02:通信
昨日に遡る。
その晩、オレは侵入者との戦闘で半壊状態となっていた廊下に戻って、焼けた絨毯の付近を見下ろしていた。
あのとき唱えた水の魔術の名残――“水源”が残ってないかを探していたのだ。
「……お、あったか」
自分と同じ魔力の反応があった地面に手を置く。
そして、手のひらに触れたわずかな冷たさを拡張する意識で――蒸発しかけていた水源に魔力を注いだ。
一瞬、地面が青白く光ると、そこから見る見るうちに水溜りが広がっていった。
こうすることで、改めて水の魔術を唱える必要もなくそれを操ることができるという、言わば魔力の節約術をオレは実践していた。
「さて、大魔術師さまは……」
接続先を想起しながら、足元の水源に球体を形作るように命令する。
すると、水源から両拳を合わせた程度の大きさの水球がふわりと浮かび上がった。
その水面に映し出されていたのは、下から覗くような視点での――リディヴィーヌの思案する顔だった。
自室で休憩中か、と推察するも束の間、
「――!!」
魔術に気付いたリディヴィーヌが刹那の速度でこちらを振り向く。
さすが大魔術師だな……と、思いきや。
「ごほ、ごほっ!! ……………………んん、…………私の飲み物を通して連絡を図るのは止めてほしいと言いませんでしたか、ベルトラン」
壮大にむせてみせた推定五十代の我が師に、オレは肩をすくめて謝罪する。
「すまん、ご老体に酷いことをしてしまったな。恩知らずな弟子を許してくれ」
「………………ええ、そうですね。では、通信を遮断させてもらいますね」
「おい待て、信奉者の仲間らしき男と接触した」
飲み物の容器に手をかざそうとするリディヴィーヌに、ギリギリで報告を済ませる。
数秒が経ち、ゆっくりと光が戻ってきた水面に再び、リディヴィーヌの真剣な表情が映る。
「…………それは本当ですか」
「ああ、本当だ。そいつはフォルトゥナを知っていた」
「……〈先見者〉の青年は無事でしたか」
「まあな。それよりも教えてくれ――〈銀の欠片〉って何だ?」
面倒なやり取りを飛ばして、オレはそれを単刀直入に聞いた。
その問いに不意打ちを受けたように、リディヴィーヌの瞳が大きく見開かれる。……反射的なものだとしても、あまりに正直すぎた反応にオレは若干の呆れを覚えつつ、話を続けた。
「如何せん、オレはそれについて知らないからどうしたものかと途方に暮れていたんだよ。これはアンタがオレに話せる内容か?」
リディヴィーヌにそう問い掛けながら、自分が信奉者だった頃を思い返す。
あの頃は幼く、内部情報に触れる行動も全て制限されていたために、オレが信奉者のことについて得られた知識はあまり多くなかった。
そして現在でも、魔術師に課せられた掟である〈禁忌〉や、魔女討伐の最前線に立った兵士たちが情報を秘匿していることも相まって、錬金術の国エンピレオが行っていた実験に関する記録はもちろん、信奉者が隠し持っていた錬金術の国の遺産についても知る手段がほとんどない状況だった。
だからこそ……
『彼らの目的は――ある“魔術装置”を起動することだ』
(もしも、その魔術装置がこの奇病さえ治療できる“何か”だったなら――どうするか)
あの夜に聞いた暗殺者の青年の言葉を思い起こしながら、リディヴィーヌを見る。
「……それが狙いということですか」
翡翠色の双眸を細めて、額に手を置くリディヴィーヌ。独り言のように呟かれたその声には、悲嘆にも諦観にも似た暗い感情が込められていた。
「さっさと教えてくれると助かるんだがな」
そう急かすと、リディヴィーヌは小さくため息を吐いて、言葉を続けた。
「アリギエイヌスがかつて完成させようとしていた魔術装置――〈大真理の器〉に必要な五つの魔力媒体、言わば動力源です」
「……〈大真理の器〉?」
その名はどこか――いや、はっきりとしているほどに〈真理の器〉と似通っていた。
魔術師として生きて今日まで、一度も耳にしたことがない魔術装置だった。
(フォルトゥナは知っていたのか?)
それはどういった目的の装置なのか、なぜそれが表で知られていないのか――次々と湧き出てくる疑問を抑えて、オレは黙って師の言葉に耳を傾ける。
「アリギエイヌス討伐後、五つの〈銀の欠片〉は討伐の功労者である混成部隊の出身から五ヶ国が秘密裏に保有することに決まり、一国を除けば、今でも厳重に管理されている――はずですが」
「〈銀の欠片〉はすでに一つ、連中に取られているらしいぞ」
暗殺者――バンジャミン・ディオメッドが伝えてきた真偽不明の情報を、そのままリディヴィーヌに伝える。
途端、眉間にしわを寄せる大魔術師の女。……フェリスといい、オレの周囲はどうしてこうも感情を隠すのが下手な奴が多いのか。
「…………」
沈黙を挟むリディヴィーヌの代わりに話を進める。
「オレの推測を言うぞ。その〈大真理の器〉とやらは既に連中に確保されているはずだ。じゃなきゃわざわざ鍵となるそれらを集める意味がないからな。問題は、その〈大真理の器〉がどんな大それた代物なのか、だが――」
「不明です」
「は?」
即座に否定するリディヴィーヌに、オレは思わず間抜けた声を漏らした。
「それを完成させようとして錬金術の国は滅びたのですから」
「……なるほどな。装置の用途を抜きにしても、国一つ簡単に滅ぼせるほどの脅威か。分かりやすいな」
数日前に見た、錬金術の国の荒廃した光景を思い出して、無意識の内に乾いた笑いが口を出る。
あんな悲惨に満ちた崩壊を作り出す魔術実験とは一体どんなものなのか――その謎がここに繋がってくるとは。
魔女アリギエイヌスは〈真理の器〉を大陸中に拡散するだけに留まらず、そんな恐ろしい魔術装置まで起動させようとしていたのか。
「そんなヤバイもの、どうして今まで放っておい…………待てよ、つまり、こいつも」
脳裏を過ぎった一つの可能性。
オレの考えを読み取って、リディヴィーヌが厳かに頷いた。
「ええ、〈真理の器〉同様に、強力な迷彩魔術に覆われていると推測されます。アリギエイヌス討伐後、彼らの根城を捜索しましたが、発見できたのは〈銀の欠片〉のみでした。残党を問い質しても答えを知る者はいなかった。ですが、あなたの予想が正解であれば……」
「限られた信奉者のみが事前に場所を把握していたか、または何らかの手段を用いて発見した」
「はい」
リディヴィーヌが肯定する。
先ほど感じた〈真理の器〉との類似点は名前だけではなかったらしい。
ただし〈真理の器〉の場合は、魔獣を生み出しているという明確な特徴から、魔術を察知することのできる人間――〈先見者〉による位置の特定が容易だったわけで、それが停止状態である〈大真理の器〉だと話は違ってくるだろう。
「〈大真理の器〉が錬金術の国を滅ぼしたという話も、生存者の証言とアリギエイヌスが残した一部の研究資料を基にした推論です。現物を確かめることができていないので、絶対とは言えませんが――識者たちの見解はおおよそ一致しています」
「それなら、どうしてその〈銀の欠片〉とやらを破壊しなかった? 〈大真理の器〉を起動するための鍵なら壊してしまえば話は終わりだろ?」
ふっと湧いた疑問の一つを投げると、水球に映ったリディヴィーヌが静かに首を振る。
「……破壊できなかったってことか?」
「はい。〈銀の欠片〉と名付けていますが、実態は未知の物質です。分かっていることは、非常に硬く、また、魔力の含有量が非常に高い、ということだけです、……?」
淡々と告げるリディヴィーヌの視線が、不意に前方へと移動する。
魔術が拾う音声の中に、リディヴィーヌ以外の声が遠くの方から聞こえてきた。おそらく、リディヴィーヌの部下だろう。やや慌てている様子だが、通信中であることに気付いて報告の機会を改めるやり取りがわずかに聴き取れた。
そして、オレとの通信を優先しようとしているリディヴィーヌに再度、呼び掛ける。
「ああ、そっちの用事を優先してくれ。オレは質問の答えを得られて満足したからな」
元信奉者でありながら、自分がいかに無知だったかについても同時に思い知ったわけだが。
そんなオレの殊勝な態度に、大魔術師の女はしばらく押し黙った後、表情を変えずに感謝を言う。
「……そうですか。貴方が素直に私の言葉を受け入れてくれるのは、とても嬉しいですね。ありがとうございます」
「はは、オレは普段からアンタの命令に従ってはいるだろ、今回の護衛任務だってそうだ……で、どうする? フォルトゥナの狙いが〈大真理の器〉だとして、オレは引き続き護衛をした方がいいのか」
「お願いします。先ほど〈銀の欠片〉は一国を除いて厳重に管理されている、と言いましたね」
片手を挙げて部下を引き止めるリディヴィーヌが、少しの間を置いて、告げた。
「その管理できなくなった一国こそ――四大禁獣、大蠍によって崩落してしまった風砂の国なのです」




