09:灼熱
「よう、村人は見つかったか?」
村の付近に辿り着くと、開かれた視界の端にフェリスの姿を見つけたので声を掛ける。
「ベルトランさん! どこ行ってたんですか!?」
驚いた顔のフェリスがこちらを振り返り、素早い足取りで近付いてくる。
「〈真理の器〉を止めてきた。魔獣はもう出ないと考えていいだろう、多分な」
「えっ、見つかったんですか? たしか、発見するのにすごく苦労する魔術装置だったはずじゃ……」
フェリスがさらに驚いた反応を見せる。まあ、これが普通の反応だろう。オレ自身、こうもあっさりと見つかるとは思っていなかった。
「何とかな。村人はどうだ、無事なのか」
フェリスの背後にある、柵で囲まれた村の入り口らしき場所を一瞥する。
あの男を拘束した後、村に向かう途中で整備された道を発見してここまで辿り着いたが、道中で魔獣に遭遇することはなかった。
薄々、村の周辺に魔獣が集中しているのではないか、と考えたが……
しかし、フェリスは屈託のない笑顔で答える。
「はい、無事です! 村から少し離れたところのマナ教の礼拝堂に村の方たちが総出で避難していました。幸い、魔獣には見つからなかったようで、村の建物以外の被害はありません」
「なるほど、な…………で、これはお前が全部やっつけたのか?」
視線を周囲の地面へと向ける。
狼の魔獣の死骸があった。脳天を矢で射抜かれており、一撃で仕留めたと分かる正確な狙いだ。
一匹だけではない。十……いや二十匹ほどの狼の魔獣が、散らばった場所で同じように、頭部に矢を刺した状態で転がっている。
この光景はさすがに予想していなかった。フェリスならば、魔獣と遭遇しても動じずに対処できるだろうとは考えていたが、まさか一掃までしてしまうとは思わない。
オレの問いに、フェリスが弓を手前に持ち直しながら頷く。後ろに結われた亜麻色の髪がまるで尻尾のように揺れた。
「は、はい! 狼の魔獣相手なら、バレないように茂みに身を潜めながら立ち回れば対処できます」
少女が胸を張って答える。その仕草からは想像も付かないが、どうやら相応の実力あってメリザンシヤに目を掛けられているようだ。
それにしても……
(単独で魔獣の群れを二つ処理して、その上、村の住人を見つけて無事を確認する……これは)
オレとフェリス、今回の少年の依頼内容に従って判断するならば、フェリスの方がより多く貢献していることに気付く。
オレはフェリスの肩に手を置き、真剣な眼差しを向けながら言う。
「……悪いが報酬はオレのものだぞ? 山分けとか無しだからな?」
「え、は、はい、もちろん分かってます」
若干、引き気味で頷くフェリス。見慣れた反応だ。
「で、村人たちはどこにいるんだ。あの女の魔封具で王都に避難させたのか?」
「王都、かどうかは分からないですけど……はい、避難してもらいました。一応、向こう側の安全は確認したんですけど、綺麗な室内に繋がって……」
「室内? ……ああ、そういや、未指定の場合は王城にあるメリザンシヤの自室に繋がるのか。今、思い出した」
「ええ!? あ、あああそこ、メリザンシヤ様のお部屋だったんですか!?」
フェリスが素っ頓狂な叫びを上げる。笑ったり引いたり驚いたり、コロコロと表情の変わる奴だ。
「まあ、城の連中も、魔獣に襲われた村の住人たちを無下に突き放すようなことはしないだろう。……とにかく、これで問題は解決したな。さっさと帰るか」
見上げると、空は陽が沈む手前の茜色に染まっており、オレがどれだけの時間を浪費したかを如実に突き付けていた。
「はあ、これじゃあ、まるで冒険者だな」
忍び寄る仄暗い夜の気配に、思わずため息を吐く。
オレの知る限り、労働ほど悪徳な文化は存在しない。体力を奪い、時間を奪い、時には魂すら奪う。その契約の傲慢さたるや、人生の尊厳を踏みにじっているといっても過言ではないだろう。……そんなことを過去にアシュドに話したら、とてつもなく蔑む目を向けられたことを思い出した。
ゆるりと頭を振って、オレはフェリスに魔封具を取り出すように促す。
すると、
「あ、少し待ってください。今、ロイクくんとそのご家族が村に残っていて」
「? 何かあるのか」
「ロイクくんの妹さんが、どうしても玩具を取りに戻りたいと泣いちゃって……」
「はは、随分と間の抜けた話だな」
オレは肩をすくめて、フェリスと一緒に村の中へと入った。
村を歩いてすぐ、魔獣の痕跡が目に入った。それは人間を探して這い回る狼の魔獣の足跡だった。
他にも、まばらに建つ家屋の扉や窓、日常で使う道具に作業台、畑の農作物など――それらのほとんどが、魔獣によって半壊に近い状態で残されていた。
今回の件が終わったとしても、住人たちはしばらくの間、多くの修復作業に追われることになるだろう。想像するだけでも眩暈がしそうな多事多難だ。
「あそこがロイクくんのお家です」
村の入り口からさして遠くない場所に建つ平屋を指して、フェリスが立ち止まる。
「村にまだ魔獣が残っている可能性は?」
そう尋ねると、フェリスはやや思案した表情で答える。
「家の中や隠れられそうな場所も一通り見回ったので、ここは今のところ安全だと思います」
「そうか、ならいいんだが。もしまた何か面倒事が起きたとしてもオレはすぐに帰るつもりだから、その時はお前の弓矢で頼んだぞ」
「…………」
フェリスの視線がじとっとした質感をもってオレを見つめている気がするが、受け流すことにした。
そんなこんなで、少しの間、手持ち無沙汰に辺りを見回していると、さっきの家の方からこちらに呼び掛ける男の声が聞こえてきた。
「――すみません、ようやく見つけました……! お手間を取らせて申し訳ありません」
「フェリスお姉ちゃんー! 見つけたー!」
平屋の壊れた入り口から出てきたのは、村の少年と、その家族らしき三人の親子だった。
フェリスの名を呼んで走り寄ってくる幼い少女の手には、木彫りの人形らしき玩具が握られていた。
「良かったねー!」
手を振って応えるフェリス。ふわりと明るくなった表情には、どこか目の前の光景を懐かしむような雰囲気があった。
亡き家族のことを考えているのだろうか。ここにくる直前、フェリスがぼそりと打ち明けた生い立ちの一端を思い出して、どうでもいい推察をしてしまう。
「…………ん?」
そんな折に――――ふと、遠くの方から甲高い音が聞こえたような気がした。
奇妙な音だ。しかし、聞き覚えのある音。
それから――地面が微かに揺れて、吹き抜ける風にざわめく枝葉の喧騒が周囲を包み込んだのは同時だった。
オレは無意識に振り向いて、視線の先に捉えた“それ”に気付き――咄嗟に魔術を唱えた。
「〈遅延〉!」
こちらに走り寄ってきた幼い少女に向かって、迷いなく、遅延魔術を放つ。
直後、
「――――っ!?」
肌を焼くような熱風が、幼い少女とオレたちの間を迸った。
いや、熱風なんて生温いものではなく――文字通り、全てを焦がすような灼熱の渦が、森の方角から村に向かって一直線に紅蓮の跡を作っていた。
大地を削る炎の揺らめきが、村の少女とこちら側を区切るようにして容赦なく火柱を伸ばす。
「マリー!!」
奥の方で、村の少女の両親と少年が悲痛な叫びを上げた。
思わず走り出そうとするフェリスを手で制止して、オレは顔を庇いながら炎の中を素早く通り抜ける。
そして、少女の体を掴んだ状態で「解除」と呟くと、途端、少女に掛かっていた遅延状態が解かれて、掴んでいた腕にぐっと体重の勢いが乗る。
「っぐ……!」
少女の顔が炎に触れそうになるギリギリの距離で、勢いを殺すために即座に回転を加える。
二人して横に転びそうになるのを堪えながらも、何とか火だるまを阻止することができた。
「ベルトランさん! 大丈夫ですか!」
「ああ、子供も無事だっ、それよりフェリス! 魔封具をこっちに投げて寄越せ!」
オレの指示に慌ててフェリスが懐を探り、そのまま器用な投擲で魔封具の結晶体を投げる。
弧を描いて投げ入れられたそれを受け取ると、少女を連れて、村の少年と家族のもとに向かう。
「空間魔術――〈飛躍〉、起動」
魔封具に命令句を発して、空間に虚空の渦を展開する。
泣きながら走り寄る少女を抱き抱えてこちらに感謝を繰り返す親二人に、オレはきっぱりと言い放つ。
「感謝は後で聞くから、さっさとこの歪みの中を通り抜けろ」
半ば強引に押し込めるように少女とその両親を虚空の中へと連れて行き、残った少年を振り返る。
村の少年――ロイクが不安そうな顔でオレを見ていた。
「ベルトランさん……」
「オレたちも後からそっちに行くから、早く親と一緒に逃げろ」
そう言うと、少年は駆け足で虚空の前まで走り、小さく「ありがとうございます」と呟いて向こう側へと渡った。
少しの間を置き、虚空を閉じると、宙に浮かぶ魔封具を回収する。
流れるように、オレの視線は轟々と燃え盛る炎の軌跡を辿っていく。
「さて……こいつはどういうことだ」
赤く染め上がった森林の向こう――その先は、〈真理の器〉を見つけた大穴のある辺りだ。
見上げた視線の中央、遠くからでもよく分かる、木々を超えるほどの背丈の異形。
その輪郭は――
「ベ、ベルトランさん、アレっ、何ですか!?」
炎を避けてこっちに来たフェリスが、オレと同じ方向を見上げながら叫ぶ。
そこにあったのは、夕焼けの空に向かって巨大な口を開け放ち、細長い角を頂上に聳え立たせる――赤き竜の頭だ。
錬金術の国エンピレオが大陸の覇者として猛威を振るっていた時代より畏れられた魔獣、その魔獣の中でも最上位の、怪物。
「……四大禁獣、赤竜だ」
かつて、その翼の一煽りで町を壊滅させて、強靭な四肢と太刀打ちを許さぬ猛火の息吹によって都市さえも一夜に崩落させたと云われる、伝説の存在。
何かの間違いでなければ、それは確かに……オレたちの視線の遥か先に巨体を持ち上げて、悠々と佇んでいた。
炎にも、夕焼けにも似た鱗が光を受けて輝きを放つ。その鮮やかな赤色の長首が、ぐるりとこちらを振り向いた。
「……!!」
次の瞬間、高熱を帯びた森の空気を震え上がらせるほどの咆哮が一帯を轟く。
まるで王者の君臨を告げるかのような、恐るべき赤竜の雄叫びが――再びリュミラルジュ大陸の空に響き渡った。




