07:初戦
一瞬の暗闇を抜けると――豁然として眼前に森林の景色が開けた。
嗅いだことのある自然の匂いに、無事、メリザンシヤの魔封具を正常に使用できたことを確認する。
(あの女、転移地点を外部に破壊されたくないからって、随分と中途半端な場所に設置してるな……)
周囲の様子を観察して、ここがセンピオール蒼林の中であることを把握する。草木と岩、それ以外に目視で確認できるものは特にない、殺風景な森という印象しか湧いてこない場所だ。一応、王都から猟師や木こりなどがこの森に立ち入るための整備された道がいくつかあると聞いていたが、到着した地点にはそんなものは見当たらない。
「よし、お前ら、来てもいいぞ」
魔封具による空間魔術――その虚空の向こう側にいる二人に合図を送る。
「うわあ! お、押さないで、ロイクくん!!」
「ごご、ごめんなさい!!」
後ろで、監視役として付いてきたフェリスと、ロイク――という名前らしい村の少年が、騒がしく虚空を通り抜けてきた。
どんな経路を想像していたのか、二人は思ったよりも一瞬でこっちに渡れたことに驚いている様子で顔を見合わせると、互いに苦笑いを浮かべた。
「魔術――停止」
オレの命令に反応した魔封具が、空中に広げた虚空を収斂させていく。景色の歪みが完全に収まると、虚空のあった中心には役目を終えたばかりの魔封具の結晶体が静かに浮かんでいた。
微動だにせず宙を浮く魔封具を掴んで、再び懐に戻すと、オレはフェリスに向き直った。
少女の方は未だに、あの虚空を通り抜けた不可思議な体験が抜けきっていないのか、ぼんやりとしつつも、身体のどこかに異常がないか……と何度も手足や装備を確認していた。
その姿は……とてもじゃないが戦闘で役に立つとは思えない、常人のそれだ。メリザンシヤの嫌がらせの線が濃厚になってきたか。
「お前、本当に監視役のつもりで来たのか? なにを監視するために寄越された? どう考えても、オレがお前の死を観測してメリザンシヤに報告することになりそうなんだが」
オレの至極真っ当な指摘に対して、振り向いたフェリスがむっ、とした表情をする。
「大丈夫です、戦闘では足は引っ張りません。私が同行する理由については、メリザンシヤ様から『魔封具を壊さないかを監視しろ』と命じられたので」
「はは、魔獣をちゃんと倒すかどうかの監視じゃないのか。オレは最低最悪と噂される魔術師だが、あの女も大概だな」
オレは一応、少年に村までの方角を確認してから、とりあえず道無き道を歩き出すことにした。
背後をフェリスと少年が連なって歩き、しばらく、黙々と目的地まで歩みを進めた。
途中、フェリスが控えめな声で話を切り出す。
少年によると、歩き続けてそろそろ村の周辺に着く頃らしいので、一応は警戒して声量を抑え目にしているのだろう。
「ベルトランさんって、良い人ですよね」
「は?」
「え?」
突然の発言に、オレは思わず変な声を上げてしまった。後ろで、少年までも小さな声で驚いているのが聞こえたほどだ。
「どうした、転んだ拍子に頭でも打ったか?」
「だって、ロイクくんの村を助けるために、一人で魔獣を討伐しようとしてるじゃないですか。私、メリザンシヤ様からベルトランさんの評判を聞いたことがあるんですが、今ならあれは何かの間違いだって確信できます」
振り返ると、フェリスがキラキラした瞳でこちらを見ていた。どうやら、おかしな誤解をしているようだ。
「ちなみに、俺の評判ってのはどんなものだ?」
「ええと、詐欺、強盗、建造物破壊、反逆罪……他にも色々聞いた気がするんですけど、間違いなんですよね」
「まあ、大体合ってるな」
「…………」
キラキラとした瞳と揺るぎない信頼の表情が、一瞬で凍り付く。この少女はもしや、他人を疑うことが下手な人種だったりするのか。
「で、でも、今回の討伐は絶対に正しい善き行いですよね? メリザンシヤ様から聞いていた話だと、何だかものすごく悪人のような、ふてぶてしい顔の男の人を想像していたんですけど……でも、会ってみると案外爽やか印象で、私と歳もそんなに離れていないみたいですし……」
(歳が離れていない……まあ、そう見えるか)
フェリスの初対面の感想を聞いて、自分の外見の年齢がこの少女とあまり変わらないことを思い出す。そういや、他人から見れば十八そこらか。
オレは歩きながら、フェリスの勝手な期待に真摯に応えるべく、真面目且つ慎重に言葉を選ぶ。
「金だ。金が欲しかった。最近、賭博場でたくさん使ったからな。王を騙してたらふく金をせしめるつもりだ」
「…………」
えぇ……とでも言いたげな、短い沈黙がその場に流れる。だが、間違った認識はちゃんと正しておかないといけない。
「みんな、自分の目的があって生きてる、そうだろ? オレは楽をして金が欲しい。お前はどうだ? メリザンシヤ様、メリザンシヤ様――さっきからずっとあの女の名前を口にしているが、お前にも自分自身で考えたお前のための目的があるだろ」
少女にそう問うも、実のところ、話の内容にはまったく以って興味がない。……ないが、数時間前にアシュドに言われた――“他人との交流に致命的な欠陥がある”――という指摘をふと思い出して、何となく会話を繋いでやった。
すると、少女がぽつりと呟く。
「……メリザンシヤ様は、私が幼い頃に“信奉者”たちの襲撃から私と弟の命を救ってくれました。だから、私の目的はメリザンシヤ様の助けになることと、あとは栄光の騎士になることです。騎士になって、弟にもっと自由な暮らしをさせてあげたい」
「…………、そうか」
――“信奉者”。その言葉を少女の口から聞くことになるとは予想していなかったので、少しだけ呆気に取られた。
かつてはリディヴィーヌと並んで大魔術師と称され、現在では魔女と忌み呼ばれることとなった――リュミラルジュ大陸を戦渦に陥れた重罪人、アリギエイヌス。
魔女が死した今でも拭い去ることのできない禍根の内の一つが、当時、各国を巻き込む大きな闘争を作り出した元凶でもある“信奉者”の存在だった。
圧倒的な資質と天賦の言葉に扇動された民衆が、アリギエイヌスを指導者としてあらゆる工作を張り巡らしていた時代が、遠くない過去に確かにあった……という話だ。
フェリスは、自分の言葉で場の雰囲気が変わったことに気付いたのか、先ほどよりも明るい口調で話を続けた。
「ベルトランさんも、メリザンシヤ様と同じくリディヴィーヌ様の弟子……なんですよね? だったら、絶対に良い人ですよ」
「はは、それはどうかな。リディヴィーヌの六人の弟子にはオレ以外に少なくともクズがもう一人…………、待て」
手を上げて、背後から付いてきていた二人の歩みを止める。
直後、息を飲む音が聞こえた。
そう離れていない前方で、木々の枝や草むらの茂みが微かに揺れて――次には、黒い影が勢いよく向こうから飛び出してきたのだ。
森林の間を縦横無尽に駆け跳ねて、突き出す岩石を軽々と飛び越えるその影は――
「いたぞ、魔獣だ」
オレの言葉に、びくりと反応したのはどちらだろうか。
前方に現れたのは――まさしく“狼の魔獣”だった。少年の村を襲った災いの使者であり、今回の依頼の討伐対象。
その姿は一般的な狼とあまり相違なかった。一見すれば、普通の狼よりもやや大きな体格と、異様なほどに黒い獣毛が特徴なだけに見えるが……狼と“狼の魔獣”の根本的な違いは、その生態にある。
狼が生きるために狩りをするのに対して、狼の魔獣は――いや、魔獣という存在そのものが捕食という習性を持たない。
人間という種を殺すためだけに牙を使い、人間という種を殺すためだけに地上を徘徊する――錬金術の国エンピレオによって設計された、生物の形を成す兵器。それが魔獣だった。
人間の業が作り出したまがい物の獣。
ゆえに、狼としての嗅覚は持たず、こうして敵が接近していることにも気付くことがない。
(さて、見つけたからにはさっさと処分しておくか)
狼の魔獣の位置を把握して、オレはいつでも魔術を唱えられるように準備をする。こちらとあちら、距離にすれば近くはないものの、獣の足で疾走されれば一瞬の内に詰められる間隔だろう。
現在、視認できたのは一匹のみ。狼の魔獣は群れで行動することの多い魔獣だから油断は禁物……と、仮にこの場にいるのが冒険者だったならば、仲間たちと腰を低くしながら囁き合っている状況か。
「……仕掛けますか?」
背後でフェリスが言った。
小さく囁くような、しかし、凛とした少女の声からは躊躇いや恐怖の色は感じられない。
「いや、任せろ」
オレはそう返事して、一切の警戒なく詠唱の予備動作を始める。
生い茂った木々の葉が陽光を遮る森の中、昼間にして木漏れ日が当たらぬ仄暗いこの場所で――魔力による青白い光が辺りを瞬く。
そして、
「……!! 魔獣がこっちに!」
オレの詠唱に気付いた狼の魔獣が――いや、もしかしたら最初から気付かれていたのだろうか、その一匹が走り出した瞬間、前方の複数の茂みから――十匹ほどの黒い影が一斉に跳び、着地して間もなく猛然とこちらに急接近する。
「――――」
背後から二人の驚きと焦燥、状況に対する絶望が伝わってきた。
このまま呑気に立ち尽くしていれば、数秒も経たずに魔獣の群れに喰らい付かれて、ずたぼろの肉塊が三人分用意されてしまうことだろう。が……
(そろそろだな)
オレは隠れていた魔獣の数を確認して、ようやく魔術を唱えることにした。
――魔術師における魔術の詠唱は、基本的に〈言葉の女神〉マナヴェリアによって定められた“魔符”と呼ばれる言語と法則を用いて、現象の起源に接続する過程を最適化し、応用することが通常だ。
強力な魔術ほど複雑な条件が多く、その都度、魔力の調整が必要なためにどうしても詠唱の長文化は避けられないものだが――それはあくまで、大陸に無数といる並みの腕しか持たない凡庸の魔術師に限った話である。
オレは、一息に唱えた。
「――――〈遅延の沼〉」
オレの口から紡ぎ出された言葉に呼応して、宙に浮かび上がる青白い光の文字群。
それと同時、目と鼻の先まで接近した狼の魔獣の群れが――全て、一匹たりとも例外なく、動きを止めた。止まって見えるほどの緩慢な速度に変化したのだ。
「……!! これは……」
フェリスが驚きの声を上げる。
狼の魔獣たちは遅延の魔術によって、たしかに時間を引き延ばされていた。“足”だけが。
一向に前に進まない己の四肢の違和感に対処する術もなく、魔獣の群れはただ眼前の人間を牙で引き裂こうとガチガチと音を鳴らし続けていた。
檻の中から向こう側の獲物に飛びかかろうとしている猛獣か、はたまた、首輪を繋がれて思うように動けない飼い犬か。
それはまさしく沼に嵌って抜け出せない、哀れな被食者の様相を呈していた。
オレはそんな魔獣たちを前に、両手を広げて振り返る。
「ははっ、ドキドキしたか? 死ぬかと思っただろう、お前ら」
「…………」
振り返って見えた二人の表情は――言葉では言い表せない、あまりに愉快な感情の色を表していた。
興奮、恐怖、諦め……それらを一つに綯い交ぜにして固めた切迫の視線が、オレと魔獣の群れを交互に行き来する。
一瞬の出来事に、思考が遅れてしまっているらしい。
「切れる物、持ってるか? どっちでもいいから貸してくれ」
オレの唐突な言葉に、数秒の時間を要した後……フェリスが携帯していた短剣をこちらに差し出してきた。
それを受け取ると、さっそく、狼の魔獣の動く頭部、遅延の影響を受けていないその喉笛に目掛けて刃を払う。
狼の口がオレの腕を噛み千切ろうと前のめりになる咄嗟の隙を突いて、短剣を上向けに振り払った。直後、魔獣は呆気なく首から血を噴き出して、うな垂れるようにして生命の活動を停止した。
その作業を、十一匹分。
二人の視線を背中に感じながら、淡々とそれをこなしていく。
「これ、射撃の練習の的にでもするか」
からかいのつもりで少女にそう問うと、
「………………遅延特化の、魔術師」
フェリスが、ぼそりと言葉を零した。
「ん? ああ、そう呼ばれていた頃もあったな」
“最低最悪の魔術師”――鋼花の国に来る前はそう呼ばれることの方が多かったせいで、久しぶりの呼び名に懐かしさを覚える。
その名の通り、オレは大体のことは遅延の魔術で対処し、戦闘でも遅延の魔術しか使わない。
大陸で誰一人として扱える者がいない特殊な魔術を意のままに操る、型破りの魔術師……そんな風に持て囃された時期が、ほんの一瞬だけあった。ほんの。
「やっぱり、リディヴィーヌ様のお弟子様なんだ……すごい」
フェリスの青い瞳がまたしてもキラキラと輝く。
「おいおい、普通はわざと魔獣を引き付けたことに怒るところだぞ。お前も変わった奴だな」
「え? あ、あはは……よく言われます」
フェリスはそう言って構えていた弓を静かに下ろし、隣の少年に「大丈夫?」と聞く。
少年はまだ呆けた顔をしながらもゆっくりと頷き、オレの後ろで事切れたままの魔獣に視線を向けた。
「あの……これで大体の魔獣は、倒せたんでしょうか?」
「いや、少なくとも、あともう三つ四つほどはこれと同じ群れがあると考えた方がいい。お前が王都に向かっていた時間で、どれだけこいつらが増えたかは不確定だからな」
オレはそう話しつつ、血で汚れた短剣をそのままフェリスに渡す。
嫌がらせのつもりはなかったのだが、フェリスはそれを正直に受け取って躊躇いなく自分の服の裾で拭くと、腰に付けている革の鞘に短剣を収めた。
そして、何かに気付いたように首を傾げる。
「ベルトランさんは、その魔術以外には何が使えるんですか?」
定番の質問だった。オレと行動を共にする人間のおよそ九割はそのことに疑問を抱き、質問せずにはいられない。もはやこれもある種の魔術だろう。
「なんでオレが遅延特化と呼ばれているか、考えたことはないか?」
「え? えーと……それってつまり」
「そうだ、オレはこの遅延魔術しか使わない――」
そう言い掛けて、不意に横合いから草木の擦れる音が聞こえた。
視線がその音の行方を捉えるより先に、それが――潜んでいた魔獣だと感覚で察する。
獣が高く跳躍する時の、地面を叩き付ける小さな蹴り上げの音を確かに耳にして、オレは振り返る時間すら惜しみ、咄嗟に魔術を唱える。
「〈遅延の――〉」
詠唱が完了する寸前、オレの斜め頭上を高速の何かが飛来した。
直後、獣の呻き声が上がるとともに――オレの隣ギリギリを掠めて、奇襲してきた魔獣の肢体が落下する。
すぐ目の前では、フェリスが弓を構えていた。
「…………やるな」
「私も負けていられませんので」
どうやら、あの一瞬でフェリスが弓矢を放ったらしい。片手に装着していた黒い手袋の、その手の甲にある魔封具が光っているのが見えた。
矢を取り出す時間を省き、番える動作だけでその手には矢が出現している……仕組みとしてはそんなところだろうか。
矢を撃つ速さもさることながら、刹那の奇襲にもかかわらず、動く標的に正確な狙いを定めた技術と冷静さにオレは驚いていた。
さっきの戦闘でも、オレが『任せろ』と言ったから矢を放たなかっただけで、フェリスのこの腕ならば四、五匹ほどは難なく仕留めていたのかもしれない。
(……足を引っ張らないというのは、あながち間違いじゃなかったか)
オレはフェリスに対する評価を見直して、礼を伝えた。
「助かった。その調子でバンバン撃ち落としてくれ」
そう言うと、フェリスはやや嬉しそうな顔で、えへへ、とはにかんで弓を下ろす。
「さて、魔獣がこれだけ姿を見せたということは、村もここから近くにあるということだな、少年」
「は、はい……この先をまっすぐ行けば、村の東側の畑に出る……はずです」
「よし、じゃあ、これを持っていけ」
懐から魔封具の結晶体を取り出して、フェリスに向かって放り投げる。
「えっ! わわ……っと」
いきなり投げて渡されたことに動揺を見せつつも、何とか両手でそれを受け止めるフェリス。
オレは振り返って、村のある方角を見据えた。
「フェリス、お前はこの少年と一緒に村の住人が隠れている場所を探してこい。いざとなればその魔封具を使って逃げろ。未指定の転移先は……どこだったか、まあ、どこでもいいだろ」
「え!? それじゃ、ベルトランさんは?」
一緒に行動するものだと思っていたのだろう、フェリスは驚きに目を見開く。
「オレは〈真理の器〉を探す」
〈真理の器〉は錬金術の国エンピレオの遺産であり、さっきのような魔獣を生み出している魔術装置、諸悪の根源だ。
――本来ならば、〈真理の器〉は装置の自己防衛能力による迷彩魔術に覆われて、通常の人間には視認することが不可能だった。現状、装置の場所を特定して破壊するためには、魔術を鋭敏に察知することのできる人間――ごく稀に生まれ持つとされるその才能を宿した者〈先見者〉の先導が必要であり、それ以外の方法はまだ見つかっていない。
しかし、なんとオレにはその才能が――あると言いたいところだが、残念ながらそんな察知能力は持ち合わせていない。
つまり、〈真理の器〉を探すことは限りなく困難だろう。想定通りならば。
(さっき倒した魔獣は、毛並みや肉の質感から推測するに生み出されて間もない個体だ。とすれば、捜索範囲はここよりそう離れていない周辺に絞られてくる)
ここに来るまでの途中で魔獣とすれ違わなかったことを考えると、探す大体の方角は三つ。村に向かう正面を除けば、右か左か、そのどちらか。
……オレは少し考えて、奇襲を仕掛けてきた一匹が潜んでいた草むらを確認し、右側を探すことに決めた。
折れた枝や獣の足跡を辿れば、運よく見つけられるかもしれない。
「というわけだ。オレはこっちを捜索する。じゃあな」
くるりと転回して、唖然とするフェリスを横目にそのまま歩き出す。
「え、ちょっ、ちょっと待ってください! 待って……待ってくださいベルトランさーん!! ……ううっ」
背後からは必死に呼び止める少女の声が響くが、それも最初の方だけだった。
叫ぶ声の言葉尻が急に萎んでいったことから察するに、魔獣のうろつく森の中で大声を発することの危険性に気付いたか。
(まあ、さっき見た弓の技量なら魔獣の眉間を正確に射抜くくらい造作もないはずだ。オレがいなくても大丈夫だろ)
ふと、今更ながらフェリスがオレの監視役で同行していたことを思い出したが、魔封具は渡したので問題ないものとする。
生い茂る草木を踏み越えながら、魔獣の痕跡を辿って前進を続けた。
(……そういや、これだけ歩いたのは久しぶりだな)
フェリスたちの姿が見えなくなる距離を歩いて、唐突にそんなことが脳裏を過ぎった。
最近はずっと王都の賭博場に足を留まらせることが多かったせいで、運動不足もいいところだった。それより以前は――遅延魔術の習得と研究に、ほとんどの時間を使っていた。
しかし、それが普通だ。
魔術師が実地を徒歩で捜索するなど、それこそ冒険者の領分だ。オレが好き好んでやりたいことではない。
都度、黒法衣に付いた木の葉を落としながら、なぜ、自分はこんなことをしているのかという疑問が浮かぶ。
(なぜ……なぜか? それは――)
金以外に、オレが自分から面倒事に身を投じる理由は二つしかない。
内懐から――意匠の凝った小型の懐中時計を取り出す。針は一切と動いていない。
(……アリギエイヌス、あいつの信奉者の気配がする。何となくだが、今回の魔獣騒動は奴らの手が加わっている。そんな予感がした)
それは不確かな予想でしかなく、勘と呼ぶには信頼がない。
おぼろげな経験則――遠い昔の記憶の残滓が、今回の討伐を見過ごさない方がいいと、引っ掛かりを覚える程度に訴えていた。
信奉者のほとんどが姿を消して、今はもう争乱と決別したはずの平穏なこの世界で……再び何かが呼び起こされるような、そんな予感だ。
「……ただの無用の心配であれば、貴重な一生のたった一瞬を無駄にしたと割り切れるんだがな」
そう独りごちて、パチン、と懐中時計の蓋を閉じながら、オレは更に奥へと進んだ。




