9話 王国の君主
カイゼン・ウル・ランドス。
ランドス王国第三十二代目の国王。
私の父、ジェームズ・ラクス・カイレースとは往年の友人であるらしく、若い頃は二人で魔物狩りに出かけていたという逸話さえある。
父にも劣らぬ武人の風格を纏うカイゼン陛下に、エリーゼは身を震わせ、伏せた。
「も、申し訳ございません! 陛下とはつゆ知らず、ご無礼を……!」
「よいよい、別によいのだ」
「さ、左様ですか……」
ほっとした様子のエリーゼに、カイゼン陛下は目を細めて続ける。
「これまでの無礼と先ほどの会話の内容からすれば、些末事に過ぎぬわ。なあ、自称婚約者のエリーゼよ」
エリーゼはビクリと顔を上げた。
「先ほども仰っておりましたが、自称とはどういう意味でしょうか? 私はイオ殿下と結ばれ……」
「そんな訳がなかろう、愚か者め。奴の婚約相手としてお前は不適格だ。この国の王たる私が正気でいるうちは、イオとエリーゼの婚約など万に一つもありはせぬ。……システィーナ嬢も言っていたが、婚約破棄の原因を未来の夫にのみ押し付けるその責任逃れな態度。イオを誑かし、我が友ジェームズとその娘システィーナを悲しませ、我が顔に平然と泥を塗ったその行い。私は決してお前を許さぬぞ、エリーゼよ」
額やこめかみに青筋を浮かせ、怒りの籠った声でカイゼン陛下は語った。
エリーゼは後退り、遂に尻からこけてしまった。
「そ、そんな……。私はただ、イオと幸せに……」
「お前があの馬鹿息子と幸せになることなど、ありはしない。お前のような阿呆な女が王族の血縁者になるなどと考えただけでも反吐が出るわい。……そもそも、私はそこにいるシスティーナ嬢を、彼女が幼い頃より見てきた。その上で、システィーナ嬢ならば義理の娘にできると認め、イオとの婚約を許したのだ。……何故、お前のような盗人猛々しい女を義理の娘にせねばならんのだ? 謝罪の一つさえ満足にできぬ、頭の足りない女をだ」
……あの婚約破棄については、カイゼン陛下も相当にイオとエリーゼに怒っているのだろう。
でなければご多忙なカイゼン陛下が直接この屋敷にいらして、父に謝罪する訳がない。
……エリーゼと会う前、偶然にもカイゼン陛下が今日いらしていると思い出した私は、ぜひエリーゼとの話の場にお越しいただけないかとカイゼン陛下にお願いしに行った。
無論、私の心境として陛下に私とエリーゼの話を聞いてもらいたいから、というのもあった。
けれどそれ以上に、陛下の前ならエリーゼも下手なことは言えないだろうと考えたのもある。
するとまず、一国の王たるカイゼン陛下が、最早一介の公爵令嬢に過ぎぬ私に「すまなかった」と頭を下げてきたのだ。
さらに私の話を親身になって聞いてくださった上で
「ならば最初から正体を明かすのではなく、まずは騎士に扮して話を聞かせてもらいたい。何、若い頃にジェームズと何度も鎧を身に着け、打ち合ったものだ。慣れておる」
とのことだった。
結果、カイゼン陛下は騎士に扮して私と共に客間へ入り、出入り口に立っていたという寸法である。
最初から正体を明かさなかったのは、きっとカイゼン陛下もエリーゼがどんな人間なのか、素の彼女を知りたかったに違いない。
寛容なカイゼン陛下であれば、エリーゼの出方次第では彼女をお許しになった可能性すらある。
けれど……今この場においては、エリーゼがカイゼン陛下に許していただける道理は万に一つもありはしない。
「カイゼン・ウル・ランドスの名において命ず。エリーゼ、お前にも原因のある婚約破棄について、今この場でシスティーナ嬢に謝罪せよ。これは王命であるぞ」
「は、はい……っ!」
エリーゼは泡を食った様子で床に座り、深々と私に頭を下げた。
「システィーナさん! 申し訳ございませんでした! あなたからイオ殿下を奪ったこと、お許しください……!」
深々と頭を下げるエリーゼは、私への申し訳なさからではなく、カイゼン陛下が恐ろしいからこうしているのだ。
そう思えばこんな謝罪を受けたところで気持ちは一切晴れないが、されないよりはマシだった。
「……さて、エリーゼの従者よ。仮にも謝罪の場だ。詫びの品は用意しているのだろうな?」
「は、はいっ! 当然ながらございます。ただし量が膨大ですので、外の馬車に積んでございます。我がレナル領の特産物である鉱石、魔道具に欠かせない魔法石を馬車五台分ほど……」
「ふむ。……まあそんなものか」
カインの返事にカイゼン陛下は少しつまらなさそうだったが、私は内心、少し驚いていた。
魔法石は非常に高価であり、ポーション作りに使った手のひら大のものでさえ、金貨をそれなりに要求されるほどだ。
金貨は一枚あれば、平民の暮らしなら半年以上は軽く保ち、慎ましく生活すれば一年ほどの暮らしさえできるかもしれない価値を持つ。
……手のひら大の魔法石でさえ、価値にして金貨数枚から十数枚分であるのに、それが馬車五台分。
カイレース家にとって大きな利益になるだろうし、謝罪の品とはいえ、少しは父や兄も喜んでくれるだろうか。
「謝罪の品を用意したのはレナル伯爵家の当主だな?」
「左様でございます、陛下」
「奴め、娘と違い少しは道理を弁えているようだ。娘を直接この屋敷へ向かわせた件と、婚約破棄についてはこちらの馬鹿息子も噛んでいた件も含め、レナル伯爵家への折檻は軽めに済ませるとしよう」
「あ、ありがとうございます、陛下……」
カインは深々とカイゼン陛下へと頭を下げた。
「ただし今後の対応には気を付けよ。エリーゼの言動は目に余るものがあった。今後、カイレース家が怒りのあまりレナル伯爵家に騎士をけしかけたとしても、私はそれに関しては目を瞑る。レナル家を存続させたくば今後は気を付けよと当主に伝えるがいい」
「ははっ! 仰せのままに、カイゼン陛下」
カインの腰が低い様子にカイゼン陛下も溜飲が下がったのか。
陛下は視線をエリーゼへと戻した。
「エリーゼ、最後に言っておく。……今後は言動を含め、生き方全てに気を遣うがいい。私はお前を見ているぞ。また癇癪の手紙をシスティーナ嬢へ送るような愚かな真似をするならば……分かっているな?」
「は、はいっ! 承知しております。二度とあのような真似は致しません……!」
エリーゼは震え、涙を流しながらカイゼン陛下に「申し訳ございません! 申し訳ございません!」と壊れたように繰り返した。
カイゼン陛下は「聞くに堪えぬな」と言い残し、客間から出て行った。
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