11:メリザンシヤの過去
後悔だった。
それは、泣かなかったという後悔。
誰に禁止されていたわけでもない。悲しいのに、仏頂面のまま泣かずに強がる私を抱き締めて、たった一度、“涙を流してもいいのだよ”と教えてくれた母の温もりを余すことなく受けながら、なお泣くことができなかった。
そんな自分の、下手糞な生き方に対する――途方もない後悔が、今も、私という全身にこびり付いていた。
「おや、メリィ、来ていたのかい。もう夕食は食べたかな?」
「…………」
祭壇の前で、振り返った母が優しく尋ねる。
父アダムの訃報から数日後、聖堂は相変わらず――いや、以前よりも多くの信者が救いを求めにやってきていた。
母――ルグリオの“神託”を聞くために毎日のごとく、足を運んで来ているらしい。
魔女とその信奉者たちがもたらした戦渦によって混迷する世界情勢に……行き場のない不安を覚えた人々が、こうして日夜を問わず、母に〈言葉の女神〉マナヴェリアの声をせがんでいるのだ。
「メリィ?」
「…………」
私は母の言葉に答えずに、じっとその顔を見つめ続けていた。
痩せこけた頬と、目の下に沈む濃い影。鮮やかだったその紅い髪は梳く暇もないのか、乱れた毛束が色褪せながら首筋に垂れていた。
預言の儀式は体力の消耗が激しいと、側近の者が言っていたのを思い出す。
しかもそれは正確に聞こえるものではなく、集中して、意識を研ぎ澄ましてやっと、一つの問いの答えが聞こえてくる程度のものだと、過去に母が冗談交じりに教えてくれた。
「…………」
見れば、母の体力が限界に近いのは明らかだった。あと一日も続けようものならば、過労で倒れてしまってもおかしくはない。
にも関わらず、信者たちは列を成して聖堂に押し掛けていた。己の不安を紛らわせるために、母の憔悴した姿など一瞥もくれずに。
「…………どうして」
「? メリィ?」
「……どうして、お母様は頑張るの」
首を傾げる母に、私はそんな取りとめのない疑問をぶつける。
――最愛の人を失ったばかりなのに。友人にも裏切られて、護るべき居場所はもうどこにもないのに。
預言の儀式だけじゃない、魔女の討伐作戦にも母は協力しているという。聖女を支持する魔術師たちが一方的に担ぎ上げて、母の能力で全てを解決させようとしているらしい。
私には分からなかった。なぜ、そんな無関係な人たちのために、命を削ってまで頑張ろうとするのか。
母の想いが分からない。そんな疑問を正直にぶつけると、
「――誰かを助けられる力があって、それを使わないのは意地悪だろう?」
そう言ってやはり、母は優しい眼差しを向けて、私の頭を撫でた。
「アダム――お父さんも、たくさんの人を護るために戦っていたよ」
「…………違う」
「え?」
「……お父様は、お母様のことを護るべきだった。他の人なんて知らない…………お母様だけを、護るべきだった」
「…………」
俯く私に、母が屈んで目線の高さを合わせる。
そして、ふわりと――温もりが私を包み込んだ。
「……感情の表出が下手なのは私譲りだね、メリィ。……――辛かったら泣きなさい、うんと泣くんだ」
「…………」
「泣くことは弱さじゃない。自分のために泣くことも、誰かのために泣くことも……それは苦しさを乗り越えるために必要なことだよ」
真剣な声音でそう諭す母。私を抱き締める両腕は、子供の自分でも驚くほどか細かった。
それでも、言葉から、温もりから伝わってくる母の魂は――どんな鋼よりも固く、何ものも侵しがたい純真さに溢れていた。
しばらくして、母が私から腕を離すと、その首に吊り下げていた飾りから一本の鍵を取り外す。
「……どうして頑張るのか、だったね。そうだねえ……私が魔術師だから? あとは――」
ふと、私の俯く顔をゆっくりと持ち上げる手。
上向く視線が捉えたのは、幼いながらに一度も見たことはなかった――母ルグリオの美しい笑顔だった。
「メリザンシヤ、あなたを護るために。あなたのいる未来が、あなたの住まう世界が――優しい居場所であり続けるために」
そう言って、ゆっくりと、手の内に握っていた鍵を私に差し出す。
「本当に護りたいものを見つけたときは、〈神聖なる霊森〉という場所へ向かいなさい」
「……?」
「今はまだ、難しい話かもしれないね。だから、あなたが大きくなった時にもう一度、思い出してほしい」
「メリィなら、誰かを護る騎士のような――立派な魔術師になれるさ」




