02:孤児院
物静かな街道を進んでいくと、やがて小さな町の入り口に到着した。
門番や監視の姿は見当たらない。もしもオレが野盗の類だったならば、きっと小躍りしながら町に侵入するだろう。
それほどまでにのどかな土地――言い換えれば、辺鄙な田舎町だった。
(コーデルロスが言っていたのは、ここか)
“大討伐”の日、風の魔術師――コーデルロス・バルトがオレに伝えてきた情報。
『ところで……一年ほど前に“篝の夜警団”という過激派の反信奉者集団が虐殺された事件は知っているか』
『その噂曰く――突如現れた白い男が、過激派の全員を殺した、と』
「…………」
町にある家屋の数を見れば、住人はそれなりにいる様子だが……
(こんな場所に、本当に反信奉者のねぐらなんてものがあるのか)
オレがここに来る以前、噂の出所を探るために岩壁の国の冒険者組合で情報を聞き出した結果、辿り着いた場所がこの町だった。
反信奉者のねぐらと聞いて予想していたのは治安の悪い区域だったのだが、その予想に反して、着いた場所がこんな穏やかな町だったことには正直、驚きを隠せない。
「さて……目的の場所は、と」
周囲を見渡せば、町の中は一般的な家屋が軒を連ねているばかりで、目立つものは特段ない。
精々、町の端っこにマナ教の礼拝施設が建っていることぐらいしか――
「……おいおい、まさか、あそこか?」
視線を向けた先、住居が立ち並ぶ一角にやや大きめの教会がぽつりと建っていた。
マナ教と分かる装飾と、入り口に置かれた色鮮やかな花壇がすぐに目に入った。
すれ違う住人の怪しむ表情を無視しつつ、オレはその施設に近付いていく。
そして、入り口にある表札を見て足を止める。
(……孤児院?)
どうやら、教会と孤児院を兼ねている場所のようだった。
町にある他の建物と比べて、この施設だけが新築のように外装が綺麗な状態だったから、ここかと目星を付けたのだが。
もしや、反信奉者の連中が全員死んだことで、元あった建物を壊して一から教会を建て直したというのだろうか。
だとしても、わざわざそんな場所に教会……それも孤児院を作ろうなどと考えるものか?
(まあいい、とりあえず入るか)
遠巻きにこちらを見てくる住人たちの視線から逃れるように、オレは施設の扉を押し開けて中へと入った。
扉の先に進むと、教会の中は外から見たよりも思いのほか、こじんまりとした造りとなっていた。
数列分の会衆席を隔てた向こう側は、鮮やかな色付き窓とともにマナ教の象徴が掲げられていた。その下を数本の蝋燭と、四角に区切られた質素な祭壇がある。
オレが中に入った瞬間、来訪者の存在に気付いた様子で――神父らしき男がこちらを振り返った。
「おや……珍しいですね、旅の方ですか?」
「まあ、そんなところだ。一つ尋ねたいことがあってここに来た」
オレの返答に対して疑問を浮かべる神父に、一年前に起きた事件のことを話す。
ふと、話を聞いていた神父が暗い面持ちで、片手に持つ書物を祭壇の上に置いた。
そして、ぽつりと呟く。
「――悲惨な事件でしたね」
「つまり、ここで起きた出来事なのは本当なのか」
「はい。詳しい事情は聞き及んでおりませんが、一年前までたしかにここは――反信奉者思想の人たちが寄り合う集会所だったようです」
神父が話しながら、周囲を窺うように教会の中をくるりと見回す。
壁の向こうから、子供たちの声が聞こえていた。おそらく、孤児院としての居住空間が他にあるのだろう、そこに暮らす子供たちの賑やかな声が祭壇にもわずかに漏れ聞こえているようだった。
そんな子供たちに聞かれたくないのか、神父は念入りに周囲を確認してから、打ち明けるように事件の話を続ける。
「……彼らが虐殺されたというのは本当です。犯人はその三日後に捕まって、すぐに処刑された……私はそう聞いています」
「そうか、ところで――白い男については知っているか?」
続けざまに質問をすると、そこで、神父が困惑の表情を浮かべた。
「白い男? 服装がでしょうか」
「いや、知らないならそれでいい」
「は、はあ」
神父が戸惑いつつ、オレの服装をちらりと覗き見た。
よほど世間に疎いものでなければ一目に“魔術師”だと分かる黒法衣の装いだが、しかし、神父にオレを警戒する気配はあまりなかった。
(町の入り口といい、住人といい……他所の人間がやってきても平然としているのは何だ…………いや、もしやそういうことか?)
無警戒な町を不思議に思った矢先、オレは事件の被害者である反信奉者集団の名前を思い出す。
当時、虐殺されたのは“篝の夜警団”――もし名前の通りであれば、本来は町の警備を務めていた連中が発足した集団こそが、それだったのではないだろうか。
警備をする者がいなくなった町がそれでも野盗の被害に遭わずに存続していられる理由もまた、皮肉なことに猟奇性の高い事件の噂が広まったおかげ……と、そんなところか。
一応、武器の類は身に付けていないので、オレに対する警戒が低いのはそこまでおかしなことではないが。
「――ところで、こんな場所によく教会を立てようと思ったな」
話題を切り替えると、神父は「ああ」と頷いて背後を振り向いた。
「ある方から教団に、この場所で教会を建ててほしいと要望がありまして」
「ある方? そいつは誰だ」
「残念ながら、名前も顔も存じ上げてはいません。ですが教団曰く、熱心なマナ教徒の女性が一人、この近くで不幸にも命を落としてしまわれたとか。その死を悼み、ここに教会を作ってほしいとその方は打ち明けたそうです」
神父が沈鬱な声音で事情を話す。
ふと、教会の外から――不釣合いな騒ぎ声が聞こえ始める。子供たちの楽しそうな声だった。
その無垢な響きを話の区切りとした神父が、祭壇に置いた書物を再び手に取る。
「悪いな、時間を取らせて。……これは最後の質問なんだが、その死んだ教徒の女の名前は知ってるか」
オレの質問に、別室へ向かおうとしていた神父がくるりと振り返った。
「ええ――イングリッドという方ですよ」
教会を出ると、すぐ近くからはしゃぐ子供たちの声が飛び込んできた。
視線を向ければ、花壇のそばで追いかけっこをしているのか、ぐるぐると円を描くようにして走り回る子供たちの姿があった。
孤児院と聞いて思い浮かぶ光景の中では、一番に理想的な姿だ。
オレは入り口に立ち尽くして、そんな子供たちの遊びをぼんやりと眺めつつ――思考する。
(フォルトゥナはここに来ていたのか? ……ダメだな、まるで行方の手掛かりがない。掴めた情報はたった一つ……よく分からない女の名前だけ、か)
そもそも――リディヴィーヌの三番弟子、フォルトゥナについて知っていることがほとんどないのだ。
オレだけじゃない、他の弟子の面々も同様にフォルトゥナの素性を詳しく知っている者はいないはずだ。
「…………」
それは無関心だったとも言えるし、単なる配慮であったり……“聖者”という二つ名に対する信頼だったとも言える。
名誉も探究も求めない穏和な人格。降り落ちる白い雪のように、潔白な生き方と純真な心を持った魔術師。
白い男――その人生の色が本当は何色だったのかを、オレたちは知らずにいた。
だからこそ、未だこの男が行方知らずでいることもまた、必然なのかも知れない。
「……はあ、さっさと帰るか――――ごふっ、」
教会の敷地から出ようと一歩を踏み出したのも、つかの間。
唐突に、喉をせり上がってきたものを堪えきれずに吐き出して……オレは目を見開いた。
――地面を染める、大量の赤色に。
「きゃああああ!!」
「うわあ! 男の人が血ぃ出してる!!」
隣で遊んでいた子供たちがオレを見て、一斉に悲鳴を上げる。
その叫びを聞いて我に返ったオレは、胸元から小型の懐中時計を取り出した。
急いで中を確認するも、時計の針は一切と動いていない。肉体に施した“制約”は今も効いているという証拠だった。
ということは。
(チッ……もうそろそろ、マズイか)
肉体を遅延状態にした上で、なお、その限界が近付いているということ。
「! 大丈夫ですか!?」
子供たちの悲鳴を聞いて駆け付けたのか、教会の中から神父が慌てて飛び出してきた。
神父だけではない、町の住民たちもぞろぞろと集まってきて、様子を窺うようにこちらを見る。
介抱しようと差し出してきた神父の手を断り、オレはゆっくりと立ち上がった。
「ああ、大丈夫だ。すまないな、……気持ちの悪いものを見せて」
神父の後ろで震えている子供たちに向かって謝罪の言葉を残して、オレはその場を離れる。
刺すような視線を背後に感じつつ、来た道を戻るように、町の入り口を抜け出した。
人目を避けて街道を進んでいると、道の端に――小さな水溜りを見つける。
なんてことはない普通の水溜りだ。その水溜りが、わずかに波紋を浮かべていること以外にはおかしな点はない。
「…………」
オレが近付くと、波紋はさらに大きくなっていき――やがて、水面にある影を映し出した。
それは水の魔術における投影、何者かによる遠方からの通信だった。
「ようやく見つけましたよ、ベルトラン・ハスク」
水面に現れた金髪の青年が、冷めた声でそう告げる。
知らない顔だった。投影から見えるその服装はどうにも魔術師のようだが……
オレはそこで少しばかり沈黙を挟んで、返事をした。
「借金の返済ならもう少し待ってくれ、必ず返す。そうだな、あと一ヶ月くらい先になるかもしれないが」
オレの言葉を受け取った金髪の青年が、実に不愉快そうな表情で顔を歪める。
童顔なのか、やや幼くも見える瞳をこれでもかと細めて、侮蔑の感情をこちらに向けた。
「僕は金貸しではない――〈制裁の術師団〉、審問魔術師のシュブリエ・グランポルカです。大討伐の一件であなたに聴取を行いたいので、今すぐ“審問所”まで出頭してください」
「“今すぐ”? おいおい、そこに行く足なんて持ってないぞ。他の連中はともかく、オレはメリザンシヤに嫌われているんだからな」
水面を見下ろしながら、両手を広げて抗議の姿勢を示すと、金髪の青年が「はっ」と鼻で笑った。
オレの言葉をでたらめだと確信しているのか、今度は青年――シュブリエが沈黙を挟み、そしてふっと、水面から姿を消した。
疑問に思うも、つかの間。
「ではどうやって――その村にお前は移動した」
そんな言葉とともに、次に水面を現れたのは……鮮やかな紅い長髪の持ち主だ。
騎士たちにも並ぶ長身と、冬の湖面を思わせる無感情で切れ長の瞳、聖職衣に似た漆黒の装束を纏う――リディヴィーヌの弟子の一人。
オレの“姉弟子”に当たる魔術師の女、メリザンシヤだった。
「……はは、バレていたか?」
思わず乾いた笑いを漏らすと、メリザンシヤが静かにこちらを見下ろした。
「無論だ。貴様の浅はかな盗みに気付かないほど間抜けではない」
ぞっとする声音が波紋を広げる。
水面を見下ろしているのはオレの方だというのに、そんな物理的な状況を軽く覆して……メリザンシヤの睨みはいっそ天地が反転したかのような錯覚すら生み出した。
冷酷な視線を向けるこの女を前に、自分の心臓がまだ胸に在るという保障はどこにもない。心音すら居場所を忘れて止まってしまいかねない恐怖があった。
そんなオレの冷や汗を察しているのかいないのか、メリザンシヤは数秒、オレを見据えて……小さく首を振った。
「それを使ってさっさとこちらへ来い」
圧のある言葉を残して、水面に映っていた紅い長髪が横手に移動する。
そうして、メリザンシヤの背後にあったのは、建物の出入り口らしき一角。聖女の彫像が置かれた巨大な門前――“審問所”の玄関であった。




