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怒鳴り声

 Hさんは以前幽霊に助けられたという。それだけなら良くある話だが、その幽霊に付けられた傷跡が未だに残っているというので話を聞いた。


「話を聞いてくれるんですか、どうも。アレは就職氷河期の頃でしたねえ、大手は全滅、なんとか町工場に滑り込んだんですよ。自慢じゃないですが名前の売れていない大学を出たもので、就職出来ただけまだマシというのが周囲の反応でした」


 たしかに一時とても景気の悪いときがあった。彼はその時代に運悪く巻き込まれたのだろう。あの頃は正規で就職出来ただけで御の字だった。


 ただ、その後のコロナショックを考えると、まだあの頃はマシだったかもしれないと思うけれど、それはあまりにも後知恵というものだろう。


「あまり引き継ぎらしいものはされなかったんですが、上長が退職までは面倒を見てやると親方みたいに引っ張ってくれたんですよ」


 時代こそ冷たかったものの、一応はHさんの入ったところはそれなりにマシだったようだ。


「上長の定年まではまだ数年ありましたし、定年後の再雇用もほぼ確定みたいだったのでそれなりに続けられるかなと思っていたんです」


 そこで彼の声が一段落ちた。


「入って数ヶ月で基礎理論みたいな事を教えられただけなんです。それだけ教えてもらったころ、その方は交通事故で亡くなったんです。みんな悲愴な顔をしていました、そりゃあそうでしょう、僕より圧倒的に長い時間一緒に働いてきた仲間なんですから」


 そんな悲劇はあっても会社は回る、回っていかなければ経営が成り立たない、自転車操業と揶揄する人も居るが、案外中小零細ではそういったところが多いのは知っている。


「それで、その日は金属の加工を頼まれたんですよ。脂でベトベトのものを綺麗にして指定の穴開け加工を頼まれたんです」


 あの時の自分は必死であまり深く考えが回らなかったんでしょうと彼は寂しそうに言う。


「とりあえず脂を落とすためにスプレーを拭きかけてウエスで拭いていったんですよ。手が荒れやすいので軍手を付けて大量のスプレーを吹き付けました。それを複数枚のウエスで拭いてなんとか汚れを落としたんです」


 あまり詳しいところは知らないが、産業用の脂も脂を落とすものもそれなりに強力なのは知っている。私はその辺りも女性の進出が少ない理由ではないかと思っている。


「ようやく脂が落ちたのでドリルのセットされたボール盤という機械で穴を開けようとしたんです。電源が切れていたのでスイッチを入れたときに『バカヤロウ!』と大声で叫ばれて、金属板を持っていた腕を思い切り叩かれたんです」


 そしてガチャンと大きな音を立てて金属が床に落ちたらしい。その音を聞きつけた社員が幾人か集まってくる。


「みんなに落としたことを起こられるかと思ったら、軍手をしたままだったことを叱られたんです。後になって知ったんですが、ああいう機械を使うとき、軍手を付けていると巻き込まれて手事持って行かれることがあると聞きました。だからみんな怒っていたんですね。それで、最初の怒鳴り声が蘇ってきたのですが、あれ、初めに僕についた方の声とそっくりだったんです。怒る方ではなかったので怒鳴り声は聞かなかったのですけど、多分怒鳴るとあんな声になるんだろうという声です」


 そこで一息置いて彼は言う。


「みんなが必死に仕事をしていたとはいえ、死んでからも僕の面倒を見てもらったと思うと恥ずかしくて火が出そうでした。それから一通りの教育を受けてなんとか今までやっています。その時に叩かれたような気がした腕がこうなっています」


 彼は腕をまくった。そこには何か固いもので叩いたような青あざが残っていた。彼によるとこれは消えなかったし、消したいとも思わなかったそうだ。


 今でもそこで働いているが、安全教育は以来徹底されているという。

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