13:意識の領域
止め処なく、誰かの意識が流れてきた。
『――止めろ、止めてくれっ!! 俺の仲間をこれ以上、奪わないでくれ!!』
それは絶叫とも聞きまがう、ユーゴの慟哭の思考だった。
『――ベルトランさん! そんな、私はっ、どうすれば……!』
フェリスの悲痛な思考が流れてくる。
『この状況、皆を撤退させないと、まずい……でもどこに……っ!』
今度は、ティメオの苦悩が流れてきた。
『アッハハ、楽しい! 最高ォ!』
そして、戦いに至上の幸福を感じている、テレーズの喜悦。
「……彼らの意識です。驚きましたか、ベルトラン」
「…………フォルトゥナ」
瞼を開ければ、青空と水面が広がる空間が、そこにあった。
他には何もない、ただオレと白い男が向かい合っているだけの、つまらない空間。
「私の頭の中には、常にこれが流れている」
やや物憂げな視線を水面に落として、白い男――フォルトゥナが言葉を紡ぐ。
一切のありがたみがない言葉なのに、この男が喋ると、まるで祭壇に響く説教のようにも聞こえてくる。
「……通りで、お前はいつも死にそうな顔をしているわけか」
皮肉を交えつつ、白い男の様子を窺う。
この空虚な空間が、フォルトゥナの領域であることは一目瞭然だった。たとえ、どれだけ強大な魔術を唱えようと、この場では何の意味も成さないと直感が告げる。
「……最上位の意識掌握をもってしても、あなたの自我を繋ぎ止められる時間は、二分もない……ですか」
不意に、水面を凝視していたフォルトゥナの視線が、オレの方へと持ち上がる。
「何が目的だ、フォルトゥナ」
「どちらの意味ですか? ……あなたの意識を繋ぎ止めているこの状況についてなのか、はたまた、我々〈祈りし者〉の目的について、か」
「どっちもに決まってるだろ」
オレは嫌悪の限りを込めて吐き捨てながら、フォルトゥナを睨み返す。
それを受けて、しかし、男の表情が一変することはなかった。
「前者は、あなたとこうして話すために。後者は……あなたの考えている通りですよ。我々は〈大真理の器〉を起動させるために動いている」
「それを起動させてどうするつもりだと聞いているんだが」
オレが重ねて問うと、
「――あなたは〈真理の器〉の本当の機能を知っていますか?」
「……なに?」
ゆっくりと青空を仰ぎ見たフォルトゥナが、ぽつりと問い返す。
何の話だ――そう続けようとして、突然、視界が切り替わり、オレは言葉を飲み込んだ。
青空と水面が広がるだけだった空間が、いつの間にか、森の中の景色へと変化していた。
「…………」
匂い、湿度、地面の感触……全てに覚えのあるそこはまさしく、センピオール蒼林そのものだった。
幻覚というには、あまりにも生々しい偽りの感覚。
そして、オレとフォルトゥナが向かい合う横手には、ついさっき話題に上がった――〈真理の器〉が置かれていた。
花弁の形状を歪に模したような、おぞましい錆色の物体。
フォルトゥナの長い指が、それを指し示す。
「“あれ”は魔獣を生み出すための装置ではない……本来の用途から考えれば、ただの副産物に過ぎないのです」
「――――」
〈真理の器〉が魔獣を生み出す魔術装置であることは、もはや大陸に生きる人間にとって、息を吸うのと同じくらい、当然のことだった。
それをたった今……こいつは否定した。
ゆるりと首を振って、男は説教壇に立つ神父のように、穏やかな声音で言葉を続ける。
「錬金術の国は、〈真理の器〉で“魔人”を創ろうとしていました。魔獣と人を融合させた、理性ある強靭な生命――」
「そんな技術によって作られた存在がベルトラン、あなたです」
「…………」
淡々と、信じがたい事実を並べて言ってのけるフォルトゥナ。
常識を持つ魔術師が聞けば、鼻を鳴らして笑うような言葉の数々だった。
人間を魔術で作る? 魔獣と人間を融合させる? あり得ない、不可能だ、融合などもっての外だ、と――
「…………」
困ったことに、オレはそれを否定することができなかった。
自分がこいつの言う“魔人”であるなどとは一片も思ってはいない。しかし、同じ技術によってオレが作られたと言われれば……記憶の中にある不可解な“出生”の瞬間にも、説明が付く。
親の欠落した誕生の矛盾。赤子のオレを取り囲む観察者たちの視線。
思い起こされる記憶と並行して、フォルトゥナが話を続けた。
「あなたの寿命が短いのは“奇病”などではない……魔術装置の誤差によって、短命でありながら――なお、並外れた魔術の編纂能力が付与された生命。
ベルトラン、あなたは実験の限定的な成功例です」
「…………」
後半の言葉よりも、前半の言葉の方が、オレの意識を深く繋ぎ止めていた。
――オレが人生の大半を掛けてどうにかしようとしていた奇病を、フォルトゥナは呆気なくも、違うのだと言った。
病気ではないのだから、治せるものではない、と。
フォルトゥナの発言が真実であれ、でたらめであれ――
(……おかしな話だな)
生きるという目的を持って今日まで、ありとあらゆる手段と堕落を用いて、オレは生き延びてきた。
結果として、多くの人間の恨みを買い、“最低最悪の魔術師”の蔑称まで貰い受けたというのに――そうやって思い返す過去の厚みに対して、あまりにも一瞬である今日の、この男の言葉一つだけで……それがただの迷走であったのだと実感した。
薄々だが勘付いてはいた。何かを決定的に履き違えている、と。
「……で、どうしてお前がそれを知っている?」
オレは極々当然の疑問を、フォルトゥナにぶつけた。
気付けば、またしても視界に映る景色は別のものに切り替わっていた。
黒い雨と異臭の漂う、真っ暗な荒野の中心。
深淵を思わす焦土と化した一帯で、周囲に馴染まぬ真っ白な男が、オレに手を差し伸ばす。
「我々のもとに来て下さるならば、全てをお話しましょう」
「はは、しばらく会わない内に冗談が上手くなったな、フォルトゥナ」
オレは笑って、右手を引き寄せる動作を見せた。
次の瞬間、やや距離のあったフォルトゥナの身体が地面を滑るように勢いよく移動して、オレの右手がその細い首を掴み上げる。
ぐぐっ、と力を込めて地面から浮かしてみせても、男の表情はやはり、ぴくりとも変わらない。
「早くオレを現実に戻せ」
「……ええ、勿論」
そう言って、憂うような瞳がぐるりとオレを見た。
「では、最後に……我々の目的は何だ、とあなたは問いましたね」
無気力にだらりと垂れ下がった手が、不意に持ち上がる。
それと同時、三度目の変転が視界を覆して――次に映り込んだ景色に、オレは思わず、愕然とした。
「我々〈祈りし者〉の目的は、真なる錬金術の国……“永遠の国”を作ることです」
――視界いっぱいに、巨大な赤い瞳が二つ、映り込んでいた。
幼いあの日、オレが覗き見た恐ろしい瞳。
人間と変わらない形をしているはずなのに、その赤い瞳の中には“怪物”が潜んでいた。
「アリギ、エイヌス……!!」
フォルトゥナの背後に感じた魔女の気配に、オレは半ば本能的に魔術を唱えようと片手を伸ばす。
それが無意味であることを悟るより先に――
「時間ですか……またお会いましょう、ベルトラン」
そんな陳腐な別れの言葉とともに、またしても、オレの意識は混濁していく。
「お、まえ……っ!」
もはや、この領域内でオレができることなど何一つないと理解しつつも――意識が落ちる最後の一瞬まで、オレは虚空に手を伸ばし続けた。
薄れゆく視界が最後に捉えたのは、祈りを捧げるようにして額の前で片手を握る、フォルトゥナの希薄な影だった。




