第一話
萌芽の季節。暖かな日差しが、忙しなく街道を行く人々を祝福するかのようだ。
「まだ時間あるよね?」
王国中の魔術師見習いが集う王立魔導学園。その入学式へ向かう道中のこと。
保護者として同行してくれたレイさんに確認をする。
「ああ、問題ない。ただし、騒ぎは起こすなよ。俺は先に向かう」
いつも通り落ち着き払った声が帰ってくる。
きっと周りから僕たちは年の離れた兄弟くらいに見えていることだろう。
銀髪のレイさんと黒髪の僕で血縁者というには無理があるけれど。
「━━やめてください!」
道の少し先で、見るからに素行の悪そうな男の三人組が、一人の少女に迫っていた。
着用している学園の制服を見るに、少女の方は同い年であろう。
ここは大通りで、人の往来も多い。
しかし、いちいち他人に気を遣うものも少ないのか。はたまた面倒事は御免被るといったところか。嫌がる少女を助けようという人はいないようだ。
「すみません。僕たちこれから入学式に行くところでして」
見過ごすにしては、いささかまずい状況だ。
駆け寄り、少女と男たちの間に割って入る。
「どうせ王都にも来たばかりだろ? つまらない入学式なんか出ずに、俺たちと遊ぼうぜ」
僕には目もくれず、なおも少女を誘い続ける男たち。
らちが明かないと思ったのか、男の一人が少女の腕を掴もうと手を伸ばす。
だが、その手が少女に届くことはない。
この世界の空と大地と生物を形作る構成要素の一つ、魔素。
それに働きかける力を魔力と呼び、魔力を操る術を魔術という。
手を伸ばそうとする力に釣り合う魔力をかける。魔術とも呼べない単なる魔力操作。
それだけで、見えない壁と押合いをするかのように手は動かなくなる。
手を挙げたままの男を不審に思ったのか、他の二人も動こうとしたが、同じように魔力で動きを止めさせてもらう。
「僕たち、入学式がありますので」
たとえ魔術師見習いだろうと、一般人からみれば脅威だ。
「そうかよ」
そのくらいは承知していたのだろう。面白くなさそうに舌打ちをして、男たちは立ち去る。
「……危ないところを助けていただいてありがとうございます」
「━━むしろお礼を言うべきは彼らだと思うけどね」
一見か弱い少女に見える彼女。男たちに怯えているように見えたし、そう振る舞ってもいた。
それにしては、彼女の纏う空気は静か過ぎた。
「それはどういう?」
「目的地は同じようだし、歩きながら話そうか」
大きな騒ぎにはならなかったが、遠巻きにこちらを眺めている人はいるし、まだ時間があるとはいえ入学式に遅れるのもまずいだろう。
少女の返事も待たずに歩き出す。
「ちょっと待ってください。どういう意味ですか」
少し遅れてついてきた少女が、僕の左側に並ぶ。
僕の肩くらいの背丈。暗めの茶髪。気弱そうな下がり眉。赤い瞳。新品の制服。あらためて見ても、素朴な少女だ。
「物心ついたころから、弱いものには手を差し伸べて寄り添うこと、と教えられていてね。だから助けた」
「ありがとうございます。王都に来たばかりで、まだ頼れる人もいなくて」
「僕は魔力が見えるんだ」
「え?」
「魔力が見えるんだよ。君のその研ぎ澄ました刃物のような魔力も」
魔術師であろうとも、微小な粒子である魔素は見えないし、それを動かす魔力なんて目に映らない。魔力を知覚することができたとして、せいぜい肌で風を感じるのと同程度がいいところ。
それを僕は見ることが出来る。
「何言ってるんですか。冗談ですよね?」
苦笑しながら、戸惑いがちに、左手を口許へ寄せる。何気ない仕草。
「別にとぼけてもいいけれど、僕にはあのままだと彼らの方が危ない目に合うと思えたし、それは今でも変わらない」
「そんな……わたし、本当に怖かったんですよ」
彼女の左手から発せられる鋭利な刃物のような魔力。
それは間違いなく僕の命を狙うように、首筋へと迫る。
本来なら見えない刃。
だが、見えている。
僕の体に触れる直前、刃物を覆うようにして魔力を被せる。
「僕も今すごく怖かったよ」
「……はあ。本当に魔力が見えるみたいね」
「もっと別の方法で確認して欲しかったけど」
首筋を狙う刃は、間違いなく命を奪おうとしていた。顔色一つ変えずに、流麗な動作で。
「別に、防げないならそれはそれで良かったもの」
悪びれもせずに笑顔すら向けてくる。
そんな少女が、たった三人の一般人を怖がるものか。
あのまま彼らとの間に入っていなければ、今頃どうなっていたか分からない。
「良くないよ。本当はあの後どうするつもりだった?」
「少し、お腹がすいてたの」
「何?」
「ええと、吸血鬼って知ってる?」
「人の血を糧とする夜の住人。人類の敵」
「その通り。でも人の血がなくても生きられるし、昼間でも活動できる。その上、人と見分けがつかない。人類の敵とされるのは、趣味で人を殺し、文字通り人生を奪うことが出来るから」
ああ、つまり、彼女は。
「私は吸血鬼の女王、アシュレイ。以後、お見知りおきを」
とびきりの笑顔で名乗ったのは、最悪の名だった。