1:出発前夜
第八章です。
「はふぅ、疲れました。お偉方の前だと緊張しすぎます」
「あー、疲れた。あぁいう場は肩が凝っていけねぇなぁ」
大神殿から〈公都エクウス〉の街に一歩踏み出した私が肩を落として脱力するのと同時に、隣でシャムシエルが大袈裟に伸びをします。
その仕草に思わずシャムシエルの方を向くと、シャムシエルも私の方を向いていて。
次の瞬間には互いにフイっとそっぽを向いたのですけど、そんな様子は勇者様とユリア様、そしてガナデちゃんにとっては楽しかったようで、和やかな空気が流れます。
「二人とも、そう言わないであげて欲しいのです。今回の謁見は随分と気さくな感じだったのです」
「そうだな。何割かは素で堅苦しいのを嫌ってた雰囲気はあったけど、計算ずくでだらけてたよな」
「くくく。食えぬ御仁じゃよ。それより、日が落ちる前に荷を解いて明日以降の準備をしないかね?」
そうだったのですね。
〈ペンドリ共和国〉の評議長令嬢であるユリア様、異世界の知識を持つ勇者様とガナデちゃんにとっては緊張する状況ではなかったようです。
ガナデちゃんの言う通り、まだお昼過ぎですし、まずは宿に荷物を置いて身軽になりましょう。
前向きな考えが浮かんできて思わず俯いていた顔が自然と前に向きます。
シャムシエルと目が合いました。
フイっ!
そうして向かった隊商宿で、私たちはテイワ武装商会の皆さんが既に〈公都エクウス〉を発っていたと知らされました。
契約の切れた護衛依頼の対象だったとはいえ、テイワさんたちは旅立ったばかりの私たちに様々なことを教えてくれた恩人でもあります。
できれば出発の時には見送りたかったんですけど、ちょっと〈魔境〉での後始末に時間をかけすぎてしまったみたいです。
仕方がない話ですけど、残念ですね。
しかし、そうなると旅商人でもない私達がいつまでも隊商宿に泊まっている訳にはいきません。
この隊商宿の一階部分には冒険者組合の斡旋所と安宿が併設されていて、手の空いている〈冒険者〉が隊商の護衛という仕事にありつけやすくなっています。
そこで一夜の宿を取る事にしました。
テイワさんの私達への対応を覚えていた安宿の門番さんが受付に口をきいてくれたので、五人で一部屋を安く借り切ることができました。
二階の隊商宿と違って一階の安宿は治安が悪いので、ゆっくり休めそうな部屋が取れたのは僥倖です。
テイワさん達と門番さんに感謝しないといけませんね、なんて言ってたら‥‥。
「ポムクルスは素直だねぇ。門番のアレは仲介料目当てなんだよ」
シャムシエルによると、門番は宿に出入りする隊商と護衛を覚えておいて、護衛を必要とする隊商と仕事にあぶれた護衛をマッチングする事で副収入を得ているそうなのです。
袖の下を渡してでも安全を取った、という事だったのですね。
「まずは寝床を整えねぇとな」
案内されて廊下を進んだ先にあったのは宿の一番奥に設えられた一室でした。
そこで私たちを待っていたのは、巨大な藁の山と数枚のシーツ、そして木箱。
つまり、自分たちで寝台を作れ、と言うことだったのです。
各自、木箱に荷物を置いた後、こういう場所に詳しいシャムシエルに教わりながら寝台を作りました。
種族も生まれた階層も違う五人なので、好みの寝台の形も固さも異なるものですから、この方式はありがたいですね、疲れる以外は、ですけど。
「あぁ、疲れたぁ」
そう言って頭の後ろで腕を組んで枕の代わりにしながら、できたばかりの寝台に仰向けに寝転んだのは勇者様です。
ユリア様の作った寝台に藁を足して柔らかさを調整しながら、シャムシエルがそれに応えます。
「慣れれば、そんな疲れなくもなるよ。どうだい姫さん?」
「うふふ、丁度良いのです。ありがとうございます。シャムさん」
「あの、皆さん。荷物置いたら明日の出発に備えて買い出しに‥‥」
「ポムポムよ、まずは寝床の準備じゃ。お前さんも、藁の量を確認しないかね?」
疲れて動けなくなる前に買い物を済ませてしまいたかったのですけど、最初に大量の藁が置いてあった場所で香箱を組んだガナデちゃんに釘を刺されてしまいました。
確かに、今の疲れ具合だと、買い物から帰って寝台の調整をしている余力はなさそうですね。
円形の山盛りにした藁の中央を少し凹ませた形。
そんな寝台の中央に膝を抱えて座り、翼で肩と膝と顔を蔽う姿勢‥‥いつも寝る時にとる姿勢をとった途端、塞き止めていたものが決壊した感触がありました。
目蓋を持ち上げる力が急速に失われゆく中で、勇者様とシャムシエル、ユリア様とガナデちゃんが笑みを浮かべて頷き合う光景が閉ざされていきます。
「あ、これ‥‥駄目な」
焦燥感が湧き上がり、慌てて立ち上がろうと思いました。
翼の一振りで上体を起こして、即座に立ち上がれる姿勢をとっていた筈なのに、その翼がまるで鉛の塊のように重く、なかなか動いてくれません。
そして、私が立ち上がれずにいるうちに、小さく柔らかい手によって、そっと背中を押さえられました。
「買い出しはわたくし達が行ってくるのです。ポムさんはわたくし達が帰って来るまで、休んでいて欲しいのです」
手の主はユリア様でした。
「けど、薬品の在庫が‥‥」
「〈魔境〉探索で使った分は必要経費って事でキーファが揃えてくれるって言ってたぞ」
「それに〈魔境〉へ行く直前に、アタイらと一緒に散々買い物してたよねぇ」
「‥‥え‥‥」
「あ、そうそう。あの爆発する奴は当分禁止な」
「それではさわら君、留守番はよろしくのぉ」
「え? ‥‥え?」
思考にも靄がかかったように考えが纏まらず、ろくな返事もできないまま、扉が閉まるパタンという音が聞こえたのを最後に、私の意識は暗い闇の底へ沈んでいったのでした。
思い返してみると〈公都エクウス〉に着いてから、こうやって寝台でゆっくり休むのは初めてですね。
到着したその日の内にテイワさん達と別れ、大神殿で謁見して白騎士団による〈魔境〉の調査隊に組み込まれ、そこからは一週間の騎馬の旅(私は自前の翼で飛んでましたけど)。
〈角鹿車〉も無いので、夜は寝袋を使っての野営でしたけど、貸してもらった普通の〈獣耳人〉用の寝袋は背中に翼のある私にとって、決して寝心地の良いものではありませんでした。
翼が寝袋に収まらないので、うつ伏せに寝ないといけないんですよ。
〈魔境〉のあった〈ドンキ渓谷〉に着いてからは近隣の村で疫病が流行り始めていたのでその対処に追われ、〈魔境〉を見つけて入ってみたら恐水症を発症した幻獣に襲われ、それらの元凶だった〈冥獣ドゥルジナァス〉と対決しました。
今にして振り返ると、無茶な事をやったなと、自分でも思いますね。
けど、幻獣や疫病の女王は仕掛けられた罠でした。
〈ジャモン帝国〉の〈妖術師〉チュリマーや〈暗黒魔導士〉イネス、〈呪術師〉テクラが冥獣・巨獣・猛獣を率いて包囲網を敷いていたんです。
罠に嵌り苦戦していた私達を嘲笑うように〈人造勇者〉メッキまで現れて‥‥いえ、嘲笑うようにではなく、嘲笑ってましたね、あれは。
撃退はしたものの〈魔境〉の崩壊に巻き込まれて、勇者様が〈移ろひ〉を使えるようになってなければ、どうなっていたことか。
その後、幻獣に噛まれた白騎士たちのためにワクチンを精製しながら勇者様の介護をして、勇者様の回復を待って大神殿で報告‥‥こんな働き方をしておいて自主的に休まないんですから、周りの皆の心配にも納得が行くというものです。
「どんな馬鹿でしょうね、私は」
「人が心配してる事になかなか気付かない類の莫迦なんじゃないか?」
「ふえっ?」
自嘲する言葉に応答があった事に驚いて、変な声が出てしまいました。
思わず開いた目が、背もたれを跨いで椅子に座っていた勇者様の目と合ってしまいました。
「あ、悪ぃ。起こしちまったか。良いから皆帰ってくるまでもっかい寝てな」
立てた両膝を抱えていた姿勢から上体を起こそうとしていた私でしたけど、下に向けて広げた掌を動かす勇者様の動きを見て、思い留まります。
「勇者様の声が無くても眠りが浅くなっていたから起きていたとは思うんです。それより、鈍感馬鹿ってどういうことですか? 勇者様にだけは言われたくないんですけど?」
「あー、それに関しては返す言葉もないな。結局、今回も無茶し過ぎてポムの仕事増やしちまったしな」
「それは良いんですけどね。私の本来のお仕事なんですから」
「だからって、今回のポムは仕事抱え込み過ぎ」
ピシャリと言われて既視感の正体に気が付きました。
今の勇者様の、私に向ける気遣うような目線は、普段私が勇者様に向けているものと似ているのですね。
「だからな。ポムはもう少し寝とけ」
そう言うと勇者様は椅子から立ち上がって私の前に来ると、上体を浮かせかけていた私の両肩に手をかけて、ぐっと押し込みました。
その瞬間、バターンとドアが開いたのです。
「サ、サワラさん! 弱っているポムさんになにをしているのです!」
勢いよく開いた扉の向こうにいたのは真っ赤に頬を染めたユリア様でした。
こんな勢いよく扉を開けるのは珍しいと思いましたけど、彼女の後ろで両手に荷物を抱えたシャムシエルが蹴り足を戻しているのを見て、納得が行きました。
「おい、サワラぁ。溜まってるんならアタイが相手してやるって普段から言ってねぇか?」
ちょちょちょっと、どさくさに紛れて舌なめずりしながら何を言って、じゃなくて、普段から勇者様に何を言ってんですか、この〈森蛮人〉は!?
「儂はもう少し見ていたかったのじゃがのぉ。お前さん達、皆青いのぉ」
ガナデちゃん!?
ひょっとして、割と前から帰って来て見てたんですか、三人とも?
これは多少の不調でも反響定位を切らさないようにした方が良いのでは?
「だーかーらー! そう言うのじゃないって! 俺は無実だ―!」
しばらくの後、宿の職員に怒られるまで、この騒ぎは続いたのでした。




