飛ぶ人
Oさんは工場で勤務している。広い工場というわけで、都会のど真ん中ではないが、不便がない程度の場所に住んでいるそうだ。そんな彼が不思議な体験をしたらしい。
「この仕事やってるとね、所謂『飛ぶ』ヤツが珍しくないんだよ。俺だって正社員じゃないが、何人も飛んだヤツを見たよ。それを考えると正規でもないのに多くのヤツが飛ぶような職場に居着いている俺がおかしいのかもしれないけどな、まあなんにせよ妙なものを見たんだよ」
その『妙なもの』について話を伺った。
ああ、その話だったな。話は春の時期になるんだよ。新卒でうちに滑り込んだ連中が入ってくるんだ、ほとんど志望して入ってきた連中はいないよ、不景気な時代はそれでも人が集まったらしいがな、今じゃお察しってとこだ。
もちろん第一志望出来ていないような連中なんてあっという間に数が減るよ。採用してる連中もそれを見越して新しい連中を大量に投入してきやがる。要するにある程度の連中は飛ぶのが当たり前なのを上も知ってるって事だよ。
酷いって思うか? この国はそういった職場があるんだよ、そう言うところがあるから成り立ってるんだ、感謝しろとは言わんが認めては欲しいものだ。何かとブラック企業だと揶揄する連中がいるが、連中は現場の人間を助けてくれないんだから気楽なもんだよ。
ああ、怪談の話だったな、悪い悪い。アレはいつも通り出勤すると一人欠けていた時から始まるんだ。どうも無断欠勤らしいがその時点で俺は察したね、飛びやがったなと。新人には不安そうにしている奴もいたが、ベテランはいつものことなので気にもとめてなかったよ。俺もその一人だったな。
いつものことだから代わりを用意してさっさといつも通りの仕事をやったよ。単純作業だが勤務時間が長いからな、耐えられなかったヤツが一人で経ってだけだと思ってたんだ。
その日は金曜だったからな、いつもの居酒屋に行ったんだ。ちょっと飲んでおこうと思ってな。こんな仕事飲まなきゃやってられんよ。そう考えると飛んだヤツもこういうはけ口を見つけられなかったんだろうな。そう考えると教えてやればよかったとか思ったよ。
でもな、その店に入ったところで奥の席に今日飛んだヤツがいるのを見つけたんだ。声をかけたかって? かけるわけないだろ。向こうからすりゃこっちは不義理を働いた相手だぜ? 俺だってどんな声をかけりゃいいのかなんて分からないし、向こうも会いたくないんだから俺は入り口から離れたソイツと反対の方の席に座ったよ。
その日はなんだか妙に酔いが回ったんだ。いつもはこんな早く酔うはず無いと思ってたんだがな、何かあったのかもしれないな。とにかくそうしてひどく酔ってその店を後にしたんだ。普段ならはしごするところだったんだが珍しい日だったよ。
それで終わった話だと思ったんだがな……後で飛んだと思っていたヤツが死んでいたって聞いたんだよ。それも飛んだ前日の夜に死んでたらしいんだ。事件か事故かまでは聞いてないよ、プライバシーだのなんだのうるさい世の中だからな。死んだって言う情報だけを聞いたんだ。
じゃああの日見たのはなんだったのか? 少しは疑問に思ったんだがな、ただ、どうでもいいことなのかも知れないな。飛ぶヤツと死んだヤツと、居なくなることに違いはないんだからな。アイツだってあの世に行く前にいっぱい引っかけたかったんじゃないか? その程度の話なんだよ。
ま、一つ安心したのはソイツの死因が労災ではないと聞いたことだな。労災だといろいろうるさい連中がいるからな。それならただ単にいなくなったヤツの一人としてしか思っちゃいないよ。結局この界隈はそんなもんだ。
これで怪談は聞き終わった。彼は死因を知らないと語っていたので、後で図書館で新聞をあたってみた。そこには聞いた日付前後に事件で死者が出たと言うニュースが見当たらなかったので、『そういうこと』なんだと納得してしまった。せめてその飛んだ彼の魂が安らぎを得ていることを願うばかりだ。