あなたはだあれ?
春花さんはまだ子供の頃に両親が離婚している。その時はまだ離婚というものがよく分かっていなかったが、ただある日を境に父親に会わなくなったなと思っていた。
それでも母親は面倒を見てくれていたし、住むところが変わったわけでもない。ただ父親にあわなくなっただけだと思っていた。母親からも『お父さんは簡単に会えない場所にいるんだよ』と言われたので、どこか海外にでも行っているのだと思っていた。
しかし、それでも現実というものが分かりだしたのは小学校に入ってからだ。お金は母親がそれなりに稼いでいる、家事にはお手伝いさんが居るし、誰かに比べて露骨に貧乏だったわけではない。それでも当時の小学校で参観日に父親が来ることは絶対になかったし、運動会ではクラスの子供たちが両親に応援されていても、春花さんを応援するのは母親だけだった。
「お父さんは帰ってこない」
それは分かっていても現実を受け入れるのは辛いことだ。うっすら父親が死んだということも分かっていた。それをクラスメイトが揶揄することはなかったし、勝手に引け目に感じていることは分かっている。それでも寂しいという感情だけは止められなかった。
時は経ち、春花さんも中学生になったとき、ある日自宅に帰って部屋に入ると見知らぬ男の人がいた。悲鳴を上げそうになったが、それを必死に押しとどめた。それはその男が透けていたからだ。男は真っ黒な服を着ているが、窓の外に出ている太陽がハッキリ透けている。だからそれは生きている人間ではないと分かり、多分声を上げても誰にでも見えるわけではないだろうと思った。
男はまったく動かなかったので、無視して机に着いた。生きていないであろう幽霊の世話なんて出来たものじゃない。死んだにせよ生き霊にせよ、そこに居たければ勝手にすればいい、私の知ったことではない。
そうしてしばし予習をして、椅子の上で伸びをすると、後ろにいた男は綺麗さっぱり消えていた。部屋のドアが開いていないのだから、やはり物理的に存在していたわけではないはずだ。だったら部屋にいるくらい勝手にしてくれ。そう思いつつその日は終わった。
それからというもの、不定期に男は現れるようになった。いつも透けており、気がついたら居なくなっている、それがパターンと化していた。
しばし、その男の正体を考えたときに春花さんは一つの事に思い至った。父親がもし生きていればあのくらいの年ではないだろうか? 未練があるなら母親の元の出てくるのが筋だとは思うものの、あの世から自分のところに来てくれたと思うと少し気分が良い。
なんとなくそう考えると少し気が楽になったので、アレは父親だと思うことにした。日が経つにつれ、男の表情は柔和になってきた。それは懐かしさを感じさせるには十分なものだ。
そう考えてから男が部屋にいるのが気にならなくなった。勉強中に後ろに立っているくらいだし、四六時中居るわけではない。父親が応援してくれているのだと思えば勉強にも身が入った。そのおかげで春花さんは難関ともいわれている高校受験に受かった。母親も大層喜んで彼女を応援した。
「お父さんにも報告しておこうね」
母親がやわらかい口調でそう言った。見飽きるほど自分の前に出てきているとは言えず、母親がスマートフォンを取りだし、アルバムアプリを開いた。そこに写っていたのはあの男とはどう考えても似ても似つかない人だった。この父親が年を取ったとしてもあの男のようにはならないだろう。
その日、彼女は部屋に入ったときにいた男を無視して急いで寝た。それから出来るだけ急いで高校のための一人暮らしの準備を始め、逃げるように家から出ていった。
そんな春花さんも高校を卒業するのが近くなっている。彼女の母親が『地元の大学も受けてもらえる? 学費は出すから』と言い出した。彼女は現在、それにどう答えるか悩んでいるそうだ。