01:混乱
「あ、あがっ、……うおええええ!!」
「いだい、いだあい!!」
「うぐっ、ぐああああ!!」
――その広場の中心は地獄絵図と化していた。
大勢の老若男女が、まるで空気をひっ掻くように、じたばたと手足を動かしながら地面を這いつくばっていた。
口元から大量の血と泡をこぼして倒れ伏す男。唐突に身に湧き起こる激痛から半狂乱に呻く女。
親の名前を泣き叫びながら蹲る子供たち。その傍らで、すでに動かなくなったたくさんの人々。
「――――」
鴉は見ていた。身動き一つせず、その光景を見守るように、ジッと。
そんな中、
「…………うふふ」
阿鼻叫喚に染まる広場の片隅で、一人の女が見惚れるような表情で微笑んでいた。
青白い光の陣を足元に浮かべながら、もがき苦しむ住民たちを眺めて喜んでいるようだ。
この惨状を作り出したことにとてつもない悦楽を覚えているのか、甘い吐息すらも吐いて、死にゆく住民たちをうっとりと観察している。
「――――」
そんな水砦の国の状況を確かめて、次の視界に切り替える。
続けて見えたのは、黒月の国の城下町。
普段ならば商人たちの賑わいに活気付いている大通りが、今は混乱に溢れかえっていた。
「――魔獣だ!! 全員避難しろ!!」
「兵士や狩猟隊はまだか!!」
「西門は閉まってるはずだ、こいつら、どこから侵入してきたんだ!?」
慌てふためく人々を背に、武器を構える冒険者たち。その視線の先では、三十以上の魔獣が無秩序に押し寄せていた。
狼の魔獣、鳥の魔獣、一角馬の魔獣……多種多様な魔獣が、血塗れた姿で町を闊歩している。
そんな魔獣の群れの背後には、破壊された建物の残骸に混じって、たくさんの死体が散り散りに転がっていた。
「……さて、どう出るか」
そう呟いたのは、建物の影に潜んで騒動を観察する一人の男だ。
眼鏡を押し上げながら、興味深そうに魔獣の動きを覗き見ている。
…………
(――ふむ、〈精鋭なる杖〉の諸君は頑張っているようだな)
“監視鴉”の視点から二人の作戦行動を見守りつつ、最後の視点に切り替える。
映し出されたその場所は、おそらく鋼花の国の王都。
おそらく、と断定できないのは、周辺の建造物が――目に付く限りで破壊されているからだった。
「――アリギエイヌスの信奉者たち、否、同胞たちよ! 今こそ大いなる目的のために立ち上がる時だ!」
猛々しい叫びを上げていたのは、〈精鋭なる杖〉の一人、オクタヴィア・クロッツという魔術師だ。
爆破魔術による火災と崩壊の中心で、その男は高らかに宣言して両手を広げた。周囲を、駆け付けてきたであろう騎士団の団員で死屍累々と埋め尽くしながら。
もはや、これは反逆と呼べるものではない。死者の数があまりに多すぎる。戦争だ。
今や姿もないと噂された信奉者たちの再びの復活……その事実を世に知らしめるという点において、これほど効果のあるものはないだろう――が、しかし。
(そろそろ、“彼女”が来る頃合いかね)
秩序が乱れたならば、それを収拾するために動き出すのが“正道”というものだ。
監視鴉の視点から、演説を披露するように大声を張る男の観察を続けていると……
「我々はすでに『祈りし者』の一員として、世界の変革を――」
崩落した街に反響する男の声が、ふと、断絶されたように言葉を消した。
「…………」
否――されたようにではなく、断絶されたのだ。抽象的な意味ではなく、物理的に。
両手を広げた体勢のまま、男の首から上が消えていた。
残された身体もまた遅れて気が付いたように、断面から大量の血を吹き溢して、直立を維持できずに地面へと倒れ込む。
そして、数秒後……空から降ってきたのは、演説を披露している時そのままの表情を貼り付けた、オクタヴィア・クロッツの生首だった。
(……やはり、か)
死と破壊に埋め尽くされた街に、再び広がる静寂。
家屋の燃える音だけが聞こえるその場所に、いつの間にか、一人の女が立っていた。
炎に包まれた空間において、なお鮮烈な紅を靡かせる魔術師の女――
「……そこか」
上向く女の視線が、こちらを見た。
(――?)
女の視線の先、そこにいるのは一羽の鴉だけのはずだ。しかし、女の視線は確かにこちらを――監視鴉の向こう側にいる、私の姿を捉えていた。
距離にすれば、馬を走らせてもおよそ数十日分は離れた場所にいる私を捕捉するなど、現実的に考えて不可能――そんなことを考えて、
「……!」
すでに女の姿が消えていることに気付く。
私はすぐさま、意識掌握の魔術である〈憑依〉を解除し、視点を自分のものに戻して背後を振り返る。
すると、そこには。
「――なんと」
先ほどまで鋼花の国の王都にいたはずの紅い髪の女が、私の背後に立っていた。
音もなくその場に現れて、無感情な瞳をこちらに見据えていた。
リディヴィーヌの一番弟子、空間魔術の使い手である唯一にして最強の魔術師――メリザンシヤが。
【メリザンシヤ視点】
「ふむ、では挨拶をし」
「〈圧縮〉」
廃墟らしき建物の屋上、目の前に立つ老紳士風の男に向けて、空間魔術を唱える。
何かを言い終える前に――男の身体が空間ごと捩れていく。
驚きに目を見張るその顔が一瞬にして、ぐちゃり、と歪に潰れた。
「…………」
やがて、地面を叩く重たい音と、辺りを染める血飛沫の赤だけが空間に残った。
足元を転がる、原型を完全に失った肉塊を見下ろして……私は小さく舌を鳴らす。
「……人形、か」
「――――いやはや、恐ろしいな、ルグリオの娘は」
私の呟きから間髪を容れず、老人の低い声が虚空を響かせた。
背後に視線を向けると、やや離れた場所で不自然に液状化している地面を見つける。
ドロドロになったその地面が、不意に盛り上がり、見る見るうちに……人の形を作り出していく。
「挨拶の途中で魔術を唱えるのは、あまり誉められた行為ではないがね」
次には、完全に老紳士風の男の姿を形作った“それ”が言葉を紡いでいた。
赤い外套を羽織り、ギラつく黄金色の髪を束ねた初老の男――
「とはいえ、さすがリディヴィーヌを超えた逸材、最強の魔術師だ。お見えすることができて光栄だよ」
「…………」
一人でベラベラと喋る男の顔に向けて、照準を合わせる。
さっきの監視鴉からここまで辿ったように、もう一度、この男の“本体”がいる居場所を探るために空間魔術を応用して――
「…………、貴様……」
突然、脳内に溢れ出すいくつもの座標の情報に、私はすぐさま探知を停止させた。
杖を突く初老の男が、口髭をさすりながら実に愉快そうに笑う。
「――実験のつもりで始めた複数の“土人形”を経由する〈憑依〉が、まさか君との遭遇で功を奏するとは」
男は満足げにそう言って、使用人を呼ぶかの如く、控えめに手を叩いた。
すると、私の周囲の地面から――三体の“土人形”が一瞬にして作り出される。
「挨拶代わりに、傑作の一部をお見せしよう」
現れたのは、巨腕の土人形の三体。
腕だけが巨大に作られた奇怪な外形が、逃げ場を無くすように私の周囲を立ち塞がる。
同時、岩石ほどの重たい拳が六つ、私の頭上で持ち上がった。
「――――」
見上げた空を覆い隠すほどの巨腕が、雪崩れ込むようにして垂直に振り落とされる。
その瞬間、まさしく流星に匹敵するほどの速度の殴打が――空間ごと押し潰した。
怒涛の衝撃が、周辺を凄まじい勢いで吹き飛ばす。
…………
「…………む?」
男の訝しむ声が聞こえた。
舞い上がる土埃が落ち着き、その場に浮かび上がった光景を見て、そんな反応をしたのだろう。
「――これが傑作か?」
私は無傷のままに、目の前の土塊を指差した。
それは先ほどまで巨腕を振り上げていた土人形の成れの果てだ。自らの拳によって、ぐちゃぐちゃに潰されている状態だった。
空間魔術――空間を歪曲させて、私の頭上から真下の空間を、土人形の頭上へと繋げただけの、拙い仕掛け。
あまりにも稚拙だが……こんなものですら、通じてしまう。
私は溜息を吐いて、崩れる土塊を弾き飛ばした。
「……ふむ、いやはや、そうだったな」
男は感心したように呟くと、突いていた杖をくるりと回して持ち上げる。
「観測は充分だ――では、そろそろお暇しよう」
その言葉を最後に、にやりと口端を吊り上げて、男の――老紳士風の土人形が崩れていく。
自分が捕捉されることはないという絶対の自信があるのだろう、泥に朽ちる去り際まで、男の笑みが途絶えることはなかった。
「…………ふん」
泥の溜り場を見下ろし、完全に信奉者の気配が失せたことを確認して、空間魔術を唱える。
隣に浮かび上がった虚空の渦に全身を潜らせて、私もまた、その場を離れることにした。
(……信奉者たちの狙いは何だ。騒動を起こすことに何の意味がある)
先ほどの王都での襲撃。そして、数秒前までここにいた男の目的。
〈銀の欠片〉と〈大真理の器〉の存在については聞いているが……今回の行動との繋がりが見えない。
だが。
(私には関係ない。私はただ……与えられた役目を果たすだけだ)
かつての父がそう教えてくれたように、かつての母がそう示してくれたように。
私はリディヴィーヌの一番弟子として、またシルヴィ王女殿下の付き人として――この魔術を振るうだけだった。




