第二十二話
夜、というのはやはり、人に許された時間ではないのだろう。
僕は学園の校舎や寮から離れた人気のない場所で、エミリアと共に来客を待っていた。
一歩先すら見通すことのできない闇は恐怖心を煽り、あらゆる判断を鈍らせる。静寂に包まれた空間では自身の呼吸音が一際大きく感じ、少しの物音にも過敏に反応してしまう。
何より、この時間は極端に魔術の操作精度が低下する。創造神の加護が弱まることが原因とされるそれは、世界に敷かれた法則の一つ。
一陣の風が頬をなでる。
風に乗って何かが運ばれてきた。暗闇の中でひらひらと舞う白い粒子。灰だ。
魔力を帯びた灰が集まり、やがて人型の輪郭を成してゆく。
「流石は女王陛下。どのような姿であってもお美しい。しかし今は語り合う時間すら惜しい。僭越ながら、ハシュフォードがお迎えに上がりました。さあ、共に帰りましょう」
集った灰から淡く揺らめく紅い炎が立ち昇り、次の瞬間には、跪く一人の男がそこにいた。酷く顔色が悪い、血の気の薄い青年。果たしてそれは彼本人の姿なのだろうか。エミリアを一目見て女王と判断したということは、吸血鬼は姿形が変わっても仲間の見分けがつくのか?
この光景も昼間のエミリアを見ていなければかなり驚いただろう。吸血鬼は傷付いてもその身を燃え上がらせ灰となり、灰の中から甦る。それだけでも価値ある情報だ。
「一人で帰りなさい」
エミリアは一切の感情を感じさせない声で冷たく言い放つ。
「遠路遥々迎えに来た臣下の扱いにしてはぞんざいに過ぎるわね」
僕がこうして夜に不自由なく活動していられるのは、今も背中にしがみついて離れない神様のお陰だ。彼女を認識出来るモノは他にいないと思うので何をしていようと問題ないのだが、僕の気が散らないように少しは大人しくしていてくれないものだろうか。
「恐れながら申し上げます。奴らに陛下の不在を悟られ、現在侵攻を受けている状況です。蒼だけならまだしも翠の勢力にも動きがみられ、このままでは」
「アイツら知性の欠片もない獣かと思えば、主不在の城に攻め込もうという知恵は働いたのね。でも、私がいないだけで駄目になるようなら、もうそんなモノいらないわ」
「貴女を信じてついてきた者たちはそう思わない。いつまでも遊び呆けていられては困るのです」
吸血鬼には吸血鬼の事情があるのか。青や緑の勢力が何かははっきりしないが、ハシュフォードと名乗った男は切実そうに訴えていた。
それに、エミリアがさんざん名乗っていた吸血鬼の女王というのも嘘ではなかったのだな。
「私もただ遊んでいるわけではないのよ。見ての通り、人の世も面白いことになっている。なんの因果か、ここには丁度、黒と白が揃っているの」
「黒の……。とうに滅び去ったと聞いておりましたが、実物を見せられては納得するより他ありませんね」
二人の間でなされていた会話の流れは変わり、僕の方へと目が向けられる。
「紹介するわ。彼はヴィクトール・シュミット。かの悪名高い刀匠アルバートと同じ姓を持ち、邪神に愛された黒髪の少年。今は私に協力してくれているの」
芝居がかった仕草で大袈裟な紹介をされた。
それはエミリアと今まで話した内容に過ぎないが、まるでそれ以上のことも知っていそうな口調だ。僕が知らないことまでも。
「はじめまして。ヴィクトール・シュミットです」
人類の敵対者であるはずの吸血鬼相手に友好的な名乗りをするなんて不思議なものだ。
「わたしはミーネだよー!」
そして聞こえもしないだろうに神様もニコニコと笑顔で手を振っている。可愛いけれどうっとうしい。
「私はここで白の力を手にする。それまで戻るつもりはない」
強い意思を感じる口調できっぱりと断言した。
「なるほど。陛下のお考えはわかりました。しかし、このまま何も持たずに帰る訳にもゆきません。そこはご理解いただきたい」
だが彼もここまで来て連れ戻せなかったでは、仲間の元へ帰れない。何かしらの手柄が必要だろう。
「そうね。それならこれを持っていくといいわ。大した物は入って無いでしょうけれど、自由に使ってちょうだい」
エミリアはポケットから何かを取り出し、ハシュフォードへ放り投げた。
「……これは、宝物庫の鍵。ありがとうございます」
宝物庫の鍵なんて雑に扱って良いような代物ではなさそうだが。
「じゃあ、もう用は済んだわね。はやく帰りなさい」
「はい。急ぎ帰還いたします」
もう興味はないとばかりにエミリアはその場を立ち去り、寮に向かって歩いてゆく。この場に残されても困るので、僕も後に続く。
「結局僕は必要なかったよね」
ある程度ハシュフォードから離れたところでエミリアに問いかける。
「いいえ。邪なる黒き神の愛し子であるあなたがあの場所にいた。そのことに意味があるのよ」
「君は、本当は何を企んでいるんだ?」
「――秘密」
そう楽しげに笑みを浮かべるエミリアからは、簡単には情報を引き出せそうにない。




