17:エピローグ 常花 2/3
「フォルトゥナ……あなたは……自分が何をやっているのか、分かっているのですか」
荒野の先に見えた光景を前にして、私の声は震えていた。
そこには大勢の……百人以上の魔術師の死体があった。あらゆる手段と魔術によって虐殺されたのだと分かる、大地に刻まれた凄惨な傷跡を一瞥して、正面を振り向く。
砂礫の地面に埋もれた大きな岩の上を、場にそぐわない風貌の男が座っていた。
夥しいほどに横たわる赤黒い景色の中、少しの汚れもない真っ白な聖職衣を揺らしながら、男――フォルトゥナが顔を上げる。
「分かっていますよ、リディヴィーヌ様。……私が犯してきた罪も、これから犯そうとしている罪も」
曇天に色褪せていく荒野に、感情の見えない声が静かに響いた。
色も、温度も、形さえも失っているような――そんな、透明な声。
かつて見たフォルトゥナと寸分も違わないはずなのに、その白はやはり白ではなく……何色も宿さない無色になってしまったのだと、実感した。
「…………」
でなければ――これほどの大勢の犠牲を生み出して、平然としていられるわけがない。
無言で佇む私に視線を合わせながら……フォルトゥナが懐から小瓶を取り出す。そして、
「〈魂魄よ、寄り集え〉」
彼は短い詠唱とともに、その小瓶を掲げる。
すると、周囲に折り重なって倒れている死体の上から――陽炎に似た半透明の輝きが、ゆらゆらと立ち昇っていく。
一つ一つを見れば儚い輝きも、百を超えれば、まるで夜空に広がる星光のように幻想的な輝きとなって、それらは一斉に小瓶へと吸い寄せられた。
濃縮された輝きが、小瓶の中で爛々と光を放つ。……今しがた殺されたばかりの魂の群れであると知らなければ、ずっと見ていたいと思えるほどに、強く美しい光だった。
小瓶を片手に持つフォルトゥナが緩やかに首を振る。
「ご存知でしょうが、現在、『魂』を視ることができる人間は極々小数に限られています。
……〈識眼の神〉ノスバロールに選ばれて、今も生きている人間は大陸においてたったの三人。リディヴィーヌ様、白幻の国の王ソロモン、〈神聖なる霊森〉の当主ロザ・ダヴォー。……私はこの意識掌握の魔術によって、擬似的に輪郭を捉えているだけに過ぎません」
絶え間なく揺れ動く小瓶の輝きが、フォルトゥナの顔に複雑な影を差す。
彼の茫洋とした瞳を見つめて、私は一番に聞きたかったことを問いただす。
「何が目的ですか。なぜ、罪のない人々を殺すのですか。……あなたは、そんなことを許せる人間ではなかったはず」
私が知る、かつての弟子の姿を思い出しながら、疑問の言葉を投げ掛ける。
すると、一瞬――フォルトゥナの表情がぴくりと動き、口元が小さく歪んだ。しかし、ほんのわずかな変化もすぐに無表情となって、彼は話を続けた。
「見ての通り、魂が欲しいからですよ。魂を集め――〈大真理の器〉を起動させて、ある人を蘇生させることを計画しています」
頭上へするりと伸ばされた手。その背後に、強烈な気配が生じた。
それは遠い過去――幾度となく肌身に感じた、旧友の鮮烈な存在感だった。
「! アリギエイヌス――」
いつの間にか、灰色にくすんでいく空の下に……夕焼けとも見まがうほどに巨大な、赤い瞳が浮かんでいた。
上下左右、ぐるりと周囲を一巡していた視線が、ひたと、私へ強く向けられた。
赤い瞳が、歓喜するようにぐにゃりと歪む。
しかし、
「いいえ、これは討伐作戦で私の意識に混在した“魔女の残滓”に過ぎません。これを現世に呼び起こすような〈禁忌〉を犯すつもりはありません……ご安心を」
そう告げた瞬間、フォルトゥナの掲げる手が何かを閉じ込めるようにして、強く握り締められた。
それと同時に、空に浮かんでいた魔女の気配が――霞のようにぼやけて、霧散していった。
「…………」
つかの間の緊張に、私は言葉を失いそうになりながら、かろうじてフォルトゥナを見る。
彼は何事もなかったかのように、大きな岩の上に腰を下ろしたまま、話を続けた。
「――心優しい女性が一人、ある町で反信奉者の集団に殺されました」
「…………」
「彼女の両親は信奉者でしたが……娘である彼女は違った。敬虔なマナ教徒として、身寄りのない子たちの世話を日々の癒しとするような、そんな女性が……虚偽の罪に問われて、尊い命を奪われたのです」
フォルトゥナが語る。
その女性については過去に一度、彼から少しだけ話を聞いたことがあった。
自分が受け持つ教会に、定期的に足を運んでくれる親切な女性がいる、と。
そんな風に、フォルトゥナが自分の私生活について師である私に打ち明けてくれる機会はとても少ない。だからこそ――亡くなったその女性が彼にとって、何にも代えがたい存在であったという事実に今となって気付く。
熱のない口調はなおも言葉を続けた。
「私が発見した時には、……とうに腐り果てて、原型は残っていなかった。いえ……腐敗する以前に、彼女は口にするもおぞましい拷問の果てに亡くなっていた。魂もろとも、反信奉者の集団に凌辱された上で餓死していました」
「だから、大勢を犠牲にして……その方を蘇らせたい、と?」
「はい」
淀みなく肯定するフォルトゥナ。
「永遠の国も、アリギエイヌスも、……そんなものはどうでもいい。ただ、彼女――イングリッドを蘇らせたい。私の目的はそれだけです、リディヴィーヌ様」
最後の言葉を話の区切りとするように、フォルトゥナが両手をパンと叩いた。
次の瞬間、血生臭い荒野に現れる――多くの新たな気配。十、二十……三十と、ぞくぞくと気配が濃くなっていき、フォルトゥナの背後に人影が集まっていく。
そこに現れた全ての人影に、私は見覚えがあった。
「! まさか……意識掌握の魔術を、〈賢者の会衆〉の魔術師たちに使ったのですか」
魔術師界における上位の魔術師の集まり――〈賢者の会衆〉。
彼らが共有する、『師も弟子も持たない』という信念……それは“心に隙を生まないように”との理由から掲げられていたものだった。
そんな彼らが、今――両目から血を垂れ流しながら、フォルトゥナの後ろに控えていた。
「本題です。彼らはあなたを本気で殺そうとしている。そう意識を改変させた。――彼らにはあなたがアリギエイヌスの姿として映っています」
「!!」
途端、視界いっぱいに広がる魔術の青白い光輝。
照らし出された荒野に浮かぶ傷跡が、その上に倒れ込む大勢の亡骸が――いったい何者の手によって為されたのか、その答え合わせだった。
そんな彼らもまた、死者のように虚ろな顔をして幾列にも並び……両目から一筋の血を流し続けていた。
「意識掌握による誘導は、対象の精神に……いえ、“脳”に多大な負荷を掛けます」
物憂げそうな視線をこちらに向けて、フォルトゥナが淡々と語り出す。
「彼らの脳は今、選択を迫られている。目の前の現実と、私によって植え付けられた現実の不一致に処理が追いつかず、ありとあらゆる生命活動が矛盾の精査に優先されて、命の危機に瀕しています。
故に、生き残るためにはどちらかの現実を選択しなければならない」
「ッ――フォルトゥナ!!」
私は堪え切れず、彼に向けて魔術を唱える。
眼前にひしめく有り様と、その受け入れがたい状況を作り出した張本人へ、鋼の花弁を射出する。
しかし、花弁の鋭い切っ先が彼に届く寸前、周囲に響く詠唱によって展開した防御結界が、押し寄せる攻撃からフォルトゥナを守った。
広がる結界の奥で、微動もせずに私を見る白い男。
「どんな魔術を以ってしても、彼らを殺す以外に無力化することはできない。私の“意識掌握”がそれを許さない」
「――……自分がどれほど冒涜的なことをしているか、あなたは理解しているのですか。魔術師の品格を、人としての尊厳を――どれだけ踏み躙るつもりですか」
「彼女が蘇るその時まで。必要ならば、どこまでも」
いささかも動じていない様子で、男が粛然と言い放つ。
目的を果たすためならば、大陸に住まう全ての命を薪として焚べることも厭わない――そう冷めた瞳が物語っていた。
短い静寂を経て、視界に広がっていた魔術の輝きがさらに強まる。空に滲むほどの眩い光輝が私を照らし、フォルトゥナに濃い影を落とす。
「…………」
もはや、防ぐことなど不可能だと分かる波状攻撃の気配を前にして……私は構えを解いた。
それを見届けたフォルトゥナが、祈りを捧げるように、ゆっくりと瞼を下ろす。
「……あなたはまさしく大魔術師の名に相応しい方でした。強く、気高く、太平の世を築き上げた魔術師として、年代記に刻まれて然るべき偉才です。……ですが、この精鋭三十名の魔術師を一人で相手取るには、歳を取り過ぎた」
膨れ上がっていく青白い光の群れが、一斉に私を捉える。
避ければ、彼らは死ぬ。避けなければ、私が死ぬ。
告げずとも余儀なく迫られた二つの選択に、私は――無抵抗をもって答えとした。
次には、
「放て」
フォルトゥナの合図とともに、この大地を焦土にせんと降り注ぐ大量の爆光――その集中砲火を目の前に、私は大声で叫んだ。
「――よく聞きなさい、フォルトゥナ! 師として、あなたに教えなければならないことがまだ一つ残っています。他の弟子にはすでに教えていましたが、あなたには不要だと、そう思い違いをしていたものです!」
灼熱に塗り潰されていく荒野。
叫びなど掻き消えてしまうほどの轟音と衝撃の中心で、それでも私はフォルトゥナを見つめながら、届けたい言葉を発する。
たとえ、大陸を戦渦に貶める重罪人であろうと。たとえ、今から私を殺そうとしている背徳者であろうとも――私の大切な弟子であることに変わりはないから。
焼け付く喉を振り絞り、空白に染まる視界を振り払い、フォルトゥナを見る。
そうして、
「――正しい魔術の使い方を教えましょう」
師としての、最後の言葉を告げた。




