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遅延特化の陰険魔術師(ベルトラン)  作者: 伊佐木ソラ
第四章 錬金術の国

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15:最奥魔術 〈空間転写〉


【ベルトラン視点】



「――どうやら、オレの助けがいるみたいだな、メリザンシヤ」


 爆風によって煙る視界を晴らして――遠くで倒れ伏す姉弟子に声を掛ける。


「…………はっ」

「息も絶え絶えだな。……すまん、来るのが遅れた」


 オレはそう言って、メリザンシヤを引き千切ろうとする“土人形(ゴーレム)”だけを遅延状態から解除して、即座に魔術で粉々にする。


 それを眺めるもう一人――リームスがこちらに視線を移して、首を(かし)げた。


「はて……遺跡の自動修復をいったいどうやって(くぐ)り抜けた?」


 純粋な興味を持ったように、(いま)だ余裕のある態度でオレを見下ろすリームス。

 中央に設置された〈霊杯(エリクシール)〉の近くまで歩きながら、オレは男の質問に答える。


「簡単な話だ。壁を壊して、塞がる前にまた壊して進む。その繰り返し。魔力の消耗がバカにならんやり方だが、効果はあった」

「……ふっふっ、いやはや、君の執念を見くびっていたよ、ダリウス」


 高い足場の上から聞こえる(わら)い声を無視して、地に伏すメリザンシヤの隣で立ち止まる。


「少し待て。オレが治療魔術を掛けるから、競合(きょうごう)を避けるためにも一旦お前の魔術を止めろ」

「…………」

「……意地を張るな、あの日の借りを返すだけだ」


 メリザンシヤは無言でしばらくオレを見つめると、やがて……治療魔術を解除した。


 それを確認して、治療魔術を唱える。同時に防御結界を展開し、〈破邪(はじゃ)の護符〉によって効果のないオレは範囲の外に立つことにした。


仲睦(なかむつ)まじい光景だ。しかし……遅延魔術による足止めは何の意味もないと、数刻前にその身を()って体験したはずだが」


 リームスが上空にて、加速の魔封具(まほうぐ)を取り出す。

 〈遅延の檻〉によって一時を引き伸ばされた空間を元の速度に戻そうと考えているのだろう。

 オレはそれを鼻で笑い、ゆっくりと上を向いた。


「爺さん、何か勘違いしてないか」

「ん? ……――お、や」


 魔封具を覗き込んだリームスの視線が、驚きに揺らぐ。


「使ってみろよ。……()()()()()()()()()()なら、な」

「………………なるほど。君がわざわざ結果の分かりきった行動に出たのは、次の戦闘を予測しての布石だったというわけか」


 余裕そうな笑みを浮かべていたリームスの表情が、そこで初めて――警戒と殺意の色を宿した。


 あの時、落とされた下層でリームスに放った遅延魔術は、たしかに加速の魔封具によって相殺(そうさい)された。しかし、魔封具はそれ自体が持つ魔術の効果は受け付けない――その法則を利用して、オレは確実にリームスの一手を潰すことを選んだ。


『効果は装着者に限定して付与されるものだ。この魔術遺産自体にその効果は及ばないのだよ』


 昨夜のダヴィッドの言葉から思い付いた戦法だが、どうやら、加速の魔封具でも成功したようだった。

 遅延状態になった魔封具は、オレが解除しない限りは使用できない。


「今や、この最下層全体が遅延状態になったわけだ。お前が自由に動かせる物体はどこにもない。……おっと、オレがさっき空けた穴もちゃんと塞いでおいたから安心しろ。これでどこからも、お前の物質操作による侵入はできない」

「…………ふっ、用意周到だな」

「お前を殺すって決めたからな。逃げるなよ、ジジイ」


 オレがそう宣言すると、しかし、リームスは肩を揺らして嗤った。


「たしかに君の遅延魔術は強力だ。だが、ここはすでに支配領域の魔術によって私の“領域”となっている。無尽蔵(むじんぞう)に物質を生成できる――この一点だけでも、君に勝ち目はない」


 男の両手が印を作ると、同時に三つの『(てのひら)』が同じ動きを辿り始める。


 どういう原理か、遅延魔術の影響を受けないそれを使って――この空間に無から物体を作り出そうとしているのだろう。

 だが、


「――爆ぜろ」


 オレの命令に従い、無詠唱で発動した爆破魔術が――リームスの背後を火炎と衝撃で打ち砕いた。


「…………な」


 魔力の残量を考慮しない最高威力が『掌』に衝突し、三つともが一瞬で……壁から崩れ落ちる。


 そのまま、地面に落下した『掌』の残骸に向けて遅延魔術を唱えると、オレはもう一度、リームスを見上げた。


「もう一回言うぞ。……逃げるなよ、ジジイ」

「……馬鹿な、今の君のどこにそんな桁外れの魔力が…………、まさか」


 リームスの視線が、オレの背後へと移る。


「…………」


 オレの背後に展開する防御結界――その内側でオレに魔力を送るメリザンシヤを、リームスが見た。


「……いやはや、豪胆(ごうたん)という他ない。リディヴィーヌの弟子を相手取るのは一度につき一人まで、と……いい勉強になったよ」


 勝手に納得する男を無視して、オレは落ちた『掌』を指差す。


「支配領域の魔術の根幹(こんかん)はその補助装置だろ。お前が作り出した領域とやらは、無機物に対して何にでもできるのかもしれないが……魔力の消耗はゼロじゃない。物質生成に(ともな)う詠唱もそうだ、それをゼロにしていたのが後ろの『掌』。……その『掌』無しに、オレの攻撃を防ぎながら物質生成ができるか? 無理だよな」


 挑発を交えつつ、相手の反応を(うかが)う。

 この状況、下手に先攻すれば相手に逃げる隙を与えかねない――その危惧(きぐ)を踏まえて、オレは男を見据えた。


「…………」


 リームスが無言のまま、こちらを睥睨(へいげい)する。

 すると、持っていた杖を、カツンと足場に突き鳴らした。


「……どうやら、本腰を入れないと同じ(てつ)を踏みかねないようだね」


 そう言うなり、リームスは突然、外套(がいとう)の裏側を晒すように広げて見せた。

 そこには――見える限りでも、ざっと二十はくだらない数の魔封具が吊り下げられていた。


「元来、私は他人の魔術を盗むのが本業でね。“魔人”の研究をアリギエイヌスに任される前、私はこう呼ばれていた――〈魔盗爵(まとうしゃく)〉と。……だが」


 リームスが右手を払うと、その動きに合わせて魔封具が一斉に宙へと踊り出す。


「〈破邪の護符〉の効果によって、今の君に魔術は効かないんだったな。ならば、こうしよう」

「っ――」


 次の瞬間、男の前にずらりと並んだ魔封具が、結晶体の弾丸となってオレへと降り注ぐ。


「〈旋風(ウェントゥス)〉!」


 襲い来る魔封具を前にして風の魔術を発動し、驟雨(しゅうう)のごとく殺到するそれらをまとめて()ぎ払う。

 続けて、唱えるのは物質操作の魔術。


(――砕けろッ!)


 物質操作による〈膨張〉の発動によって、辺りに吹き飛んだ多くの魔封具が粉々に砕け散る。

 そのまま、男に視線を移して――


「……!」


 追い撃ちの魔術を唱えようと見上げた先、そり立つ足場にいたはずのリームスの姿はそこにはなく――


(……強化魔術か!)


 咄嗟(とっさ)に振り返り、両腕を盾にして構えると、


「少し遅いな」

「っ……!」


 いつの間にか背後にいたリームスの蹴りをかろうじて受け止めるも、その重たい一撃に全身が後ろへと押し出されてしまう。


「ふっふ、今度は今の君にできない“身体強化の魔術”が使えるという一点で追い詰めるとしよう。年寄りだからと侮らない方がいい……ぞっ!」


 老紳士の()で立ちから想像も付かない身軽さで、次から次へと足蹴りを放つリームス。


 魔術による身体能力の向上で一つ一つの攻撃に重みが増して、それらを防ぐオレの腕が(きし)みを上げる。

 だが……


「〈氷の槍(ハスタ・グラキエ)〉!」


 瞬時に足場に展開した“水源”から、鋭い氷の柱を突き出す。


「おっと」


 それを避けるために後退するリームス。が、距離を取ると予測していたオレは、すかさず魔術を唱える。


「――凍れ!」

「……!」


 男の背後に展開していたもう一つの“水源”を、足が接地した瞬間、氷の魔術によって凍らせる。

 即座に両足を覆った氷の拘束に、リームスが目を見開く。


「ほう……近接戦闘であれば大それた魔術は唱えないと踏んだが……君はこうした小賢(こざか)しい真似も得意だったな」

「さっきの戦闘で学習しとけ、ジジイ。ご自慢の魔封具も全部壊されて、さてはお前アホだな?」

「ふっふっ……それはどうだろうか!」


 リームスがニヤリと口元を吊り上げた瞬間、周囲の魔力に異変が生じる。


「な――」


 振り向くよりも先に、視界の端に映りこんだのは――先ほど砕いた魔封具の欠片だった。

 一片や二片、いや、それどころではない――砕いた魔封具全ての欠片が、オレに向かって殺到していた。


(チッ――領域内だから、できるのかッ)


 自分の判断の過ちに気付き、急いで風の魔術を発動しようと意識を集中させる。


 物質操作の魔術が操れる対象には、魔術師本人の才覚によって大小さまざまに分かれる。

 だが、操る対象の量……例えば土砂の山のような大量の物体であれば、それは才覚の有無にかかわらず、一つの方向性にのみ操作が限定されてしまう。


 操るという行為そのものが脳に与える負担を考えれば、当然といえば当然なのだが――しかし、


(支配領域の魔術は、空間を限定して世界の法則から外れる背理(はいり)の魔術。当然なんて言葉は、意味を成さない――)


 ただの十数個ほどなら当たって切り傷で済むが、オレが粉々に砕いた魔封具の欠片はおよそ数百以上。

 それら一つ一つが、一寸の狂いなく、あらゆる角度から中心に立つオレへと――針山のごとく殺到する。


「ッ、〈旋風〉――」

「〈圧縮(コンプリミス)〉」


 多少の怪我を覚悟して唱えようとしたオレの魔術よりも先に、背後から聞こえた詠唱が、紙一重の距離に迫る周囲の欠片を地面へと()し返した。


 地面の上で欠片がより粉々に、砂粒ほどにすり潰されていくのが見えて、オレは乾いた笑いとともに振り返る。


「……もう動けるのか。相変わらず、化け物だな」

「……治療魔術を唱えながら戦うお前よりはマシだ」


 ついさっきまで倒れこんでいたはずのメリザンシヤが、オレの隣までよろよろと歩きながらそう答えた。


 メリザンシヤに治療魔術を発動しているオレの感触から言えば、まだ歩ける容態ではないはずだが、姉弟子はそんな様子を微塵(みじん)も顔に出さずに歩みを進めていた。


 その勇ましい姿に、リームスもまた驚嘆したのか、短く息を吐いた。


「ふっ、このままでは私の負けが濃厚だな……どうにも困ったものだ。……まだ()()()は使いたくなかったのだが」


 そう言って、外套の内側に手を伸ばそうとするリームス。


「させるか――」


 刹那(せつな)、男の立つ地面から(ほとばし)る泥。外套に()わせていた男の手首が、その一筋の泥に絡め取られて両腕ごと拘束される。


 続けて遅延魔術を発動し、再度、泥の動きを干渉不可の遅延状態へと転じさせた。


 そうして(またた)く間に(はりつけ)のような姿勢で固められたリームスが、やや呆れた表情でゆっくりと足元を覗き見た。


「……まったく君は、多彩なのか一辺倒(いっぺんとう)なのか」


 限定的な遅延状態の再発動と、男が立つ石畳(いしだたみ)の地面を泥状に変化させての拘束の一手。

 オレは素早くリームスの眼前に迫り、


「さっさとくたばれ――クソジジイ!」


 心臓付近の左胸に掌を叩き付けて、今度こそ確実に仕留めるために、爆破魔術を唱える。


 リームスの胸郭(きょうかく)が煌々と閃いた直後、凄まじい熱風と衝撃が発生して、弾ける空気が術者であるオレごと外側へ吹き飛ばした。


「っ……!」


 全身に叩き付けられた爆風にたまらず身を(ひるがえ)し、浮き上がる足を何とか地面に接地させて体勢を整える。


 爆破の衝撃によって地下空間を覆っていた遅延状態もわずかに揺らぎ、天井からいくつもの砂礫(されき)が零れ落ちていた。

 一帯を巻き上がる塵煙(じんえん)の帳の中……オレは口元を押さえながら、前方を見据えつつメリザンシヤに声を掛ける。


「……はあ、これで借りは返したよな?」

「…………」


 そう言って返事を待つも、メリザンシヤは無表情で立ち尽くすのみだった。

 もはや気力が限界なのか、顔面を蒼白にさせて、汗を(にじ)ませつつ沈黙する姉弟子に、オレは肩をすくめて――すぐさま身構える。


 うっすらと晴れてきた視界の先、爆発から一向に魔力の反応が感じられなかった向こう側に……いるはずの老紳士の姿がなかったのだ。


 さりとて、周囲にもその姿は見当たらない。

 だが、オレはそんな異常を推理するよりも先に――過去の経験がもたらす“直感”に従って、真横に跳躍(ちょうやく)した。


「!!」


 直後、オレが立っていた地面の下から、巨大な()()が突き上がる。


「な――こいつは」


 遅延状態のはずの足場をすり抜けるようにして高々と伸びる尾針と、遅れて……リームスの声が空間を響き渡った。


「錬金術の国が〈真理の器〉で“魔人”を創り出そうとしていたという話は、フォルトゥナから聞いているかね」


 しゃがれた声が地の底から響く。

 どこまでも他者を見下す傲慢さと、果てしない欲望を(にご)らせたような悪辣(あくらつ)な声だった。


 対面で応じた時よりもいや増して伝わる、リームスという人間の醜悪な根本に、オレは状況を忘れて硬直する。


「魔獣と人を融合させた、理性ある強靭(きょうじん)な生命――成功した例はほんのわずかだ。君はそのわずかな内の一人だが、残念ながら本質とは程遠い」


 再び尾針が地面に潜行し、声は地面から石壁へ、石壁から天井へ――地下空間を縦横無尽に駆け巡り、やがて、空間全体に反響していく。


 人の身では決してあり得ないその状況に、全容を目にするまでもなく、敵の正体が何者であるのかを察してしまった。


 そして、前方に声が止まり、リームスが告げる。


「ゆえに真理をお見せしよう。私の渾身の研究成果だ――とくと目に焼き付けたまえ」


 宣言と同時、地面から這い上がってきたのは――人間の背丈を優に超える甲殻の巨体。


 地下空間の四分の一を占めるほどの巨大な全身が、遅延状態の地面を通過して、オレたちの前に現れた。


「……!!」


 巨大な(はさみ)、柱のように太い大脚、頭部に露出した眼球――そして、歪に盛り上がった背甲から見えた、リームス・ダルモンの顔貌(がんぼう)


 腫瘍(しゅよう)のごとく膨れ上がったその人面が、おぞましい笑みを浮かべて嗤う。


「これこそが四大禁獣――“大蠍(おおさそり)”の魔人化だ。

 遅延魔術など何の意味もない。時間も空間も何もかも、この超越した生命の前では無意味。さあ――存分に足掻きたまえ、(いや)しき駄肉(だにく)たちよ」


 脚部を(うごめ)かせながら、こちらを迎えるようにして大きな二つの鋏を開くリームス。


 はち切れんばかりに震え出す大蠍の眼球と、肉を裂きながら、三日月のように口端を吊り上げて狂笑する老人の顔。


 あまりにも冒涜的なその姿に、さすがのオレも吐き気を(こら)えずにはいられなかった。


「何が“魔人”だ……魔獣そのものだろこれは」


 もはや、それは『人の姿をした怪物』ではない。正真正銘の“怪物”だった。


 こちらが魔術を唱えんと身構えるわずかな隙に、魔人化したリームスがまたも巨大な全身を地面へと潜り込ませる。

 咄嗟に真下の地面を警戒するも、異様な気配は足元を通り過ぎて、背後にある――〈霊杯(エリクシール)〉の方へとひた走った。


「――ッ――!」


 察するオレと同じく、いやそれ以上の速さでメリザンシヤが振り向き、即座にシルヴィの元へと走り出す。


(クソ……狙いはそっちか!)


 魔人化したリームスは、おそらく大蠍の特性を備え持っている――現状では遅延状態は何の意味も成さない。そう読んで、オレは空間の遅延状態を解除する。


 疾走するメリザンシヤがシルヴィを抱き抱えた瞬間、


「ふっふっふ――そぉら!」


 地面から巨大な尾針が突き上がり、端末である寝台ごと巻き込んで――〈霊杯(エリクシール)〉に針の先端が激突した。


 破砕の轟音とともに、明滅する装置の光が次第に薄れていく。続けて、崩れた装置の部品が落下し、周囲を瓦礫(がれき)と砂埃が舞い上がった。


「チッ、メリザンシヤ……!」


「おっとすまない、〈霊杯(エリクシール)〉は君にとって大切なものだったろうに……だが、これで延命の夢を見ずに済む。感謝したまえ」


 嗤いながら、再び地面へと潜行する魔人。だが、


「――――」


 半壊した〈霊杯(エリクシール)〉のそば――収まらぬ塵煙の中に浮かぶ人影を見て、オレは心中で安堵の息を吐く。

 〈霊杯(エリクシール)〉は壊されたが、まだ最悪の状況ではない……はずだ。


 地下空間をぐるりと旋回する狂笑に囲まれながら、両腕にシルヴィを抱き抱えたメリザンシヤがオレの方へと歩いてくる。


「…………っ」


 その身体はもはや、崩壊寸前だと分かるほどにボロボロだった。今の一瞬、全力でシルヴィを抱えて回避したのがかろうじて使えた最後の力だったのだろう。


 立つことすら危うい状態の姉弟子に、オレは掛けようとした言葉を飲み込んで、代価の計算を始める。


(……残りの寿命、どれくらい削ればこいつを仕留められる、か)


 今も狂ったような声を上げ続けるリームス・ダルモン。その声は人間だった時よりも強く、歓喜と悦楽を乗せた凶暴さに満ち(あふ)れていた。


 この怪物を確実に()ち倒すための算段――己が持つ全ての魔術を行使すべきか、そんな風に考えていると、


「私が()()……ベルトラン、お前はもう下がっていい」


 背後から聞こえてきたその発言に、オレは眉をひそめて振り返る。


「おいおい、頭でも打ったか、そんな状態で戦えるわけないだろ」

「これを受け取れ」


 オレの言葉を聞いているのかいないのか、メリザンシヤは皮肉に構う余裕すらなさそうに、何かをこちらに投げてきた。

 片手で受け止めたそれに視線を落とす。


「鍵?」


 なんてことはない普通の鍵だ。装飾も造形も見覚えのある、普遍的(ふへんてき)な形をした、ただの鉄の鍵。


「それを持って、〈神聖(しんせい)なる霊森(れいしん)〉へ行け。……お前の余命が残りわずかなのは、察していた」

「……!」


 メリザンシヤが告げた真相に、オレは思わず声を詰まらせた。


 それを聞くに(およ)んで、ようやく――メリザンシヤが魔封具を盗まれても気付かぬ振りをし続けてきた訳を理解したのだ。


 自分が利用していたのではなく、恩情によって救われていた事実に、言葉を失う。


 覚束(おぼつか)ない足取りが、オレの脇を通り過ぎていく。

 (あか)い髪を揺らす長身の背中が、とっくに決めていた覚悟を見せるように、(りん)として立ちはだかる。


「私が、この最奥(さいおう)魔術を以って――奴を討つ」


 メリザンシヤの宣言に対して、


「死の間際にお喋りとは悠長なものだ――ふっふふフハハハッ! 下だァ! 下ァ! 足元ががら空きだぞ!」


 雄叫びのような哄笑(こうしょう)を放ちながら、リームスの声が地面を揺らす。


「……ッ!」


 おぞましい気配を直下に感じて、オレはすかさず視線を足元へと向ける。

 だが、その気配の性質がついさっきまでとは別物であるという異変に気付き、


「ッ――」


 顔を上げた際に、視界に映るメリザンシヤが見つめていた頭上を、オレもまた振り向く。


 そこには――天井に垂れ下がった尾針から大量に降り注ぐ、毒液の濁流(だくりゅう)があった。

 そして、それがすでに、自分たちの頭上近くに迫っているという悪夢のような光景をまざまざと眼中に収めて、


「――――〈空間転写(フトゥリ・マーゴ)〉」


 ひたと空間を流れる魔術の一節が、その光景から“時間”という熱を奪い去った。


(――――な)


 眼を見開いて、オレは周囲を確認する。


 頭上に迫っていた毒液が、そのまま空中で固定されたように形を変えず、そこにあった。


 火花を散らしていた〈霊杯(エリクシール)〉も、薄く塵煙を舞い上げていた地下空間のあちらこちらも、数秒前と打って変わって――今は何の変化も見せなかった。


 凍ったように時を止めた空間を、オレとメリザンシヤだけが動いているようだった。


「……なん、だ……これ」


 急速に色褪(いろあ)せていく世界の中で、オレの困惑する内心が、内心で留まらずに言葉となった。

 オレの前に立つメリザンシヤが、ゆっくりとこちらを振り返る。


(メリザンシヤ)の本質であり、(メリザンシヤ)という魔術そのものだ」

「…………、?」


 オレは意味を理解できず、呆然と姉弟子を見つめる。


 ふと、そんなオレを置いてけぼりにするように世界が反転して、真っ白に染まっていく。

 次の瞬間、周囲の輪郭(りんかく)が移ろいで――なぜか鋼花(こうか)の国の城下町の景色が視界を占めていた。


「……これは」


 異様な状況を前にして、もはや、脳裏に浮かぶ疑問すらも凍り付いてしまった。


 オレの記憶にない場所の、オレの記憶にない時間の、オレの記憶にない人々の光景。

 だからこそ、考えるまでもなく察することができた――これはメリザンシヤの記憶の残滓(ざんし)である、と。


「ルグリオ――私の母は、死んだわけではない。あの日、〈言葉の女神〉マナヴェリアと契約して、自らを魔術そのものへ昇華するに至ったのだ」


 滔々(とうとう)と語り出したメリザンシヤに合わせて、景色が幾度も昼と夜を過ぎていく。

 目まぐるしく移り変わる城下町の光景が、ぴたりと動きを止めた。


「母はアリギエイヌスを討つため、無辜(むこ)の人々を救済するために……肉体を捨て、魂を魔符(スペル)に変換した」


 映し出された景色の中心には、三人の親子の姿があった。

 仲睦まじく微笑(ほほえ)み合う、庶民的な装いの母と姉妹。だが、一瞬の仕草に表れる気品は、質素な外套では隠し切れぬ育ちの深さを漂わせていた。


 姉の手を握る少女があどけなく笑う。母親の影に隠れるようにして歩きながらも、しかし、好奇心に揺れる澄んだ紫の瞳はどこかで――いや、これは……


(シルヴィ王女殿下……?)


 城下町を軽やかに進む三人とは離れた場所に、護衛らしき姿がちらほらと見えた。おそらく、お忍びというやつだろう。

 そんな目を引く光景とは別の一角に――もう一組、記憶の光に照らされた親子が存在していた。


 今度は両親ともに二人の子供を連れ歩く、城下町の日常によく馴染む四人家族だ。

 通りを行き交う人々の中に溶け込みながら、なお素朴(そぼく)な温かみを宿す、ありふれた庶民の家庭。


 ふと、弟の手を引く少女に視線が留まった。後ろに(くく)られた亜麻色(あまいろ)の髪と、純真さに満ち溢れた青い瞳――見覚えのあるこの少女は、もしや……フェリスだろうか。


「どうして、こいつらの幼い頃が……」

「生物の構造は記憶の集合体だ。そして、記憶は魂と密接に繋がっている――」


 メリザンシヤが言い終わる直前、世界が暗転した。

 瞬きのような明滅を数回繰り返した後――最初に視界に飛び込んできたのは、石畳をべったりと覆う鮮血の色だった。


 続けて、耳をつんざく数多の悲鳴。安寧(あんねい)に包まれていたさっきまでの光景が(はかな)くも崩れ去り、映し出された記憶の中心には、二人の返り血に塗れたまま呆然と立ち尽くすシルヴィと、弟を抱き抱えて震えるフェリスの姿が浮き彫りとなっていた。


「……この()()が、私を形作った記憶というわけか」

「……っ……」


 空間に映し出された記憶と、メリザンシヤの過去にどんな繋がりがあるのか、詳しいところは分からない。


 だが……ほんの一瞬、聞こえた最後の言葉には……深い悲哀(ひあい)の余韻があった。

 いつ何時も冷静であり、無表情を常とする姉弟子が決して見せることはなかった、“弱み”のような感情。


 世界がまたも白く染まっていき、周囲の景色が変化する。白い靄が晴れて見えた景色は、元いた現実の地下空間だった。


 時が止まったままの空間で、メリザンシヤがゆるりと頭を振る。


「母もまた、今の私と同じく魔術そのものとなって、多くの人々に天啓(てんけい)をもたらした。結果として、魔女アリギエイヌスの討伐が果たされた」

「……じゃあ、オレが今話しているお前は魔術だっていうのか」

「そうだ」


 きっぱりと言い放ち、シルヴィを抱えたままのメリザンシヤがこちらを振り向いた。

 その切れ長の瞳が、揺らぐ。


「ベルトラン。私はもうすぐ――消滅する」

「――……な」


 あまりに率直な一言に、告げようとした言葉を失い掛ける。


 導き出されたその結論も、それを粛然と受け入れている姉弟子の態度にも、オレは理解が追い付かない。 


「待て、オレはお前を助けにわざわざここまで来たんだぞ。ここでお前を助けられなかったら、まるでオレがバカじゃないか」


 頭に浮かぶ想いとは裏腹に、皮肉が口を()く。

 それでもメリザンシヤを止めなければならないという衝動が、胸の奥にふつふつと沸き起こっていた。


 自分でも驚くほどに――オレは今、こいつの消える未来が耐えられなかったのだ。

 だというのに――


「ふっ……バカだろう、お前は」


 一度だって目にしたことはなかった、姉弟子の微笑みが……あまりにも儚く、美しかったから。


 抗うための道筋も、状況を(くつがえ)さんとする論理も、説得も主張も弁説も……ありとあらゆる言葉が解けて、宙を舞い、


「――――…………はは」


 オレもまた、思いがけずに笑ってしまった。

 …………


 一呼吸置いて、抱えていた少女をオレに預けるメリザンシヤ。

 寝息を立てている少女――シルヴィの穏やかな顔を覗き見て、小さく頷いた。

 そして、


「シルヴィ様の居場所は私が護る。だから――フェリスを任せた」


 メリザンシヤの輪郭が、ぼやけていく。


 光の粒子が全身を覆い、空に向かって昇りながらその形を崩していく。


 託された願いに対して、返す言葉すら聞き()げずに――メリザンシヤという存在が、消えた。


(…………、これは)


 最後の瞬間――弾けていく光の中に一つだけ、紅い宝石のような純然とした輝きがあった。


 一切の知識もなく、一切の経験もないのに――オレはそれが『魂』なのだと知覚した。

 一人の、高潔な魔術師の魂だったのだと理解した。


「――――ぁ」


 メリザンシヤの消滅とともに、やがて、静止していた世界がゆっくりと動き出す。


 頭上にあって固定されていた毒液が、凍っていた時間を溶かすようにして流れ落ちていく。


 オレに降りかかるまでの距離が縮まるほどに、元の速度へ近づいていく。


「――――」


 その場を逃げることもできただろう。

 だが……そうする必要はないと、オレは確信していた。

 

 地下空間に、誰かの詠唱が響く。




「――未明(みめい)の彼方を写し取るもの。

 神綴(しんてい)の秘奥、万象の織り目を踏み破るもの。

 

 〈空間転写(フトゥリ・マーゴ)〉――天上の世界(メリザンシヤ)




 何者も及ばぬ、(たっと)き詠唱が紡がれた――刹那。


「……!」


 頭上に迫っていた毒液が霧散して、熱に追い払われるように空へ消えていく光景を見た。


 それで終わりではない。


 石造りの地面に亀裂が走り、壁面はまるで千年の風を浴びたかのように砂と化し、さらさらと崩れ落ちていく。


 天井もまた抜け落ちて、地上へと繋がる全ての覆いが消え去り――地下に光が射し込む。


 陽射(ひざ)しが地面に触れた瞬間、花々が芽吹き、つぼみが膨らみ、一斉に咲き広がった。季節が駆け足で巡り、死んだ世界に彩りを取り戻すかのように。


 遺跡そのものが、別の空間へと書き換えられていくようだった。


「――――」


 悪夢に似た地下空間が(あわ)く崩れて、時の流れは夢のごとく加速していく。

 そんな光景のただ中に――ひとつだけ、異質な影があった。


「………………ぁ…………ぁあ…………っ、?」


 崩れ落ちた天井とともに、ずるりと這い出てきたのは……かつて人であったものの残骸だった。


 皮と骨だけを残して、歪んだ肢体(したい)を花の間に横たわらせるそれは……さっきまで、オレたちと戦っていた相手。


 信奉者(しんぽうしゃ)の幹部である、リームス・ダルモンの成れの果て。


「………………な…………にが、おき、……た…………?」


 異形の喉から、無理に絞り出したような、聞くに()えない声が漏れる。

 時の奔流(ほんりゅう)に取り残されて、存在を捻じ曲げられた男の、これ以上なく空虚な問い。


「――…………」


 敵は敗れて、危機は去った。

 それでも……オレはしばらく動けぬまま、様変わりした地下空間を立ち尽くしていた。


 たっぷり一分弱……遺跡に満ちる清らかな空気を肌身に感じながら、ふと、その違和感に気付く。


「…………瘴気(しょうき)が、消えた」


 息を吸う度に、肺を纏わり付くように感じた不浄の空気がそこにはなかった。


 ……試しに、〈破邪の護符〉を外してみることにした。

 シルヴィを抱き抱えたまま、オレは器用に片手だけで指輪状の遺物を取り外す。


「…………」


 何も起こる気配はなかった。肺を満たす空気は相変わらず透き通っており、その変化はこの遺跡だけに留まらず、都市全体にも及んでいるような……そんな気がした。


「わが……ぁ……ある…………じ……」

「………………」


 呆然としているオレのそばで、亡者の呟きが足元を流れた。


 視線を向ければ、その近くには〈銀の欠片(ミスリル)〉が転がっているのが見えた。

 魔術に巻き込まれたのか、地下空間の中央にあった〈霊杯(エリクシール)〉は影も形も見当たらない。


 それを確認して、もはや、ここにいる理由もないことを知った。


「…………ぁ……る…………じ」


 〈銀の欠片(ミスリル)〉を拾い、亡者の前まで歩みを進める。


「…………」


 そいつは救いを求めるようにして、歪み切った腕を必死にオレへと伸ばしていた。


 慈悲を乞い願うように。希望に(すが)り付くように。


 今に至るまでの過程が脳裏を過ぎる。


 ……何の権利があって、誰の許しがあって――そんな我執(がしゅう)(まか)り通るというのか。


「…………――」


 気付けば、オレは足を大きく振り上げていた。


 魔術も、技能も、一切合切……関係なく。

 ただ、


「――――死ね」


 心に突き動かされるまま――オレはその足を振り下ろした。


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