天使のささやき
ASMRと言うものを知っているだろうか? 耳に心地よい刺激を与える音楽や音声のことだが、Eさんはそれにハマっている。動画サイトなどで美少女アバターを被ってASMR配信をしている配信者もたくさんいるのでお金をかけてもかけなくても楽しめるコンテンツだ。
しかしEさんは一回だけ怖い目にあったことがあると言う。
「ASMRは良いものなんですよ! 素晴らしい配信者がたくさんいましてね、有料コンテンツではさらに……」
ここからしばらくEさんによるASMRの布教が始まったので彼には申し訳ないが割愛させていただく。
「とまあ、このように素晴らしいコンテンツなんですよ。でもね、ハマりすぎは良くないみたいです」
延々と話をされていたので気が逸れていたところで、ようやく始まったようだ。そこからメモを取りだしたため、彼の素晴らしい価値観は記録されていない。
「アレはなんというか……夢見心地というか……天国にいるようというか……とにかく素晴らしい音声を聞いたんです。アレは素晴らしいものでした、ただ、今ではどうやっても聞けないんですがね」
ようやく怪談らしくなってきた。ペンを動かす手にもようやく勢いがつく。彼の話すところによると以下になる。
ASMRで検索して出てきたプレイリストをイヤホンをつけて連続して流し続けていたところ、心地よい声が聞こえてきたんです。その声はなんて言うんでしょう、昔を思いだしたんです。小さい頃、いやもっと前ですね、また明確な意識が無い頃に聞いた声なのかもしれません。あの声は人が出せるとは思えませんでしたからね。
そうして目を瞑り、椅子にもたれてじっくりと聞き入ったんです。至高の時間でしたよ、あんな体験は二度と出来ないんじゃないかな。イヤホンで聞いているのに耳全体に刺激があるんです。衝撃でしたね、素晴らしい配信者だと思い、チャンネル登録していないことに気が付いて急いで登録ボタンを押そうとしたんです。
そこで自分の体が動かないことに気がつきました。金縛りだと思ったのですが、それが違うことは後になって分かりました。目を開けられずそのまま心地よい声を聞き続けました。そして気がついたら病院のベッドの上でした。
医師によると、同じ姿勢をずっと続けていたので血栓ができてそれが詰まって危ない状態だったそうです。幸いイヤホンのバッテリーが切れて音楽がスピーカーに切り替わって爆音が流れたため隣の部屋に思い切り響いて通報されたそうです。見つかったときにはそこそこ危なかったらしいです。とにかく無事助かったんですよ。
以上が顛末だそうだが、ここからは彼の推測も混じることになる。
「PCで聞いていたので履歴が残っているはずと退院したら即座にブラウザの履歴を辿ったんです。しかしその配信で聞こえてきた声と同じ配信者はついに見つかりませんでした。残念だとは思うんですがね、私は一つ思っているんですよ。もしかして……あの声は天使の声なんじゃないかってね。天使が死にそうになった私を連れて行こうと声を出していたんじゃないかと思うんです。だとすれば、その声を昔聞いたことがあると言うのは生まれる前のことなのかもしれません。結局、全て憶測ですがね」
彼はそう言い席を立った。お気に入りの配信者が配信予定に入っているらしい。Eさんはあんな目に遭っても未だにASMRの沼から抜けられていない。