが、多分終電を逃してもいいようになのでしょう。ハッキリ言って労働環境は劣悪でしたが、お金に余裕があったわけでもないですし、当時は結構メンタルをやられてやめるという選択肢がなかったのだと思います。


 結局、終電の時刻を越えて帰る準備が出来るようになったんです。都市部ではあるのですが、その中でも郊外にあったので自宅が遠ければ自動車通勤が出来たんです。要するに終電後も働けってことですね。


 なかなかに労働環境が良くない気がする。しかし当時の彼にそんなことを考えることは出来ず、延々と目の前のタスクをこなすことだけが頭の中に入っていたらしい。人間らしい環境ではないと思うが、そういった会社は珍しくないそうだ。


 それでその日も自動車で帰宅するのですが、少し気を抜くと意識が飛びそうな状態でした。そもそも一日くらいなら終電を逃しても平気ですが、それが日常になると流石に辛いんです。いよいよ限界がきたかなという状態でした。


 それでぼんやりとした頭のまま車を運転していたんです。アレは人気のない交差点の話でした。間違いなく信号は青くなっています。問題無いと思い、一刻も早く自宅で寝たかったのでアクセルをそこそこ踏み込んでいたんです。え? スピード違反? そうかもしれません、ただ当時の私はスピードメーターを見る余裕も無かったので正確な速度は分かりません。


 そのまま交差点に入ったときにそれは起きた。


 突然爺さんが車の前に現れたんです。それまで何処にも居ませんでした、ハッキリそう言いきれます。跳ねたと思ったときには爺さんは見えなくなっていました。急いで車を道路の脇に止めてハザードをたきました。焦って飛び出して交差点に向かったんです。しかしその場に誰かを跳ねた様子も無ければ、血の一滴たりともありませんでした。ただ老人を跳ねたのは間違いないと思っていたんです。


 救急車を呼ぼうにも被害者は何処にも居ませんし、警察を呼ぼうにも車に跳ねた後もありません。警察を呼んだら何も証拠がないのでどうしようもないのだと思いました。狐につままれたような感覚のまま車に戻って自宅に帰りました。もちろん車にも傷一つついていませんでした。


 そうして帰宅し、自宅の鍵を開けてシャワーだけを浴びてさっさと寝ました。夕食は会社で菓子パンを食べていたので諦めました。そしてぼんやりと寝付きそうなときにあの老人の顔に見覚えがあったことに気付いたんです。ただしどうしても誰かはハッキリと思い出せませんでした。


 その頃はお盆の前だったので例年通り有休を取って帰省しました。説明したとおりの会社なので有休にいい顔はされませんでした。法律で理由はなんでもいいはずなのですが当たり前のように帰省という理由で出したら文句を言われましたね。いい加減嫌気がさしていたので適当に受け流して有休をもらいました。


 そうしてろくに日数はありませんが、なんとか帰省しました。そこで始めて私の祖父が亡くなっていたことを知りました。葬儀の案内どころか訃報すら知りませんでした。私はどうして教えてくれなかったのかと家族に詰め寄りましたが、『爺さんが言うなと言ったんだ』とにべもなく言われました。食い下がったのですが、祖父の意志だと断言されてその話は終わらせられました。


 悲しい気分のまま仏壇に線香でも供えておこうと思い仏前に行きました。そこに飾ってある遺影を見て一瞬呼吸を忘れました。そこには私が跳ねたはずの老人の顔が映っていました。まさか私が跳ねたのかと思いましたが、そんなはずはありません。帰省まで結構な距離を車で走りましたが、祖父はその距離を徒歩で移動出来るわけはありません。不思議に思い家族に祖父の最後を聞きました。


 父に聞いたところ祖父が『俺はもう長くない、せめて最後の時間くらい孫の為に使いたい』と起きてすぐに家族に話したそうです。そしてその時に自分のことを私に伝えないようにと強く言ったそうです。


 そしてその日の晩に祖父は心不全で亡くなったそうです。正確な時間は聞きませんでしたが、おおよそ私が人をはねたと思ったその頃になるそうです。


 何故祖父がそんな形で私の前に現れたのかはさっぱり分かりません。ただ、その事を思い出すと涙が流れ、泣きながら線香を供えました。


 そして帰省を終えてお盆の休みも終わったのですが、なんとなくなのですが祖父は私に『これ以上やると実際に人をはねるぞ』と警告していたような気がするんです。そしてお盆が終わると会社に退職届を出して辞めました。随分と会社の上司は嫌味を言ってきましたが、腹を括っていたので堂々と辞職して転職しました。給料は少し下がりましたが、終電を逃すようなことはない職場に決まり、それ以後交通事故は起こしていません。


「きっとアレは祖父が命を賭けて私に警告したのだと思っています。だから私は多分人を殺したのだと思っているんです」


 そう言った後、彼は目の前のビールを飲んだ。真相はさっぱり分からないそうだが、日常的に不健康だったはずなのに、転職してから健康診断の値が良くなり、多少の酒は問題無くなったそうだ。むしろ肝臓の値は少し酒が増えたのに数字は良くなったらしい。


 真相は不明だが、彼の祖父はなかなか孫の事を気にかけていたそうだ。だからこれはきっといい話なのだろうと私は思った。

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