04:少女の休日
「フェリスちゃん、もうすぐスープが出来上がるから、外で作業している二人を呼んできてくれるかい?」
「あ、はい! 分かりました」
暖炉の近くから聞こえた女性の声――アラベルおばあさんの言葉に返事をして、私は玄関の方へと向かった。
地面に敷かれた藁を踏み越えて、玄関の脇にある小窓から外の様子を覗く。
「オラスさーん、こっちに運べばいいんですか?」
玄関のすぐ近くで、弟――リュカの声が響く。
幼い身体に両手いっぱいの割られた薪を抱えて、納屋の前に立つ人影に声を掛けていた。
「おお、そこでいい。入り口の邪魔にならんところにドカッと置いておいてくれ」
それに対して、快活な調子でオラスおじいさんが薪割りの作業をしながら返答していた。
昼間の内に農作業を終えた二人は、こうして夕方には薪割りや家畜小屋の掃除を始めるらしい。その作業を私も手伝うと言ったけど、二人は私の提案を断った。
年に数回しか帰って来られない私にそんな雑務をさせるわけにはいかない、と。
私は少しだけ申し訳ない気持ちになりつつ、扉を開けて二人に声を掛けた。
「リュカ、オラスおじいさん、お疲れ様です。夕食の準備ができましたよ」
「むっ、飯か。リュカ、今日の仕事は終わりだ」
「やったー! 飯、飯!」
土塗れの腕を広げて、リュカが嬉しそうに玄関に雪崩れ込む。そのまま私の横を通り過ぎたかと思いきや、リュカは素早く私の手を掴んで居間へと引っ張る。
「ほら、姉ちゃんも早く!」
「わわっ、行くから引っ張らないで……そんなにお腹空いたの?」
「姉ちゃんが帰ってくる日は夕食が少し豪華なんだもん!」
「少しとはひどいな、まあ事実だが。はっはっはっ」
後からやってきたオラスおじいさんが笑いながら、水に浸していた布で両手を拭う。
「ちゃんと泥は取ったか、リュカ」
「あ、忘れてた!」
二人が玄関の前にある桶で手を洗っていると、居間の方から香ばしい匂いが漂う。
アラベルおばあさんの呼ぶ声とともに、私たちは食卓の席に移動した。
「明日はお父さんとお母さんに会える日だよね!」
スープを飲み干したリュカが、私を見上げながらそう言った。
嬉しそうなその表情に、私もまた穏やかに笑いつつ返答する。
「そうだね、今年もちゃんと挨拶してこようね」
“お父さんとお母さんに会える日”――両親の命日を、私たちはそんな風に呼んでいた。
前に暮らしていた実家までの距離は、ここから歩いて五日ほど。
簡単に行き来することができないその場所へ、一年に一度だけ、メリザンシヤ様の魔封具を使って帰省する――それが“お父さんとお母さんに会える日”だった。
「お二人が私たちを引き取ってくれなかったら、こんなに穏やかな生活は送れませんでした」
「それもこれも、メリザンシヤ様が引き合わせてくれたおかげさ」
オラスおじいさんが懐かしむように遠くを見つめる。
――信奉者の襲撃から私と弟を守ってくれた日の数日後、農家である二人のもとにメリザンシヤ様が直接頼み込んだのだ。
何の縁もない、通り掛かった時に助けたというだけの子供のために、メリザンシヤ様は色んな人のもとを訪ねて、私たちの里親になってくれるように頭を下げてくれた。
メリザンシヤ様が手を差し伸べてくれなかったら、こうして屋根の下で食事をすることもできなかったはずだ。弟の笑顔を再び見れる奇跡なんて絶対に起こらなかっただろう。
私はあの人に何もかも助けられて生きてきた。だから――
(騎士になって、メリザンシヤ様の助けになること。それが私の……一番の目的)
今はまだ実力不足でも、この弓の腕を鍛え続ければ、いつかきっと。
「そういえばフェリス姉ちゃん、最近ベルトランって男の人と付き合ってるんでしょ?」
「っ! けほっけほっ」
隣から突然の味方撃ちに思わずむせる。
「な、何言ってるの、そんなわけないでしょう。ベルトランさんは、リディヴィーヌ様のお弟子さんなんだよ?」
「だって最近ずっと、ベルトランベルトランって、話すとその人の名前ばっかだもん」
「う、うぅ……」
ちょっと呆れた様子で言われると、さらに恥ずかしい。
私の動揺する姿が面白かったのか、オラスおじいさんがにやりと笑ってこちらを見た。
「ほう、どんな男だ。言っとくが、わしはフェリスちゃんを大切な娘のように思ってるからな、中途半端な野郎に渡すつもりはないぞ」
「違いますからー!」
前半の言葉は嬉しかったけど、それでもやはり否定しなければならない。
そもそも、ベルトランさんがどんな男の人かなんて――
(…………あれ、そう言えば私……ベルトランさんのこと、何も知らないかも)
オラスおじいさんの言葉で、ふと気付く。
最近、隣にいることが当たり前のようになっていたのに、私はそんな相手のことを詳しく知らない。
知っているのは、彼がリディヴィーヌ様の弟子だということと、元信奉者という暗い過去を持っていることだけ。
「…………」
「どうしたの、フェリス姉ちゃん」
「え、あ、いや、なんでもないよ」
リュカの言葉に、ぼーっとしていた意識を現実に戻す。
食事の手を再開すると、食卓の話題はもう明日の帰省の話に変わっていた。
(……聞きたいことはたくさんある。でも、メリザンシヤ様もベルトランさんもきっと、話したがらない)
それとも、私が相手じゃ話したくないのかな。
そんな風に一人で悶々と考えを巡らしていると、不意に、玄関の方から大きな音が響いた。
続けて、扉を激しく叩く音が聞こえてくる。
「おい、ここに信奉者の女が逃げて来なかったか!」
「!!」
男性の怒鳴り声とともに、扉は外からの強い衝撃に負けて――三人の侵入者を中へと迎え入れてしまう。
怒涛の勢いで居間に上がり込んできたのは、松明を片手に武装する男性三人組だった。
「なんだお前らは!」
すぐさまオラスおじいさんが立ち上がり、私たちを庇うようにして前に進み出る。
「我々は脱走した信奉者の女を追走している。もしも匿っているようならば、お前たちも信奉者の仲間として――」
家の中を見回していた男性の声が、警告を言い掛けて途切れる。
見れば、目の前でオラスおじいさんが鍬を持って――怒りに肩を震わせていた。
「あんな穢らわしい者どもと一緒にするな!!」
「……!!」
おじいさんの激昂に、三人組が気圧されてわずかに後退する。
その叫びには一切の偽りもなく……心の底から信奉者を嫌悪しているのだと分かる強い怒りが全面に表れていた。
男性たちはしばらく押し黙って、それから入り口の方に踵を返す。
「……信奉者を見つけたらバルナルのシャトー会に報告しろ、それでは」
それだけを告げて、三人組は扉を開けたまま……陽が落ちて暗くなった外に消えていった。
「…………ふう」
オラスおじいさんが鍬を下ろして、壁に立て掛ける。
男性たちと入れ替わるようにして、家の奥から――裏庭にいたであろうアラベルおばあさんが慌てて居間にやってきた。
「な、何の騒ぎだい?」
「隣町の奴らだ。逃げ出した信奉者を追って、ここまで来たようだ」
おじいさんがゆっくりと腰を下ろしながらそう答える。
震えるリュカを抱きしめつつ、私は二人に質問を投げた。
「さっきの人たちは……」
「反信奉者の連中だよ。最近、信奉者が活発になってるらしいから連中も殺気立ってるみたいだ。……よりによって、わしらを奴らと疑うとはな」
普段、笑みとともに優しげに刻まれる深い皺が、今は……忌まわしい相手を憎む負の形相に歪んでいた。
「すまんなフェリスちゃん」
「……私は、大丈夫です」
短くそう答えて、窓の外を見つめる。
真っ暗な闇に映し出された自分の表情はひどく沈鬱で、腕の中にいるリュカにはあまり見せたくない顔だった。
(……ベルトランさんは、大丈夫かな)
信奉者の動きが活発になれば、反信奉者の動きもまた活発になる。
人を騙して罪を犯し、人を疑って罰を与える。
まるで十五年前と同じように――大陸にまた暗い影が落ちようとしている気がして、私はもう一度、リュカを強く抱きしめた。




