落ちる音がする
天海さんが住んでいるマンションでは時折何かが落ちる音がするそうだ。初めて遭遇した人は自殺ではないかと驚くそうだが、すぐに何事も無かったように慣れてしまうらしい。
「ウチのマンション、上の階から落ちる音がするんですよ。音はドサッて感じです、あまり気分の良いものではないですが私ももう慣れてしまいました」
彼女は最近スマートスピーカーを購入したらしい。その理由はホワイトノイズが鳴らせるからだそうだ。
「割と便利なんですよ、ザーザーと音が鳴っていると他の音が気にならないんですよ。気休めのつもりだったんですが、私も毒されたのか落ちる音よりノイズの方が良く聞こえるくらいなんです」
そう言って微笑む天海さん。心霊現象にも慣れというものがあるのだろうか?
「心霊現象でも慣れてしまうものなんでしょうか?」
私が訊ねると、彼女は微笑みを崩さず言う。
「そもそも心霊現象なのかさえ怪しいんですよね。なにしろ今住んでいるマンションで自死した人はまだ一人も出ていないんですよ、だからアレは死霊の類いではないことは確かです。何であるかは興味なんて無いですが音が鳴るだけなので気にしなければいいだけです」
怖くないのだろうか? そんな不気味なことが起きているというのに平然としている彼女には驚く。
「どこから何が鳴っているのか知らないですが、暇な幽霊もいたものですよねえ……マンション相手に嫌がらせなんてしたってほとんどの人が出て行かないんですよ? なんならそのおかげで家賃が下がっているまであるんです。幽霊も皮肉なことをするものです」
「しかしそうなると一体何が落ちているんでしょうか? 飛び降りた人はいないんですよね?」
「ああ、アレは飛び降りた誰かではないですよ」
私は思わず疑問を口に出した。
「何故そう言いきれるんですか?」
「それはシンプルな話です。私がカーテンを閉めて寝ていると、窓から落ちていく何かの影が見えたんですよ」
それは怖いのではないだろうか? 何故彼女は余裕を崩さないのだろう?
「しかし、何か見えたとなると余計と怖いように思えますが……」
「言ってませんでしたね、それはシンプルな話です。屋上に鍵がかかっていて、私の住んでいるのが最上階だからです。つまり上からなんて落ちてきようがないんですよ。だからこの世のものじゃあないのでしょうけど、人間ではないことが確かなので落ちるに任せているんですよ。それほど害もないですしね」
彼女が住んでいるのがマンションの最上階であり、始めに聞いた某マンションの高さを考えると屋上から落ちれば命は無いだろう。だからきっとこの世のものではない。そうであれば気にもならないのだそうだ。どうせ音がしても何も下に痕跡が無いのだから通報するほど暇ではないらしい。彼女の住んでいるマンションでは皆、肝が据わっているという。そうでも無ければ毎晩音を立てて落ちるのが気になってしまうそうだ。
「それでは私はこれで、満足いただけましたか?」
「貴重なお話ありがとうございます」
それだけ言って私たちは別れた。それから翌日、その町の歴史を調べたが、これといって有名な飛び降りは起きていない。だからきっと人間の幽霊ではないのだろうが、私はそれはそれで怖いのではないかと思ってしまう。