04:間章
「ご苦労さま、リハーマン、ギャレー。今日の尋問はこれで終わりとしよう」
「了解しました」
地下牢に続く階段から上がって来た部下二名に、短く解散の挨拶をする。
私の言葉を受け取った部下たちは敬礼すると、出口に向かって歩く私をゆうに追い越し――さっさと地下区画を後にした。
「…………」
それはいつも通りのことで、もはや、何かを思うことはない。軽く頭を振って、再び歩き出す。
カツン、カツン、と石造りの空間に杖突きの音が反響する。
「…………」
追い越した部下たちが速いのではなく……片足が不自由な私の歩みが極端に遅いのだから、先を行かれるのは仕方のないことだった。
地下区画を出ると、今度はやたらに広い王城の廊下が前方に開けて、思わずため息を吐いた。
権威の象徴とはどんなものであれ、主を上位に位置づけるための創意工夫が為されているものだが……これは果たして、権威たるに値するのだろうか。
見慣れた廊下の奥行きに、鬱屈とした感情を胸に秘めながら、ゆっくりと歩みを進める。
そして、否応なく辺りに響く、カツン、カツン、という杖突きの音。
生まれてから今日まで、ずっと離さずに耳にしていたこの杖の音も――当然のことながら、私にとって最も不愉快な音となった。
王城の大きさが権威の象徴ならば、私の不自由を象徴するものこそが、この杖の音だと言えるだろう。
「ふっ……」
そんなくだらないことを考えながら歩きつつ、ふと、廊下の半ばで立ち止まる。
壁の近くに置かれた姿見に、私は何とはなしに視線を向けた。
「…………」
鏡面には、小杖に支えられながら、まるで今まで夜通し起きていたかの如くやつれた顔の男が映っていた。
顔以外にも、伸びた前髪や痩せた体躯など、戦闘と縁遠い己の弱さが一目で分かるようなその容姿は、あまり長く見ていられるものではなかった。
特に――騎士団現総帥セヴラン・レヴィナスの息子である自分の目では、なおのことだ。
(レヴィナス……か)
自分の名前に続く家名の不釣合いさを思い出して、またしてもため息を吐きそうになる。
生まれてきた男子はみな武官として優秀な武勲を挙げてきた戦の名家――レヴィナス家の一人でありながら、生まれつき片足が麻痺しているせいで、武芸に関する一切に秀でることのなかった落ちこぼれ……それが他の誰でもない自分、トリスタン・レヴィナスだった。
微弱な感覚しか伝わってこない片足を眺める。
母の失望も、家臣の不義も、部下たちの侮蔑も、このまともに動かない足では避けて通ることができなかった。
唯一、父だけがこんな落ちこぼれの私を見放さずに、大人になるまで熱心に生きる術を教えてくれたが。
(……いや、あの人も、私を蔑むことはなかったな)
脳裏に浮かんだ、紅い髪の女性。
大魔術師リディヴィーヌの一番弟子でありながら、シルヴィ王女殿下の従者としてこの城にやってきた魔術師。
大体の騎士が自分の横を通り過ぎる際に、哀れみであれ見下しであれ……何かしらの感情を込めた視線をちらりと向ける。
だが、彼女の場合、私を向く視線には一切の否定的な感情が込められていなかった。内心は分からないが、少なくとも、そう感じ取れるだけの繕いをしてくれている。
部下たちの間では、彼女の態度を冷酷だ、あるいは非道の類だと囁く声も少なくないが……私にはそうは思えなかった。
むしろ、誰よりも実直な人なのでは、と――――
「……ん?」
そんなことを考えながら姿見の前で足を止めていると、前方に続く廊下の曲がり角から、三人の男女がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
青年と少女、そして、その先頭を凛として歩く――鮮やかな紅い髪の女性。
メリザンシヤだった。
「あっ、……と」
今しがた考えていた当人との遭遇に軽く動揺しつつ、私は進路の邪魔にならないように脇の方へと移動する。
次いで、小さく会釈をすると、彼女はそんな私を一瞥して、
「…………」
わずかな動きだが、会釈を返してくれた。
後ろを付いて歩いていた亜麻色の髪の少女は、装いからしてどうやら騎士見習いだったらしく、彼女とは反対に大きな動きで私に敬礼を行っていた。
そんな中に一人、何も応えずに悠々と話しかけてくる人物がいた。
「――ああ、セヴランの息子か。久しぶりだな、足の調子はどうだ?」
そう声を掛けてきたのは、鳶色の髪の青年だ。
すらりとした背格好と整った顔立ちは上品な印象を受ける、……が、そこにある黒い瞳はどうにも……外見に似合わず、老成した狡猾さ、あるいは悪戯する少年の企みに似た……形容しがたい眼光を放っていた。
名を確か、ベルトラン・ハスクといっただろうか。
過去にほんの一度か二度、顔を会わした程度だったと記憶しているが、それにしても……
(彼は以前より、全く老いている気配がないな)
記憶の中にある歳若いままの容姿に疑問を抱きながら、私は彼の質問に答える。
「この通りです、はは……」
敬服するリディヴィーヌの弟子ということで、同様の礼節を持って接することを心掛ける。
噂では、彼には“最低最悪の魔術師”などという悪評があり、そのせいで騎士たちからは厳しい態度を取られているらしい。
中でも特別、私の父――騎士団総帥のセヴランからは、まるで悪漢に応対するかのごとく手荒な扱いを受けているとも聞いた。
それだというのに、一切の憂う姿を見せずに堂々と王城の廊下を歩く姿は、なんと言うか……とても勇ましく見える。
きっと、計り知れないほどの豪傑なのだろう、私はそう思った。
「そうか、まあ頑張れ」
私の返答にひらひらと手を振りながら、横を通り過ぎるベルトラン。三人はそのまま、廊下の向こうへと歩き去っていった。
「…………」
やや遅れて、追うように後ろを振り返る。
……視界の奥で今も揺れ動く、焔を思わす鮮烈な紅蓮色の長髪。
その燃え盛るような色とは正反対に、先ほどすれ違った時に見えたのは、透き通るような冬空の冷たさを宿した切れ長の瞳。
無感情な顔つきも、彼女の怜悧な美貌を十分に引き立たせていた。それこそまさに、匠の人形師が作り上げた至高にして至宝の――
(……て、駄目だ駄目だ、何という妄念に囚われているんだ、私は! 気持ち悪い、己のことながらひどく気持ち悪い!)
自分の華やぐ思考に制止を掛けて、ぶんぶんと頭を振る。
こんな邪な雑念ではなく、もっと他に考えるべきことがあることを思い出す。
私は何度目かの小さなため息を吐いて、ゆっくりと……歩みを再開することにした。




