12:背徳者
「うおおおおおっっしゃああああああ!!」
歓喜の声が上がるとともに、その場にいる全員が顔を見合わせた。
――大討伐の達成。
その事実を噛み締めるように、大蠍の亡骸を振り返る冒険者たち。
静けさを取り戻した砂漠の上に倒れ伏す巨大な魔獣を見上げて、自分たちが成し遂げた任務の困難さを実感しているのだろう。
そんな中、ウォーラトが真っ先に『黄の集い』の二人のもとへと飛び出した。
未だに呆然と立ち尽くすティメオとジゼルの前を飛び跳ねて、子供のように勝利を喜び始めた。
「やった、やったぜ二人とも!! 俺たち『黄の集い』が“勇者”パーティだ!!」
「……本当にやっちゃった」
信じられないと言わんばかりに、脱力しながら呟くジゼル。
「二人とも、お疲れ様でした。……あなたたちとパーティを組めて、本当に良かった」
笑みを浮かべるティメオが、感極まった声で団員二人を労う。
「ティメオ団長……!」
「うおおおおお!! 俺も同じ気持ちだ団長ううう!!」
ジゼルとウォーラトの二人もまた、感極まって涙声になりながら、力強く頷き返していた。
そして、ティメオがユーゴを振り向く。
「……やったな、ティメオ」
「……はい、やりました。ユーゴさん」
視線を合わせて、短い言葉を交わす元団長と現団長の二人。
静かにティメオが差し向けた大盾に、ユーゴが大剣の刃を軽く突き当てて音を鳴らす。
――そんな風に互いの勝利を祝福する冒険者たちを横目に、コーデルロスがどかっとその場に座り込んだ。
「はぁ……疲れた」
先の戦闘で大量の魔力を消費した風の魔術師が、恨みがましい視線をオレに向ける。
「さっきのアレ、お前が魔術を唱えればいいだろ、ベルトラン。何で俺がお前の代わりになって、魔力を使い果たさないといけないんだ」
「そう怒るな。お前の新しい武勇伝を作ってやったんだ、むしろありがたいと思うべきだろ?」
「……はぁ、まあいい。ありがとうな、ベルトラン」
ため息と同時に立ち上がり、コーデルロスは笑って片手を差し出す。
やや面倒に思いつつ、オレはそれを握った。
「そっちの弓使いのお嬢さんも」
「え、……はい!」
自分も握手を求められると思ってなかった様子のフェリスが、満面の笑みで嬉しそうに手を握り返す。
続いて、いつの間にか猫に戻っていたマリリーズが、フェリスの足元で気持ち良さそうに鳴く。
「にゃあ」
「あはは、マリリーズちゃんもお疲れさま」
そうして、各々が大討伐の勝利を肌身に感じ、喜びを分かち合う賑やかな空間で……ルドヴィックが一人、苛立たしげにこちらを見ていた。
「お前ら、浮かれるのはいいが“勝負”のことは忘れてないよなぁ?」
「………………?」
ウォーラトが首を傾げてルドヴィックを見る。
「おい!? お前が一番忘れちゃダメだろ、本当に本当の間抜けか!?」
「あー、そういえばそんなやり取りあったね……」
思い出した様子のジゼルが、憂鬱そうに目を逸らす。
「大蠍を討ったのは誰だ? ――そう、ボクの用心棒であるユーゴさ。つまり、勝負はボクたちの勝ちってことだ」
「はあ」
「おいそこの間抜け剣士!? 何でどうでもよさそうなんだよ!」
「いや、何かもう本当にどうでもよくて……」
「!? おまっ、ふざけ☆%▲!$*○■!!」
怒りのあまり、何を言ってるか分からない叫びを吐き出すルドヴィック。
例のごとく憤慨に黒眼鏡をズラしながら、勝者の余裕など微塵もない地団駄を晒す。
そんな青年の醜態に呆れ果てる一同の背後で、岩壁の国の冒険者支部長であるシュレッサが拍手を送った。
「おめでとう。君たちは勇者候補から――正式に勇者となった」
「!!」
全員の視線がシュレッサへと集まる。
男はゆっくりとオレたちの前に進み出て、今こそ監督官としての責務を果たさんと――厳かな雰囲気を纏い、言葉を続けた。
「我々の調査不足か……情報とは大きく異なる目標を、咄嗟の判断で倒し切る豪胆さと団結力は見事という他なかった。恥ずかしい限りだが、この討伐で私は何の貢献もできていない」
ふと、悔しそうに落としかけた視線をすぐに持ち直し、シュレッサは再び、手を叩いて一同を祝福した。
無表情だった男の目元に、優しい表情が宿る。
「勇者たちよ。どうか、五年前の過ちを繰り返さぬように誓ってほしい。どうか、人類の希望となって――ごがごぐおぶッが」
「………………………………え」
静まり返った場に、間の抜けた声が漏れる。
……オレたちの目の前には相変わらず、シュレッサが立っていた。しかし、奇妙なことに……腹からは巨大な刃を飛び出させながら、口からはしとどに血を垂れ流していた。
あまりにも突然のことに、全員が身動きを取れずにいた。
そして。
「――――ごめんねェ、人類の絶望になっちゃってさァ」
アッハハ、と嗤う女の声で初めて、その存在に気付く。
(こいつは――)
血を吐くシュレッサの背後から、黒髪の女が顔を覗かせた。
まるで悪戯をした童女のように、一切の警戒もなく嗤うその女の両手には、真っ赤に染まる大剣の柄が握られていた。
「――!! てめえ!!」
気配を感じ取ってからすぐに武器を構える他の面々に先んじて、ウォーラトが地を蹴った。
そのまま一瞬で女の横合いに移動し、下段から斬り上げる速攻の一撃。
強化魔術が無くとも、意表を突くには十分すぎる速さの一振りは、しかし――
「よっと」
「! ――がはっ!」
大きく踏み込んだウォーラトの剣先が、女の片足によって呆気なく軌道を狂わされる。
それどころか、入れ替わりに軽々と突き出したもう一方の片足が、ウォーラトの鳩尾を正確に射抜く。それは剣士の青年自身の勢いも加わることで、より強烈な一蹴となって――青年を容易く弾き飛ばした。
「ウォーラト……!!」
「これ、返すねー」
そう言って、片手で握っていた大剣を掲げる黒髪の女。
シュレッサの身体ごと高々と刀身を持ち上げて、そのまま、払うように大剣を振るう。
「!!」
剣先から放り出されて宙を翻る、大柄の男。
投げ飛ばされた先は、オレたちの目の前だった。二転、三転と砂の地面を跳ねながら、弾けた果実のごとく血を散らすシュレッサを見て、ティメオが叫ぶ。
「っ、ジゼル!!」
「は、はい――〈傷を癒したまえ〉!」
かろうじて苦悶の息を漏らすシュレッサに、治療魔術を唱えるジゼル。
同じく大剣を構えて、相手の動きを警戒しながら護衛に徹するユーゴ。その横で、コーデルロスだけが未だ、呆然と女を見ていた。
――黒髪に赤の装束を纏い、耳に銀の飾りを付けた冒険者風の女だった。片手に軽々と握られた大剣は、いくつもの刃片が連結して剣状を形作っているような、見たこともない奇怪な剣だ。
「アッハハ、どうしたのさ、戦わないの? もしかしてビビっ――」
「〈遅延〉」
その女が嘲りの言葉を言い終える前に、オレは遅延魔術を唱えた。
放たれた青白い光が女を捉えるとともに、時が止まったかと見まがう速度に変化するそいつを見て、固唾を呑んでいた数人が息を吐く。
しかし、
「〈加速〉」
「……!!」
「――ちゃったの? ……、……あれ、もしかして今、私に魔術を唱えた?」
ほんの数秒の間を置いて、時を引き延ばされていたはずの黒髪の女が……正常な速度で動き出した。
(この魔術は――)
横から介入してきた異質な一節の詠唱を辿って、即座に振り向く。
――横たわる大蠍の屍の背に、三人の男女が立っていた。
黒衣に全身を包み込む少女らしき人影と、傷だらけの肌を晒す巨漢。
その中央では……白銀の髪、白の聖職衣を身に纏った、どこまでも真っ白な男がこちらを見ていた。
「フォルトゥナ……!」
茫洋とした視線を受けて、オレは一際強く、そいつを睨み付ける。
そうしていなければ――瞬く間に見逃してしまうほど、その男の存在感は異様に儚かったのだ。
この前の暗殺者が見せた気配の遮断とは違う、存在そのものにあるはずの輪郭の不明瞭さ。
色も熱も感情も、全てを根こそぎ捨てたような空虚な声が、砂漠の大地を静かに流れる。
「……ご苦労様です、皆さん。私の〈意識掌握〉では生きた魔獣は操れないので、助かりました」
遅れて男の存在に気付くいくつもの視線を受けながら、フォルトゥナはそう言って、穿たれた大蠍の背に片腕を突っ込んだ。
ぐちゃり、と生々しい異音が広がると同時、引き抜かれた男の手の中には――細長い鉱石のような物体が握られていた。
それは見たこともない物体だったが、しかし、正体には一切の迷いもない。
「〈銀の欠片〉――!」
その時、オレの横合いから何かが一直線に飛来する。
フェリスの放った矢だった。空気の弾かれる音とともに、狙い澄まされた一矢がフォルトゥナに向かってひた走り――その額を貫く寸前、
「ン」
隣に立つ巨漢が、パシッと矢を掴んだ。
「う、そ……」
あまりに呆気なく射撃を防がれて、愕然と呟くフェリス。
背後では、ルドヴィックが喉を嗄らしながら三人を凝視していた。
「魔術で姿を隠していたのか? どうやって――ボクの眼をすり抜けた!?」
〈先見者〉にとって、それは最大の恐怖だろう。
相手が魔術を持たない伏兵の類ならばいざ知らず、堂々と魔術を唱えていながら、ルドヴィックはそれを察知することができなかったのだ。
どんな魔獣を前にした時よりも、青年の眼は怯えに揺れていた。
「意識掌握の魔術――〈認識阻害〉だ」
フォルトゥナの得意とする意識掌握の魔術、その一種。
周囲の人間の認知から逃れることができる上位の“透明化”であり、〈先見者〉の眼すら欺く強力な魔術。
(だが……さっきの加速魔術はフォルトゥナのものではなかった。ということは、隣の……)
白い男の隣に並び立つ、黒衣の少女を見やる。
相貌は確認できないが、背丈と体格からして年端のいかない女だということはすぐ判別できた。
もう一方の巨漢は明らかに魔術師の資質を持っていない。となれば、やはり……この少女が“加速魔術”の使い手だというのか。
やがて矢を握り潰す巨漢の隣で、フォルトゥナが落ち着いた声音で言葉を発した。
「我々は〈祈りし者〉。アリギエイヌスを信奉し……志を同じくする者たちの集いです。以後、お見知りおきを」
ふと、オレと視線を合わせるフォルトゥナ。
謀反の表明であり――そして、かつての兄弟子であるオレへの明確な敵対宣言。
「くっ、元勇者は俺が足止めする、お前らは逃げろ! コーデルロス、援護を! ……コーデルロス!」
ユーゴが黒髪の女を見据えながら、コーデルロスに呼び掛ける。
しかし、その叫びに応える声はなかった。
代わりに、
「…………テレーズ・アヴァロ。答えろ、……どうして、風砂の国を滅ぼした?」
ゆらゆらと、軸の安定しない歩みで進み出るコーデルロス。
瞳には、抑え切れないとばかりに溢れる殺意が昏い光を湛えていた。
「? 何でって、これが答えだよ? “勇者”クン」
黒髪の女――元勇者であるテレーズが首を傾げながら、大蠍の亡骸を大剣で指し示した。
「魔獣を倒すために多くの冒険者が成長する。それが私の答え」
実に不思議そうな口調で答えるテレーズに、コーデルロスが睨みを利かせつつも困惑を浮かべる。
問答の最中、いつの間にか復帰したウォーラトが視界の端で武器を構えて、大蠍から降りてきたフォルトゥナたちはテレーズの方へと合流を果たす。
そんな戦況の変化には一切の興味を無くして、風の魔術師はなおも問いを続けた。
「冒険者を育てるために大蠍を放った……そう、言いたいのか?」
「んー、ちょっと違うかも。私はねェ、世界を終わらせたくなかったんだよ」
「……は?」
「常々思ってたんだ。私が魔獣を倒し続けて、〈真理の器〉を全て消し去った先の世界を。――つまらない、その世界はきっと途轍もなく、つまらない。戦争は無くならないかも知れないけど、きっと魔獣と向かい合うほど刺激はない。そんな世界じゃ、誰だって自分の限界を超えようとはしないでしょ?」
「……お前は何を、言ってるんだ」
コーデルロスの眉根がいっそう深く寄せられる。
「人類のために戦ったからこそ分かるんだよ。人類に必要なのは平和なんかじゃない、永遠に終わらない戦いなんだって。その証拠にほら、冒険者は日々成長し続けている。――私はねェ、その進化をもっと肌で感じたいんだ。戦って強くなって、私を殺せるほどに成長した戦士たちと剣を交えたいんだよ」
「その結果……何人が、犠牲になったと思ってる?」
「さぁ? 五万人ほど? ――ん? 数は大して問題じゃないでしょ?」
そう続けて、屈託ない笑みとともにテレーズが嗤う。
……同じ言語で語っているはずなのに、女の台詞はまるで異世界の言葉のように聞こえた。
「話が通じねえ、イカレてんのかよっ……」
戦いこそが在り方の全てと謳う女を、ウォーラトが蔑みの目で睨む。
「アッハハ、よく言われるよ! 長々と話しちゃったし、そろそろ再開しようか――殺し合いを」
テレーズが大剣を持ち直すと同時、
「……ふざけるな、貴様だけは――赦さない、赦せるわけがない!! その身勝手に!! 踏み躙られた同胞たちの痛みと無念を知れテレーズゥゥ!!」
「!!」
コーデルロスが両腕を突き出す――その手の平に、周囲の風がぎゅんと捻れ込んだ。
獣の咆哮のごとく鳴いた重音とともに、空間が歪んで見えるほどの空気が、コーデルロスの手の中に圧縮されていく。
今までの風の魔術とは比べ物にならないほどの凄まじい密度で、暴風が球状を模る。
明らかに烈風の砲弾を超えた颶風の魔術が、テレーズを捉えて更に巨大化していった。
「アッハハ! いいね、いいよいいよォ!」
もはや、撃たれれば最後……逃げ場などどこにもない砂漠の中央で、テレーズは嗤いながら大剣の先を差し向ける。
その間も、ユーゴがティメオたちに撤退指示を叫んでいるが、風の音が遮って上手く聞き取れなかった。
(チッ、出し惜しみしてる暇はないか――)
オレもまた、全員がコーデルロスに意識を向けている内に“制約”を解除せんと、懐中時計を取り出す。
「――――っ」
一瞬、フォルトゥナの目がオレを覗き見た――その直後、
「消えろ!! テレーズ・アヴァロォォ!!」
コーデルロスの憤怒の叫びと、颶風の魔術が放たれたのは同時だった。
広範囲の空間を穿ち、一帯の地面を深々と抉りながら、目に見えない怒涛の衝撃が黒髪の女を襲い掛かった。
音の速さを凌駕する速度と、桁違いの威力。
あたかも、巨人の腕が振るわれたかと錯覚するほどに強烈な光景が、巻き上がる砂塵によって掻き消される。
数刻、遅れて――爆発音が大地を轟いた。
「ぐぅ……あっ!!」
後方を吹き抜ける衝撃の余波に全員がよろめく。
大討伐中に見たどんな攻撃よりも凄絶な一撃は、たしかに――テレーズを逃すことなく突き抜けていた。
四大禁獣ならいざ知らず、ただの人間がそれを受けて、死なないわけがない。否、死ぬなんて生ぬるい――身体の一片すらも残せるわけがなかった。
「……アッハハ」
ない、はずだった。
「…………、あ、?」
砂塵の薄くなった視線の先……大剣でその身を隠すテレーズが嗤っていた。
コーデルロスの口から、擦れた声がこぼれる。
そして、
「悪くないけどなァ、弱いね――」
そう囁いた瞬間、女の姿が消えた。
「!! コーデルロス――」
咄嗟に振り向き、視界が捉えた光景に言葉を失う。
立ち尽くすコーデルロスの身体から――大量の血飛沫が噴き出していた。
「がっ……!?」
「アッハハ!!」
どれほどの速さか、いつの間にかコーデルロスの懐まで踏み込んだ黒髪の女が、その肩口に大剣を振り下ろしていたのだ。
砂埃一つ巻き上げずに、ただの一跳躍、たったの一秒間で、それは起きていた。
これが魔術ではないというならば、単純に、埒外な身体能力が為した技だというのか。
常軌を逸した強さを前にして、もはや手段を選んでいる余裕は無かった。
「――――」
嗤うテレーズを見据えて、オレが魔術を発動させようと構えた刹那、
「――〈共苦〉」
被せるように滔々と紡がれたその魔術に、意識を奪われる。
「っ!!」
次の瞬間、身体が独りでに動き出す。
意識を奪われる。それは対象を意識するという意味ではなく、文字通り――意識そのものを奪われた状態だった。
オレの全身の感覚が強制的に、離れた位置に立つ男へと過集中状態に変移する。
口も手足も思考の大部分さえ、白い男の動きに同調せんと、引き寄せられるように独立行動を始めた。
(チッ、意識掌握か――)
祈りの聖句に似て、しかし実態は真逆のおぞましい魔術を唱えられる者など、この場には一人しかいない。
「落ちろ」
と、フォルトゥナの命令が脳裏に響く。
次の瞬間には、抵抗も空しく、オレの視界は断絶されたように暗くなっていった。
「!! ベルトランさん!!」
倒れる寸前に見えた、フォルトゥナの崩れる様子と、近くから聞こえたフェリスの悲痛な叫び声を最後に――オレの意識は闇へと落とされた。




