04:監視
「セヴランの魔術師嫌いは病的だな。よほどアリギ……魔女に対する禍根が深いようだ」
城内の長い廊下を歩きながら、オレは背後を付いてくる少年に紋章の装飾品を投げて渡す。
少年は慌ててそれを受け取ると、おそるおそるとした声音で尋ねる。
「あの、本当に……あんな嘘を付いてよかったんでしょうか?」
「うん? ああ、あんなものは嘘の内に入らない。安心しろ」
オレは少年の方を振り向きながら、器用に後ろ歩きで廊下を進む。
「いいか、よく聞け。お前たち村の人間は二十前後の魔獣を目撃して、村の外れにある礼拝堂に避難した。これをそのまま伝えるのはあまり効果的じゃない、避難が完了しているなら危機感は薄いからな」
「だけど、これは? この紋章は遠い昔に騎士様から頂いたというだけの装飾品ですよ……」
「戦乱の時代に先代の王が色んな奴らに借りを作っていたのは有名な話だ、どうせバレやしない。相手を信用させる上で必要なのは――」
その先の話を続けようとして、突然、オレの視界の端に奇妙な――空間の歪みが音もなく現れたので、足を止める。
ゆらゆらと立ち昇る陽炎のように地面と天井の間の景色を屈折させたかと思いきや、次には――何の前触れもなく、あるいは何事もなかったかのように、その場には一人の女が立っていた。
「? ……ひっ!?」
オレの視線を追って振り向いた少年が突飛な声を上げる。
現れたのは、先ほど会ったばかりの王女の従者、メリザンシヤだった。
空間を奇妙に揺らしていた歪みは鮮やかな紅色の長髪に変わり、冷たく無感動な眼差しがこちらを向いていた。
「どうやら……さっきの嘆願にはでたらめが混じっているようだな、ベルトラン」
「でたらめ? おいおい、大げさだな。ちょっと話を盛っただけだろ?」
「王に対して虚偽の報告をすることはすなわち反逆罪に値すると、その壊れた頭でも理解できると思っていたが……ただの思い違いだったようだな」
「はっ、相変わらず口が悪い」
笑って受け流そうとしたが、メリザンシヤの向ける視線は刃のように鋭いままだった。
その風貌に似つかわず、この女の口は悪い。外見は細かな装飾を除けば、聖職者の身なりに似た黒の装束を纏っているメリザンシヤだが、精神性は過激な処刑人と言った方が正しいだろう。
リディヴィーヌが持つ、オレを含めた六人の弟子――国王によって黒百合の徒と呼び慣わされた集団の中でも、メリザンシヤは特段に“正道”に対する執着が凄まじかった。そのせいで、一部の騎士たちと衝突することも多いと聞く。
とにかく、この女と相対して問答をするのは面倒だ。俺は自分の目的を思い出して、メリザンシヤの前に手のひらを出した。
「まあ落ち着け。せっかく、ついさっきあの耄碌……頑固者のセヴランの反対を押し切ることができたっていうのに、続けてお前と言い争いをするのはさすがのオレでも音を上げたくなる。ここは一つ、正義のためと思って見逃してくれ」
「その手は、なんだ」
「ついでにお前の魔封具を貸してほしい、の手だ」
「…………」
オレの言葉を聞いて、無感動だったはずのメリザンシヤの目は、どうしようもないほどの侮蔑に満ちた色を隠しきれずにいた。目の奥に蔑みの闇が滲み出ている。リディヴィーヌのもとにいた頃から知っていたが……これは心底、嫌われているな。
さすがに無理か、と出していた手を引っ込めようとして――その手のひらに、やや大きめの石ころほどの何かが乗せられる。
それは水晶のような見た目と形をした、魔術の封じ込められた結晶体――魔封具だった。
「堕落の権化であるお前が何をしようとしているかなど、私には興味はない。だが……腐ってもリディヴィーヌの弟子だ。ついでに魔獣を討伐するくらいのことはやってみせろ」
「おお、助かった。渡りに船というやつだ」
「戯言を抜かすな。……連中を煽るような真似をして時間を稼いでいたようだが、私の“空間魔術”を当てにあんな失態を演じていたのだろう。……いや、違うか。お前には失う面目などない。そもそも、存在が失態のような男だ」
「…………」
あまりにも辛辣すぎる。最低最悪を自称するオレだが、この女の言葉は時おり耳を塞ぎたくなる。
ふと、隣の少年を見ると、オレたちのやり取りが不可解だったのか、唖然とした表情のまま成り行きを見守っていた。
そんな様子を見て、ここで時間を使いすぎるのはさすがに酷だな、とオレは渡された魔封具を懐にしまい、会話を切り上げようと背を向ける。だが、
「待て。……お前に監視を一人、付けることにした」
「……ん? 何だ? すまん、もう一回言ってくれ」
「お前に監視を付ける、と言った。耳孔の掃除でもしながら正門で待っていろ。……長くは掛けない」
メリザンシヤは一方的にそう伝えると、現れた時と同じく瞬く間に――その場から姿を消し去った。
残されたオレたちは、お互いに顔を見合わせる。
「…………まあそういうことらしい。さっさと正門に行くとしよう」
「あっ、はい……」
不安そうに頷く少年の肩をぽんと叩き、オレたちは再び城の外に向かって歩き出した。
「あの、どうして……僕の村を助けようと思ったんですか……?」
城の出口に向かう途中、後ろを歩く少年が小さな声で尋ねる。
急にどうした、と返そうとしたが、ここに至るまで幾度もオレの評判を耳にしてしまったのだから、それも当然の疑問だろうと納得する。
オレは肩をすくめつつ答えた。
「金が欲しいからな。さっきの王との取引で、オレは金貨十数枚を条件にお前の村を救うことを約束した。しかし、まあ、父親の隣に王女様がいなかったら難しかったかもな」
「………………お金が貰えなかったら、助けなかった……とか?」
「ん?」
か細く呟いた少年の不安そうな言葉に、オレは後ろを振り返る。
視線が合うと、少年はハッとした表情で顔を上げて、それから苦笑した。
「す、すみません。何でもない、です」
「ははっ、安心しろ。金だけじゃオレは動かない」
オレは首を振りながら、廊下の横合いを流れていく外の景色に目を向ける。
「お前の村の状況を聞いて、少し気になったことがある。それを確かめるついでに、報酬が貰えれば万々歳ってだけの話だ。もちろん、魔獣討伐はきちんとやるぞ。魔獣の被害を無視するほどオレも悪魔じゃない」
「そう……ですか」
オレの返答を聞いた少年は数秒の間を置いて、弱々しく頷いた。
そして、ついさっきオレが返した――あの紋章を大事そうに両手で握り締めると、何かに祈るように俯きながら、歩みを続けた。
敬虔な信徒を思わせるそんな所作を見て、不意に、弟弟子の一人を思い出す。
「…………」
村で助けを待っている家族のことを考えているのだろう。憂鬱そうな気配からも、焦る気持ちが伝わってきていた。
(オレの気掛かりがただの杞憂なら楽でいいが)
――――“信奉者”の残党、そんな言葉が脳裏を過ぎる。
少年の焦りと同じく、オレにとっても貴重な時間の浪費は避けたいところだった。できれば、何の面倒事もなく報酬を得たい……が。
オレは少年から視線を外して、前方に見えてきた城門に向き直った。




