18:エピローグ 追討 3/3
血の水球に映し出された光景に、この場の全員が言葉を失う。
「……リディ、ヴィーヌ……?」
かろうじて喉から出てきたのは、いま投影の中で倒れ伏しているその人の名前だけだった。
驚愕、疑心、警戒……あらゆる思考が脳裏を過ぎり、しばらく、身動きが取れずにいた。
そんな静寂の中、水球に映る――フォルトゥナが口を開く。
『やはり、あなたは自分を守るために誰かを犠牲にする道を選べない』
首を振りながら、ゆっくりと腰を上げてゆらゆらと歩みを進める、白い男。
……自分の師を地面に横たわらせておきながら、一切の感情も宿さない瞳がリディヴィーヌを見下ろした。
そして、手に持つ小瓶を掲げると、
『申し訳ございません、リディヴィーヌ様。あなたの魂は必ず、〈大真理の器〉にて復活させると誓います。――〈記憶せよ〉』
短い詠唱とともに、地面に倒れたリディヴィーヌに向けて魔術を発動させる。
すると、リディヴィーヌの身体から――翡翠色の輝きが浮かび上がった。
「……ぁ」
それがいったい何の輝きなのか、誰に説明されることもなく、オレは理解してしまった。
その色は奇しくも……最初の出会いでオレを覗き込んだ時の、透き通るあの翡翠の瞳と同じ色だった。
まばゆい光彩を揺らしながら、輝きが静かに小瓶の中へと吸い寄せられていく。
「……、……」
――後に取り残されたのは、『魂』のない肉体だけだった。
…………
投影越しでも分かる、今にも降り出しそうな曇天の下で、フォルトゥナが背を向けて歩き出す。
これで見世物はおしまい――そう言わんばかりに、映像の輪郭が少しずつ歪み始めた。
「…………」
それでもなお、やるせなく水球に映し出された光景を見守る一同。
全員がこの男の目的を察するよりも先に――ふと、フォルトゥナがこちらを振り向いた。
歪む景色の向こう側で、白い男の口元がはっきりと言葉を告げる。
『――メリザンシヤとの決着、感謝します、ベルトラン』
「……!!」
「――――……こいつ」
その言葉を最後に、浮かんでいた赤い水球がどぼっと地面に崩れ落ちていく。
ただの血溜まりとなった水球と、静まり返る路地裏の空気。
「…………」
魔術師たちの視線が、ゆっくりとお互いを行き交っていく。
リディヴィーヌの死を目の当たりにして、それが本当の出来事なのか、自分たちはどう動くべきなのか――その確認を行っているのだろう。
大魔術師が殺された……にわかに受け容れがたい情報が、彼らの指針を大いに狂わせていた。
(…………)
数日前のオレであれば……こいつらと同じように、あらゆる予測を並べて疑っていただろう。
しかし、今となってはもう、虚しいほどに確信していた。
倒れるリディヴィーヌから立ち昇ったあの輝きは――もはや二度と取り返すことのできない常命の光なのだ、と。
フォルトゥナは、たしかに……リディヴィーヌを殺めた。
「……――」
己で判断することが容易ではない状況に、ふと、シュブリエが動き出す。
金髪の青年が伸ばした片手から、数滴の雫が落下していく。
疑心に包まれた空間に、滴り落ちる水の音が反響した。その余韻の中から――次第に誰かの声がさざめき始める。
『――ぁ――きこ――るか――!』
ぼやけて聞こえてきた声が少しずつハッキリしていき、数秒後、それは完全に音声として聞き取れるものとなっていた。
水の魔術による通信――その応用で、遠方の音を拾っているのだと理解する。
『――繰り返す、全ての魔術師各位に通達する!』
やがて、緊迫した声が路地裏を響き渡る。
『――大魔術師リディヴィーヌが、三番弟子フォルトゥナの手によって討たれた! 繰り返す――』
「――……!!」
通信の向こう側から告げられた現実に、寄り集まっていた魔術師たちが雷に打たれたように身を震わせる。
「やはり……」「あの方まで……」「最後に言い残したあれは……」
繰り返される通達と、動揺にざわめく声が重なり合って雑音となっていく。
通信の内容から察するに、おそらく……各地でも先ほどの子猿の魔獣が破裂して、同様の映像が流されたのだろう。
そして、誰かがリディヴィーヌの生死を確認し、通達に至った。
「――――」
収拾しそうにない混乱が、一つのかたまりとなって膨れ上がっていく。
そんな、ひどく耳障りな空間を――シュブリエの一声がぴたりと押し止めた。
「やはりこの男は――フォルトゥナと繋がっている」
「…………」
急速に静寂を取り戻す路地裏。
水の魔術による通信が消えて、混乱する魔術師たちの囁きも一斉に鳴りを潜める。
訪れた沈黙が向かう先は、青年が指差す方向――即ち、この場に立つオレに向かって集中していた。
「…………はぁ」
思わず、乾き切ったため息がこぼれる。
……どうしようもない状況には擦り切れるほど遭遇して、もはや慣れたものだと諦めることは何度もあった。
だが、しかし、
「ベルトラン・ハスク――〈禁忌と制裁〉の規律に従い、貴様を処刑する!」
今、この瞬間だけは――どんな状況であろうと、それを受け容れるつもりはなかった。
「「〈炎の息吹よ、吹き荒れろ〉――!!」」
「――……」
シュブリエの宣言と同時、すぐさま魔術師たちが詠唱を重ねて魔術を発動する。
刹那、路地裏をどおっと渦巻く炎の波が、オレに向かって勢いよく押し寄せた。
それらを――風の魔術で上空へと逸らす。
「……お喋りしたい気分じゃないが、お前たちに伝えておくべきことがある」
オレは風の防護壁で炎の侵入を防ぎながら、連携して魔術を唱える連中に言葉を投げ掛けた。
しかし、次に続けようとした言葉を、魔術師たちの詠唱に遮られる。
「「〈ひた走れ、雷光よ〉――!!」」
直後、暗がりを閃く青白い光とともに魔術の稲妻が放たれた。
「――――」
今度の魔術は、さっきの炎よりも素早いものだった。……それでもやはり、遅すぎるのは詠唱だ。
唱えた文言の時点で、次にくる魔術を察することができてしまう。
そうして雷の魔術がこちらに放たれるよりも先に、オレは物質操作の魔術を唱えて、地面から円状の壁を作り上げた。
直撃に散る火花と、砕けて舞う石畳の欠片を見上げながら、オレはもう一度、声を張り上げる。
「聞け、昨日の秘匿会議に参加した連中、その中に作戦の情報を流した奴がいるはずだ。オレを疑うのは結構だが、そっちも調べ上げておけ」
遺跡にて、あの男――リームス・ダルモンが万全の状態で待ち構えていた理由に説明を付けるとすれば、それ以外は考えられない。
返ってくる言葉を察しつつ、オレは一応の説得を試みた。
すると、案の定、
「……それが貴様だと言っているッ!」
予想していた返しとともに、シュブリエが新たな水の魔術を唱え始める。
青年の頭上高くに浮かび上がる、巨大な水の球体。水の帳が幾重に折り重なってできた球体が、果実を思わせる形に肥大化していく。
そんな見たことのない魔術の形態に、オレは一瞬だけ気を取られる。
そして、
「――〈水刃・鳳仙花〉!」
半ば叫ぶように紡がれた詠唱が、上空を浮かぶ水球に変化を与えた。
水球が膨張し、内側に捲れ上がった――次の瞬間、
「ッ!!」
目にも留まらぬ速度で降り注ぐ、水刃の雨あられ。
路地の広範囲が粉砕されて、保全のために展開していた防御結界すらも貫通して辺り一帯をずたずたにする。
その威力を垣間見て、石壁では防げないと咄嗟に跳躍するも、オレを追尾するように水刃の驟雨も移動していく。
着地する地面の端から端が砂場のように崩れていき、先回りするもう一方の水刃の雨がオレの背後にある逃げ場すら崩壊させていった。
後ずさる先を失い、もはや、あと少しで水刃の範囲に入る――そんな状況に追い込まれて、オレは億劫になりながら魔術を唱えた。
「〈氷風〉!」
「……っ!」
狙うは、無尽蔵に水刃を生み出す水球そのもの。
吹き抜ける極寒の風が、向かってくる水刃をことごとく凍らせて、浮かぶ水球をも刹那の速度で凍結させた。
「…………はぁ」
あと一歩の距離に突き刺さった氷の刃を見下ろしつつ、路地裏の向こう側で構える魔術師たちを見据えた。
シュブリエを含む全員が、次の一手を攻めあぐねるように、こちらの動きを警戒していた。
……実力差を分からせるために、あえて遅延魔術を使わずに対抗する魔術で応戦したのだが……それでも、まだあちらに引き下がる気はないらしい。
さすがに付き合い切れないとため息をこぼしながら、オレは背を向けて、物質操作の魔術で崩れた足場を修復する。
路地裏の奥へ足を進めて、背後の魔術師たちに去り際の言葉を残す。
「皮肉を言う気にもなれん。……オレは行くぞ、…………――――っ、ぐっ、ごふっ」
――が、オレの口から飛び出したのは言葉だけではなかった。
一度目は押さえた片手を真っ赤に染め上げる吐血、二度目は……地面に血溜まりを作るほどの大量の流血だった。
(!! ……まずいッ!)
以前に起きた吐血の症状とは違い、今度のそれはすぐに収まりそうな気配がしなかった。
「ぐ……かは……っ!」
身体の内側を暴れ出す激痛が、喉を伝って、全身を赤くしとどに濡らす。
踏み込んだ両足すら力が抜けて、オレは無様に膝を突く。
「……何だ?」「弱ってるぞ!」「何かの反動か!?」
魔術師たちがそれを見て、一斉に攻勢の構えを取り始める。
なおも止め処なく溢れる血を振り払い、遅延魔術を唱えようとして――
(――なん、だと)
魔術発動の前段階で、現象に接続するための回路が歪んでいることに気付く。
感覚的に察したそれを前に、オレは為す術もなく――ついには、地面に両手をついて跪いてしまった。
それを見ているであろうシュブリエの声が、高らかに響く。
「今だ、奴を討て――!!」
咆哮にも似た鬨の声が路地裏を渡る。
並び立つ魔術師たちが一斉に詠唱を行い、浮かぶ青白い文字群が暗がりを爛々と埋め尽くす。
「――――」
動こうにも、ほんのわずかも力の入らない全身に、オレはただ顔を上げる他できなかった。
目の前を占める、全力の一撃だと分かる魔術の光輝を見て――諦念が脳裏を過ぎった。
「は――」
しかし、次の瞬間、
「なっ――」
どこかから飛んできた短剣が、魔術師たちの足元に深々と突き刺さる。
詠唱が乱れたのも、つかの間。
暗がりを割る閃光とともに――衝撃が空間を圧倒した。
「ぐ――!」
狭い路地裏を吹き荒れる爆風。同時に沸き起こった塵煙が周囲一帯を覆い尽くし、視界の全てが強制的に遮られていく。
「なん、だ……これは!?」
と、聞こえてきた声からして、向こうは即座に防御結界を展開して“爆破”を防いだのだろう。
――投げられた短剣に、爆破の魔術を施した攻撃。
身に覚えのあるその奇襲を思い返しつつ、オレは……自分がその衝撃に巻き込まれなかった理由を察した。
「ベルトラン、ここを離脱するから、抵抗しないで」
気配もなく、唐突に背後から囁かれる声。
「…………お前、あの時の女か」
あの時――岩壁の国で、〈先見者〉であるルドヴィックを暗殺しようとする刺客がいた。
結果として、暗殺は未遂に終わり、刺客の女は重傷の末に死亡した――そう表向きは伝えられている。
「跳ぶから、しっかり捕まって」
倒れるオレの身体に回り込む、小柄な女の背中。
近寄る際に見えたその横顔は、少女と言ってもおかしくない程度に歳若い印象だった。
女は灰色の髪を揺らしながら、一回りも大きなオレを背負い――驚きべき脚力を以って、一息に跳躍する。
「チッ、暗殺者を雇ったか――!」
真下へと流れていくシュブリエの怒号。
一瞬にして建物の上に飛び乗った女を、それでも追いすがるような叫びが辺りを反響する。
「――ベルトラン・ハスク! 貴様は必ず処刑する! 魔術師の誇りに掛けて、必ず――」
聞こえていた怨嗟の叫びは、建物の上を走る女の移動に合わせて急速に遠ざかっていった。
小柄なその背中に預けられたまま、オレは力なく問いかける。
「……クロード、だったか?」
「……いいえ、今はクローディアを名乗ってる。あなたが岩壁の国で、私の死を偽装してくれた日からそう名乗ることにした」
岩壁の国で対峙した時の雰囲気とかけ離れている女を背中越しに見つつ、オレは黙って背負われることにした。
建物と建物の間を跳躍しながら、女――クローディアもまた横目にこちらを見る。
「どうしてそうしてくれたのか、分からないけど、でも……恩は返す。どこに行きたいか教えて」
「…………」
女の告げた言葉の意味や含みをしばし考え……オレは緩やかに首を振って、
「……〈神聖なる霊森〉だ」
率直に行き先を告げる。
「分かった」
短い返事とともに、クローディアの走りが加速していく。
…………
『シルヴィ様の居場所は私が護る。だから――フェリスを任せた』
ふと、今はいない同胞の声が頭の中を過ぎる。
(悪い、メリザンシヤ。フェリスを頼まれたのに、今はまだ……その約束を守れそうにない。――だから、代わりにアイツに頼んでおいた)
流れていく街の景色を眺めつつ、高所から……はるか向こうに待つ大陸の中央へ視線を向けた。
たったの一日で喪われたものがあまりに多く、そのことに想いを巡らせるほどの余力もない。
「――――」
やがて、暗くなっていく視界に抗えず――オレは意識を手放した。
【あとかき】
ここまで続けて読んでくださった方、ありがとうございます。
相変わらず更新頻度が遅くて本当にすみません。ぐぬぐぬ唸りながら書いてます。
四章では、ベルトランにとって大切な人が二人も亡くなりました。
その喪失に追い討ちを掛けるようにして、肉体の不調が顕著になり、終盤では遅延魔術の発動すら不発になりました。
……果たしてこの物語はハッピーエンドになるのかなぁ……とか考えつつも、なるべくベルトランにとってハッピーエンドになるように書き進めたいと思ってます。
次章では、エピローグにて出てきたクローディア(二章で登場した暗殺者です)とベルトランが行動をともにし、〈神聖なる霊森〉でミリオールと合流します。
一方、もう一人の弟子と一緒に行動することになったフェリス。
〈言葉の女神〉マナヴェリアと接触を図ろうとするベルトランと、〈制裁の術師団〉に身を置くこととなったフェリスのそれぞれの物語が進行する予定です。(変更するかもしれないです)
最後に、リアクションや評価をしてくださり感謝です、モチベになりました。
次もなるべく早く書けるようにがんばります。
まだの方は感想やブクマ、評価やリアクションなどお待ちしています。




