5:謁見
「んー! やっぱり身体が鈍ってんなー」
一夜明けた翌朝。
左手で右肩を押さえグルグルと回しながらぼやく勇者様の隣を歩きます。
並んでみると、その肩がちょうど私の目の高さで、身長の違いがはっきりと分かりますね。
昨夜。私が集落に帰ると、お祭り騒ぎでした。
私が勇者様の身の回りのお世話をしている間に、ケーナ女王様の啓示によって集落の上層部には、勇者様の出現と介添人の決定が伝わっていました。日が暮れると祭事が執り行われ、介添人を決める形ばかりの行事の末に私が指名され、更にその祝いの席が設けられ・・・・。
大人たちからは激励を、同年代の若者たちからはやっかみを含んだ応援をもらい、同時に大量のお酒を勧められ、〈治癒術〉が無ければ深酒と寝不足で倒れていたかもしれません。
朝になって私が霊廟に戻ると、目覚めた勇者様は日課の早朝ジョギングに出たいと言われました。数日寝込んだことで低下した体力の回復は確かに重要なのですが、いきなり激しい運動は避けて欲しかったので、まずは軽い柔軟体操を一緒にすることになりました。
汗をかかない程度の軽い体操、というつもりでいた私でしたが、勇者様にとっての「軽い体操」はなかなかの分量でした。そもそも勇者様、筋疲労は感じませんし汗もかきにくい体質なのでしたね。迂闊でした。
ともあれ、勇者様の体力測定も同時にできたので、私にとっても有意義な時間でした。この測定結果は、旅の資料として使わせてもらいます。しばらく一緒に体操をしましたが、起き抜けでこれだけ動けるのなら、冒険に出るには充分な身体能力を備えていると思えました。
ただ、数日間寝たきりだったブランクは大きかったのでしょう。勇者様にとっては満足の行く結果ではなかったようで、先程から身体の動きを確認しながらぼやいている訳ですね。
勇者様と私が並んで歩いているのは霊廟の廊下です。壁も天井も床も金属で作られているというのに、天井の発光板から注ぐ暖色の光と壁の淡い色彩によって冷たい印象を与えません。床には寝室にあったものと同じ毛足の長い緋色の絨毯が敷かれていて、その上を歩く私たちの足音が響くことはありません。
「なんだか、高級ホテルみたいだな。本当に異世界なのか、って思うよ」
「ふふっ。古妖精に由来する遺跡の多くはこんな感じですね。と言っても、ここは女王様が住んでるから行き届いているんですけど」
廊下には埃一つ、蜘蛛の巣一つ無く、隅々まで磨き上げられています。これは全自動清掃機の仕事ですね。他の妖精遺跡では敵として出会うことの多い清掃用の機械ですが、霊廟では女王様の管理の元、私たちに姿を見せることもなく完璧な仕事の結果だけを残しています。
欄干に豪奢な彫刻の施された階段をのぼると女王様の部屋の扉が見えます。ここだけは漆喰の壁に黒檀の扉で、これまで暖かいけど無機的だった設えとは異なった有機的な温もりを感じる調度になっています。とはいえ、本当に漆喰や黒檀が使われているのかはわかりませんけど。
「謁見、か。緊張するな」
「そうですね。実は私も、ここに来るのは初めてなんです」
私たちは、ケーナ女王様に出立の挨拶をするため、この部屋を訪れたのでした。
Knock!Knock!
「失礼しますね」
重厚な扉に設えられたノッカーを鳴らし一声かけて扉を押し開けます。
「・・・・広い、ですね」
「ここはまた随分と古風な感じだな」
室内をひと目見た私の呟きに、勇者様の声が重なります。
部屋は吹き抜けで天井までの高さは二階くらい。壁と床は木材と漆喰もしくはそれに似た素材で造られています。壁には等間隔に洋灯が配置され、人物画や風景画の額縁が飾られています。飾り戸棚に壺や盃が並べられ、白布のかけられた丸テーブルに、クッションの効いていそうな椅子が数脚。天井には大きな天窓と豪奢なシャンデリア。室内の階段からのぼれるロフトもあり、十人くらいは余裕で寛げそうな大きな空間です。
その中央に直径二メートルほどの球体が鎮座していました。その表面は赤と黒の市松模様で覆われています。その球体が、私たちの見ている目の前でゆで卵の殻みたいにひび割れ、上の方から剥けるように崩壊していきます。崩壊は私の腰くらいの高さで止まり、半球状になったその中で玉座に腰掛けたケーナ女王様が本を読んでいました。
「前言撤回。近未来的だった」
勇者様の言葉で女王様は私たちに気づいたようです。読んでいた本をパタンと閉じて顔を上げました。
『其の方が持ってきた書物じゃが、複製させてもらったぞ。特にこれが面白い』
そう言って女王様が持ち上げた本は、勇者様の鞄に入っていた「いせかいてんい」とかいう物語の本でした。
「俺の本じゃないんだけどな。まぁ良いや」
『この世界に来てからというもの、保管された電子書籍ばかりで、新作、それも紙媒体の書籍など随分長い間読んで居らなんだからのぅ。其の方も、未読であるのならば読んでおいた方が良いじゃろうな』
女王様は、その本を玉座のサイドデスクに置きます。そこには薄くて大判の冊子が何冊も積まれていました。
「教科書まで・・・・」
『ともあれ、じゃ。思っていたよりも早かったな』
「あぁ。そろそろ出発することにするよ。これまでありがとうな」
『ふふ、淡泊じゃな。では』浮かべた柔らかな笑みを一瞬で消し、女王様は背筋を伸ばします。ほんのそれだけの動作で、凛とした威厳のある雰囲気を纏った女王様は、厳かな声で『勇者出立の儀を執り行なおう』と宣言しました。
勇者様は直立不動で、私はその傍らに片膝をついて、女王様の言葉を待ちます。
『そう構えるでない。妾から其の方等に申し渡す指令がある訳でもないからな。勇者ウヅキ・サワラよ、其の方は思うままに旅をするが良かろう』
「そうだな。まずは幹を探すことを目的にするよ」
『うむ、息災でな。これは餞別じゃ』
白魚のような指が玉座のコンソール上を滑ると、サイドデスクの引き出しが自動で開き、その中身が宙に浮かび上がります。
それは手の平で握り込めるくらいの大きさのメダルを首飾りにしたものでした。メダルの表面には幾つもの宝石が飾られています。ひぃふぅみぃ・・・・全部で十個ですね。
「時計の文字盤みたいだな。これは?」
『これは勇者の証。付いている宝石は勇者魔法の石じゃ。10個というのは割と適正がある方じゃが・・・・ふむ、今扱えるのは2つか。詳しくは後でポムクルスに聞くが良い』
見ると、10個並んだ宝石のうち8個は曇っていますが、残り2個は淡い翠と紅の輝きを放っています。
「わかった」
勇者様は、そのまま勇者の証を首に掛けます。その様子を満足そうに見て、女王様は私に向き直ります。
『ポムクルスよ』
「はいっ!」
緊張のあまり声が裏返ってしまいました。慌てて唾を飲み込みます。
『妾は、其の方には知り得る限りの知識を教え込んだつもりじゃ。この世界の事を何も知らぬ異邦人の助けになれるのは其の方だけと心得よ』
「はい。わかりましたケーナ女王様」
『うむ。では勇者とその介添人よ。いざ、旅立つが良い。そして、旅の終わりに妾の元に立ち寄り、旅の話を聞かせるのじゃ!』
こうして勇者様と私はケーナ女王様の元を出立したのでした。
「うわぁ・・・・」
霊廟の外に足を踏み出します。
勇者様にとっては転移して来た新しい世界への、私にとっては勇者の介添人としての第一歩です。
霊廟は切り立った山の中腹にあります。眼下には〈風谷郷〉の私が生まれ育った集落。それを一望できるこの場所が、私は好きでした。
その光景を一緒に見る勇者様は軽く口を開いて目を輝かせています。
集落へ下りる道を歩きながら、どちらからともなく足を止め振り返ります。
「長い間、お世話になりました・・・・」
山から吹き下ろす強い風を受けて靡く髪を押さえながら霊廟の威容を見上げていると、此処で過ごした日々が一つ一つ心に蘇ってきます。
「なぁ、ポム・・・・」
「はい。なんでしょう、勇者様?」
同じ様に見上げる勇者様は目を大きく見開いて、霊廟を指差していました。
「あれは、宇宙船か何かなのかい?」
「・・・・あ」
山の中腹に斜めに突き刺さった巨大の遺跡を示す勇者様の姿を見て、私はある事を思い出したのでした。
「霊廟が、ケーナ女王様たちの乗って来た巨大移民船の残骸だってこと、伝えるの忘れてました!?」