荒療治
山岸さんは既婚者だ。結婚し、子供が出来たときは一族総出でお祝いをされたが、今では少し不安に思っているらしい。その事について話を聞いた。
「楽しい話ではないですがそれでいいなら」という前置きをされて話された。
子はかすがいとは言いますが、本当に生まれたときは可愛かったんですよ、新生児の顔なんてろくに区別もつかないのに初めて見たときは天使みたいに神聖な存在のような気がしたんですよ。
彼が結婚したのは大学を出てすぐ、学生時代に付き合っていた彼女と結婚したらしい。彼女は健康だったはずなのだが、出産をしたときに体に負担がかかったのか、それから少しして亡くなってしまったそうだ。それから彼は娘をがむしゃらになって育てたそうだ。大変ではあったものの、無事大学を卒業させたと言う。
「大変は大変だったんですが、娘が育っていくのを見守るのは幸せでしたよ。別に怖い話じゃないんですがね、少し変わったことがありまして」
そう言って未だに説明のついていない事を語ってくれた。
あれは……一番大変だった時期ですかね。娘との関係は今でこそ良好ですが、やはり反抗期には少しギクシャクしたんですよ。
その頃は娘が外泊や高校で禁止されていたバイクに乗ったりもしていました。何度も諭したんですがね、娘は全く聞いてくれませんでした。私も母親がいないことを責められました、そんなことを考えても仕方ないのですが、やはり『妻がいてくれたら』と思ってしまうこともありました。
しかし、転機は突然に訪れた。
その日も娘が外泊していたんですよ。まだ安心出来たのは相手が男ではなかったことですね。一応そういったトラブルは起きないということであまり感心は出来ませんが諦めました。外泊する家は子供に不干渉を決め込んでいるらしく何も言わないそうなんですよ。
半ば諦めながらその晩は不安を抱えて寝たんです。娘がいる以上心配ではありますが稼がないわけにはいきませんから、明日の仕事のために寝入ったんです。
それから一呼吸置いて彼はその晩に起きたことを話した。
真夜中に玄関チャイムが鳴りました。ああいえ、幽霊が鳴らしたとかではないんです、チャイムの音量を大きくしていたので目が覚めたんです。音が大きいのもありますが、とにかくチャイムを連打されていたんです。こんな時間に誰だと思って玄関に行くと、ドアが叩かれて『父さん! 入れて!』という声がしました。娘の声だったので慌てて鍵を開けたんです。するとバタバタと娘が駆け込んできました。
何かあったのか心配になって落ち着かせてから話を聞きました。娘から聞いた話なのですが……外泊をしていて、そろそろ寝るとなった時間に灯りを消すと幽霊が出たと言うんです。
私も少しイライラしていたのですが、せっかく外泊から帰ってきてくれたのだからと話を聞きました。娘が言うには灯りを消して話し込んでいると、真っ黒な髪で顔が隠れた女が部屋の中央に立っていたそうなんです。もちろんそんな人はいるはずがなかったそうです。
途端に部屋は大騒ぎになり、バタバタと慌てたそうですが、部屋のドアが鍵もついていないはずなのにいくらノブを回そうとしてもびくともしなかったそうです。
「お前だ」
幽霊はただそれだけ言って娘を指さしたそうです。泣いていると自然に女は薄れていって消えたそうです。別に何か害があったわけではないですが、その後女が消えてしまうと娘が幽霊に狙われていると皆に責められたそうで、『あんたとは一緒に寝られない』と言われて追い出されたので帰ってきたそうなんです。
その後、娘は柄の悪いグループとは距離を置くようになりました。というよりも、そういったグループの筆頭だった外泊していた家の娘が私の娘がいたせいで幽霊が出たと噂を流したんです。おかげで外泊をする場所が無くなりそれからは真面目になりましたね。
それからしばしして彼の娘さんは大学へ進学したそうだ。すっかり真面目に生きるようになったのだが、その代わり一つ無くなったものがある。
「私も裕福だったわけではありませんからね、娘に個室は与えていたものの、大した家ではなかったのでどうしても全部の部屋を普通に生活すると通ることになるんです。そして娘は定期的に悲鳴を上げていました。『幽霊が出た!』と時折叫んでいたんです。家の中にまで入ってきたのかと私も怖くなり、娘が幽霊を見た部屋を調べたんです。そうして分かったんですが、娘が幽霊を見た部屋には妻の写真があったんです。アルバムだったり遺影だったりはしましたが、妻の写真を試しに私の部屋に移してみると幽霊だと騒がなくなったんです。つまりは……」
「見守っていたんでしょうねぇ……」と彼は遠い目をして言った。結局、奥さんの私物の大半を自分の部屋に持ち込んで、家の中での幽霊騒ぎはなくなったそうだ。
最後に山岸さんは悲しそうな顔をして一言言った。
「ただね、その幽霊とやらは娘のところにしか出てこなかったんですよ。私が妻の遺品を全て集めたのに私の元には一度も出てきてはくれないんです」
そう言って『やはり娘の方が愛しいんでしょうかね?』と寂しそうに笑った。