3話 システィーナの兄たち
父と婚約破棄について話し合った後、私は自室に戻って一息ついていた。
「お父様が話の分かる方で良かったわ……。他の貴族家ではこうもいかないでしょうし」
貴族社会では残念なことに、娘を政略結婚などの駒としてのみ考える当主は少なからず存在している。
強い力を持った他家に娘を嫁がせパイプを作る、そうやって成り上がってきた貴族家は決して少なくないからだ。
故に婚約破棄された令嬢が酷く折檻された、などの話も稀に聞く。
一方で家督を継ぐ長男や、長男に何かあった際に家督を継ぐ次男は大切にされる傾向にあるそうだけれど……。
「よく考えたら、我が家は全くの真逆かもしれないわね……」
私には二人の兄がいる。
けれど二人とも父の意向で幼少の頃から厳しく躾けられ「貴族といえ男なら力も必要である!」と父直々に息も絶え絶えになるまでしごかれていたのを思い出す。
正直、二人ともよく無事に大人になれたものだと思う。
さらには今も「私が現役の間、お前ら二人は騎士団に所属してもらう! せいぜい死なない程度に努力し、見事未来のカイレース家を支える人間に成長してみせよ!」とのことで、兄二人はカイレース家の子息でありながら騎士としても活躍中だ。
実際、父が直々に鍛えたお陰で、騎士団の中でも上位の腕前なのだとか。
それもあって王国一広大なカイレース領のあちこちへ向かい、山賊やら魔物──神秘の力である魔力を帯びて凶暴化した獣──を討伐し、領民を守っているらしい。
「……まあ、未来の領主が騎士として直接領民を守れば、民からも強く支持されるでしょうし。お父様もそれが狙いなのだろうけれど、考えてみれば随分と無茶なことを……」
最近も兄二人は屋敷に帰ってきていないようだけれど、無事だろうか。
そんなふうに心配していると、ドタドタと足音が聞こえてきた。
足音の主は階段を登っているようで、次第に二階にあるこの部屋に近づいているようだった。
厳格な父の支配するこの家で、恐れ知らずにもドタバタと走る人など、この家では二人しかいない。
「……ちょっと心配したけど、完全に杞憂だったようね」
呟いた瞬間、部屋の扉がノックもなしに開かれた。
「システィーナッ! 大丈夫か!? 聞いた限りでは大丈夫ではないことが起こったようだが……それでも大丈夫か!?」
「……兄さん。せめて心配するならノックくらいしようよ。システィーナが驚くって……」
部屋に転がり込むようにして慌ただしく現れたのは、カイレース家の家紋が刻まれた衣服を纏った長身の二人。
片方は黒髪が逆立ち、深紅の瞳は見る者を威圧するような父譲りのツリ目の男。
若い狼を連想させるような荒々しい雰囲気ながら私を気遣ってくれたのは、アレックス・カイレース。
もう片方は眼鏡のよく似合う、柔和な雰囲気を纏った母譲りのタレ目の男。
よく鍛えられた体躯の持ち主でありながら文官のようでもあるのは、ヘンリー・カイレース。
つまるところ、この二人は私の兄であった。
「アレックス兄様。ヘンリー兄様が言う通り、ノックくらいはしてください。年頃の乙女の部屋に突然入るなんて……お父様が知ったら怒りますよ?」
「ぐっ!? ……確かに着替えている最中とかだったら大変なことになっていたな。すまなかったシスティーナ。だから父上に告げ口をするのは……」
「もう。しませんよ、そんなの」
父は意外と紳士であるので、女性の扱いには意外とうるさかったりする。
恐らく、今は亡き母も父のそういうところに惹かれて結ばれたのだろうと思う。
「それでお兄様がた。しばらく騎士のお仕事で忙しいと聞いていたのに、どうしてここへ? ……と聞くのは野暮ですね。さっきのアレックス兄様の様子からして、心配して戻ってきてくださったのですね?」
するとヘンリー兄様が「当然だろう」と答えた。
「大切な妹が皇太子に婚約破棄を食らったんだ。しかも向こうは不貞のおまけ付き。心配しない方がおかしいさ」
「あんの馬鹿皇太子ッ! 今度見かけたらただじゃおかん! 王族が何か、可愛い妹に恥をかかせやがって……!」
怒れるアレックス兄様を、ヘンリー兄様が「落ち着いて落ち着いて」と諫める。
ちなみにとある老騎士曰く、アレックス兄様は長男なだけあってなのか、若い頃の父によく似ているそうだ。
これも将来、当主を表す「ラクス」の名を父から継ぐにふさわしい……と言えるのだろうか。
「仕返しならいくらでもやりようはあるさ。今は静かにシスティーナを慰めるべき時だ。……そう、仕返しなら後でいくらでも……ね」
ヘンリー兄様は眼鏡を押し上げ「ふふっ」と笑みを浮かべていた。
ヘンリー兄様は頭脳派であり、王立学園を首席で卒業するほどに頭がいい。
卒業後は、その知恵で幾度となくカイレース騎士団の窮地を救ってきたそうだ。
策略も謀略もお手の物、それがヘンリー兄様である。
なのでもし二人を怒らせた場合、私は分かりやすいアレックス兄様より、一見温和に見えるヘンリー兄様の方が恐ろしいと思っている。
「二人とも怖いことを言わないでください。私はこの通り大丈夫です。お父様ともお話ししましたから。しばらくは静かに屋敷で過ごすつもりです。学園生活も大変でしたから、少しは実家で羽を伸ばしたく思います」
すると二人は「「ああ……」」と同時に頷いた。
「あの学園、卒業間際まで課題の量もやばかったもんな」
「それに加え、システィーナは皇太子に嫁ぎ、将来皇后になるはずだった身。困難……否、過酷な宮廷作法を身に付けるべく日々苦労もしていただろうに」
二人の言葉は本当に全てその通りだった。
王立学園はこのランドス王国随一の名門校だ。
卒業が容易でない理由は、勉強量が他の学び舎より桁外れという点にもあり、それは卒業間際であっても変わらなかった。
加えて問題になったのは宮廷作法。
生活全てに作法があると思えるほど膨大かつ難解であり、理解し練習するため、眠れない日々が続いたものだ。
……あんな浮気皇太子のために作法を身に付けようと努力していたのかと思うと、少しだけむかつく気持ちはある。
ただしこれだけ多忙だったので、彼の女遊びを咎められなかった上、エリーゼとの浮気に気付けなかったというのは間違いなかった。
「システィーナ、今まで色々と大変だっただろう。ゆっくりするといい」
「後のことは俺たちに任せろ。騎士の任務がいくら忙しくっても、何かあれば必ず力になる」
そう言ってくれる兄二人の言葉は、父との会話を想起させた。
……あの会話を聞いていた訳でもないだろうに。
それでもこうやって気遣ってくれる辺り、この二人は父の息子で、私の頼れる兄でもあるのだ。
「アレックス兄様、ヘンリー兄様、ありがとうございます。お兄様たちが頼もしくて嬉しいです」
「ハハッ。そりゃ俺たちだってカイレースの騎士だからな。頼もしくなきゃ誰も守れな……」
……と、アレックス兄様が笑顔で得意げに話し出したところ。
「ほう。そのような頼もしいカイレースの騎士が任務を放り出して帰省とは。どうして中々、面白いことを言うものだ」
「「……ッ!?」」
低く唸るような声が部屋に走り、兄二人の顔が蒼白となる。
振り向けば、開きっぱなしの部屋の扉から父が兄二人を見て、眉間に皺を寄せながら笑みを浮かべていた。
しかもこめかみには青筋が浮かび上がっている。
ちなみにこれは父がとても怒っている時の表情でもある。
「お前ら……気持ちは痛いほどに分かるが後にしろっ! アレックス率いる第一騎士団は盗賊残党の討伐! ヘンリー率いる第二騎士団は魔物の掃討であろうが! 今すぐ任務に戻れっ!」
「「し、承知しました父上!!!」」
直立して姿勢を正した兄二人は大急ぎで部屋から出て行く。
こうして兄二人は現れた時のように、慌ただしく去っていったのだった。