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2話 カイレース家当主、ジェームズという男

 イオに婚約破棄を言い渡され、カッとなって風俗通いを暴露し、卒業パーティーから早退した翌日。


 私は早朝から父に呼び出されていた。


 恐らく婚約破棄についての話だろう。


 耳が早い父のことだ。


 あれだけ派手にやったのだから、昨晩から今朝のうちに騒動の全貌を把握したのだろう。


 あの婚約は父が取り持ったものなので、正直これから何を言われるのかと恐々としている。


 けれど私は王立学園を卒業し、退寮した身だ。


 今の生活拠点は実家の屋敷である以上、当主である父との関係まで悪化させたくはなかった。


 故に、呼び出されて行かない訳にもいかなかった。


「……お父様、流石に怒っているわよね……」


 ゆくゆくはカイレースの名を大陸全土に轟かせたい……それが父の夢だ。


 それをご破算にしたも同然なのだ。


 ……原因はイオの浮気とはいえ、元婚約者だった私がその辺りを厳しくしていれば、この婚約破棄も避けられたかもしれないし。


「まあ、あんな浮気皇太子と離れられて清々したのはあるけれど……よし」


 父の自室の前、私は軽く頬を叩いて気合いを入れた。


 何か言われたら、私はカイレースの娘として恥じぬ行いをしたつもりです、と言ってやろう。


 そう心に決め、扉をノックする。


「お父様。システィーナが参りました」


「……入れ」


 普段以上に重々しい父の声。


 覚悟を決め、私は扉を開き……。


「システィーナ! すまなかったッ!」


 ……父が低く頭を下げる様を、私は生まれて初めて目にしたのだった。


 正直、婚約破棄を食らった時と同じくらいには衝撃を受けていた。


 額に傷の入った顔は厳つく、その身体は筋骨隆々で筋肉が衣服を押し上げるほどであり、貴族というよりは武人である父。


 現当主でありながら若い頃は修行に明け暮れ、今もなおカイレース最強の名を欲しいままにする父。


 カイレースの騎士を始めとした、およそ全ての武人が恐れ慄き平伏する父。


 ……そんな父、ジェームズ・ラクス・カイレースが低く頭を下げる様を、私は生まれて初めて目にしたのだった。


「……」


「お前が絶句するのも分かる! ……失望したのだろう、この父に! あのような浮気男を婚約者に据えたこの父に!」


 違います。


 ドアを開けた途端、あなたが頭を下げていたからです……とは流石に言えなかった。


「だからこそ……すまなかった! この父には野望があった、カイレースの名を大陸全土に轟かせるという野望が! だがそれは、可愛い娘を犠牲にしてまで成すものではない……」


「……あの、お父様」


「私の見込み違いだった。あの皇太子にならお前を任せられると、奴の幼い頃の真っ直ぐな瞳を見て思った。だが風俗通いの不貞に走るとは、腐り育ちおって……!」


「お、お父様……?」


「これは我が失態! 故に! 我が愛娘に恥をかかせてくれたあの馬鹿皇太子を徹底的に追い詰めてくれるわ! 王族が何か! このままカイレースの騎士も黙っては……」


「あのっ、お父様っ!」


 段々とヒートアップしてきた父に、私は思わず声を上げた。


 父は「む?」ときょとんとしている。


 まるで「何かおかしなことでも?」と言いたげだ。


 ……そうだった。


 この方は自分の身内や家臣を決して見捨てない愛情深い人だからこそ、騎士たちも父を慕っているのだ。


 元々嫁に行く予定だった私がまさかここまで愛されているとは思わなかったけれど……。


「どうかしたのか? ではありません。いくらカイレースといえど、王族を、国を敵に回してどうするのです。何より私はお父様に怒ってほしいわけではありません。寧ろ……私の方こそ、申し訳ありませんでした。私がイオに甘くせず、以前から諌めていればこんなことには……」


 頭を下げようとすれば、父は「よせ!」と声を大にした。


 ……元々声は大きい人だけれど、今回のよせはかなり力が篭っていた。


「お前が悪い訳ではない。私を気遣って頭を下げようとするなら、それはよせ。婚約破棄をされ、最も被害を被ったのは私ではなくお前だ。……公爵家の令嬢といえど、皇太子に婚約破棄されたなどと。体面を気にする他の貴族共の格好の的にされる」


 父は顔を顰めて拳を握りしめた。


 あの場で最も恥をかいたのはイオとエリーゼだ。


 だが後々のことを思えば、私とて恥をかかされている。


 何よりあれだけ派手にやったのだから、貴族たちの間で私の婚約破棄はしばらくの間、噂話になるだろう。


 けれど……。


「お父様。心配なさらないでください。私なら大丈夫です。寧ろ騒ぎを広げまいと泣き寝入りなど、私らしくもありませんでしたし。全て覚悟の上でしたから」


 もしかしたら将来、いい相手を見つけても、今回の騒動が原因で敬遠される可能性もある。


 でも、構わない。


 その程度の体面を気にする軟弱者が私の婚約者になれるとも、父に認められるとも思えないからだ。


 いい相手ならきっとそのうち見つかる。


 今はほとぼりが冷めるまで、貴族社会で下手な動きをしないことが重要だ。


「システィーナ……。これだけの騒動、並みの娘ならしばらく泣き暮らすであろうに。我が娘ながら、なんと剛毅でよい子に育ってくれたか……」


 父はそれから深呼吸を一度して、言った。


「今回の婚約破棄で諸々ごたつくこともあるだろう。だが、後は全て任せよ。故に、お前はお前で、自分らしく生きなさい。その何事にも屈さぬ心を忘れるなよ」


「はい、お父様」


 こうして私は、婚約破棄をされた後で初となる父との会話を終えたのだった。


 ……ただし、後に使用人に聞いたところ。


 私が退室してから、待ち構えていたかのように、カイレースの騎士たちが父の元に押し寄せ、


「システィーナお嬢様の無念は晴らさなくてよいのですかご当主!」


「我ら、最後までカイレース家と共にある覚悟です!」


「馬鹿皇太子め、よくもシスティーナお嬢様にあんな無礼な真似を……!」


「我らであればあの皇太子を捕らえ、お嬢様の御前に連れ出し、改めて謝罪させることも可能です!」


「ええい、黙らんか! この愛しき愚か者共めが! 私がお前らよりも! 一番あの馬鹿皇太子をブチのめしたくてたまらんわい!」


 という血気盛んな会話が行われたのだとか。


 ……どうやら私は、王国最強と名高きカイレースの騎士たちにも想像以上に愛されていたようだった。

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