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遅延特化の陰険魔術師(ベルトラン)  作者: 伊佐木ソラ
第二章 岩壁の国

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09:襲撃


 ――屋根の上から観察する、向かい側の領主邸の状況に異変は一切なかった。


「…………」


 一切ないどころか……無さ過ぎていた。あまりにも静かで、遠目からでも人の気配が皆無(かいむ)であることが把握できるほどに静寂としていた。


 時刻は濃い闇に閉ざされた深夜。

 外から見える屋内の灯火の光はふらりとも揺れず、いるはずの守衛(しゅえい)の動きが微塵(みじん)も感じられない。どこかおかしい、いや、全てがおかしい。


(今日、侵入するのは止めた方がいい。……じゃあ、いつ侵入する。明日? 明後日? ……時間がない。遠征(えんせい)までにルドヴィックを仕留めなければ)


 思わぬ事故――空間魔術に必要な転移地点に不具合が生じたせいで、ここに辿り付くまでに多くの時間を要してしまった。

 結果として、単騎での暗殺任務となり……そして、その暗殺対象には予想外の護衛が増えているという始末だった。


(あの魔術師――メリザンシヤが、まさか遠距離から転移の魔術に介入してくるとは想定していなかった。どこまでも……ツイていないな)


 リディヴィーヌの弟子、黒百合の徒(セクサンブラ)の魔術師たちが常識外れの強さを持っているのは知っていたが、ここまで恐ろしいとは思ってもいなかった。

 その弟子の一人である遅延魔術の使い手、昼間に監視したあの男を思い出す。


 ベルトラン・ハスク。

 おそらく今、領主の館で起きている異常な静寂の正体はこの男の仕業なのだろう。

 確実に“私”の存在に気付き、今夜、動くことさえも見抜いている。


「…………」


 欲に目が(くら)んだ盗人でも、罠だと気付いた時点で侵入を諦めるだろう。どうしてもという場合でさえ、日を改めて決行するはずだ。

 ……だが、私にそんな選択肢は残されていなかった。


 (かが)んだままの姿勢を解いて、屋根の上から音を殺して飛び降りる。

 そのまま地面に着地して、向かったのは――領主の館を取り囲む高い(へい)の一角。

 監視塔の“眼”が生きているならば、手間を増やして入り込むのだが、もはや、その必要もなさそうだった。




 窓を解錠(かいじょう)して侵入し、館の三階に辿り着いた時点で……一人として守衛に出くわすことはなかった。

 警備が手薄という以前に、それはもぬけの殻に等しい静けさだ。


 事ここに至ってしまえば、おかしい、と感じるだけの警戒は何の意味も成さない。罠の中にいる――それを承知で目的を果たさなければならない。


 灯火の明かりがない廊下の薄闇を進みながら、暗殺対象が眠っているはずの部屋へと向かう。


「…………、……?」


 移動の途中、ふと、足が――自分の意思を離れた感覚に襲われる。

 一瞬の気の迷いだと思い、再び踏み出そうと力を入れるが、この両足が自由に動くことはなかった。


 いや……(かす)かに動いてはいた。独りでに。


 その奇怪な現象と、緩慢(かんまん)な時間の進み方には覚えがある。

 即座に顔を上げて、廊下の先に現れた気配に視線を向ける。


「――昼間、オレの背後をつけていたのはお前か?」


 そこに立っていたのは、やはり、昼間に監視した男――ベルトラン・ハスクだった。


「…………」


 全身を漆黒の法衣で(まと)い、夜の暗がりに浮かび上がる顔はどこか底意地悪く、ニヤついていた。

 鳶色(とびいろ)に混じる白い髪の(ふさ)を揺らしながら、私の方に向かって歩いてくる。


「館の守衛は全員、オレの遅延魔術で動きを遅らせているから安心しろ。今のお前の足みたいにな」


 そう言って、男は私の足を指差した。

 視線は前方に固定したまま――腰に備え付けていた暗器(あんき)、“毒針”に手を伸ばす。

 だが、


「〈遅延(レンテ)〉」


 男が発した言葉に呼応して、瞬時に宙を浮かぶ青白い光の文字群。

 それと同時、私の伸ばし掛けていた手は――腕は両足と同じく、私の意思を離れて空間に固定された状態となった。


 四肢(しし)を丸ごと、正常な時間の軸から切り離されるという異様な感覚。まだ思考できる状況にあるということは、頭部は遅延の影響に及んでいないということだろう。


 男はさして緊迫(きんぱく)した様子も見せずに、淡々(たんたん)と話を続ける。


「“大討伐(だいとうばつ)”の遠征中を狙うんじゃなくて、その前日に領主の館に侵入して暗殺とは、よほど腕に自信があるんだな? ……おっとすまん、その腕を封じてしまったわけか」

「…………」


 窓から差した(わず)かな街の光に、歩く男の余裕に満ちた顔が照らされる。

 (あざけ)りの表情だった。身動きの取れない獲物を前にして、狩りの愉悦(ゆえつ)に浸る捕食者の眼光。


 男の中では既に勝敗の決着が付いており、殊更(ことさら)に警戒する必要もない、殺せる間合いに近付くまでの暇潰し――そんなところだろうか。


「お前が信奉者(しんぽうしゃ)かどうかは知らないが、降参した方が身のためだぞ。両手を上げて……おっと悪い、今はできないんだったな」


 人を食った話し方で挑発を続ける男。

 何度も見てきた光景だ。確信的な勝利を目前にして、一抹(いちまつ)の注意すら手放す、油断しきった者の慢心に溺れた姿。

 人間だからこそ起こり得る隙――そんな一点を突くために、“武器”は存在する。


 男との距離が近付き、あと数歩でトドメを刺される間合いに入り込む。

 もう、油断を誘う必要はない。

 私は胸元に隠した魔封具(まほうぐ)に向かって、短く命令句を唱えた。


「――――<加速(フェスティナーレ)>、起動」





 侵入者が何かの(つぶや)きを発した瞬間、オレは反射的にもう一度、遅延魔術を唱えた。


「――〈遅延(レンテ)〉!」


 相手の動きを完全に制御するために、今度は手や足だけではなく全身に向けて遅延魔術を放つ。

 尋問(じんもん)するためにあえて自由にしておいた侵入者の口元が、今度こそ、手足と同じく――時が止まっているのかと見紛(みまが)う速度に変化した。


「…………」


 オレは廊下の半ばで立ち止まり、遅延状態になった侵入者の“男”を観察する。

 その足は〈遅延の沼(レンテ・パールス)〉によって(いま)だ歩みを終えておらず、腕は腰の辺りで時を引き伸ばされていた。相貌(そうぼう)外套(がいとう)に覆われていて確認できないが、口元を見るに、魔術の影響で微動を続けているはずだった。


 だが、何かが……おかしい。

 感覚としては、確実に遅延魔術を通したはずなのだが。


「面倒事はご(めん)なんだがな」


 直前に呟いていた侵入者の謎の言葉が気に掛かるが、オレはそれを無視して、侵入者へと近付く。

 しかし、


「……――!!」


 目の前で起きた僅かな変化に、オレは咄嗟(とっさ)に地面を蹴り出して後ろに跳躍(ちょうやく)する。 

 瞬間、鋭い刃が(ひらめ)くように顔面をすれすれに過ぎった。

 着地すると同時、視界が捉えたのは、確かに遅延状態だったはずの――短剣を振り払う侵入者の姿だった。


(こいつ……なぜ動いてる?)


 まさか、〈魔術逸らし(デヴィタトール)〉の護符か――そんな思考を(めぐ)らせる暇もなく、侵入者はオレに向かって跳ねるように飛び出した。


「……ッ!」


 直前にかわしたはずの刃が、気付けば、もうオレの首筋に向けて二度目の弧を描いていた。


 一瞬で間合いを詰める驚異(きょうい)の脚力と狙い()まされた一撃に、オレは次こそ避けられないことを悟り、(ふところ)に忍ばせておいた数枚の“銀貨”を宙に放り投げる。


「〈遅延(レンテ)〉!」


 対象にしたのは侵入者ではなく、投げた銀貨の方だ。

 甲高い金属音とともに、遅延状態になった銀貨と短剣の刃が衝突する。


 その攻撃の勢いから、侵入者の首に()げられていた何かが一瞬だけ、外に向かって踊るように顔を覗かせた。

 それは窓から差した薄い光を反射する、首飾りの金具に()め込まれた――小さな結晶体だった。


(……! 魔封具か!)


 一つの可能性が脳裏(のうり)を過ぎって、オレは即座に他の一手を講じる――のではなく、身を(ひるがえ)すことを選んだ。


 背後の先にある扉まで走りながら、腰に(くく)り付けていた予備の硬貨袋の中から掴めるだけを掴んで、廊下一帯に広げるようにして銅貨を散らばらせる。


「どいつもこいつも簡単に防いでくれるな――〈遅延(レンテ)〉!」


 先ほどの銀貨と同様、それは遅延魔術の影響によって、空間の中をゆっくりと漂う障害物へと変じた。


 短剣を身構える侵入者を一瞥(いちべつ)で確認しながら、とりあえずの時間稼ぎにはなるはずだろう……と、オレは辿り着いた扉の中に入り込み、再び閉じた扉に遅延魔術を掛ける。


 固定化された扉を背に、前方の廊下を見据えながら、オレはため息を吐いた。


「……はあ、“加速魔術”の魔封具か。噂には聞いていたが……本当にオレの遅延魔術を相殺(そうさい)するなんてな」


 あの一瞬に見えた首飾りで、脳裏を過ぎった可能性。

 ここ最近になって、一部の無法者たちの間で流通しているという魔封具――“加速魔術”の魔封具。

 文字通り、それは使用者の速度を遥かに向上させて、通常の時間の流れから(いっ)した速さで行動することができる代物(しろもの)だ。


 なぜ、そんな物が流通しているのか、また誰が結晶化してその魔封具を作り出したのかは分かっていない。

 そもそも、“加速魔術”自体がこの大陸で確認されたことのない、新たな魔術だったのだ。


(魔術で身体能力を向上させた結果として行動速度が上がることはあっても、時間そのものに干渉する魔術は……オレの遅延魔術以外にはなかった)


 侵入者が呟いていたのはおそらく、その魔封具を起動するための命令句だろう。

 あの時、咄嗟に遅延魔術を放っていなければ、目にも()まらぬ速度でオレの首が胴体とおさらばしていた、そんな未来もあったのかもしれない。


 とはいえ、そんな強力な代物には……往々にして、負の副作用が付き物だ。


「……さて、オレの寿命が先か、あの侵入者の命が先か」


 黒法衣の内懐(うちぶところ)から、意匠(いしょう)()った小型の懐中時計を取り出す。

 その蓋を開いて、一切と動く気配のない二つの針を頂点に合わせる。

 そして――


「…………〈制約解除(コルダ・ムーヴェ)〉」


 吐き捨てるように、オレは自身に課していた“制約”を解く魔術を唱えた。

 奇病を(わずら)うこの肉体から、刻一刻と流れ失われていく時間の砂を遅らせるために編み出した、制約という形での延命方法。


 そうして施した特殊な遅延状態が、今この瞬間に――時の束縛を解除した。


「――! ごほっ、がっ…………くそ、慣れないもんだな」


 突然、喉の奥から思い出したように絞り出された赤い液体を片手に受け止めて、オレは首を振る。

 激しくなる鼓動と、誤魔化(ごまか)していた肉体の負荷がどっと押し寄せてくる感覚に、思わず舌打ちを鳴らした。

 喀血(かっけつ)程度ならば、まだマシな方か。


(……さっさと終わらせるとしよう)


 そんなことを考えつつ、扉から離れて廊下を歩き始めると――不意に、前方の横合いに並ぶ窓の一つが大きな音を立てて割れた。


 だだっ広い廊下に窓の破片を撒き散らしながら、見覚えのある人影が――館の外から回転するように飛んできた。

 そのまま、受身を取らずに難なく着地したのは、やはり……侵入者だった。


「おいおい、ここは三階だぞ」


 想像以上の離れ(わざ)を見せられて、さすがのオレも呆れに近い声を零す。

 てっきり、階段を下りて迂回(うかい)でもしてくるのかと思いきや、何ともせっかちで強引な奴だった。暗殺者の中には曲芸に似た動きを取り入れる手合いもいるとは聞いていたが、実際に遭遇すると、ただただ気味が悪い。


 オレが呆れているのもお構いなしに、侵入者は流れるような動作で何かを投擲(とうてき)してくる。


 ほんの僅かな光の反射とともにまっすぐ飛んでくる投擲物。かろうじて目で追える間合いにあっても視認が難しいほど小さな武器となると、おそらくは針の類か。


 オレは何の身構えもせずに魔術を唱えた。


「〈防御結界(フェレア・テストゥド)〉――」


 詠唱に従って、瞬く間に出現する半透明な球状の膜。

 青く薄い皮膜(ひまく)のように見えて、実際は鋼を上回る硬度を持った魔術の殻が、侵入者の投針をいとも容易(たやす)く弾き返す。


 久方ぶりの魔術だったが、案外、精度は悪くないようだ。


「悪いな、遅延特化と言いながら他の魔術も使ってしまって――〈水刃(ラミナ・アクアエ)〉」


 結界の内側から続けざまに魔術を唱えて、今度は足元の近くに“水源(すいげん)”を創造する。

 魔力の流れによって誘導された水が、見る見るうちに鋭利(えいり)な短刀の形状へと変化し、オレの前方をずらりと連なる形でいくつも形成されていく。


「これが魔術師の本領だ。勉強代だと思って――大人しくやられてくれ」


 侵入者を見据(みす)えながら、目の前に浮かび上がった水の短刀に命令を下す。

 その命令は、“敵対者を刺し貫け”。


「……!!」


 標的に向かって、一箇所に殺到する水刃の雨。

 さすがの侵入者も突然の物量に驚く様子を見せたが、次の瞬間には、抜き放つ短剣が居合切りの要領で水刃を跳ね除けた。


 一刀に終わらず、侵入者は小回りの利く短剣を素早く振るいながら、次々と放たれる水刃の射出を一つも漏らさず叩き落していく。


 こうした攻撃と相性が良いのが短剣の利点だな、と半ば力技にも思える相手の防御方法に感心を覚えつつ、オレは次の魔術を放つための詠唱を開始した。

 だが、


「……?」


 侵入者は水刃を()くために振るっていた短剣を、あろうことかオレの足元に向かって放り捨て――背を向けたまま走り出した。

 追尾の攻撃を上手くかわしながら、侵入者が向かった先は……おそらく、ルドヴィックのいる部屋だろう。


「まあ、さすがに目的遂行に切り替えたか」


 オレは指を鳴らして防御結界を閉じ、億劫(おっくう)になりつつも侵入者の後を追う。

 追おうとして――その足元で、何かが閃きを放った。


「――――?」


 視界の端で、侵入者が何かを合図する動作が見えた。

 それはオレに向けた合図などではなく、今、地面に転がったまま煌々(こうこう)とした光を放つ――捨てられた短剣に向けての身振りだった。


(爆破魔術――)


 察する直後、暗がりを割る閃光とともに――凄まじい衝撃が空間を圧倒した。

 オレが立つ周囲一帯、背後の扉を除く廊下のほとんどが魔術の爆風によって吹き飛ばされて、その形を崩していく。


 突き上げる衝撃にひび割れた天井の一部が、オレの頭上に大きな影を落として――そのまま、轟音を響かせながら〈防御結界〉に激突した。


「…………はあ」


 塵煙(じんえん)に視界を(さえぎ)られる空間の中、天井や壁の一部に遅延魔術を放って、再度、結界を閉じる。


「やることが暗殺者とは思えないな」


 領主の館が頑丈じゃなかったらどうするつもりだったのだろうか。

 散らばった瓦礫(がれき)を飛び越えながら、仕切り直すように、廊下の先に続くルドヴィックの部屋へと歩き出す。


 黒の法衣に付いた汚れを払いつつ、先ほどの魔術を思い返して、ゆっくりと進む。


(あの侵入者が使った魔封具は、おそらく二種。〈加速〉と〈爆破〉の魔封具だ。そして……それ以外の魔封具は持っていない)


 今のところ、侵入者の攻撃手段は魔封具に依存した奇襲がほとんどだ。

 あいつ自身が魔術師という可能性がない限り、魔力の関係上、魔封具もあの二つのみと考えていいだろう。


 一般にはあまり知られてないが、魔封具の使用は無制限というわけではない。使用者の質を問わない道具である魔封具でも、微力ながらに使用者の魔力を消費しているのだ。


 そうした魔封具の中には、強力な魔術の負荷に結晶が耐え切れず、代償として使用者の魔力と命を同時に削る魔封具もまた存在する。

 そして、その魔封具こそが――“加速魔術”の魔封具だ。


(使用者の報告から推測するに、肉体に掛かる負荷は相当なはずだ。こんな代物を何度も使っていたら、オレの寿命(じゅみょう)なんかより……よほど早く死ぬ)


 “加速魔術”の魔封具も、相手が“遅延魔術”の使い手であるオレじゃなければ、必殺の切り札だったに違いない。

 何人の命を、それで仕留めてきたのかは知らないが……さておき。


 ルドヴィックの部屋の前に到着し、開け放たれた入り口から室内に足を踏み入れる。


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