6:歓迎の宴
かつて、フォーリヤ世界とは別の場所、別の時代、シロガネと言われる世界に〈妖精郷〉はあったといいます。
〈妖精郷〉は時の流れが異なる少世界。凄まじい早さで文化が花開き、文明が発展しましたが、急速な進歩は〈妖精郷〉に歪みを招きました。その果てに迎えた滅亡の時、そこに住んでいた〈妖精〉たちは七隻の超世界移民船を建造し、滅亡しつつある〈妖精郷〉から旅立ちました。
その中の一艘〈青〉の移民船が到達したのがこの世界です。しかし、移民船はこの世界を守る結界に阻まれます。大破して落下した移民船は幾つかの区画に分かれて世界に散ったと言われています。
その頃、この世界には巨獣や猛獣が跳梁跋扈していました。世界の所有権を主張する知的生物が居ないと知った生き残りの妖精たちは、自分たちが暮らしやすいように環境を整え始めました。
彼らは自分たちの数の少なさを補うため、助手とするために現住生物の進化を促して、今この世界に住んでいる〈森蛮人〉、〈地鼠人〉、そして私たち〈黒翼人〉を含む〈獣耳人〉の三種の獣人種族も生み出しました。
しかし、〈妖精〉の技術を手にした獣人たちが〈転移門〉を築き、ナール世界と戦争を始めるに至って、彼らは自らの文明が再び世界に滅亡をもたらす可能性を危惧しました。
〈妖精〉の多くは彼らの技術とともに姿を消してしまい、今では〈古妖精〉と呼ばれる伝説上の存在として扱われています。
*
「女王ケーナ様は姿を消さずに遺跡管理者として残ることを選んだ、稀少な〈古妖精〉なのですよ」
私たちは霊廟から集落へと続く山道を歩いていました。
大陸最北端の岬に半ば埋没した形となっている霊廟の、断崖絶壁に囲まれた入り口から下り坂の参道が続いています。
左右を崖に挟まれて閉塞感を感じる道ですが、崖の向こう側は突風の吹き荒ぶ北の海。翼のない勇者様は元より、私たち闇翼人であっても、落ちれば命の助かる保障はありません。子供の頃はこの参道を登るのが大変で、飛び上がろうとしては両親にこっぴどく叱られたことを思い出します。
そこそこ長い坂道を下りながら、私は勇者様に請われるまま霊廟の由来について話しました。
「なるほど。あの女王も大変だったんだ・・・・」
話を聞く勇者様も、ケーナ女王様の辿ってきた道筋に思いを馳せているようです。
「なぁ、ところでポム」
「は、はい」
振り返り、遠くなってしまった霊廟の入り口を見上げていた勇者様が、改めて私の方に向き直ります。
「今の話の中にも、初めて聞く単語が結構あったよな。まぁ、詳しい説明は後で落ち着いてから聞くとして、だ」
「は・・・・はい」
「今。つまりポムの集落に着くまでの間に、俺が聞いておかないといけない話、他に無いのかい?」
「えーと、そうですね・・・・集落では今、勇者様をお迎えするお祭りの真っ最中なので、到着したら挨拶とか求められるかもしれません」
「・・・・そういう事は、もっと早くに言おうな」
にっこり笑顔の勇者様が怖いです。
「ひゃぁぁぁ、ごめんなさいぃぃぃぃ!」
「コラ! ポムッ!」
思わず逃げ出そうとしたところをあっさりと捕獲されてしまいました。くっ、飛んで逃げることさえできれば・・・・って、逃げてどうするんですか私!
「逃げるとは良い度胸じゃないか」
左右のコメカミに拳を当ててグリグリと、勇者様けっこう容赦ないです。
「ひぃぃぃ、ごめんなさいい。痛っ! 痛いですっ!」
「おっと、ごめん。加減を間違えた」
割と本気で痛がっていたのが伝わったのか、すぐに拘束は解かれました。と思ったら、改めてもう一度グリグリと。今度は洒落で済むレベルの痛みですね。
「ひぃぃん!」
私たちは、自分の痛みを基準にして想像する事ができます。勿論、痛覚が過敏な人もいれば鈍感な人もいるのであくまでも想像でしかありません。しかし勇者様の場合は、その基準となる自分の痛みが無いため、相手の反応から想像するしかないのでしょう。
「勇者様だ! 勇者様が来られたぞ!」
しばらくの後、集落の山門に勇者様とやや涙ぐんだ私の姿がありました。
山門には「勇者様、フォーリヤ世界へようこそ!」と書かれ、吹き流しや風車で飾られた旗が掲げられています。
そして、その下にはケーナ女王様から託宣でもあったのでしょう。集落のお偉方を筆頭に村人たちが勢揃い。いえ、それにしては人数が多すぎるし、普段見ない顔も混ざっているという事は近隣の集落からも詰め掛けていますね。
ともあれ、呆気に取られている勇者様に正気に戻ってもらわないといけません。私は勇者様の前に一歩踏み出すと、踵を軸にくるりと振り返りました。
「ようこそ勇者様。ここは〈風谷郷〉、クラセオニクテリスの村です」
私は、最初に出会った者としての役割に従い、勇者様を集落へと招き入れたのでした。
*
勇者様は村長の館に招かれました。勇者様をひと目見ようと集まっていた村人たちは村長の一喝によってそれぞれの持ち場に帰っていきました。
結局、村長の館に向かったのは勇者様と村長、そして近隣八村の長たちでした。勿論、勇者様の介添え役として私も同行しました。
「卯月 鰆です。なんだか勇者ということになったみたいです」
勇者様と九人の村長が囲んで座っている大きな卓。私は挨拶する勇者様の斜め後ろに控えています。
「よく来てくれたな、勇者様。俺はこのクラセオニクテリス村の長を務めている。長くて言いづらいんで皆は〈蜜蜂の村〉もしくは〈集落〉なんて呼んでるがな」
村長がそう応えると、小麦の村、山芋の村、果樹の村 綿花の村、牧羊の村、竹藪の村、山鳥の村、磯辺の村、それぞれの村の長たちも続いて自己紹介を始めます。
「村の主産業で呼び合ってるんだな。わかりやすい。・・・・けど、これは」
勇者様は居並んだ村長たちをぐるっと見回して「本当に全員、翼があるんだな」と肩を落としました。
どうやら勇者様はようやく異世界に来てしまったという実感が湧いてきたようです。とすると、村の入口で呆気に取られていたのは、出迎えた全員が勇者様の世界に居ない種族〈黒翼人〉だったからだったのですね。
なにしろ、大柄で屈強な老戦士も、小太りの温和な小父さんも、綺麗で怜悧なお姉さんも、子供みたいに小さなお爺ちゃんも、全員背中に翼があるのですから。
そんな風に考えたとき、唐突に気がついてしまいました。これは勇者様だけの問題ではないんです。この先、勇者様と一緒に冒険に出る私は〈風谷郷〉を出ることになります。そこは翼のない人たちの住む世界。〈黒翼人〉を迫害していると伝え聞く人たちの世界なのですから。
「それでは勇者様には冒険者資格を取得していただくということで」
「わかりました。詳細はポムに聞けば良いんですね」
「ふわっ!?」
名前を呼ばれて思わず顔を上げます。どうやら考え込んでしまっていたようで、すっかり話が先に進んでしまっていました。
居並んだ村長さんたちの不安そうな視線が私に集まります。「こいつで介添え人が務まるのか?」とでも言いたそうですけど、それはむしろ、私の方が聞きたいくらいです。
議題は今後の勇者様の予定についての相談になっていたようです。
今この集落で行われているお祭りは勇者様を歓迎するお祭りなので勇者様の旅立ちを見送ったらお開きになります。遊興や軽食といった屋台の収益は勇者様の初期資金となるため(勇者様は「チャリティーバザーか?」と首を捻っていましたが)、村長たちが予定していた三日間は村長の館に滞在して一緒に祭りを楽しむことになりました。
その後、〈公都キノケファルス〉にある冒険者養成校でしばらく冒険者としての基礎教育を受けることになります。ただし、〈治癒術士〉として冒険者資格を持っている私が介添え人として付いているため、最低限の講義と試験だけですむだろうと思われます。
「後は、勇者様の初期装備についてだな」
「一応、うちの集落からは竹槍を持ってきているが・・・・」
「一揆じゃないんですから」
議題を進める村長に、竹藪の村の長が歯切れ悪そうに言葉を返しますが、勇者様によって即座に切り捨てられます。他の村長さんたちが一斉に頷く所までが恒例行事となっているそうです。
「使い慣れたものとなると、山歩きや薪割りに使ってた鉈か手斧が良いですね。鎧も重いのは厳しいと思います」
結局、勇者様の希望に沿って武器は片手斧に、防具は鉄の胸甲を服の上から重ね着し、丸盾を持つ、という組み合わせになりました。勇者様の装備としてはちょっと珍しいパターンかもしれません。
「では、ここですべき話は終わりましたな。どうぞ勇者様、祭りを楽しんできてくだされ。ポムも案内をよろしく頼むぞ」
九人の村長たちが纏う空気が柔らかく変化します。勇者様も枷を解かれたかのように立ち上がり、座ったままの私に手が差し伸べられます。
「行くぞ、ポム。迷子になるなよ!」
立ち上がる私に、勇者様の声。それって、地元民に言う台詞じゃないですよね?
手に手を取って駆け出す勇者様と私の背を、村長たちの笑い声が追いかけるのでした。