00:過去
「……手遅れ、ですか」
その光景を一目見た瞬間に、一帯にはもう生きた人間はいないのだと察する。
降り止まない黒い雨と、鼻をつく異臭。全てが燃やし尽くされた後の荒野は、まるで深淵のようだった。
夥しいほどに横たわる、かつては生きていたはずの何者たちも、今や焦土の一部と成り果ててしまっていた。
――“信奉者”の殲滅。
この時代において、魔女アリギエイヌスを信奉することがどれだけの意味と悪性を持つことか――その証明とも言える悲惨な光景。
被害が彼らの命でなかったならば、きっと多くの者が憐れみと義憤に駆られることだろう。
それほどまでに、魔女の起こした災禍は罪深いものであった。
(……そうであっても、人の罪は公正なる審判によって裁かれなければならない)
たとえ、アリギエイヌスが――リュミラルジュ大陸を戦渦に陥れた重罪人であったとして。
その信奉者が――意思を継ぐ謀反者であったとしても。
こんな風に、視界を埋め尽くすほどの虐殺を行っていいわけがない。
「…………」
黒ずんだ死体の群れを掻き分けるように、荒野の上を歩き続ける。
もはや、ここに救える命などないと解っていながらも、私は縋るような気持ちで歩き続けた。
空はとうに暗くなり、月明かりさえ覗かない地上では、角灯の光を頼らなければ足元を見つけることすらも難しい。
魔術で視界の感度を上げていても、この光景の前では全てが黒く映って見える。目を凝らして見ることも、今はとにかく辛かった。
そんな深淵のただ中で、一瞬でも気配を感じることができたのは、本当に幸いなことだった。
ふと、足を止めて、音のした方へと振り返る。
立ち止まったまま耳を澄ましていると、それほど遠くない位置で、雨音にまぎれながらもほんの小さな物音が聞こえてきた。
その不規則な音の発生に、自分でも信じることのできなかった生存者の存在を確信し、私は音のする方へと歩みを進める。
そして、向かう先に着いた時、明かりが照らしたものを見て――私は再びの衝撃を覚えた。
「……坊や、……一体、そこで何をしているのですか?」
そこにいたのは、焦土と闇夜に混ざるようにして蹲る、煤けた姿の少年だった。
周りで縮こまる死体のそれとは違って、少年はゆったりと膝を付き、地面に向かって何かを叩き付けていた。
正確には……地面ではなく、誰かの燃え尽きた死体を、ただひたすらに殴り続けていた。
命などとっくに無い、奪えるものなど何もない亡骸の上で、少年はなおもひたすらに拳を振り上げ続けていたのだ。
「…………」
私の掛けた声に反応して上向く少年の顔を、角灯の明かりが照らす。
――正気を失っているのだろうか。少年の心は壊れてしまったのだろうか。そんな当然の答えも、明かりに映った瞳を見て、すぐに違うのだと気付いた。
宵を過ぎた外の闇において、なお黒く、混ざることのない奈落のような――どこまでも深い、希望のない瞳。
最初から正気など持っていない、そんな瞳を、少年はこちらに向けていた。
少年が口を開く。
「オレは、なにをすればいい」
遅れて出てきた言葉は、無感情なものだった。
縋ることも、祈ることもできない子供の無垢な呟き。何もかもが燃えて灰燼と帰した荒野の上では、これ以上なく、痛ましい言葉だった。
私も同じく膝を付いて、顔を上げた少年の頬に手を添える。
「魔女――アリギエイヌスは死にました。あなたが誓った相手はもう、この世界にはいません」
「…………」
「これからどうしたいですか? あなたがしたいことを、一緒に叶えましょう」
「…………」
答えは、返ってこなかった。
それでも、そっと少年の傷だらけになった手を取って、立ち上がるように優しく促す。
どんな形であれ、諦めかけていた生存者の発見に、私は心が救われるような気持ちだった。
なぜ、彼だけが生き延びているのか、そんなことはもう、どうでもいいと思った。
この地獄のような場所を一刻も早く離れて、争いとは無縁の安らかな人生を歩んでほしいと、そう切に願った。
おもむろに立ち上がった少年の手を引き、ここを離れるために歩き出そうと一歩を踏み出す。
その瞬間、
「――――オレに、魔術を教えてくれ」
嗄れた声で小さく答えた少年の言葉とともに、予想だにしない膨大な魔力の放出が背後を吹き抜ける。
その凄まじさに思わず、取っていた手を離してしまうほどだった。
(これは……)
後ろを振り返って、もう一度、少年の瞳を覗き込む。
誰の命も許さない殲滅の業火の中心で、彼だけが生き延びることのできた理由が、そこにあった。