08:風の申し子
大討伐が開始して数十分が経ち、砂上を歩くオレの気力はすでに干乾びてしなしなとなっていた。
右を向いても砂、左を向いても砂、……砂、砂、砂。およそ人間が足を踏み入れていい環境ではないと確信できる、広大で無味乾燥とした砂漠の景色に、オレは早くも任務の辞退を考えていた。
思えば、こんなクソみたいな荒漠不毛の地に信奉者がいるわけがない。たとえ信心深い人間であっても、この土地に行けと言われたその瞬間にはとうに信仰心など消え失せているはずだからだ。間違いない。
(砂漠を甘く見ていた……歩くのも億劫だ。今のうちに帰るか……?)
そんなオレの鬱屈とした気分などお構いなしに――眼前をやたらと騒がしく進む冒険者が一名いた。
「うおおおおおおおおぜってーあのクソ男を見返してやるぜ!!」
「ウォーラト、前に出すぎです。これは協同作戦であって、独断専行が許される任務じゃありません」
「そうだよ、ウォーラト。というか、恥ずかしいから大人しくしてっ」
抜き身の片手剣を腰に提げた、騒々しい青年――ウォーラトに対して、大盾を背負う女と治療術士の少女が注意する。
「大丈夫だって、団長、ジゼル! そっちの人も気にしないだろ?」
振り返る青年が同意を求めた相手は、褐色肌の魔術師、コーデルロスだ。
「ああ、構わないさ。各々の自由に行動してくれ。いざ戦闘となれば、俺が君たちに合わせる」
「さっすが魔術師の人! えーと、コーなんたらさん!」
「ああもうアホウォーラト! すみません、このお馬鹿が……」
お辞儀を以って懸命に謝意を伝えるジゼルに、コーデルロスがふっと微笑んだ。
「…………」
その背後を、何ともつまらなそうな顔で続くルドヴィック。
隣には無言のまま周囲を警戒しているユーゴが並び、オレとフェリス(とマリリーズ)が少し前を進んでいた。
そして、殿をこの班の監督官であるシュレッサが応じることとなり、何ともぐだぐだな隊列で現在、大蠍の出現が予測される地点に向かっていた。
「ジゼル、お前は気にしすぎなんだよー」
「逆! ウォーラトは気にしなさすぎ!」
「……はあ」
道中、ウォーラトとジゼルの喧しいやり取りが否応なく耳に届き、うんざりとしているオレに――音もなくコーデルロスが近付いてくる。
「俺のことは覚えてるか、ベルトラン」
いきなり、そんなことを言ってきた魔術師の男に、オレは軽い調子で返事をする。
「特別生だった頃にオレに何度も挑んできた、あの風の魔術の使い手だろ」
「くくっ、本当に覚えてくれているとはな、光栄だよ。――風の申し子なんて呼ばれていた俺の魔術を、涼気代わりにしたのは今も昔もお前くらいだった」
過去の思い出を懐かしむように、遠くを見上げながら呟くコーデルロス。
オレが学び舎で教えを受けていた頃、リディヴィーヌが立会う実技の授業で最初に魔術をぶつけ合った相手が、このコーデルロス・バルトだった。
魔術をぶつけ合ったと言っても、オレが上位魔術を発動した時点で試合は中止となったので、厳密には『授業で最初に魔術をぶつけた相手』だが。
それ以降、この男は何かとオレに模擬戦を挑んでくるようになり――その結果の全てが一方的なオレの勝利で終わった、と記憶している。
ここに来て十数年越しの因縁でも付けられるのかと隣を見やると、突然、コーデルロスが馴れ馴れしくオレの肩に手を置いてきた。
続けざまに首を振り、煽るように細められた目がこちらを向く。
「お前は大体の魔術を唱えることができたな。形だけの魔術じゃない、詠唱の短縮も基本型の改良も完璧に完成させていた。あの歳でそれができる魔術師はきっと大成するに違いないと思ったんだが……今や“最低最悪の魔術師”か、くくっ」
「見込み違いで残念だったな」
置かれた手を払いのけて、古い知り合いの皮肉を受け流す。
近くにいたフェリスが首を傾げながらオレとコーデルロスのやり取りを見ていたが、気を使っているのか、やや距離を離してこちらを窺うのみだった。
「今なら俺もリディヴィーヌの弟子になれる気がするぞ」
「ちょうど一席空いたところだ」
そんなつまらない言葉の応酬を経て、ようやく本題とばかりに――コーデルロスの声が真剣みを帯びる。
「聞いたぞ、フォルトゥナ・パルーフェの一件。大魔術師から通達された〈制裁〉の対象にその名を見て、周りの魔術師はどいつもこいつも呆然としていた」
「……だろうな」
「魔女討伐の最前線から帰ってきた“聖者”フォルトゥナ――あの男だけは、魔女の信奉者と相容れることはないと思っていただけに、衝撃だったよ」
どこか哀れむような口調で、コーデルロスが言った。
魔女――アリギエイヌスの討伐作戦、その最前線にて魔術を振るい、五体満足のままに生き残った魔術師というだけでも、魔術師界隈では名声を得るに値する経歴だ。そんな魔術師がまさか魔女の信奉者となって、師であるリディヴィーヌと敵対するなど……一介の魔術師たちが呆れ果てるのも無理はない。
特にフォルトゥナは、名誉も探究も求めない穏和な人格で〈禁忌と制裁〉の候補から一番に無縁だとすら評価されていた。驚きは他の高名な魔術師よりも大きいだろう。
不意に、コーデルロスの表情が険しく歪む。
「そんなことをするはずがない、と思った相手に裏切られるのは酷く苦しいものだ。いや、苦しい以上に……憎しみと怒りで我を失いかねない。お前はどうだ、ベルトラン。フォルトゥナを憎んでいるか」
「……どうしたんだ急に。フォルトゥナと因縁でもあるのか」
「いや、彼を憎んでいるわけではない。……少し状況が似通っていて、古傷が疼いただけだ」
迂遠な言い回しとともに、魔術師の男が小さく息を吐いた。
それで気持ちを切り替えたように、コーデルロスは他の話題に質問を変えた。
「ところで……一年前ほどに“篝の夜警団”という過激派の反信奉者集団が虐殺された事件は知っているか」
「過激派がいるのは知っていたが、その事件は知らないな。さっきの話と何か関係あるのか?」
「関係があるとは断言できないが、当時、事件が起きた街でとある噂が広まっていたのを思い出したんだよ」
少しの沈黙を挟んで、コーデルロスが告げる。
「その噂曰く――突如現れた白い男が、過激派の全員を殺した、と」
「…………白い男?」
あまりに覚えのある特徴に、オレは思わず足を止めた。
「……フォルトゥナの仕業だと?」
「どうだろうな。ただ、噂はすぐに立ち消えて、事件の三日後に犯人が捕まったことで『根も葉もない噂』として誰も気に留めやしなかったが……少し気にならないか?」
切れ長の瞳が、悪巧みする悪童のように光った。
現時点で、所在が分からないフォルトゥナの尻尾を掴む手掛かりだとコーデルロスは考えているのだろう。
そのまま肩を揺らしながら笑い、首を振ってオレの隣を離れていく。
「まあ、頭の片隅にでも置いておいてくれ」
「……覚えていたらな」
オレの気のない返事に、コーデルロスが片手を上げて応じる。
すると――
「ッ……魔獣だ! 二時の方向から三体、蠍のような魔獣が地面を潜ってこっちに来てるぞ!!」
敵襲を報せるルドヴィックの叫びが背後から響く。
それにいち早く反応したのは、先ほどから騒々しく先頭を進んでいた剣士の青年、ウォーラトだった。
「うおっしゃあ! 俺の出番だ! ……ん、蠍って地面潜るのか?」
腰に提げた武器――鋸の刃に似た形状の片手剣をすぐさま構えると、跳ねるように――敵が潜む方向へと飛び出した。
「! おい、一人で前に出過ぎるな!」
ウォーラトの疾駆を見たユーゴがすかさず追わんと大剣に手を掛けるが、その隣から――ティメオの手が無造作に突き出される。
『動くな』という合図とともに、大盾を背負う女がユーゴの前に進み出る。
そして、
「ユーゴさんは見ていて下さい」
背中越しにそれだけを告げて、ウォーラト同様に、ティメオもまた敵が潜む方向へ力強く走った。
大盾の重量などまるで感じさせない身軽さで青年の背に追い付くと、流れるような取り回しで大盾を構えるティメオ。
そんな戦闘態勢の二人に向かって、シュレッサが声を上げる。
「相手は“子蠍”だ、気を付けろ」
「あ? 子蠍って何だよ――」
ウォーラトが振り向いて問い返した直後、どこまでも広がる砂の地面に異変が生じた。
平坦な砂漠の大地が一部、いや、一面が急激に盛り上がって、突然――何かが勢いよく地中を飛び出してきた。
それは二人が身構える地面の、わずか後ろからだった。
「……!!」
咄嗟に反応して、片手剣を掲げるウォーラト。
その動きよりも速く、砂中から出てきた蠍の魔獣――狼の魔獣よりも大型のそれが、持ち上げた大きな鋏を振り下ろす。
人間の身体など優に叩き斬れる質量が、青年の頭上を覆い被さり――
「〈防御結盾〉、起動――!!」
次の瞬間、一筋に迸る命令句が、魔獣と青年の間を割って入った。
大きな衝突音とともに視界が捉えたのは、半透明な板状の結界によって奇襲を防がれた蠍の魔獣と、青白い光に輝く大盾を構えたティメオの姿だった。
「……っと、助かったぜ、団長!!」
「逸りすぎですよウォーラト、ジゼルの強化魔術を忘れないでください」
落ち着いた声で、団員の先行を注意するティメオ。
お咎めを受けたウォーラトは「わりぃ団長!」と軽い反省を口にして、同時に、ニィと歯を見せて笑う。
直後、青年の身体が高々と宙を飛んだ。
跳躍――常人の脚力では到底為し得ない異様な高度に身を浮かし、ウォーラトが魔獣の遥か頭上を位置取る。
「……ジゼル! 頼んだ!」
「了解! ――〈力を高めたまえ〉!」
空中で合図したウォーラトに向けて、治療術士のジゼルが強化魔術を詠唱する。
魔術の発動によって、落下するウォーラトの身体が鮮やかな黄色の光を帯びた。強化魔術による色彩変化を残像に乗せて、物理の法則を捻じ曲げる加速を得た一撃が、蠍の胴体へと垂直に叩き込まれる。
「……!!」
響く轟音。間髪容れずに巻き上がった暴風が周囲を吹き荒らし、戦いの行方を見守る者たちの視界を砂で埋め尽くした。
やがて……収まった砂煙の内側には、胴体を真っ二つに両断された蠍の魔獣と、片手剣を突き上げて勝ち誇る剣士の青年がいた。
「見たか――これが“狼斬り”のウォーラト様の実力だ!」
「まだ二体います、気を抜かないでください」
「あ、はい」
大盾を以って、衝撃の巻き添いから自身を守ったティメオが警戒を呼び掛ける。
こちらに一瞥もくれずに再度、身構える二人。オレたちの応戦など不要だと言わんばかりの戦意に、ユーゴとフェリスは戸惑いを浮かべて立ち尽くしていた。
不意に、二人を挟んだ両隣の地面が盛り上がる。
下からの攻撃を予測していたティメオが大盾を砂の地面に突き立てる。しかし、現れたのは、背中合わせに構えた二人の隙間――そのわき腹を目掛けて鋭く伸びた蠍の尾だった。
「起動」
槍の穂先を思わせる尾の針が、ティメオの一言によって、またも防がれる。
両側面に出現した板状の結界が魔獣の刺突を弾き返し、続けざま、降り落ちた大盾が蠍の尾を半ばから断ち切った。
慌てふためくように這い出てきた二体の蠍の魔獣を――
「おらよ、っと!!」
強化魔術による迅雷の速度で、一切の無駄なく、まとめて斬り伏せるウォーラト。
鋸の刃に似た片手剣の切断が背甲ごと蠍の部位をズタズタに斬り裂き、遅れて噴き出した青い血液が……砂の大地を渇きから潤したのだった。
動かなくなった三体の魔獣を確認して、ようやく、戦闘を終えた二人がこちらを見る。
「討伐完了! どうだ、俺の実力に震えたか!?」
「…………」
「スゴイです! ウォーラトさん、ティメオさん!」
自信満々に聞いてくるウォーラトにフェリスが一人、拍手で答えた。
それを無言のまま見守るティメオと、後ろで小さく安堵の息を吐くユーゴ。
「なるほど……たしかに、勇者候補と呼ばれるだけはあるな」
素直に評価してやると、フェリスとオレの言葉を聞いたウォーラトの表情が途端、緩みに緩んだ。
「へ、へへっ、そうか? アンタら良い奴だな!」
「むっ、ちょっと、デレデレ……調子に乗りすぎ!」
ウォーラトの反応に不満げな治療術士の少女が、肩を怒らせながら彼の方へと大股で近付いていく。
「な、何でだよ!?」
ギョッとして一歩身を引く青年。さっきまでの戦いの空気はどこへやら、またもや騒がしい若者たちの雰囲気が作られていくのを感じて、オレはため息を吐いた。
ふと、先ほどから黙っている二人に視線を向けると、ルドヴィックが大きな黒眼鏡を外して――
「おい、前方から十……いや二十体の蠍の魔獣がこっちに来るぞ!!」
「――ッ!」
驚愕に染まった〈先見者〉の警告に、すぐさま全員が臨戦態勢を取った。
弾かれたように散開し、各々が武器を構えて前方を睨み据える。
「オレが連中の足を止めるから、フェリス、お前は蠍の眼を狙え」
「! 分かりました!」
いつでも矢を放てる準備を整えた少女に指示を飛ばして、オレもまた、魔術を発動させるために詠唱の予備動作を始めた。
「うっし、どんどん来い!」
「あぁもう、面倒だなー!」
青血に塗れたギザ刃の剣を突き上げるウォーラトと、その背後で追加の強化魔術を発動させるジゼル。
そんな二人を護らんと大盾を構え直すティメオの隣に、ユーゴが大剣を抜き放って並んだ。
「悪いが俺も戦うぞ」
「っ、ユーゴさん……!」
ルドヴィックのそばに猫とシュレッサを残して前に出てきたユーゴを、ティメオが驚いて見返す。
各陣営が好きに動いて位置を取る、連係とはおよそ無縁の隊形だが、不思議とこれが最善の配置にも思えた。
休む暇もなく、砂地を潜って向かってくる魔獣の群れを前にして、緊迫した空気がこの場を支配する。
だが……
「――いや、ここは俺に任せてくれ」
そう言ってゆっくりと歩み出てきたのは、先ほどから静観していた風の魔術師――コーデルロス・バルトだ。
泰然とした風格を持ってオレたちの間を進み、最前にいたウォーラトの肩を掴む。
「ん? 何だ、魔術師の人」
「下がっていてくれ。巻き込みたくないからな」
疑問符を浮かべたまま、言われた通りに数歩下がる剣士の青年を見届けた後、コーデルロスが腕を前に突き出した。
そして、下に向けられた掌を、サッと上に返す。
そのわずかな手の動き一つで――砂漠の空気に変化が発生した。
「なっ――」
驚きに誰かが声を上げる。いや、目の前で起きた異変に、誰もが似たような反応を示した。
これまで静かだった砂漠の風が、何の予兆もなく突然、渦を作り始めていたのだ。
肌を叩く砂の感触が激しくなるにつれて、眼前に現れた砂嵐もまたどんどんと大きさを増していった。だというのに、本来ならば巻き込まれているはずの距離にいるオレたちの空間には、暴風の猛威が届いてこない。
現実離れした光景を生み出した張本人は、なおも片手を構えたまま立ち尽くしている。
吹き荒ぶ嵐の勢いは最大まで膨れ上がり、ついには――砂の中に潜んでいた蠍の魔獣さえも次々と吸い寄せていった。
「ぅお、なんだこれ……!!」
大量の砂と魔獣を巻き上げながら、天高く立ち昇った巨大な暴風を見て、ウォーラトが興奮気味に叫んだ。
もはや災害に等しい風の暴力に抗える術もなく、ルドヴィックの報告通り、二十体の蠍の魔獣が飛ばされるままに空を回転していた。
「――――」
やがてコーデルロスの開かれた手が、握り拳を作るようにゆっくりと閉じられていく。
魔術師の動きに応じたのはやはり、暴風の方で――大きな螺旋状に渦巻いていた砂嵐の流れが、中心へと緩やかな速度で収縮していった。
同時に、風に巻き込まれている魔獣たちも一箇所に集まっていく。さながら空中に描かれた蟻地獄のような光景に、コーデルロスが嘲るように笑った。
肩を揺すって笑い、次には……煮え滾る怒りを湛えた低い声が風に流れる。
「――この地はお前らのような化け物の住処じゃない、消えろ」
握っていた掌を、パッと弾けるように開く。
その動作によって、瞬く間に風の勢いが消えた。まるで何かの冗談だったかのように一切の流れを止めた砂嵐の中心で、蠍の魔獣の大軍が一纏めに固まったまま地上へと放り出される。
空気の牢獄から解放された――そんな風にも見える前方の状況に、無慈悲の追い風が吹いた。
いつの間にかコーデルロスの周囲を取り巻いていた風が、その掌の上へと収束していく。そうして圧縮された暴風の魔術を、落下している蠍の魔獣たちに向けて、撃ち放った。
「――!!」
直後、獣の咆哮に似た轟音とともに、空間ごと震わしながら――巨大な烈風の砲弾が魔獣へと叩き付けられた。
地面を抉って一直線に伸びた衝撃波が、蠍の魔獣を形すら残さずに穿つ。二十体もの魔獣が一瞬でバラバラに粉砕されて、降り注ぐ鮮血さえ青い血煙となって霧散していった。
まさしく暴虐の塊ともいえる風の砲弾が通り過ぎていき……後に残された砂漠の大地には、魔獣の痕跡はどこにも見当たらなかった。
「……ふう」
殲滅を最後まで見届けたコーデルロスが息を吐いて、首を振りながらこちらを向いた。そして、
「まっ、こんなところさ」
と、茶目っ気を演じるように片目を瞑った。
「…………」
凄絶な光景に一同が黙り込む。
オレもまた、目の前で見せ付けられたかつての知り合いの力量、その成長具合に……肩をすくめる他なかった。
この作品を読んでいただきありがとうございます。
ブクマ・評価・いいねを押してくれている方々のおかげで執筆のモチベーションに繋がってます!
次回以降、少し更新頻度が落ちますが、最後まで書き続けたいと思ってるのでどうかよろしくおねがいします。




