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遅延特化の陰険魔術師(ベルトラン)  作者: 伊佐木ソラ
第三章 風砂の国

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11:大討伐 《大蠍》


 夜が明けると、砂漠の大地もまた目を覚ましたかのように、相変わらずの灼熱の気候(きこう)を振るい始めた。


 照り付ける陽射(ひざ)しに目を細めつつ、オレたちは黙々と目標地点に向けて歩みを進めた。


 途中、三度ほど(さそり)の魔獣による襲撃に遭遇(そうぐう)したものの、コーデルロスとの連係(れんけい)によって難なく突破することができた。

 そして……


「……見えてきたぞ。あの大きな石柱の周辺が、“大蠍(おおさそり)”がねぐらとしている場所――今回の目標地点だ」


 シュレッサの指差す方向に、全員の視線が集まる。


 広大な砂の景色の中央、一本の石柱が遠くに(そび)え立っているのが目に()まった。

 わずかに斜めに(かし)いだまま無造作に立つその大きな柱は、まるで巨人の墓碑(ぼひ)のごとく、砂漠の地に強烈な存在感を放っていた。


 見渡せば、辺りには至るところに崩れた瓦礫(がれき)が散乱しており、中には建造物の形を(なか)ばに残したものまである。過去、この場所に人間が住んでいたという明確な痕跡だった。


「ここにはかつて――街があった。広場の中央にはあの石柱が立っていて、この国で最初に建てられた大型の日時計として街の象徴(しょうちょう)となっていたんだ」


 何の感情も(うかが)えない声で、ただ静かにコーデルロスが(つぶや)く。

 それを聞いたフェリスが、真下の地面を見つめながら悲痛な表情を浮かべる。


 ……コーデルロスの話は見方を変えれば、今この瞬間、自分たちが足場としている地面の下にかつての住民の(しかばね)がいくつも眠っているという示唆(しさ)でもあった。


 気付いた何人かが、ゾッとするような顔で砂の地面を凝視(ぎょうし)する。


「あー……ご愁傷様(しゅうしょうさま)?」

「くくっ、余計な気を使わせたな、すまない。それより――大蠍はどこだ?」


 コーデルロスの問いに、しかし、シュレッサは片手を上げるだけの反応を返して、そのままゆっくりと前に進み出る。


 静けさに包まれた一帯を、石柱に向かって歩き続ける男。

 ルドヴィックを除き、皆が怪訝(けげん)そうに顔を見合わせる中で、ふと、シュレッサの足が止まった。


 続けて、腰に()えた片手剣を抜き放つと、こちらに背を向けたまま――


「……全員、戦闘の準備をしろ」


 ――無機質(むきしつ)なこの男にして珍しく、感情を(おさ)えられないといった様子の震え声でそう告げた。

 強大な相手を前にしての(おそ)れか、はたまた、戦士としての(たか)ぶりか。


 シュレッサは(おごそ)かに、石柱の近くの地面を指差した。


()()()――どうやらこちらの班が当たりだったようだな」


 そう宣言した直後、シュレッサの示した砂の地面が――ゆっくりと、山を作るように盛り上がった。


「……!!」


 全員が身構える。そして、流れるように視線を地面から、頭上へと移動させた。


 ――その大きさは、まるで砂丘(さきゅう)のようだった。人間の背丈を優に超える甲殻(こうかく)の巨体が、砂の一面を()きながらずんぐりと()い出てきたのだ。


 不気味なほど鋭い巨大な(はさみ)、柱のように太い四対の大脚(おおあし)、頭部に露出した二つの眼球――どれもが異様な大きさと、ぬらりとした黒い光沢(こうたく)を持っていた。


 生物としての枠に当て(はま)まらない、規格外の造形を(まと)う怪物。

 伸びた尾の先まで見渡せば、あたかも一つの道が続いているのかと錯覚させるほどに長い全身を横たわらせて、それは現れた。


「……マジかよ。こんなのと戦えってのか」


 呆然(ぼうぜん)とした声で、ウォーラトが(つぶや)く。


 オレたちの前方に現れたのは、名の通り巨大な全身を持つ蠍――今回の討伐対象である“大蠍”だった。


 節くれだったおぞましい脚部を(うごめ)かせながら、そいつの全身がぐるりと転回する。

 砂の地面を這い出てすぐ、大蠍が向きを変えて狙いを定めたのは……明らかに、オレたちの方だった。


「前衛は武器を構えろ。後衛は支援の用意を――“大討伐(だいとうばつ)”を開始する!」


 こちらの気配に気付いている様子の大蠍を前にして、シュレッサが(たけ)るように声を上げる。

 次の瞬間、前に出たユーゴが――自分の足元を目掛けて大剣を振り下ろした。


「チッ、こいつらもか……!」


 一撃が(えぐ)った地面には、見慣れた“子蠍(こさそり)”の魔獣が、這い出たままに寸断されていた。

 数刻遅れて、十、二十、三十……と、大蠍を守るように一斉に湧き出した魔獣たちを見て、コーデルロスが薄く笑う。


「地面に潜らないなら都合がいい――散らすぞ」


 その言葉を聞いた前衛の二人が左右に分かれて道を作り、中央にてコーデルロスが片腕を構えた。


 握っていた手のひらを、弾けるように開く。

 同時、渦巻く暴風がコーデルロスを包み込んだ。荒れ狂う空気が手のひらの上へと圧縮されていく。


 そして、完成した烈風の砲弾を容赦(ようしゃ)なく、魔獣の群れに向けて撃ち放った。


「!!」


 直後、大気の裂ける凄まじい轟音(ごうもん)とともに、前方を立ちはだかっていた蠍の魔獣たちが一瞬で粉々となって、砂の大地を散っていった。

 しかし……


「…………なんだと」


 真正面から、コーデルロスの烈風を受けたはずの大蠍は――巨大な鋏を盾にして、全くの無傷だった。

 異様なほどに黒光りした甲殻をゆっくりと持ち上げて、何の感情も映らない、おぞましい眼球がこちらを見下ろしていた。


「おいおい、まさか、あいつも赤竜(せきりゅう)と同じ(たぐい)か?」


 その硬さはまるで、赤竜の〈竜鱗(りゅうりん)〉――“攻撃性を持ったあらゆる魔術を弾く”という特性に似ていた。

 驚くコーデルロスの背後で、シュレッサもまた、動揺(どうよう)(あら)わにする。


「そんなはずは……」

「……チッ!」


 ユーゴが大剣を構え直して、力強く地面を蹴り上げる。

 大蠍との距離を一瞬にして詰めたユーゴの豪速(ごうそく)の一振りが、蠢く脚部に叩き込まれようとした矢先、


「! ぐっ!」


 高々と揺れる巨大な尾の先端が(はし)る。


「ユーゴさん!!」


 頭上目掛けて落とされた尾針(おばり)をすんでのところで大剣が防ぐも、その圧倒的な重量を受けて、ユーゴの身体が後方へと弾き返されてしまう。


「――〈鎧を授け(フォルティオル)たまえ(・フィエリ)〉!」


 ジゼルの支援魔術によって、肉体を強化したユーゴが空中で身を(ひるがえ)す。続けて大剣を地面に突き刺したことで、吹き飛ばしの勢いを殺したようだ。

 すぐさま後ろで体勢を立て直すユーゴと、敵の出方を窺う全員を一瞥(いちべつ)して、オレもまた即座(そくざ)に魔術を唱える。


「――〈遅延(レンテ)〉!」


 詠唱に呼応(こおう)して、瞬時に宙を浮かぶ青白い光の文字群。

 遅延魔術が(とら)えた先は――大蠍の巨大な尾と、(ひらめ)一対(いっつい)の魔鋏、そして、こっちに殺到(さっとう)せんと動き出していた脚部だ。


 唐突に時間を引き延ばされた三つの部位に、大蠍の動きがぎこちなく止まる。


「魔術であいつの動きを擬似(ぎじ)的に拘束した、やるなら今だぞ」

「うおっしゃ! 俺に任せろ! ジゼル!」

「分かってる……! ――〈力を与え(フォルティオル)たまえ(・フィエリ)〉!」


 走り出すウォーラトに合わせて、後方でジゼルが強化魔術を詠唱する。


 魔術の強化効果とともに鮮やかな黄の光を帯びた剣士の青年が、一蹴(いっしゅう)での跳躍(ちょうやく)によって、空高く(ちゅう)を飛んだ。

 そして、落下する勢いを乗せた剣の切っ先が狙いを定めたのは――大蠍の頭部。


「おりゃああああああ!!」


 ウォーラトの咆哮(ほうこう)と同時、垂直に落とされた片手剣の一撃が、遅延の影響を受けていない大蠍の頭上へと叩き込まれる。

 あまりに速く、空気さえも切り裂く斬線の軌跡(きせき)は――しかし、金属の衝突音とともに、目標を寸断することはかなわなかった。


「!?」


 空中で、大振りを弾かれたままに驚愕(きょうがく)するウォーラト。

 斬れないどころか、むしろ甲殻に叩き付けた片手剣の刃の方がパラパラと砕け散っていたのだ。


「ウソ、だろ――硬ぇッ!」


 驚きに目を見開きながらも、ウォーラトが元の位置に下がる。


 交替するようにして、弓を引き(しぼ)らせていたフェリスが矢を放った。

 魔封具(まほうぐ)によって甲を閃かせる黒手(くろて)の指が、大蠍の眼球に向けてまっすぐと一矢を()る――が。


「っ、弾かれた……!」


 狙い()まされた射撃すら、大蠍の眼球は安々と跳ね返す。

 剣の一撃は通らず、矢による一点集中も(はば)まれてしまう。


 歯が立たない――そう表現しても過言ではないほど、目の前の相手は異質な頑丈さだった。


「シュレッサ、こいつは!」


 再び大剣を構え直して、ユーゴが叫ぶ。


「……まさか、“硬質化(こうしつか)”している?」


 唖然(あぜん)として呟くシュレッサの背後で、ルドヴィックが身を乗り出す。


「おい、また大勢の蠍の魔獣がこっちに集まって来てるぞ!!」

「……マジかよ」


 ルドヴィックの警告から数秒遅れて、砂の地面からぞろぞろと蠍の魔獣の群れが這い出てきた。


 すかさずコーデルロスが風の魔術で一掃(いっそう)するが、散らすそばから魔獣が湧いて出て、速度で言えば僅差(きんさ)で魔獣の接近の方が勝っているようだった。

 こちらを取り囲んで押し寄せる群れの内の数体が、ジゼルを守るようにして立つウォーラトに殺到する。


「こいつらキリが無ぇ!」


 刃がボロボロになった片手剣を、ジゼルの魔術で強化された身体能力を()って無理くり武器に使う剣士の青年。

 格段に切れ味の落ちた斬撃に手間取(てまど)り、動きを鈍らせるその隙を突いて、横から湧いた蠍の魔獣がウォーラトへ鋏を振るう。


「なっ――」

「させるか!!」


 咄嗟(とっさ)に飛び出すユーゴの大剣が、蠍の魔獣の鋏を根元から断ち切った。


「……! ユーゴさん、ウォーラト、大丈夫ですか!」


 止まらない魔獣の群れに対して、大盾を振って散らしていたティメオが声を上げる。


「ああ、助かった、ユーゴ前団長!」

「おいベルトラン! 遅延魔術とやらでこいつらの動きを止められないか!」


 大蠍が見せた異様な硬さ、それに対処する以前に、波のごとく押し寄せてくる大量の蠍の魔獣にユーゴが差し迫って()えた。

 

「はあ、おんぶに抱っこだな――〈遅延の沼(レンテ・パールス)〉!」


 青白い光を砂の大地に巡らせた魔術が、怒涛(どとう)の勢いで向かってくる魔獣たちの動きを一瞬のうちに――緩慢(かんまん)な速度へ変化させた。


 見えない泥が足元を固めたかのように、一向に前に進まない脚部をどうすることもできず、蠍の魔獣たちは鋏で空を切り続ける。

 そんな不可解(ふかかい)な光景に、『()の集い』の面々が感嘆(かんたん)の声を上げた。


「すげえな……魔術師って」

(ほう)けてる暇はないぞ、さっさとアレを倒す手段を――、……!」


 振り向く視線の先に見た状況に、オレは思わず言葉を失った。


 ついさっき、確かに遅延魔術を三つの部位に受けたはずの大蠍が――ほんの少しずつ、微動(びどう)の変化を経て元の速度に戻ろうとしていたのだ。


 背後に伸びていた巨大な尾が、ゆっくりと(はる)か頭上に持ち上がっていく。


(この一瞬で“耐性”を得たのか? …………まさか)


 風の魔術を防ぎ、強化された一撃を弾き返す尋常(じんじょう)ではない硬度。更には、遅延魔術の耐性すらも即座に獲得する強靭(きょうじん)な生命力――その現実離れした強さの原因には、一つだけ思い当たる(ふし)があった。


 先ほどのシュレッサの反応を見るに、“硬質化”は冒険者組合が調査で得た情報にはない、想定外の性質だということは明白だ。

 となれば、大蠍が元から持っていた能力ではなく――


「……〈銀の欠片(ミスリル)〉か」


 その異常な強さから、思い当たった一つの可能性。


 リディヴィーヌ(いわ)く――〈銀の欠片(ミスリル)〉は未知の物質であり、魔力の含有(がんゆう)量が非常に高いらしい。

 もしも大蠍が、自身の体内に大量の魔力源である〈銀の欠片(ミスリル)〉を取り込み、己の強化に(あて)がった結果ならば……この一連の強さにも合点(がてん)がいく。


 問題は、これをどう突破するか、だが――


「っ! 〈防御結盾(フェレア・スクトゥム)〉、起動!」


 考えに(ふけ)るオレの眼前で、ティメオの叫びが響き渡った。

 直後、地面に影を落としながら――大量の粘液(ねんえき)がオレたちの頭上を降り注いだ。


「ひっ、毒!?」


 しゅるしゅる、と恐ろしい音を立てて、結界の層をギリギリまで溶かす大蠍の毒液に、ジゼルが悲鳴に近い声で(うめ)いた。

 それは大蠍の尾から吐き出された、滝のような量の猛毒液だった。


「やっぱりこの戦い、小数で来たのは間違いなんじゃないか?」


 大盾の結界の内側で、身を伏せて毒液の接触をかわすシュレッサにオレは言った。


「そうしなければ地中から出てくることもなかっただろう」


 相変わらずの無表情だが、しかし、その声色(こわいろ)にははっきりとした(あせ)りの感情が浮かんでいた。

 周囲を見渡せば、先ほど遅延魔術で動きを拘束した蠍の魔獣たち――その背を登るようにして、新たな蠍の魔獣の群れがこっちに向かって来ていた。


「クソッ、どんだけいるんだよ!!」


 どうやら、大蠍が存在する限り……この地に(ひそ)む“子蠍”たちはどこからともなく現れて、無尽蔵(むじんぞう)にこの場所へと集まってくるようだった。


 オレたちの正面に身を構えていながら、直接攻撃を仕掛けてくることなく、あたかも余裕だと()わんばかりにこちらを睥睨(へいげい)する大蠍。

 身動きの取れない獲物を前にして、狩りの愉悦(ゆえつ)(ひた)る捕食者の眼光――いつかの自分を見ているようだった。


「はは、どうするんだ? この状況」


 肩をすくめてそう問うと、今度はシュレッサがルドヴィックの方を振り向く。


「何か見えましたか、ルドヴィック殿」


 他の面々が毒液の水溜まりを飛び越えて、取り囲む魔獣の群れを蹴散らす中、(たず)ねられたルドヴィックはただ静かに大蠍を凝視していた。

 いつもの黒眼鏡(サングラス)は砂の地面に落ちたまま、必死の形相(ぎょうそう)で、何かを探るようにひたすら大蠍へ視線を向けている。


「…………」


 だが……青年から返ってくる言葉はなかった。


 眉間にわずかな(しわ)を寄せたシュレッサが、諦めたように正面を向く。

 大蠍の“硬質化”に対する攻略法が見つからず、このまま膠着(こうちゃく)状態に持ち込まれるか――そんな風に考えていると、

「……――背中だ」


 ふと、ルドヴィックが(ささや)きほどの小さな声で、それを告げた。


「あ、なんだって?」


 疲弊(ひへい)を見せるウォーラトが苛立ちを混ぜて聞き返す。

 それに対して、ほとんど怒鳴るような大声で――ルドヴィックが叫んだ。


「背中だ。大蠍の背中に、ほんのわずかに()()魔力の反応がある!!」

「!!」


 魔獣と応戦(おうせん)していた全員の視線が、〈先見者(せんけんしゃ)〉の青年に集まる。


「そこが弱点なのか?」

「知るかっ! とにかく魔力の反応がある!」


 ルドヴィックがそう叫ぶ間も、蠍の魔獣が押し寄せる壁のごとく襲来してきて、前衛たちは中心に寄せ付けないようにするだけで精一杯の様子だった。

 それでも――


「――ティメオ、ウォーラト、俺の援護を頼む! コーデルロスは風の魔術で、俺を大蠍の背中まで飛ばしてくれ!!」


 がむしゃらに魔獣を叩き潰していたユーゴが声を張り上げる。

 こんな状況にあってなおも揺るぎない一声に、前線に立つ全員が声を揃えてユーゴに応じた。


 そうして、フェリスがオレを振り向く。


「ベルトランさん……!」

「オレはただの護衛なんだがな――――〈遅延の檻(レンテ・カルケレム)〉!」


 吐き捨てるように唱えた直後、オレの周囲一定の空間が青白い光に包まれる。


 地面に投影された方陣(ほうじん)が上昇し、巨大な四角形を形作るようにして――その範囲内を、ゆっくりと時が流れていく遅延空間へと変化させた。


 魔術によって一時を引き伸ばされたまま、身動きできずに積み重なる蠍の魔獣がまるで(へい)のようにオレたちの四方を(ふさ)ぐ中、


「ユーゴさん、行ってください!」


 魔獣の壁を軽々と跳ぶティメオが叫んだ。続けて、ウォーラトがその頭上を越えて走り出す。


 向かってくる剣士の青年を捉えた大蠍が、二つの巨大な鋏を開いて迎え撃つ。


 処刑具にも似た鋭さが、ウォーラトの胴体を挟み込もうとした瞬間、


「うぉらっ!」


 凄まじい速さで地を蹴り上げて、ウォーラトがその場で宙を回転した。

 上下に連なる二つの鋏を優に跳び越す高さまで飛翔(ひしょう)し、回る全身とともに右手を振るう。


「〈鎧を授け(フォルティオル)たまえ(・フィエリ)〉!」


 次には、ジゼルの強化魔術による硬度と重量を持った刃こぼれの剣が――その鋏の真上へ勢いよく叩き込まれた。


「――――」


 地響きにも似た轟音が鳴り、鋏が地面に沈むほどの衝撃に一瞬、大蠍の動きが凝固(ぎょうこ)するも――しかし、その奥で揺れる大きな尾はこちらに向けて狙いを定めていた。


 そして、猶予(ゆうよ)も与えずに尾針から放たれる、全てを溶かし尽くす猛毒の奔流(ほんりゅう)

 一面を(おお)う毒液がオレたちに雪崩(なだ)れ込む寸前、展開する結界がそれを阻んだ。


 真下で大盾を持ち上げるティメオが、ユーゴを振り向く。


「今です!!」

「飛ばすぞ!!」


 ティメオとコーデルロスの合図を受けて、ユーゴが蠍の魔獣を足場に跳躍する。


 すると次の瞬間、吹き(すさ)一陣(いちじん)の風とともに――ユーゴの大柄な身体が空高くへ吹き飛ばされる。


「!!」

「――――」


 砂漠の太陽を背に、大蠍の遥か頭上で大剣を振り上げるユーゴ。


 その気配を察した様子の大蠍がやはり、巨大な尾を一度反らしてから……最大限の勢いを以って、空中を飛ぶユーゴに向かってそれを突き上げた。

 尾の先端に光る凶悪な大きさの針が、あたかも打ち上げられた弩砲(どほう)(やじり)のごとく――大男の胴体を貫き破らんと一直線に伸びる。

 だが、


「――ティメオ!!」

「はい――起動!!」


 ユーゴの叫びと同時、空中を――いくつもの板状の結界が展開した。

 それは大蠍の尾を阻むためではなく、


「ハッ!!」


 展開したその結界を蹴って、直進する巨大な尾針の軌道から――ギリギリを()けるための()()となった。

 縦の(じく)に交互、跳ね飛ぶ先で展開する結界を幾度も蹴って、ついにはユーゴの大剣が大蠍の真上を捉える。


 巨大な二つの眼球がギロリと空を向き、慌てたように砂漠の地面を潜り始める大蠍。

 それが意味するところは、つまり。


「うおおおおおおおおおお!!」


 大蠍の弱点である背甲に影を落とす“岩剣(がんけん)”。

 空から降り注ぐ隕石(いんせき)と見まがう容赦のない速度で、逃走を(はか)ろうと蠢く蠍の背に向かって――深々と剣身が落下する。


「!!」


 凄烈(せいれつ)な轟音と膨大な砂埃(すなぼこり)(ともな)って地表に落ちたユーゴの一撃。

 魔獣の壁を越えて伝わる大きな衝撃に、思わずよろめきそうになっている後衛数名。


 この戦闘の行方(ゆくえ)を見届けようと、再び視線を向けるが……それよりも、先に。



 ぎええええええええええええ……――!!



 耳障(みみざわ)りな魔獣の絶叫が、乾いた砂漠の空気を震わせた。


「…………はっ」


 耳を塞ぎたくなるほどのおぞましい叫声が数秒続いた後。コーデルロスの風によってかき消された砂煙の向こうでは――


「………………っ、……やったぞ」


 大蠍の背甲(はいこう)に大きな剣身を潜らせて、肩で息をしながらゆっくりと立ち上がるユーゴ。


 突き刺された箇所からは青い血液が噴水のごとく(あふ)れ出して、事切(ことき)れたのを確認する必要もないほどの量が、砂の大地を濡れ広がっていた。


 そして、討伐対象である大蠍は――地面の半ばに埋まったまま、微動もしていなかった。


「…………倒せた、のか?」

「……凄い、本当に達成しちゃった」


 遅れて、眼前の光景に呆然とする二人の声が聞こえてきた。


 怪物の巨体から跳び退()くユーゴが、返り血に青く染まりながらこちらに戻ってくる。

 呆気ない結末に、しばらくの間、全員が身動きできずに立ち尽くしたままだった。


「コーデルロス、後の雑魚は任せた」

「……ん、ああ」


 オレが遅延空間を解除すると、途端(とたん)、元の速度で動き出す蠍の魔獣の群れを、コーデルロスが風の魔術で一掃する。

 魔獣の壁に(さえぎ)られた視界が開けて、周囲の景色が見え始めると――


「…………おい、なんだこれ」


 いち早く反応したのはルドヴィックだった。

 青褪(あおざ)めた顔で口元を震わせて、広大な砂漠の地平を凝視している。


「うん? どうし……た…………」


 青年の様子に首を(かし)げたユーゴが、不意に言葉を途切れさせて……周囲を見渡す。


 そこには――――先ほどの群れとは比べ物にならない、砂漠の景色を埋め尽くすほどの蠍の大軍の姿があったのだ。


 あまりにも大量の蠍の魔獣が一斉にこちらに向かってくる光景には、さすがのオレも、唖然とする他なかった。


「!! どうして、急に!」

「おいおい、少しは休憩させてくれよ……!」 


 大蠍の討伐達成から間を置かずに出現したそれらを前にして、他の面々もまた、困惑と恐怖に表情を歪めていた。

 一安心する暇もなく、押し寄せる魔獣の襲撃が砂漠の大地を揺らし始める。


「ッ、さすがにこの数は倒しきれないぞ……!」


 狼狽(ろうばい)するユーゴの背後で、シュレッサが呆然と首を振った。


「これだけの数が一箇所に集まるような、そんな習性はなかったはず……一体、どういうことだ」


 無表情な男の(かす)れた声はもはや、現状を把握することさえ困難だと推し(はか)れる悲壮感(ひそうかん)に包まれていた。

 オレもついさっきまでは、大蠍の存在が起点となって子蠍が集まっているものだとばかり思っていたので、そんな風に打ちのめされたシュレッサを笑える立場にはない。


 見渡す限り、遠くまで連なる蠍の魔獣の行列。

 蟻が食料を運ぶために列を成すように、これから運ばれるのはオレたちの死肉か、はたまた〈銀の欠片(ミスリル)〉を持つ大蠍の方か。


 どちらにせよ、迫る死の予感に絶望を隠せない一同の様子に……オレはため息を吐いて、立ち尽くすもう一人の魔術師に声を掛けた。


「コーデルロス、力を貸せ。お前の魔力はどれだけ持つ」


 かろうじて届いたらしいオレの言葉に、コーデルロスがややあってこちらを振り向く。


「……こいつらを片付けられる分はギリギリあるかもな。問題は、そんな猶予があるかどうかだが」

「それで充分」


 短く答えて、オレは遅延魔術を唱えた。


「――――〈遅延の(レンテ・スプマ)巨泡(・グランデ)〉」


 広げた手のひらとともに、青白い輝きが小さく、ぷかりと宙を浮かんだ。

 目の前を浮遊したのは、砂漠の風景の中では決して見ることはないであろう――一つの小さな泡だった。


「ベルトラン、それは?」


 もうすぐこっちに辿り着かんとする魔獣の群れを睨みながら、コーデルロスが問う。


「風の魔術をこの泡の中に唱えろ。お前のお得意の無詠唱ではなく、ちゃんと声に出してだ」

「うおっ、――来やがった!!」


 オレたちのやり取りが終わるより前に、大軍の前列とウォーラトたちが戦闘を開始する。


 すぐ近くで響き渡る剣戟(けんげき)の異音、フェリスの弓が弾かれる音や白虎(びゃっこ)に変化したマリリーズの激しい格闘の音が戦場を包み込む。


 それらの背後で、オレはたった一つの小さな泡を浮かべながら、コーデルロスを見やる。

 その風の魔術師はというと、


「……基礎(きそ)こそ魔術の上手なれ、か」


 オレの意図を察したのか――いつものごとく、ニヤリと口元を歪めていた。

 今言った台詞も、過去にリディヴィーヌが生徒を教え(さと)す際によく口にした言葉であった。


「なんか知らんが早くしろ、ベルトラン!!」


 大剣をぞんざいに振り回して、周囲に群がる蠍の魔獣たちを数体まとめて吹き飛ばしながらユーゴが叫ぶ。


「ティメオ、オレの合図で防御結界を最大展開しろ。お前の魔封具(まほうぐ)のできる限りの全力でやれ」

「っ、分かりました」


 戦況を見て、その都度、大盾を仲間の援護に回して臨機応変(りんきおうへん)に動くティメオが応じた。


「――――――」


 隣ではコーデルロスが早速、泡に向かって魔術を詠唱していた。

 それを見届けたオレは、即座に指を鳴らす。

 次の瞬間、


「……!!」


 浮かぶだけの小さな泡が――数十倍、いや数百倍の大きさに膨張(ぼうちょう)し、砂漠の空中をずっしりと浮かび上がった。

 陽射しを受けてなお膨らみ続ける魔術の巨泡が、オレたちの頭上を越えて、どんどんと巨大化していく。


「な、なんだこれ!?」

「面白いのはこれからだぞ」


 巨大な泡に慌てふためくウォーラトを一瞥して、オレは合掌(がっしょう)するように、両の手のひらをパンッと合わせた。

 すると、巨大だった泡が――そのまま弾けたかのように細かく分裂し、(またた)く間に、全方位に飛散して子蠍の大軍へと広がっていく。


 一つ一つの小さな泡が空気中を浮遊し、術理(じゅつり)による決められた動きを以って素早く、魔獣の群れ全体に行き渡る。


「ティメオ、今だ」

「! 〈防御結盾(フェレア・スクトゥム)〉起動!!」


 合図とともにティメオが大盾を(かか)げると、オレたちの周囲一帯をぐるりと結界が展開した。


 進攻する魔獣たちを押しのけて、幾重(いくえ)も張り巡らされた板状の防御結界の内側で……オレはぽつりと、最後の命令を告げる。


「弾けろ」


 と、たったその一言だけで、景色が一変した。


 浮遊する小さな泡が、命令通りに割れていった直後――視界を覆う青白い閃光が一帯を埋め尽くす。

 それはただの光ではなく、魔術の発動に伴う現象、青白い文字群の発現(はつげん)だった。


「これは――」


 咄嗟に察した様子のコーデルロスが声を上げたのも、つかの間。

 内臓を撹拌(かくはん)するほどの衝撃が、結界の外側から襲い掛かる。


「!! なん、だ……これ……!?」


 地面に伏せながら、眼前に見えた光景にウォーラトが呻く。


 先の戦闘でコーデルロスが見せた烈風の砲弾よりも数倍の威力で、風の魔術が全方位を吹き荒れていたのだ。

 周辺どころか、町すら飲み込める範囲の災害級の砂嵐が、オレたちを中心に押し寄せていた魔獣の群れを(ことごと)く、すり潰していった。


(遅延魔術による、擬似的集団詠唱――といったところか)


 一人の人間が一度に唱えられる魔術は一つのみ。

 ならば、その詠唱自体を複製させれば――という発想の結果が、これだった。


 〈遅延の泡(レンテ・スプマ)〉に閉じ込めたコーデルロスの詠唱を泡とともに巨大化させて、また小さく分裂させた後に、全ての〈遅延の泡(レンテ・スプマ)〉を破裂させることで各泡ごとに閉じ込められていた詠唱を開始させる。


 ただの思い付きで設計した魔術だが……どうやら、実戦でも上手く機能したようだ。


「ぐっ……この結界、持つのか!?」

「耐えさせて見せます!!」


 防御結界が突破されるそばから新しい防御結界を展開するティメオ。

 たとえ魔封具が魔術師以外でも使える道具だとしても、魔術である以上、使用者に求められる魔力の消耗(しょうもう)は避けられない。

 戦闘で多くの体力を使った守備職のティメオが()け負うには(こく)な役割だが――


「ぐぅっううう……!」


 それでも、全員を生還(せいかん)させるという力強い瞳が、この女にはあった。

 まさしくそれが、覚悟ある団長としての顔なのだろう。


「…………そろそろ、か」


 風の魔術が一斉発動してから数十秒が過ぎて、徐々に、外から伝わってくる衝撃の勢いが減衰(げんすい)していっているのを感じた。


 結界の外は砂煙の海に(おぼ)れたかのように視界が塞がれていて、周囲の様子は一向に窺えないが……しかし、


「………………お、おお? 急に、静かになった……?」


 スッと、風の音が止んだ。


 ティメオが数秒ほど、警戒しながら結界を解除する。

 そして、コーデルロスが大量の魔力消費に疲弊しながらも、風を操って視界を確保した先には――――


「…………――マジ、かよ」

「やった……」

「…………大蠍も、蠍の魔獣も、倒した…………」



「うおおおおおっっしゃああああああ!!」



 響き渡るウォーラトの叫びの下、どこまでも続く砂漠の地平には魔獣の影一つなく。


 “風砂(ふうさ)の国”で大討伐を達成したという勝利の余韻(よいん)だけが、そこにはあった。


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