彼は酒を飲まない
「私はアルコールが好きなんですがね……飲めないんです」
木村さんは悲しそうにそう語った。酒が好きだという前情報をもらっていたのでお酒の場で話を聞こうと思ったのだが、居酒屋でもまわりが飲んでいると気になるということでファミレスで話を聞くことになった。
「お酒って美味しいですよね。ただ、私が飲むと見境がなくなっちゃうんですよ」
見境がなくなるという言葉に違和感を覚えたのでそれを話してもらうことにした。
「幽霊って思ったよりたくさんいるんですよ。ただ、私の場合ですが見ようと思わなければ見えないんですよ。たぶん心がリミッターのようなものをかけているんでしょうね」
大学生、二十歳というのは酒を飲んでも合法になる時だ。それまでは幽霊などほとんど見ていなかったし、そんなに身近に居るものだとは思っていなかった。あえて見るとすれば、死者がたくさん出た場所、特に自殺などで死者がたくさん出たところでは時折恨みがましい視線を向けてくる幽霊がいたくらいで、直接困るようなことは無かった。
しかしサークルの先輩が成人祝いに居酒屋に連れて行ってくれた時のことだ。彼のお祝いということで先輩方の奢りとなっていたため、彼は自由に酒を飲んだし、先輩たちもドンドン勧めてきた。今であればアルハラだなんだと言われそうだ。
木村さんは千鳥足になる程飲んでから解散となった。先輩たちは二次会があるそうだが、もう既に限界近くなっている彼を連れて行こうと言い出す人はいなかった。
そして居酒屋を出て住宅街をフラフラしながら歩いていたところ、躓いて転んだ。飲み過ぎなのは分かっていたのでなんとか起きて前を見た。そこで彼は固まった。目の前には血だまりがあり、その中央で髪を振り乱した女が倒れていた。横には高層マンションがあるので嫌な予感がした。
飛び降り? 警察? 酔った頭で必死に知恵を絞ったのだが、僅かによろめいたところで再び前を見ると女も血痕も綺麗に消えていた。気のせいだと思い、酔い覚ましに近くのコンビニに寄ってミネラルウォーターを買って一本飲み干した。
少しだけマシになったのでそのまま帰り道を歩いた。そうすると今度は交差点で体がバラバラになった男が転がっていた。その頭がぐるっとこちらにひっくり返り視線が合った。そこで自分が見ているものが幽霊や怨霊の類いだと気がついた。
無視してさっさと自宅アパートに帰り、布団を敷いて寝ることにした。バタンと布団の上に倒れ込むと眠気が来たのだが、隣の部屋からギィ……ギィ……と音が響いてきて眠れなかった。
翌日、酷い二日酔いで水を大量に飲んでなんとか回復した。それ以来酒を飲むのは極力減らしているそうだ。
彼が住んでいる部屋の隣でかなり昔に首を吊った人がいたことを知るのはアパートを退去する時になる。それ以来酒は好きだが酔いたくはないので我慢し続けているそうだ。