8話 エリーゼの謝罪
レナル伯爵家の使者が現れてから数日後。
その報せは突如として私に届き、衝撃を与えた。
「……エリーゼが謝罪に現れた? それもいきなり?」
「はい。先日お越しになられた使者の方と共に現れたそうです。お嬢様にお会いしたいとのことですが……」
アンナにそのように話され、私は少し唸ってしまった。
使者と一緒にあんな手紙まで寄越したのに、今更どんな風の吹き回しだろう。
……というより、これはタイミング的に……。
「お父様が何かしてくださったのかしらね」
方針が固まったら話すといいつつ、こちらに余計な気遣いをさせないよう裏で手を回してくれたのかもしれない。
これ以上、私が直接エリーゼと揉めなくても済むように。
とはいえ向こうが来たのなら、会わない訳にはいかない。
「システィーナお嬢様、いかがいたしましょうか?」
「当然行くわ。向こうが本気で謝ると言うなら、聞いてあげるのが筋だものね」
エリーゼと会うのは卒業パーティーぶりだが、今は何をどう思っているのか。
それを知る機会でもあるのだから。
加えて今日は確か、あの方がこの屋敷で密かに父と……。
「……不要な手間をかけさせてしまう形になってしまうけれど、お願いする価値はありそうね」
私は少し時間をかけて諸々の準備を済ませてから、客間へ向かった。
するとそこには顔を青ざめさせ、憔悴しきった様子で俯くエリーゼとカインがいた。
エリーゼはこちらに気付くと一瞬顔を上げるが、すぐに顔を伏せた。
学園一の聖女などと呼ばれていたその美貌は、酷くやつれているように見えた。
「久しぶりね、エリーゼさん。先日はお手紙をありがとう。あなたの気持ちはよく分かったわ。……それで、お手紙でも聞いたことだけれど。ご機嫌はいかがかしら?」
「……っ」
エリーゼは何か言いかけたが、黙ったままだった。
ああ言うのは我ながら悪辣だと思うし、それ故に今のエリーゼにはかなり効くだろう。
向こうの様子からして、私に謝るのも話すのも億劫だろうから。
謝りたくない、または後ろめたさのある相手から「気分はどう?」とか聞かれているのだ。
ああ……聞くまでもなく気分は最悪だろうが、全て自業自得だ。
「今日は私に謝りに来てくれたのだと聞いているけれど。一体、何を謝る気なのかしら?」
「……先日の、お手紙についてです。あれは、私が……心の内の怒りを、そのまま書き連ねてしまったもの。あなたに直接、送りつけるべきではありませんでした。……申し訳……ございません」
エリーゼは一言一言を切るように、声を震わせて言った。
しかも謝罪については手紙の件ときた。
根本的なところ、イオを奪った件については謝る気がないのか。
「そう。手紙については分かったわ。謝罪を受け入れます。けれど……イオの件はどう思っているのかしら? そちらについては悪気はないと?」
問いかければ、エリーゼは悔しげに目尻に涙を浮かべ、顔を上げた。
「そんなもの……!」
「エ、エリーゼお嬢様! 今は堪えてください……!」
「お黙りなさい! 私は未来の皇后、この場で引き下がってどうするのです!」
エリーゼはカインの制止を振り切り、立ち上がって言った。
「システィーナさん! 私たちの恋路について二度と口出しをしないでください! ……イオが私になびいたのは、あなたが彼を満足させられなかったからでしょう! 私は悪かったとは思いません。だって人が人を好きになるなんて、自然なことじゃないですか!」
「……随分と感情的な物言いね。レナル伯爵家の人間というのはこうも盗人猛々しいのかしら? 正直、レナル伯爵家の当主もよくあなたを自由にさせているものと思います」
私が当主と口にした途端、エリーゼが顔を引きつらせて小刻みに震え出した。
……なるほど。
先ほどまで彼女が顔を青ざめさせていた理由がよく分かった。
今回の謝罪は向こうの当主に言われてきたもので、こちらの許しを得なければエリーゼも折檻されるのだろう。
でなければあんなふうに考えている彼女が、謝罪に現れるはずもない。
「私がイオと会えなかったのは、彼に相応しい伴侶となるべく宮廷作法や学問を学び、身に付けるため。その分、イオに寂しい思いをさせてしまったのはあるかもしれない。でも……皇后としての作法や振る舞いの一切を知らないあなたが、イオの伴侶を立派に務められるとでも?」
こう言ってしまったが最後、私の方も言葉が止まらなかった。
エリーゼに対し、言いたいことが山のようにあったのだ。
「それにこの婚約は私の父、カイレース家の当主だけでなく、この王国の主であるカイゼン・ウル・ランドス陛下も関わっている話です。そもそもあなたはカイゼン陛下に話を通してから卒業パーティーの時の暴挙に及んだのですか? ……ああやって強引に男を奪い取った女を、陛下が家族として気持ちよく迎え入れるとでも?」
「そ、そんなもの! ……私たちの愛があればきっと受け入れてくださるはずです。イオ殿下だってきっと、陛下と上手く話してくれます……!」
……エリーゼに呆れるのは何度目か分からないが、今回ばかりは本当に呆れてしまった。
カイゼン陛下の説得がイオ頼みだなんて。
自分で頭を下げて頼み込むのが道理だろうに。
学園で聖女と呼ばれてチヤホヤされているうち、この子は何か勘違いしてしまったのではなかろうか。
「ともかく! 私はあなたが婚約破棄された件については謝る気はありません。あくまで決めたのはイオ殿下ですし。文句なら未来の私の夫に言ってくださいっ!」
「へぇ、そうなの。それはそれは……」
エリーゼはヒステリックに怒った様子で客間から出ようとする。
しかしそれを客間の出入り口にて、騎士が立ち塞がって阻んだ。
重々しい甲冑を纏った男性に立ち塞がれては、エリーゼの細腕では押し通れまい。
「ぶ、無礼者! 退きなさい、私はイオ殿下の婚約者ですよ!」
「……婚約破棄の責任を夫にだけ押し付ける女が婚約者? 全く、笑わせてくれるわね。恥の上塗りとはこのことかしら」
「この……っ! システィーナさん! この方たちに私を通すよう言ってください! あなたは負けたのです! 未来の皇后たる私に従いなさいっ!」
声を荒らげるエリーゼに、私はあえて鼻で笑うように言ってやった。
「ええ、無理だと思いますよ? だってそこに立たれている方こそ……イオのお父様ですもの」
「なっ……!?」
エリーゼが「ま、まさか……!?」と目を見開いた途端。
彼女の目の前に立つ騎士が兜を外した。
イオ以上に彫りが深い顔に、銀のようにも見える白髪。
澄んだ青い瞳は歳を感じさせない力強さと威厳に満ちている。
その表情は厳かで、エリーゼを前に一切を通さぬと言わんばかりだ。
「如何にも。私がイオの父、カイゼン・ウル・ランドスである。今日は馬鹿息子の失態を往年の友であるジェームズに謝罪しに、密かに参った次第なのだが……随分と面白い話を聞けたものだ。なあ? 自称、新たなイオの婚約者のエリーゼよ」