「芽生え」
初めまして。木下真三郎と申します。
このペンネームは勿論本名ではなく、自分が初めて書いた小説の主人公の名前を取っています。
が、それの筆がなかなか進まないので、SSを息抜きに書いてみた感じです。
ノリで投稿しようと思います。
「不思議だねぇ」
「…何が?」
「この世界の人は、いっつもドウリとかリンリとか言ってるけど、僕にはそれが全く分からない」
「…そう」
いつの間にか、彼は横にいた。
「…相変わらず、人の隙をつくのが上手いなぁ」
「酷い言い方」
彼は白い歯を見せて笑う。夕日が射す公園でのことだ。それを見ていると、思わず懐かしむような話題を出してしまう。
「…そういえば、君がここに来た時もこんな夕暮れだったよね」
「そうだったっけ?」
「うん。…はっきり覚えてる、あの時のことは」
「…何だか照れるな」
「…色々あったよね」
「…うん」
彼はしばらくの後、こう言った。
「この国は変だよ。みんな綺麗ごとを言い合って、お互いの目を気にしてるけど、僕からしたらちっとも綺麗な世の中じゃない。どうしてかな?みんなドウリ、ギリ、リンリとか言っているのに」
「…それは」
黙ってしまった。咄嗟に反論が思いつかなかった。自分たちが、仮初めの価値観の上に立っていて、それがしかもちっとも上手くいっていないことを指摘されたからだ。ある種の引け目もあるし、なにより。
自分たちの住む世界が、そんな穢れた世界ということを、彼の前で認めたくない。自分も、その世界に住み、穢れの生む利潤を食んでいる一人にすぎないということを、認めたくない。
そんな思いを他所に、彼はひたすら続ける。
「…なんで、この世界の人はそれが綺麗だと思うんだろうね。弱いものを慈しんで、それを踏みにじるのを厭う。それが‘ギ’っていう美意識だというけれど。周りに気を使って、力ある人に与して、滅びる運命にあるものを滅ぼして。それが汚い、残酷だ、とかいうけれど」
「…」
「…ああ、ごめんね。こんな暗い話、夕焼けの中でするものじゃないよね。…夕焼けか。そろそろ帰んなきゃ」
「…もう帰るの?」
「うん…。早く帰んないと、怒られちゃうから」
誰に?とは、聞かない。なぜだか、聞いてはいけないような気がした。
「じゃあ、ばいばい」
彼は、自分の静止を待つまでもなく去っていった。
目が、覚めた。
相変わらず、自分が立っているのは、偽善と、仮初めの美意識の上に成り立つ大地。嫌気が差す。
…違う。そんな抽象的な場所じゃない。今自分がいるのは、もっと具体的なところ。
「―!ピアノの時間よー!早くしなさい!」
聞こえてくる、うざったらしい声。母親だ。毎日毎日、ピアノから剣道まで多種多様なことをやらされている。名門の子供はこうあるべき、という理想が自分を縛ってくる。嫌になる。
「…」
「どうしたのー!早く準備しなさい!」
どこかで知った。この世の中には、勉強どころかその日に食べるのにも事欠く人が、子供がいるということを。なのに、そんな人たちには目もくれず、自分の子供には、子供の嫌がることを大金払ってやらせている。不平等だ、と思う。
「いつになったら真面目にやるの!」
母親が、顔を不細工にして怒鳴る。色々と不満に感じながらも、精いっぱいやっているつもりだ。だが、思うようにできない。
「…」
「もう真面目にやってるとか言わせません!いつまでもそんな調子でいたら落ちこぼれになってしまうわよ!」
「…」
「何とか答えたらどう!これからは心を入れ替えてきちんと言うことを聞きます、と!」
「…はい」
「…全く、親の言うこともまともに聞けないなんて…!」
…自分が今、立っているのは、いや座っているのは、自分の住む家。呆れてしまうほどに贅を凝らした、豪邸。父親はどこかの大企業の会長だとかで、長らく会っていない。お父上は偉大なお仕事をなさっているのですよ、と母親から飽きるほど言われてきた。今では、そんなことを信じていた自分を笑いたくなる。
…仕事の内容が何なのかは全く分からないが、とにかくお金だけは入ってくる。このお金は父親がすごい人だから入ってくるんだ、なら自分も大きくなって、すごくなって、恩返しをしなくちゃ。―
そう、思っていた時もあったのに。
「何よ!いきなり離婚だなんて!」
「うるさい!黙って言うことを聞け!」
雷雨が昼間から轟いていた、あの日。
聞いてしまったのだ。
「あなたがそんな犯罪まがいのことをしていたと知っても…!私は精いっぱい尽くした!なのに今更…‼」
「…とにかく!この家はお前にやる!あの子は任せた!」
「そんな!今まであの子にあなたは何もしてこなかったのに!」
「黙れ!今日付で離婚する!分かったら早くハンコを押せ‼」
母親が怒っている姿なんて、何回も見てきた。けれど、…こんなに感情が高ぶっていたところなんて、それ以前も以来もなかった。ドアの外から、動揺しながら聞いていた自分は、驟雨の音に消された足音と共に自分の部屋へと逃げていった。
その日、自らの世界観は崩れ去った。
優れた人がそれだけ豊かになり、努力した人がそれだけ恵まれ。逆に今貧しい人や不遇な人は、それだけの理由があったのだと。そう、世界に持っていた理想が、跡形もなく崩れ去った。
この世界には、他人に尽くし、努力した人が必ずしも恵まれるとは限らない。逆に、倫理を犯して、他人を陥れ、罪から逃げた悪人が、恵まれることもある。
…なら、努力なんて無駄なんじゃないか?倫理なんて、存在しないのか?
…彼は言っていた。この世界は、ちっとも綺麗じゃない。
だが、そんな心情を打ち明ける相手も、現実にはいない日々。
「明日までには出来るようになってなさい!」
母親はいつもの如く、荒い足音を立てて、‘ピアノのへや’を出ていった。既に先生はいない。
周りを見回した。床板はもう何年も張り替えられておらず、隅には埃がたまっている。天井の隅には、蜘蛛の巣さえ張っている。電気がついておらず、薄暗い光が差していたのならば、それはお化け屋敷のようになる。
どれもこれも、自分たちを打ち捨てた父親のせい。そして、父親という資金源を失ってもなお、自分にそれを打ち開けるのを恐れて、今まで通り大金を払って様々な特技を学ばせようとしている母親のせい。母親が書いている書類を盗み見た時、この使用人を解雇する、この家具を質入れする、などということが書かれていた。日に日に、この家は中身がなくなっていった。
昨日も、同じようなことを考えていた。これから自分はどうなっていくのだろう。母親は、このままいくとこの家までも質入れしそうだ。家までも失ったら、自分たちはどこへ行くのか。何をして生きていくのか。今までの生活が嘘だったように、日に日に自らの心を絶望が蝕んでくる。
そんな時に、彼は心の支えになってくれた。
例え夢の中であろうと、自分の心を十分に癒してくれた。潤してくれた。
「こんばんわー」
彼は今日もやってきた。
「…うん」
「今日も元気ないね。どうかした?」
「…今日も、やっぱり気落ちすることが多くて」
「…そっか。でも、いつか気持ちが晴れるときが来るって。安心しなよ」
「ありがとう」
しばらく、彼は自分の心の中を吐露する相手になってくれた。ここ最近、毎日のことだ。
「…へぇ、そんなことを考えてたんだ」
「そんなに気に病むこと無いよ。自分の家だけが世界の全部じゃないでしょ」
「深く悩むことじゃないよ、そんなこと」
たった一日で荒んだ心を、彼は魔法のように一夜にして癒してくれた。
目が、覚めた。
最近は、この朝が嫌いになってきた。起きている間、全くいいことがない。ずっと、夢の中で彼としゃべっていたい。
そんなことを思いながら、顔を洗って、一応髪を整える。
で、母親が起きているであろうダイニングに向かう。
…何やら、嫌な気がした。
いつものように、皿を洗う音が聞こえない。メイドさんがいなくなってからは、母親が食事を作ってくれていた。いつもならこの時間帯は、皿を洗う音が聞こえていたはずだ。
…電気も、ついていない。
「…おは、ようございます」
電気を点ける。パッと視界が明るくなる。単調なダイニングに、吊るされた一人の女性。
…信じられなかった。
母もまた、絶望していたのだ。自分はなんとか、‘彼’に生かされていたが、母親には自分よりももっと救いがなかった。母親の希望は自分だけだったのだ。父親が残していった金が尽きる前に、自分が大成した姿を見たかったのだ。
…自分はそれに応えられなかった。
自分が母親を殺したのか、という自責の念と、いや違う、母親がこの自分に希望を持ちすぎていたのが悪いのだ、という念とが激しくぶつかり合う。結果として、自責の念が勝った。自分は生きていけない。このまま生きていっても、何も得られない。このまま後を追った方が、自分は穢れた十字架を背負わなくて済む…。
穢れた?
綺麗な?
…倫理?
全部、仮初めの、価値観。
彼の‘暗示’が、自分の体を突き動かした。もはや何も考えることなく、ダイニングを飛び出し、自分の持っているものの中でとくに大事そうなものを持ち出し、バッグにまとめて入れて、やけに重くなったバッグを背負って玄関に向かう。
雨上がりの空には、虹が、出ていた。
自分が色々と考えていることを書いてみました。こんな過酷な人生、実際に自分は辿ってませんので、リアリティにかける部分もあるかもしれませんが、このSSを書いたの経験を含めて、これからの糧にしていきたいと思ってます。
なので色々とご教授していただくと嬉しいです。