飲み物に蓋をしてはならない
ワタナベさんは現在事故物件に住んでいる。不便な思いはするそうだがそれなりに快適だそうだ。
しかし奇妙な体験もあるというのでお話を伺った。
「まあ心霊物件っちゃそうなんでしょうけど、気にしなければ快適ですよ」
どうやら彼にはオカルトの類いを怖がることはないようだ。余裕の表情をしていることからもそれが分かる。
「それで、どういったことが起きるんですか?」
私の本題にワタナベさんはあっさりと回答してくれた。
そんな困る事じゃないんですよ。蓋付きタンブラーってあるじゃないですか? まあマグカップにも蓋付きの物はありますが……とにかく蓋の付いたものをつかえないんすよ。蓋のないマグカップやジョッキなんかは別に平気なんすけどね。
「それは一体どういった理由なのですか?」
ああ、ただ単に蓋付きのものに飲み物を入れていると中に入れているものに煤が入るんですよ。色々試してみましたが、水からジュース、酒に至るまで全て蓋があるといつの間にか煤が入って飲めなくなるんすよ。困っていることなんてそれだけっすね。
「何か謂れのある物件なのでしょうか?」
謂れね……ただ単に前の住人がボヤを出して子供が身体に大きなやけどを負ったらしいですよ。まあ死んではいないとハッキリ不動産屋も言ってましたし多分問題無いんじゃないっすかね。死んでたら流石に躊躇しますけど、本人が生きてるならわざわざ部屋を呪うようなことしないでしょ。だから気にしたら負けなんすよね。
彼は事もなげにそう言う。気分的に良くないような気がするのだが、彼は全く意に介した様子は無い。なんなら死人が出ていても気にしないのではないかと思えてくる。結局事故物件などというのは『心理的瑕疵物件』でしかないので、気にしなければ全く問題無いのかもしれない。ただ、普通の人は具体的に何かが起きれば気にするだろうと思うのだが。
「快適ですよ、一々その部屋の歴史なんて調べるから悪いんですよ。まあおかげで安く物件に住めるわけで、責めるようなことではないと思いますがね」
心底心霊現象などどうでもいいのだろう。彼は私に謝礼を要求しながらジュースを飲んでいる。
「一々くだらないことなんて気にしたら負けなんですよ。せいぜい蓋付きのコップが使えないだけですよ。あれじゃないっすかね、多分やけどした子供が水を求めて彷徨ってるんじゃないですか? 水が欲しいのは自由ですがね、だったら不動産屋も水を供えられる神棚くらいつけとけって話ですよ」
それだけ言って彼は席を立って去って行く。私は少し気になったので、地域の図書館に向かって過去の事件を探してみた。
すると彼が言っていたようなボヤ騒ぎの記事は全く無かった。何故そんな付かなくても良い嘘をついてまで安く物件を貸しているのかは謎だったが、調べているうちに、そのアパート周辺一帯が第二次大戦で空襲のあった場所だという町の歴史を知った。
果たして彼にイタズラをしているのは本当に子供なのだろうか? なんとも後味の悪く、答えの出ない結末となってしまった。それ以来彼に連絡はしていない。