1話 婚約破棄され、カッとなってしまったので
王立学園、そこは王族や貴族の子息が通う名門の学び舎。
三年間の間にそれぞれの専攻を極め、優秀な人材を世に放つ、王国きっての育成機関。
されどその三年間は決して楽な道のりではなく、途中で投げ出し退学する者さえ珍しくない。
故に、学園は三年間の苦難を乗り越えた者を労うべく、卒業パーティーを毎年開く。
……そして私も友人と、何より世界で誰よりも愛している婚約者と、今日のパーティーを楽しむつもりでいたのだけれど……。
「システィーナ。悪いが君との婚約は破棄させてもらう」
「は、い……?」
私は一瞬、イオが何を言い出したのか理解できなかった。
婚約は破棄させてもらう?
……数秒経って頭がようやく状況を把握する。
こんなもの、悪い冗談としか思えなかった。
「ええと、イオ殿下? あなたは……何を?」
私ことシスティーナ・カイレースはカイレース公爵家に生を受けた。
カイレース公爵家は古くからこのランドス王国の歴史に名を連ねてきた貴族であり、武家だ。
代々騎士を育て上げ、その剣と盾はいかなる時代であれ、敵国の侵攻を一切許さぬほどだった。
カイレースの騎士は決して屈さぬ……そんな言葉が生まれるほど、私の実家は強い力を持っていた。
けれどそれは所詮、貴族家の中ではという前提付きだ。
国を統治する王族には敵わない。
ただ、私の父はいい歳なのに夢見がちというか、血気盛んな方だった。
ゆくゆくはカイレースの名を大陸全土に轟かせたいのだと、私が幼い頃から豪語していたものだ。
そんな訳で父は私を、このランドス王国の皇太子であるイオ・ウル・ランドスと婚約させようと画策していた。
……私の父の思惑をイオのお父様、カイゼン陛下が知っていたかは定かではないけれど、二人が親友であったこともあり婚約については難なく成立した。
そして私とイオはお互いが十歳の時に顔合わせをして、以降は互いの趣味や性格を知りつつ長い時を共にし、この王立学園へ進学してからは切磋琢磨して……。
卒業後は晴れて結婚する、その予定だったのに。
「知ってのとおり、僕らの婚約は互いの両親が決めたこと。でも……僕はこの学園に来て気づいてしまった。結婚相手は誰かに決めてもらうものじゃない。自分がこの先も一緒に歩みたいと心の底から思える、納得のいく相手と結婚すべきだと思う。……エリーゼ」
「はい、殿下」
イオが呼び出したのは学園一の聖女と呼ばれていた、レナル伯爵家のエリーゼだった。
黄金を溶かしたような金髪、翡翠色に輝く瞳。
白い肌は雪のようで、紅色の唇は美しく整っている。
パーティードレスも肩が露出しているタイプであるのに、本人の気品故か、決してはしたなく感じなかった。
正に聖女……なるほど、実家が武家で我ながら他の令嬢より元気の有り余っている私より、よっぽどお淑やかで女性らしいかもしれない。
「僕は彼女と婚約を結びたい。だからシスティーナ。分かってはくれないかい?」
「……何を分かれと? 学園のパーティー、このような公衆の面前で婚約破棄を言い渡し、私を辱めたあなたの何を? そして殿下、お聞かせください。あなたは今まで散々私を愛していると言ってくださいました。私もその言葉を真に受け、あなたを愛しました。けれどそれらは全て……嘘だったのですか? ずっとずっと、私を愛していると偽り、欺き続けていたのですか?」
胸にこみ上げてきたのは悲しみよりも怒りだった。
いくら何でも、婚約破棄を言い渡すにしても場所が悪すぎる。
どうしてこんな大勢が見聞きしている場所で。
これではある種の、いいや、社会的な公開処刑ではないか。
皇太子殿下に捨てられた公爵令嬢、などと。
何より彼の言い分は一方的すぎて、到底受け入れられはしなかった。
怒りのあまりイオに詰め寄ろうとするが、両手を広げて割り込んできたのはエリーゼだった。
「おやめくださいシスティーナさん! イオ殿下だって、カイゼン陛下のご意向に真正面から逆らえはしなかったのです! イオ殿下もようやく今になって、自分の心に従い、踏ん切りをつけられたのです。どうか、責めないであげてくださいませんか」
……正直言って、吐きそうだった。
私からイオを奪った女が何を言っている。
それにイオも「エリーゼ、君は本当に心優しい……」とか涙ぐんでいる始末だ。
……そんな二人の様子に、私の中の何かがプツンと切れた音がした。
ああそう。
「もういい……」
「……もういい? ということはシスティーナ、君は……許してくれるのかい?」
ほっとした表情でふざけたことを言い出したイオに、私は拳を握りしめて言った。
「そういう意味ではありません。もう、我慢するのをやめたという意味です」
私の様子に何を感じたのかイオは後退った。
でももう遅い。
これでも私は武家、カイレース公爵家の娘だ。
受けた仇はきっちり返す。
こんな辱めを受けて、膝を屈してなるものか。
「私は今まで、婚約者のためならと思って散々イオ殿下をお助けしてきました。けれどそれらの恩すら忘れたと言うのなら……私も隠し通す必要はありませんよね? 風俗通いの皇太子様?」
「なっ……!」
私の言葉を受け、学園の聖女ことエリーゼを含め、女性陣が一気に引いた。
「システィーナッ! 君は何を……!」
「ハッ、馬鹿ですね。今まで隠し通せてきたとでも? 私はあなたがそういうところに通っているとずっと知っていて、それでも我慢してきたんです。男性ならそういう欲もあるでしょうし、おかしなところで爆発されるよりはマシだと思って」
我ながらかなり寛容だったと思う。
たとえば貴族の子息でさえ、高級娼館へ行き、そういうコトを学ぶなり発散するというのはそれなりに聞く話ではある。
……もっとも、それは仮にも婚約者のいないフリーの身であれば、の話だが。
「イ、イオ様……?」
「ま、待ってくれエリーゼ! 違う! 周りの皆も聞いてくれ、これは誤解だ、システィーナの嘘だ!」
白々しいイオに、私は「往生際が悪いですね!」と懐から高級娼館の請求書を取り出し、見せつけた。
そこにはイオの名が請求先にしっかりと記されている。
遂にイオは動きを止め、唖然とした表情で固まった。
「嘘ならどうしてこんなものがあるのでしょうね? ……正直この件については、この後二人だけで話し合うつもりだったんです。女遊びは学生の間の過ちとしてやめてくださいと。今後は結婚するのですから、私だけを真剣に愛してくださいと。……残念です。この請求書を証拠として、こんな形で使う羽目になるなんて!」
「イオ殿下……不潔……」
これには学園一の聖女もドン引きだった。
「エ、エリーゼ……!」
「いや、来ないでください……」
逃げようとするエリーゼ。
けれどそんなこと、私が許さない。
「待ちなさい、エリーゼさん。あなたはイオ殿下と婚約なさるのですよね? この方はあなたの未来の夫です。既に婚約破棄を言い渡された私はさておき……あなたは婚約者の窮地を見過ごし、自らの保身に走るのですか?」
「く、うぅっ……! システィーナさん、どうしてこの期に及んでそんな意地悪を……?」
涙ぐみながら問いかけてくるエリーゼに、私はにっこりと笑顔を作って言ってやった。
「そんなの決まっているでしょう? あなたが私の婚約者を奪ったから。でも奪ったなら奪ったなりに、責任を取るのが筋ではなくて?」
そう言うと、エリーゼはその場にへたり込んでしまった。
イオも顔色を悪くして「違う……これは、悪夢だ……」とうわごとのように呟いている。
周囲の皆もパーティーどころではない。
皇太子の不貞というスキャンダルを前に雰囲気を悪くしてしまっている。
けれど知ったことか。
「イオ殿下。この後、卒業生を代表して殿下のスピーチが控えていますが……楽しみにしていますよ?」
私は笑顔でそう言い残し、その場から去って行く。
イオとエリーゼは他の皆から省かれるようにして距離を置かれている。
「全く、いい気味だこと」
私は二人を尻目に、やっていられないとパーティーから早退した。