味覚ジャック
Yさんはその朝、目が覚めたのだがなんだか眠気があったらしい。そんな日に起きたことだそうな。
「偶然……だと思うんですけど、納得はいってないんですよ。偶然にしてはできすぎというか……」
そんな彼の体験を聞いた。
その日の朝はなんだか妙に眠かったんですよ。いや、先日はきちんと寝ているはずですよ。なのに何故かやたらと眠いんですよ。休日なら二度寝すればいいのでしょうが、あいにく仕事なのでコーヒーを淹れたんです。インスタントコーヒーをスプーン一杯と熱湯で溶いて氷を数個放り込んでアイスコーヒーにしました。
それからショートブレッドを一パック開けて、それをかじりながらコーヒーを飲んだんですが……何故かコーヒーの味がしないんです。どちらも味がしないのならともかく、ショートブレッドの味はしっかりするのにコーヒーだけが白湯を飲んでいるように味がしないんです。
血糖値が上がったせいか多少目が覚めたので、追加でスプーン二杯のコーヒーと砂糖を一本と粉ミルクを入れて、これで味がしないはずがないコーヒーを淹れたんです。
それを飲んだんですが、熱さだけは感じるのですが、味は一切しないんですよ。いくら何でもこれだけ入れて味がしないというのはおかしいんですけど、じっくりその原因を探すほど暇ではなかったので出社の準備をし始めたんです。その時にスマホが鳴りました。
珍しく母親からの電話だったので、手短に済ませて欲しいなと思いながら電話に出たんです。すると嗚咽とともに父の訃報を伝えてきました。身体を壊しているとは知っていましたが、そこまでだとは思っていなかったので取り急いで忌引きを会社に伝えて病院に急ぎました。
スピード違反で捕まらないように気をつけながらはやる気持ちを抑えて病院に向かいました。付いた頃には父の遺体と対面することになりました、ただ、その時に母が言うんです。
『この人もあんたが真面目に生活しているんだからこっちに呼ぶようなことはするなって言ってたの。ごめんね……お医者さんには前から言われてたんだけど……』
強情な親父だったなと思います。俺なんてただ会社に滑り込んで日々の生活費を稼いでいるだけだって言うのに……心配されるような身でもないんですよ。そこまではあり得ることだったと思うんですが、母が気になることをいうんです。
「今朝ね、この人ったら満足げな顔をしたのよ。もう意識も無いって言うのに表情を変えたの。皆驚いたし、主治医の人もあり得ないって言ってたわ。ただ、その後すぐに逝ってしまったの」
今朝のことを思い返していたんです。そういえば親父は毎朝コーヒーを飲んでいたなって気がつくと、朝にコーヒーの味がしなかったのは親父が代わりに味わっていたからじゃないかってね。なんの根拠も無いことなんですが、なんとなくそんな気がするんですよ。もっとも、親父はインスタントコーヒーなんて邪道だと言って毎朝ドリップしていたのであのコーヒーで満足出来たのかは分かりませんが、それでも最後に親父に何か意味のあることをしてやれたかもしれないと思うだけで少し気が楽になるんです。
彼はそう言って話を終えた。医学的な分析もできるのかもしれないが、この話にそれを持ち出すのは無粋というものだと思う。それ以来、毎年彼は実家へのお歳暮にインスタントコーヒーのセットを贈っているそうだ。