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4話 騎士見習いとポーション

 カイレース家の屋敷に戻ってから数日。


 三年間も王立学園の寮暮らしだったので、毎日自室でゆっくりできるというのは久しぶりすぎて不思議な気さえしてくる。


「毎日早起きする必要はないし、深夜まで宮廷作法を学ぶ必要もなくなったし、使用人たちは私に気を遣って優しくしてくれるし……もしかして天国かしら?」


 こんなふうに呟いてしまう辺り、我ながら寝起きでかなり寝ぼけているのだろう。


 時計を見れば早朝とも昼とも言い難い微妙な時間帯だ。


 けれどこんな時刻までゆっくり眠れるなんて、なんて贅沢な時間の使い方だろうか。


 私は一日の始まりに「ふ~っ!」と気持ちよく体を伸ばした。


 それから身支度を整え、今日も美味しい朝食をいただいた後で、散歩でもしようと庭に出てみる。


 ずっと部屋に籠っているのも性に合わない。


 何より今の季節は、屋敷の広い庭いっぱいに美しい花が咲き誇っている。


 見なければ少し損な気もしたのだ。


 外に出れば温かな陽気に包まれ、広大な屋敷の周囲を走り込みしている騎士見習いたちが遠くに見えた。


 彼らは重たい鎧を着こんだまま走らされるので、すぐヘトヘトになってしまい、遠目からでも騎士見習いたちの訓練だと分かってしまうのだ。


 この庭の光景も、騎士見習いたちの走り込みを遠くから眺めるのも、何もかもが懐かしく感じた。


「思えば三年もの間、屋敷の庭をのんびり散策する暇もなかったのよね……」


 本当に忙殺されている間は、自分が忙しいと自覚する暇もないものなのだと気が付いた。


 庭を歩きながら花や蝶を眺めていると、ふと庭の一角に淡い緑色の草が植わっているのが見えた。


 これらはネモノ草といい、即座に傷を癒す治癒水薬ことポーションの原料になる薬草だ。


 この一角だけ庭園に似つかわしくない畑状態であり、私の記憶が正しければ三年前より少し面積が拡大している気がする。


 しかし誰も咎めたりネモノ草を抜いたりはしないだろう。


 何故なら、これは父の趣味の産物だからだ。


 かつて「どうして植えているのですか?」と聞いた際には、


「もし仮に領地を激しく攻め立てられ、こちらが守りを固める時! 食料の他、医薬品も必要になろう。だが籠城紛いの状況となれば外部から医薬品を回収するのは困難! 故に有事に備え、庭園の一角にてネモノ草を栽培しておるのだ。分かったか我が愛娘よ!」


 と、父らしい返事が返ってきた。


 ……王国最強と名高き騎士団を擁するカイレース家が籠城紛いの状況に陥る有事など、カイレース家どころかこの王国が滅んでいそうな気がするけれど。


 ともかくこれは父の実益を兼ねた趣味であり、今も定期的に父自らネモノ草を育てているのだろう。


 草木を使った男性の趣味という意味では、東洋から学園に留学してきた友人の言っていた「ボンサイ」なるものに近いかもしれない。


 私はネモノ草畑の縁にしゃがみ込んだ。


「ここ一年くらいは全くポーションを作れていなかったし、久々に作ってみようかしら」


 母はとある伯爵家の令嬢であり、母の実家が擁する領地はネモノ草が特産品の一つだった。


 だから母はネモノ草を利用してポーションを作ったりお茶を煎じたりというのが上手かったし、私も母の手伝いで覚えていき、いつしか趣味のようになっていた。


 ……それに父が今もネモノ草を大切に育てるのは、母との思い出があるからなのかもしれない。


「よし。それじゃあ数束いただいていこうかしら」


 そう呟き、ネモノ草に手を伸ばした時。


「い、痛ぁ……っ!?」


「あっ、馬鹿野郎! 当てやがったな!?」


 近くから騒ぎ声が上がったのでそちらへ向かってみる。


 するとさっき走っていたと思しき騎士見習いたちが集まって、どこか困った様子で二人を囲んでいた。


 囲まれている一人は右腕を深々と切っており、流血が痛々しい。


 鎧は既に脱いでおり、服の上からベストにも見える鎖帷子のみ身に着けている状態で、足元には剣が転がっている。


 もう一人の騎士見習いも同じく防具は鎖帷子のみながら、手には血濡れの剣を握って顔を青くしていた。


 ああ、これは……。


「あなたたち、鎧なしで打ち合ったのですね?」


 騎士見習いたちの方へ向かいつつそう言えば、彼らは目を丸くした。


「システィーナお嬢様、何故こんなところに……!」


「いいから、正直に答えなさい」


 私は怪我を負った騎士見習いの傍に行き、傷を見る。


 幸い太い血管までは切れていないけれど、傷が深いので出血はそれなりだ。


 応急処置としてハンカチを取り出し、止血するように腕に巻いていく。


 ……昔はやんちゃだった兄たちの怪我もこうして手当てしたものだと思い出す。


「痛みますか?」


「ぐっ……少しだけです。システィーナお嬢様、ありがとうございます」


 そして血濡れの剣を取り落とした騎士見習いは、顔を青くしたまま狼狽えた様子で言う。


「も、申し訳ございません。走り込みが終わったので、空いた時間に手合わせの練習をと思いまして。寸止めするつもりだったんですが、勢い余ってしまって……」


「真剣でやることはないでしょう。木剣ではいけなかったんですか?」


「……その、持ってくる時間すら勿体なく思ったので。幸い、通常の剣なら鎧と一緒に重量を増加させるため、走る際も腰に差していたもので……」


「何が幸いですか! こんな怪我をさせては元も子もないでしょう!」


 私の一喝に、騎士見習いたちは顔を伏せた。


 それから仲間を切った騎士見習いは、私へ頭を下げてきた。


「申し訳ございません! 全ては俺が未熟だった故です! ですからどうか、ご当主にお話しする際は、全ての責任は俺にあると言ってください! 皆は関係……」


「ありますよね?」


 私がそう言うと、騎士見習いたちは黙ってしまった。


「鎧が重く、走り込みの後で汗ばみ、暑かったのは分かります。それでもこんな軽装で危ないチャンバラ紛いの訓練を行い、見逃したのは、あなたたち全員です。……怪我人を庭まで慎重に運んでください。それと一人、一緒に来てください」


「は、はいっ!」


 怪我をした騎士見習いを庭に運ばせた後、私は一人を連れて自室に戻った。


 そして部屋の箪笥に仕舞ってあった、ポーションを煮出してエキスを抽出するための道具類を取り出す。


 これらは魔力で動く道具、魔道具と呼ばれる物だった。


「重たいですが精密な魔道具です。決して落とさないでください」


「承知いたしました」


 自室が二階なので、こうして力のある人が一階まで魔道具を運んでくれると助かる。


 一人では苦労しただろう。


 一方の私も水を汲み、水差しに入れて運ぶ。


 私たちは急いで怪我を負った騎士見習いの元まで戻り、魔道具を広げた。


 動力源の魔法石を魔道具にはめ込み、起動させながら内部へ水を注ぐ。


 さらに畑に生えていたネモノ草を数束手にして、軽く洗って魔道具へ入れる。


 市場で買ったネモノ草は自生しているものの採取品が多いので、本来ならネモノ草の選別作業から入らねばならないところだ。


 けれど父が丹精込めて育てているためか、ここのネモノ草は全て質がよかった。


「システィーナお嬢様。これってポーションを生成する魔道具ですよね? まさかワトソンのためにポーションを作ってくださるので?」


「そうです。傷は深いので早い方がいいでしょうから」


 私は魔道具右側の円盤に右手を当てた。


 この魔道具ははめ込んだ魔法石を動力源として動くものだが、魔法石から抽出した魔力は魔道具を動かすのみならず、それ自体がポーションの原料の一つになる。


 ポーションの原料は水、ネモノ草などの薬草、魔力の三つが基本だ。


 しかし魔道具内部での水とネモノ草と魔力の配合調整は自動ではなく、全てこの右側の円盤で細やかに操作するのだ。


 髪の毛数本ほどの精度が要求される精密作業で、ポーションが高価な理由もこの職人めいた技術が生成に必須であるためだ。


 魔道具に繋がれたフラスコ内で液体が煮立つ感覚、音、色合いから円盤を調節し、液体を淡い緑から完成品ポーションの深い緑色へと近づけていく。


 その様を見てか、騎士見習いたちが歓声を上げた。


「凄い! 普通ならポーションが濃い緑に近づくのに半時は必要なのに……!」


「あっという間すぎる。薬草自体を煮出しすぎたら黒くなって即失敗だから、半時は慎重に煮ていくと前に知り合いから聞いたけど……」


「最初から最大出力でここまで正確に……神業かよ!?」


「そういえばアレックス様が前にシスティーナお嬢様はポーション生成の達人と言っていたけど、誇張表現でも何でもなかったんだな……!」


 ……彼らが何か言っているが、今の私にはよく聞こえない。


 周りの声が聞こえなくなるほど、素早いポーションの生成には集中力を割くのだ。


 少しでも集中力を欠いて手元が狂えば、液体は黒く染まって失敗作が出来上がってしまう。


「……よしっ!」


 フラスコ内の液体が深い緑色、即ち完成品のポーションになった瞬間、私は魔道具から魔法石を抜いて停止させた。


 そしてフラスコを外して、持ってきていたティーカップに中身を注いでいく。


 完成したばかりのポーションは湯気が立ち、色合いから東洋のグリーンティーのようだった。


「さあ、これを飲んでください。熱いので舌を火傷しないように」


「ありがとうございます……」


 私は傷ついた騎士見習いにポーション入りのティーカップを渡した。


 さっきの騎士見習いのうちの一人の言葉から、彼はワトソンと言うらしい。


 ワトソンはゆっくりとポーションを飲み干してから、自分の右腕を見つめた。


「痛くない……まさか!?」


 彼の腕に巻いた止血用のハンカチを取ると、そこには傷跡すら残っていなかった。


 再び騎士見習いたちが歓声を上げる。


「これがポーションの力。高すぎて今まで使ったことなかったけど、こんなに凄いなんて……!」


「システィーナお嬢様は正しく救いの女神だ。ここまでの効力のポーションをこんなに素早く生成するとは!」


「システィーナお嬢様、ありがとうございます! このワトソン、何とお礼をしたらよいのか……!」


「お、俺たちも同じ思いです! システィーナお嬢様、助けていただきありがとうございます!」


 揃って頭を深々と下げてきた騎士見習いたち。


 私はこくりと頷いた。


「顔を上げてください。ワトソンの傷も無事に塞がってよかったです。それとお礼でしたら、皆さん揃って騎士見習いから正式な騎士となり、このカイレース領を守ってくださればそれで充分です。後は次回から訓練は必ず木剣で。……いいですね?」


「ありがとうございます。俺たち全員、システィーナお嬢様の言いつけを守ると誓います」


 するとワトソンたちは全員、片膝を付いて伏せた。


 これは王国に伝わる騎士としての礼でもある。


 彼らも十分反省したということだろう。


 けれどワトソンが「ただ、申し訳ございません」と弱弱しい声を漏らした。


「何でしょうワトソン?」


「その、システィーナお嬢様のハンカチを俺の血で汚してしまいましたが、これについては……」


「それも構いません。止血に必要でしたから。ただ、私が処理しようとすれば使用人の方に見つかり、話が大きくなる可能性があります。ですのでそれはワトソンが上手く処分してください」


 私が血濡れのハンカチを屋敷の中に持ち帰ってそれが誰かに見つかれば、間違いなく騒ぎになる。


 そうなれば今回の件が露見し、騎士見習いたちは上官から厳しく罰を受けるだろう。


 何より父の耳に話が直接入れば、彼らはどうなるのか……。


 かなり怒られるのは間違いない。


 ……彼らも反省した様子なのだから、これ以上の罰は私も望まない。


 あの時、ワトソンが血を流した時点でことの重大さを理解し、彼らも十分以上に肝を冷やしただろうから。


 そんな私の心の内を感じたのかは分からないが、ワトソンはただ、


「仰せのままに。感謝いたします」


 と、確かな声で発したのだった。


 こうして私の久々のポーション生成は、騎士見習いを救うという形で成功した。


 それから私は「久々だからもう少し」と魔道具と一緒に自室に戻ってからも、次のポーションも試しに作っていたのだけれど……。


 翌日のこと。


「システィーナよ、少しいいか」


「はい、お父様。どうされたのですか?」


 そう問いかければ、父は不思議そうな表情でこう言った。


「騎士見習いたちが皆、お前のことを救いの女神、凄腕の癒し手と言って騒ぎ立てている様子なのだが。奴らに何かしてやったのか?」


「……うふふっ。さて、何の話でしょうか?」


 ──ワトソンたち、せっかく助けてあげたのだから、騒いでもせめて昨日の件がバレない程度にしてほしいわね。バレて困っちゃうのは彼らだし。


 私は父に微笑んで誤魔化しつつ、そう思っていた……のだけれども。


「お前らへばるなっ! 走れ! システィーナお嬢様のためにも!」


「ああっ! 俺たちはシスティーナお嬢様のためにも! 必ず見習いを脱して正式な騎士になるんだぁぁぁぁぁぁぁっ!」


「後三周! 気合い入れていくぞっ!」


 ……外からワトソンたちの声が聞こえてきて、これはバレるのも時間の問題かもしれないと思ってしまった。


 けれど父は「ふむ、そうかそうか」とどこか納得した様子で、微笑ましげに私や窓の外の騎士見習いたちを見つめていた。


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