16:エピローグ
大討伐から三日後。
岩壁の国、炭鉱都市ダルマスの治療術院、その一室に向かう途中で――フェリスが口を開いた。
「……すみません」
頬や腕の随所に手当ての跡を残す少女が、俯きながら言った。
「どうした急に」
「私、何の役にも立てませんでした」
悔しそうに、しかしはっきりとそう答える少女に、オレは肩をすくめる。
「オレたちの任務は『ルドヴィックの護衛』だ、アイツが生きてるなら何をしくじろうが問題ない。……誰が死のうとな」
「…………」
フェリスはオレの言葉に反論せず、無言のまま背後を付いて来ていた。
そうして、治療室へ続く廊下を歩きながら、窓の外に視線を向ける。
灰色に染まった午後の大通りを足早に駆けていく人々。もうじき雨が降り出す天気なのか、屋内外を問わず、湿っぽい空気が常に全身を包み込んでいた。
曇天に仄暗くなった院内を進みつつ、ふと、フェリスに質問する。
「そう言えば、お前はあの連中の誰とやり合ったんだ? テレーズではないだろ」
“戦士”と闘うことしか興味が無いとはいえ――あの女が、わざわざ冒険者以外を気絶だけで済ませるほど温情味のある性格とは考えられない。
状況を思い返してみると、ルドヴィックやマリリーズなどの比較的に戦闘に向いていない連中は、明らかに『見逃されていた』。
「大柄の男性に掴み上げられて……そのまま、地面に叩き付けられました」
「マリリーズは?」
「ルドヴィックさんを咥えて離脱しようとした時に、黒い外套を羽織った女の子が、魔術? でマリリーズちゃんの足を射抜いて……」
「そうか」
伝え聞くだけでは事細かな状況は分からないが、それでもやはり、連中がこちらを無力化することだけに抑えていたのだと理解できる。一名を除いて。
それにしても……
(フォルトゥナは、〈先見者〉――ルドヴィックの命を奪わなかった。あいつらの現時点の狙いは、〈銀の欠片〉で確定か)
意識の領域内でフォルトゥナが告げた信奉者の目的は、『〈大真理の器〉の起動』だった。
それを裏付けるようにして大討伐のあの日、アイツは大蠍から〈銀の欠片〉を持ち去っていった。
そして、テレーズによる独壇場が始まったのだ。
「…………」
『だからこそ……だからこそ、だ。祖国を裏切ったあの女――テレーズ・アヴァロが赦せない。もしも、こいつを殺すことができるならば、俺は何を犠牲にしても叶えるだろうな。最悪、この命に代えても』
大蠍を討伐した日の前日に、風の魔術師である男が言った台詞を思い出す。
あの時、こんな結果になるとは誰も予想できなかっただろう。
果たして、その願いは叶えられたのだろうか。
「…………あ」
オレの後ろを歩いていたフェリスが声を漏らす。
前方に視線を向けると、廊下の先に複数人の男女が立ち尽くしているのが見えた。
服装から、その全員が冒険者組合の人間であることが窺えた。
「……シュレッサさんの……」
俯きながら、一室の前に列を成して佇む男女。呆然とする者や、嗚咽を漏らして隣人の胸を借りる者、キツく地面を睨み続ける者など……悼む姿は様々だが、その誰もが同じようにして、深い悲嘆に暮れているようだった。
冒険者組合の支部長であるシュレッサの死が告げられた日から連日、その部屋の前には誰かしら人が立っているのだと、治療術院の関係者が同情するように話をしていた。
ここに遺体はない。最期を看取った場所がこの一室だというだけ。それだけの理由で、彼らはここに集まっている。
「…………」
組合側の都合によって葬儀の日程はまだ決まっておらず、すでに新しい支部長が着任している現状では……仕方のないことかも知れない。
オレたちは廊下の脇に立ち並ぶ男女を横切って、その先へと進む。
足を止めることは、さすがのオレでもできなかった。シュレッサの残した人望が、そのまま殺意となってオレたちに向けられかねないからだ。
すでに声は囁かれていた。『どうしてお前たちが生き残ったのだ』、と。
「…………さてな」
背後を刺す数人の視線を感じながら、目的の部屋に向かうべく歩みを進める。
足音の反響がいつになく耳に残る数秒を経て、角を曲がった先で――ようやく、知った顔を見つけた。
「よう」
「……ああ」
オレの声に、用心棒である大男――ユーゴが片手を上げて応える。
「っ……」
その痛ましい姿にフェリスが俯く。
一方の腕が、肩先からぶつりと消えていた。着ている服は以前のまま、通すべき身体の一部を失ったせいで、短い袖は所在無く宙を揺れていた。
ここに運ばれてすぐ、上位の治療魔術によって腕の痛覚を遮断したとは聞いたが……
「ちゃんと寝てるのか。お前、顔がヤバいぞ」
「…………寝てるさ、しっかり」
疲労の滲む声とともに、立ち尽くすユーゴの視線が部屋の扉に向けられた。そこに未だ眠っている仲間の姿を見つめるように。
「ティメオとウォーラトの様子はどうなんだ」
「……まだ目を覚ましていない。だが、容態は安定しているらしい。もう少しすれば意識が戻ると、担当の治療術師が言っていた」
「そうか」
いつかの覇気のない態度とは違って、ユーゴの受け答えは意外にもしっかりとしていた。
オレの問いに答えた後、ユーゴが俯くフェリスに視線をやる。
「あまり思い悩むなよ、俺たちはできることをやった。……他に最善の道があったはずだと考えるのは、誰のためにもならない」
「っ、す、すみません……」
一番、重く責任を感じているであろう当人に気を使われたことを察したのか、フェリスが即座に顔を上げる。
その時、ユーゴの背後にあった部屋の扉が開けられて、小さな人影が廊下に現れた。
中から出てきたのは、『黄の集い』の治療術士であるジゼルだった。
こちらはユーゴよりも幾分かマシな顔色をしていたが、それでもやはり、憔悴した様子は傍から見て酷く不健康に映った。
「ユーゴさん」
治療術士の少女は近くに立つ大男に気付くと、名前を呼んで傍らに並ぶ。
そして、唐突に――頭を下げた。
「お願いします。……『黄の集い』の団長を引き継いでください」
「…………」
「ティメオ団長が目を覚まして、歩けるようになるまで……その間だけでも、お願いします」
感情を押し殺したような声で、低頭したまま頼み続けるジゼル。
以前の少女とは似ても似つかない、色褪せた声だった。
「俺はもう剣を振れない」
「……はい、分かってます」
「おそらく何の役にも立たない」
「……分かってます。それでも」
しばらくして、ようやく顔を上げたジゼルが部屋の扉を振り返る。
不意に、少女の唇が震え出す。
「それでも……ティメオ団長を最初に迎える人はあなたであってほしいんです。ウォーラトに、剣士として復帰できるように助言してくれる人は……あなたであってほしいんです」
こぼれた弱々しい声はやがて悲痛な想いの吐露となり、一方的な頼みは懇願へと移り変わる。
キツく唇を噛んで、涙を呑み込むことさえ精一杯な姿は、もはや哀れと云うに他ならない。
だが、それでも。
「…………」
ユーゴは沈黙のまま、静かにジゼルを見下ろす。残されたその片手が、色を失うほどに強く握り締められていた。
――おそらく、この男が躊躇っているのは団長の座ではない。ユーゴの律儀な性格からして、己が“用心棒”であるという責任を投げ出すことができないのだろう。
そんな折に。
「――おいユーゴ、お前はもうクビだ。ボクの護衛から外れろ」
「……!」
いつの間にか、廊下の向こうに立っていた青年――ルドヴィックが、こちらを向いてそう言い放った。
別室で検査を終えたばかりなのか、いつもの黒眼鏡は掛けていない。
「おい……」
「黙れ」
一喝するように、声を低くして反論を制する青年。
今まで以上に相手を冷たく突き放すその態度に、ユーゴが二の句を告げずに押し黙る。
次にルドヴィックの鋭い視線がオレを見た。
「お前もだ、ベルトラン。お前ら三人ともクビだ、どこへなりとも消え失せろ」
オレとフェリスを指差して、険悪にそう吐き捨てると――青年はそのまま、廊下の奥へと歩き去っていった。
そんな背中を引き留めようとする者はここにはおらず、代わりに、小柄な人影が後を追うようにしてオレたちを横切った。
灰色にも似た青の髪を揺らす魔術師の少女、マリリーズだった。
立ち尽くすユーゴとすれ違いざま、
「……私がルドヴィックさんを責任持ってお守りします。……今度こそ、真面目に」
小さな囁きとともに、黒のとんがり帽子をぎゅっと被り直す少女。
チラリとユーゴを一瞥すると、少女の背中もまた、声を掛けられることを憚るようにして遠ざかっていく。
「…………」
再び流れる沈黙の中、オレは肩をすくめて……来た道を引き返すことにした。
「クビになった以上、オレたちがここにいる意味ももう無いみたいだな」
目を伏せるユーゴとジゼルにひらりと手を振って、踵を返す。
ルドヴィックの様子を確認するついで、護衛の任を降りる旨を話すつもりだったが、先に役目を降ろされた今ではそれも不要だった。
迷いつつも、オレの後を付いてくるフェリス。
リディヴィーヌにどう言い訳したものか――そんなことを考えながら歩みを進めていると、
「なあ、最後に一つだけ聞かせてくれ、ベルトラン」
ぽつりと、無感情な声がオレの背に投げ掛けられた。
「ん?」
「お前は信奉者を――あの“白い男”を殺せるのか」
聞こえた言葉の響きに、振り返る。
「――――」
そこには、深淵のような――どこまでも底知れない、希望のない瞳があった。
信奉者に怒り、信奉者を恨み、信奉者を根絶やしにしたいと願う者たちの、普遍的な憎悪のカタチ。
悪しき者には罰を。
悪しき者には制裁を。
その一瞬、ユーゴの虚ろな眼にはまさしく――そんな執念が宿っていた。
「ああ、殺せる」
オレの返答を聞いた大男はわずかに首を振って、
「なら……十分だ」
そう答えた。
「おや、君も来ていたのかい、ベルトラン」
「よう」
同日の夕方、ぽつぽつと降り出した雨に打たれながら、一本の大樹の前に足を向ける。
整然とした共同墓地の片隅、一際目立つその大樹の下で、雨から守るようにして置かれていた棺に視線を落とす。
「普段、君の後ろを付いて回っているお嬢さんは不在なのかな?」
枯れ草色の髪を外套で覆い、穏やかな声で五番弟子――ミリオール・ヘイスティが言った。
「おいおい、オレが憑かれてるような物言いは止めてくれ。お前が言うと冗談に聞こえないんだよ」
「うん? 冗談も何も、そのままの意味だよ……?」
首を傾げてこちらを振り向くミリオール。相変わらず、冗談の通じない奴だった。
棺に視線を戻す。献花も供物も何一つない、ひっそりと横たわるそれの蓋には『コーデルロス・バルト』の名が刻まれていた。
大討伐で命を落とした冒険者の一人として、身寄りのない男の遺体はこの墓地に埋められる予定……らしい。
「お前はこいつと知り合いなのか」
「いいや、僕はロザ――〈神聖なる霊森〉頭領の代わりとして来た。ロザは彼と親交があったからね」
「自分で足を運ばないとは、とんだ薄情な女だな」
「仕方ないよ、彼女は〈神聖なる霊森〉を離れられない……その話は置いておくとして」
ミリオールは微苦笑を浮かべると、片手に持つ四角い箱型の手提げ鞄を下ろして、中から何かを取り出した。
手のひらに乗せたのは少量の種らしきものだった。それを躊躇いなく、棺の周りに撒き始める。
次には、懐から出した極々小さな小瓶を握り締めて、割った。
「――咲け、〈生命転化〉」
青年の口から異質な文言が流れると同時、眼前の景色が一変する。
雨降りによって黒く滲んでいた棺の周囲が一瞬にして、色鮮やかな花々の空間に変化した。
そんな魔術を目の当たりにして、オレはため息を吐く。
「死者の手向けに死者の魂を使うとは、さすが死霊術師。冒涜の限りだな」
「さすがにそんなことしないよ……保存していた植物の生命力をこの種に分け与えただけさ」
呆れたように言って、ミリオールが手提げ鞄を持ち上げる。
「本当は花を添えるだけにしようと思ったけど、バルト氏は君の知己でもあったようだから」
「お前に限ってそんなことはしないだろうが――変な気を使うなよ」
「望まぬ相手に“口寄せ”は使わないよ」
きっぱりとそう否定して、青年が棺の前から数歩下がる。
そのまま墓地の出口に向かって踵を返すミリオールが、不意にこちらを振り返った。
「ところで、彼の墓碑は風砂の国に作ろうと思うんだけど、どうかな」
軽い調子で尋ねてくる弟弟子に、
「……それがいい。ここはあまり風が吹かないからな」
温い雨粒を落とす空を見上げて――オレは微かに頷き返した。
遠い遥か先の地に吹く、雨とは無縁の渇いた風をすでに懐かしいと感じている自分に、何とも言えない感情を抱きながら。
※ジゼルの台詞の一部、名前を間違えていた箇所を修正しました。




