12:エピローグ
「おいお前! 昨日はよくもやってくれたな!」
一階の廊下を歩いていると、背後からルドヴィックの怒鳴り声が飛んできた。
隣を付いて来ていたフェリスがびくりと跳ねて、オレは億劫に思いつつも振り返る。
そこには、いつ見てもダサい大きな黒眼鏡を掛けた青年が怒り心頭の形相で立っていた。
「驚いたな、命の恩人であるオレに対して『助けてくれてありがとうございます』以外の言葉を吐けるとは」
「何が命の恩人だ! ボクをあんな何もない平原に一晩中放り出しやがって! 魔獣に喰われていたらどうしてくれるんだ、ああ!?」
「喰われた時に聞いてくれ。その時に改めて答えてやる」
「喰われたら聞けないだろうが、この間抜け!!」
地団駄を踏みながら、怒りで顔を歪ませるルドヴィック。
どうやら、こいつは昨夜のことで苦言を呈しているらしい。もしもの場合に備えて、予めルドヴィックを転移させておいたという事情はユーゴを通して耳に入っているはずだが。
そんなオレの考えを表情から読み取ったのか、青年はなおも苛立ちながら言葉を続ける。
「お前はボクの護衛として雇われているって言ったよな? ボクが転移した先で死ぬかもしれないとは思わなかったのか? あ?」
「生きてるならどうでもいいだろ」
「どうでも良くないんだよ! ――わざわざ“錬金術の国”の近くに転移させるとか正気か!? 脳が遅れているから“遅延特化”なのかお前は!」
「ははっ」
「笑い事じゃないんだよ底抜けの間抜け魔術師が!! この――」
ふと、握り拳を固めるルドヴィック。
ふるふると激情に戦慄く拳が持ち上がり、ひょろっとしたその腕が斜めに伸びた先はオレの顔面――
「――ルドヴィックさん!」
制止の声がすかさず、オレの隣から飛んできた。
少女のその声を聞いて、ルドヴィックの拳は驚いたように動きを止めたまま、オレの顔面に届くことはなかった。まあ、当たっていたところで大したものでもないが。
「暴力はダメです。それに、ルドヴィックさんはベルトランさんに助けられたんですから……お礼を言った方が、良いと思います」
フェリスの力強い視線が激昂する青年を射抜く。
普段、目にする少女の印象とはかけ離れた気迫ある瞳に、ルドヴィックの表情が少しだけたじろぐ。
「ボクが礼を言うわけないだろ」
「口で言えないなら物で伝えてもいいぞ」
「……チッ!」
ルドヴィックは舌打ちをすると、しばらくオレとフェリスを睨み付けた後に、廊下を歩き始める。
前回みたく、そのままどこかに歩き去っていくかと思いきや……ルドヴィックは数歩進んだ先で立ち止まって、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「……君は知らないのか?」
「え?」
ルドヴィックの視線が、今度はフェリスに向けられる。
変わらずイライラしている様子だが、しかし、今浮かべている表情にはどこか相手を見下す余裕のようなものが含まれていた。
きょとんと首を傾げるフェリスを、ルドヴィックが鼻で笑う。
それから、オレを指差して得意げに言った。
「ハッ、知らないなら教えてやるよ。そこの間抜けが――元“信奉者”の一人だってことを」
「――……」
ルドヴィックの声が廊下を反響する。
ほんのわずかな沈黙を挟んで、ルドヴィックは少女の反応を確かめるように――先ほどよりも声を大きくしながらそれを告げた。
「こいつは信奉者の両親のもとに産まれた“出来損ない”だ、本人がそう証言したからな。魔術師なんて連中は信用ならないが、こいつは輪を掛けて信じるに値しないクズさ。君のために忠告しておいてあげ……る……」
嘲るように、意気揚々と喋っていたルドヴィックの声が、そこで途切れる。
「……?」
何事かと思って見れば、ルドヴィックの表情が困惑の色を浮かべながら固まっていた。
その見つめる先を追って隣を振り向くと、フェリスが――
「…………」
決して長い付き合いとは言えないが、それでも、オレにはこいつの表情を垣間見る機会が多くあった。
そんなオレでもまだ見たことはない。この少女にしては珍しいほどに――怒りを込めた視線が、ルドヴィックを睨み付けていた。
目の奥に宿っているのは、相手に対する軽蔑だ。
そんな感情をフェリスが誰かに向けることがあるのか……などと他人事のように思いながら、オレはそれを呆然と見ていた。
「な、なんだよ、お前も信奉者は嫌いだ、ろ……」
さっきまでの勢いはとうに消えて、段々と攻撃的な声を萎ませていくルドヴィック。
気圧されたように一歩また一歩と後ろに下がる青年の視線が、不意に少女の背後へと流れる。
「! と……とにかく、今度も勝手なことをしたら許さないからな」
そんな台詞を吐いて、今度こそ……ルドヴィックは廊下の向こうに歩き去っていった。
「肝に銘じておくよ」
青年の背中にそう呟いていると、次はオレたちの後ろから――ユーゴが声を掛けてきた。
「よう、……またあいつが何か余計なことを言っちまったみたいだな?」
挨拶をするなり、察したように頭を掻くユーゴ。その隣には、いつの間にか付いて来ていた“猫”が「にゃあ」と眠そうに鳴いていた。
「ただの事実だ」
「問題ないならいいが。ところで、昨日の侵入者の件だが……」
チラリとフェリスを一瞥し、ユーゴは少しの間だけ逡巡するように目を伏せるが、程なく話を切り出した。
「あの女だが、治療術師の報告によれば『手を尽くしたがダメだった』とのことだ。今回の暗殺について情報を聞き出せるかと思ったが……上手くいかねえもんだな」
「そうか」
報告を聞いて、オレは現状について思案する。
上の階では今も複数人の兵士たちによる検分が行われており、オレの証言と状況が一致しているかの確認作業が続いていた。
当初はオレの関与を訝しむ意見がいくつも挙がったが、あの場に居合わせたユーゴの発言とリディヴィーヌの弟子という立場が幸いして、そこまで疑われることもなく尋問から解放された。
このまま収監されるような事態になったとしても、それはそれで、面倒な護衛任務から降りられるので悪くはないと思ったが。
そんなことを考えていると、ユーゴが豪快にオレの肩を叩く。
「ま、昨日のことはアンタなりの最善だって俺は分かってるぜ」
じゃあな、とそれだけを言って、ユーゴと灰色の毛並みをした猫――マリリーズはオレたちの横を通り過ぎて行った。
…………
遠ざかっていく一人と一匹の背中を眺めながら、オレは隣の少女に言葉を投げる。
「――さっきも言ったが、あいつの発言は事実だ。オレは信奉者の両親に育てられた、まさしく元“信奉者”だ」
淡白にそう伝えると、フェリスもまた、
「そうですか」
と、実にあっさりとした口調で応えた。
「驚かないのか。いい機会だし、ここらでメリザンシヤのもとに帰って貰おうと思ったんだがな」
「……驚いてますよ、すごく。……でも」
フェリスが前に歩き出して、勢いよくこちらを振り向く。
唐突に視界に入ってきたそれに、オレは少しだけ面食らった。
まるで、童女のように透き通った笑顔が、亜麻色の髪を揺らしながらこちらを見つめていたからだ。
「――関係ないです、そんなの! それより早く行きましょう、明日のために必要なものを買い揃えないと!」
「…………はあ、元気だなお前は」
夏の陽射しみたいな眩しさに目を押さえつつ、オレは渋々、その後ろを付いていく。
少女の軽やかな背丈を追いながら、廊下を流れる窓外の景色に目を向けた。
(……明日か、“大討伐”は)
昨夜、現れた暗殺者の青年――バンジャミンが言った〈銀の欠片〉の存在について、リディヴィーヌに問わなければならない。
そして、その先の“魔術装置”の存在についても知る必要があるだろう。
何も分からないまま、フォルトゥナを追うことほど危険なものはない。
「ベルトランさん、さっ、早く!」
「……はあ」
思考を遮って、フェリスがオレを急かす。
明日に待ち受ける面倒な予感にオレはため息をこぼして――まずは目の前の面倒と向き合うことにした。




