15:怠惰の行く先に
――リディヴィーヌならば、きっと数秒で片を付けていたのだろう。
メリザンシヤなら数十秒、エドメも同等、ミリオールならば一分ちょっと。シャルロッテはまだ幼いから、数分は掛かるだろう。
では、二番弟子であるオレは――いったいここで何をしている?
「…………」
瞼を開き、目の前で起きている光景を認識して、オレは息を吐く。
……近くでフェリスが倒れていた。弓を折られたまま、放り飛ばされたであろう形跡を砂地に残して、気絶していた。
少し先では、ユーゴが血だらけになりながら元勇者であるテレーズと剣を交えている。その後ろではティメオ、ウォーラトが倒れ伏していて、治療術士のジゼルが顔面を真っ青にしながら、ひたすらと治療魔術を唱え続けていた。
シュレッサとコーデルロスもまた、ジゼルの治療下に置かれているようだった。そこから離れた位置では、マリリーズが白虎の形態に変化したまま、脚を負傷させて横転していた。その口元には、地面に横たわるルドヴィックの姿があった。どうやら、マリリーズが横転した際の落下の衝撃で気を失ったらしい。
「…………はあ」
あれから、たった二分で――こんなにも状況は激変するのか。
数分前、大討伐の達成を祝い合っていた連中の騒々しいほどの姿は、今や記憶の中にしか残っていない。
まるで砂上の楼閣のように、それは一瞬で現実味を失い、儚くも崩れ去っていった。
「…………」
ゆっくりと立ち上がり、周辺以外の変化も確認する。
遠くを振り向けば、オレたちがいる空間から距離を置いて、信奉者の男女二人がこちらを窺っている様子が見て取れた。
その一人である黒衣の少女の隣では、白い男が倒れ込んでいる。
オレに意識掌握の魔術を唱えた瞬間から、未だ目覚めていないのか、仲間らしき巨漢に守られるようにしてフォルトゥナは眠っていた。
オレを意識の領域に閉じ込めたあの魔術は、それほどの消耗を強いられる上位の魔術だったのだろうか。
…………
「……っ」
歩き出そうとして、頭に割れるような痛みが走る。
フォルトゥナの魔術の影響がまだ身体に残っているようだった。頭蓋を刺す痛みと、全身を纏わりつく疲労感に、オレはたまらず舌打ちを漏らす。
「――五日分は削らないとダメか」
懐中時計を服の上から触り、その存在を確かめた後、オレはユーゴの方へ歩き始めた。
砂を踏む足音に、戦闘中のユーゴが眼を血走らせながら、こっちを向いた。
「〈遅延〉」
オレが遅延魔術を放った先は、そのユーゴだった。
途端に動きを緩慢にさせる敵対者の様子に、テレーズが眉を顰めてオレを見る。
女は不満げに口を尖らせながら、大剣を下げて、実につまらなさそうに問い掛けてきた。
「何してるの、今、面白いところだったのにさァ。……片腕無くしてからもっと強くなるなんてそんな稀有な相手、そうそう戦えないんだよ?」
遅延状態の大男を指差して、テレーズは言った。
――そのユーゴの表情は、あらん限りの憎悪に満ちていた。この瞬間、世界の全てが許容できないのだと、瞳に刻まれた苦痛がそう叫んでいた。
武器を握る隻腕を真っ赤に濡らし、額から流れた血を涙のようにして両眼から滴らせる形相は、あたかも狂気に駆られた悪鬼のようだった。
用心棒としての役目も、元団長としての責任も、全てを守り切れなかった男の哀しい末路。
「〈遅延の檻〉」
そんなユーゴを通り過ぎて、オレは戦場と化した空間の中心に佇み、続けて魔術を唱えた。
「ん?」
テレーズが首を傾げる。
数分前に加速魔術を受けて相殺の効果を得たテレーズと信奉者たちを除いて、ここにいる全員が、オレの魔術によってたちまちの内に遅延状態へと変じた。
元勇者の女が目を細めてオレを見る。何がしたいの、そう声に出さずとも視線が疑問を呈していた。
オレの口から、ため息がこぼれ落ちる。
「やるなら、最初からこうすれば良かったか。……こいつらの馬鹿さ加減に、もしかすれば――どうにかなるかもしれないなんて、期待していた俺が一番馬鹿だったな」
「…………へえ」
オレの態度から、何かを察したテレーズが大剣を身構えた。
「〈転送〉」
続けざまに空間魔術を唱えて、オレ以外の九人を合流地点へ転移させる。
おそらく、合流地点にいる冒険者組合の人間ならば、事情を汲んで怪我人たちの対処を急いでくれるはずだろう。
静寂を取り戻した砂漠の一端で、テレーズへと向き直る。
「最低最悪の魔術師が相手してやるから、それで大人しく満足して、死んでくれ」
全身を巡り始める魔力の波と、同時にいや増していく激痛を抱えながら、オレは女にそう吐き捨てた。
「君、戦えるんだ? 遅延魔術しか使えないんじゃなかったの?」
アッハハ、と嗤う元勇者。その目を見れば、決してオレの通り名に騙されてなどいないと分かる。
故に、オレもまた皮肉で返す。
「使えないんじゃない、使わなかったんだよ、鈍間」
そう言って、片腕を引いた。
「ッ!?」
オレの動きに寸分違わず、ほんの一瞬のズレもなく、テレーズの全身がこちらに引き寄せられた。
一切の回避行動も、少しの防御姿勢を取る暇も与えずに、急接近する女の腹部に目掛けて――足蹴りを食らわせる。
「かッ――」
ただの一蹴を受けて、歴戦の冒険者である女の顔が苦痛に歪んだ。
それもそのはずだ、幾重に施した強化魔術によって、オレの現在の肉体は鋼鉄に勝る強度を得ているのだから。
踏み止まり、すぐさま転回して攻勢に動くテレーズ――その足を魔術で固める。
「!!」
無詠唱による妨害魔術の連続。
そんな戦闘を予想していなかったのか、不意打ちに眼を見開くテレーズの腹へもう一度、足蹴りを加える。
今度は身体強化による運動能力の上昇、その数倍の威力を上乗せして。
「お、ぐッ――!!」
テレーズの強靭な肉体をくの字に折らせて、そのまま遥か後方に吹き飛ばす。
飛んでいった先は、信奉者の三人がいる辺りだった。
(ちょうど良いか)
視線の向こうで吹き飛びながらも、砂の地面に大剣を突き刺すことで体勢の制御を成功させたテレーズを見やる。
顔を上げて、獰猛な笑みに口の端を吊り上げる黒髪の女。
その周囲一帯を――太陽すら凌ぐほどの光が覆い尽くした。
「弾き飛べ」
直後、オレの言葉を合図に、地表から音が消えた。
中心に向かって吸い寄せられる空気が、刹那、外側に押し返されて――爆発が一帯を蹂躙する。
網膜を焦がすほどの閃光と、空気が灼け爛れるほどの熱量が、砂漠の大地を一瞬で吹き抜けていった。
激しく揺らぐ空間の真っ只中で、展開した結界の内側からそれらを観察して……オレは顔をしかめる。
(逃がしたか)
衝撃に巻き上がる砂塵の向こう側で、ただ一人の戦闘狂を残して、先ほどまでいた三人の気配が消失したのを感じ取ったのだ。
この一瞬で空間魔術を唱えて、爆発から逃れたのだとすれば。
(加速魔術による高速詠唱か、または魔封具か……どちらにせよ、加速魔術の対策もしておかないとな)
しばらくの間、一面に広がる砂と煙に視界を塞がれながらも、オレは中央だけを見据え続ける。
そして、次第に薄れていく煙の中心で、なおも立ち果せている女――テレーズの存在を捉えた。
「アハッ、……イカレてるねェ、君」
その嗤いも声も、蒸発したように掠れていた。
見れば、テレーズの全身はぐるりと巻き付く刃片の螺旋によって覆い隠されていた。大剣が縦に分割し、伸張する鋼糸の動きに合わせてそうなっているのだと理解する。
おそらく……錬金術の国の遺産、か。
構造を観察するに――その武器は魔術を無効化するのではなく、魔術の構築を“喰らう”ことで、〈竜鱗〉と似た効果を発揮しているのだろう。
それでも。
引き延ばされた大剣が元の形状に収束すると、見えた女の全身は、火傷に覆われていた。
「アッハハ、本当にただの魔術師? ……いや違うなァ、リディヴィーヌの弟子? だっけ……」
普通ならば致命傷のはずの怪我を負いながら、依然として、戦意を滾らせたまま大剣を構えるテレーズ。
そんなたがの外れた視線を受け止めたまま、オレははっきりと答えた。
「お前は、自分を殺す相手と剣を交えたいんだったか。残念だったな――その相手が魔術師で」
テレーズに照準を合わせて、オレは手のひらを突き出す。
こいつが次に取る行動はもう、とっくに予習済みだった。
「魔術師って、強いんだ。そっか……じゃあ、最初から――君たちと戦えば良かったんだァ!!」
喜悦の叫びとともに、テレーズの姿が掻き消える。
先のコーデルロスとの戦闘でも見せた、一足一刀による、瞬殺の一撃。
たとえ剣戟の間合いとは程遠い距離にあっても、それを強引に脚力のみで刹那の間隔に捻じ込める、およそ人間離れした剣技の最奥。
疾い。それは恐ろしく疾い一撃だった。
一秒にも満たない時間の中を、すでに差し迫ったテレーズの大剣が、オレの首筋へなぞるように流れていくのが見えた。
大剣が振り抜かれれば、オレの敗けだ。――果たして、振り抜けることができれば、だが。
「〈不壊の結界〉」
「アッハハ――…………ハハ、ハ…………?」
ギギギ、と金属の擦れ合う異音が辺りに響く。
狂笑を上げていた女の顔に、困惑の色が混ざる。
「……なに、これ……斬れない……?」
ぽつりと呟きがこぼれた。
「防御結界と、物質操作による金属膜を組み合わせた複合魔術だ。……お前の握ってる遺物がどんなに優れものだろうと、ただの剣が金属を斬るのはおかしいだろ」
魔術によって張力と剛性を付与された皮膜の内側で、オレはテレーズを見下ろす。
女の表情には、まるで初めて魔術を見たかのような、純粋な驚きが広がっていた。
「……アッハハ、困ったな」
今まで――この女と戦ってきた魔術師たちは、詠唱に生じた隙を突かれたか、または展開する防御結界を容易に壊されていたのだろう。
錬金術の国の遺産を手に入れてからは、さらにあらゆる魔術が結果を成す前に断ち斬られたに違いない。
テレーズにとっては、こうして剣技が通用しない魔術に相対するのは、これが最初の出来事であり――最後の節目となる。
己の脚がすでに魔術で固められて動かないことに気が付いた女が、本当に困ったように嗤った。
オレはこめかみを軽く叩いて、女に目線を合わせる。
「冒険者の小さなお頭じゃ、もうお忘れかもしれないから教えてやる。魔術師は魔女の一件より以前、錬金術の国があった時代から忌み避けられてきた存在だがな――戦場で一番強いのは、どう足掻いたって魔術師なんだよ」
後ろに引いていた右手を、前に向かって緩やかに払う。
「ッ!!」
瞬間、テレーズの瞳が大きく揺れた。
その瞳の中をいっぱいに、殺到する象牙色の景色が映り込んだ。
それは――壁のように立ち上がり、波の形を成して押し寄せる、巨大な砂の激流だった。
「お前の弱点は物質操作か。……単純だったな」
「――――」
女の放った言葉が、震動と轟音に掻き消される。
やがて、空高くに膨れ上がった砂の波が覆い隠すようにテレーズを呑み込んで、全てを押し潰していった。
逃げ場を与えない圧倒的な質量が、一帯の尽くを容赦なく埋め流す。
ただ一人、オレだけを除いて。
…………
「以上で終わりだ。楽しかったか?」
しばらくして、静まり返った砂漠の上で、誰もいない虚空に声を投げる。
残された前方の大地には、先ほどまで無かった広大な砂丘がずらりと出来上がっていた。
その中心に向けて、片腕を引く動作を行う。
すると、まるで釣り針に掛かった魚のように、砂丘の中からテレーズが引き摺り出されて――オレの足元をだらりと転がった。
女の身体は痙攣していた。両手足は歪に捻じ曲がり、片目は砂の圧迫によって眼球を失っている。
そんな元勇者の無惨な姿を、オレは静かに見下ろした。
「……ア……ハハ……手も……足も……出なかった、や」
「リディヴィーヌの二番弟子だからな。一応」
瀕死にあってもなお、肩を揺らして嗤い続けるテレーズ。
オレは屈み込んで、その心臓付近に軽く手を添えてやる。
「コーデルロスとはガキの頃からの付き合いでね、ユーゴやティメオたちとは顔見知りだ。何の借りもないが――ふと、こうしてやらないと気が済まない気分になった」
テレーズの左胸が煌々とした閃きを放つ。
「じゃあな、元勇者」
「……アハッ……楽し……かっ――」
恍惚とした呟きを最後に、テレーズ・アヴァロの姿は、空間を満ちる閃光に包まれた。
膨れ上がる輝きとともに――何度目かの凄まじい衝撃が、砂漠の大地を焼き尽くした。
『第5回HJ小説大賞』にて一次選考を通過できました!
これからも頑張りたいと思います!




